第13話 不慣れな口説き文句

 風が吹き、船がぐらりと揺れる。ブラッドの潮に焼けた肌を朝日が照らした。

 しばらく朝日を見ない生活をしていたため、なんとなく新鮮な気分だった。


 呪いのせいで眠らずとも、体は辛くない。

 だが、眠らないと人の倍の時間ときを過ごすことになる。一人で夜を過ごすという孤独は、次第に、精神を蝕んでいく。


 悪夢の中を泳ぎ続けているような気さえして、昔は荒れたものだ。眠らない夜の街を渡り歩き、享楽を貪ったが……だがそれも虚しくなった。

 どんなものも自分の孤独を癒やすことはできない。人と関われば関わるほど、自分だけが違う時を生きていることを、まざまざと思い知るだけだったからだ。


 ブラッドは心底疲れていた。だけど、悪夢はいつまでも断ち切れない。呪いを解かない限り──永遠に。


 悪夢を終わらせてくれる、聖女の誕生を彼がどれだけ待ち焦がれていただろう。

 だからこそ、アンジェラが聖女かもしれないという可能性が捨てられない。


(真実の愛、か。要はアンジェラが俺に惚れればいいって話、か)


 ブラッドは解釈を単純化する。


(それなら、そんなに難しくない……)


 だが、彼はすぐに首を傾げた。呪いを受ける前は恋愛どころではなく、呪いを受けたあとは、どんな人間とも深く付き合わないように生きてきたのだ。

 だからわからなかった。


(……女って、どうやったら男に惚れるんだ?)





「なんか、口説いてるように見えるねえ」


 何を考えているのか、ブラッドが船長室の壁にアンジェラを押し付けている。

 ジョシュアがじっと見ていると、パーシヴァルが呆れたようなため息を吐いた。


「ねぇ、あれ、今度はなにはじめたの。パーシヴァル、なにか聞いてる?」


 パーシヴァルは黙って首を横に振る。その顔に哀愁が漂っている。


「ジーンは?」


 ジーン少年は足を止めると、不機嫌そうにアンジェラを見やった。アンジェラが乗船してからずっと眉間にシワが寄っている。気の毒なくらいに。


「ブラッドは今朝、サミーになにか聞いてた。女の口説き方教えろって言ってて、あいつが名乗りを上げて……」

「サミー? そりゃあまた……人選間違ってる気がするが」


 サミーというのは、船で一番の女ったらし……なのだが、その実、いつも振られてばかり。なぜか自分がモテると勘違いしていて、「あの女、俺に色目使ってきた」などと言いふらしている。女にとことん嫌われるタイプだ。

 そして、乗船してきたアンジェラを一番に口説こうとして、一番最初に眠りに落ちた男。


 サミーの勘違い発言を真に受けたらしい。他の船員も面白がって止めなかったのだろうが、一体何をするつもりだか。


「どーせ、あの女のことだろ。あの女を乗せてから、ブラッドはらしくない。もう食料尽きかけてて、それどころじゃないっていうのに獲物も探さない。いつもの威厳はどこに行ったんだよ」


 ジーンは口を尖らせるが、その表情は妙に幼かった。口に出す文句とは別の感情がにじみ出ている。


(まだ十六だし、アンジェラちゃん、そこそこ可愛い上に、ブラッドのものって決まってるようなもんだしなあ)


 何気なく考えたが、なにか違和感があった。だがその感覚もすぐに消えていく。


「……まあまあ。今んとこ、仕事もないんだし。いざとなったらしゃきっとするって」


 本業は今のところお留守だが、めぼしいお宝が目の前に現れないのだから仕方がない。こういうのはむやみに動いてもうまくいかないのは経験を積めばわかるのだが。


「ほんとかなあ。おれ、船長があのまんまだったら船降りるかも」

「大丈夫だって」


 ジョシュアがなだめても、ジーンはどうしても不満そうだ。





「は? なんて言いました?」


 聞き間違えかと思った。

 アンジェラは目の前の男を見上げる。彼の両腕はアンジェラの両肩の上にある。囲われているのだけれど、少し動いたら触れそうなので逃げることができない。


「…………」


 だが、ブラッドはアンジェラの問いかけにも無言のままだ。なにか言い澱んでいるように見える。


「あの、掃除中なんですけど……用が済みましたら解放していただけると……」


 手に持っていたモップの柄でつんつんとブラッドの腕をつついてみる。サボるとジーンに文句を言われる。一生懸命にやっているつもりだが、完璧とは程遠い。だから風当たりが強いのは仕方ないと思う。

 だからこそさっさと仕事を終わらせたい。でないと、また枕やってろなどと言われてしまう。それは悔しい。

 などと考えながらつんつんやっていると、ブラッドがうっとうしげにモップを取り上げた。突き立てていた肘を曲げてぐいと顔を寄せる。


(な……に)


 久々に間近で顔を見て、急激に体温が上がるのがわかる。


(や、やっぱり、この人……すごく整った顔してる……わよ、ね)


 切れ長の赤い目はわずかに憂いをたたえている。甘いのにどこか苦しげな眼差しに射抜かれたアンジェラは、壁に磔になったかのような心地になった。

 ブラッドは息が触れそうな位置で、アンジェラを見つめ続ける。そうしながら、口をわずかに開いては閉じる。そして目を伏せると、どこか切なげにため息を吐いた。


(な、なんだか……これ、すごく……)


 ブラッドの腕の中に広がる甘い雰囲気。海風さえも入り込めないような。熱さと甘さに次第にクラクラとしてきたとき、ようやく彼は口を開いた。

 しかし、


「……あんたがすきだ。おれのものになれよ」

「…………」


 駆け出しの役者でも、これはないというくらいの棒読みだった。

 とたん、腕の中に急激に冷え切った海風が入り込んできたような気がした。真っ赤だったであろうアンジェラの顔もその風で一気に冷えた。どくどくと激しかった胸の音も正常に戻る。


 聞き間違えではなかったらしいが、これはまさかの口説き文句だろうか? 思わず眉間にしわが寄った。


 何なのだろう、今度は。

 むかむかと苛立ちが湧き上がる。直前に凄まじくドキドキさせられたから余計にかもしれない。

 この間、魔女のところに行ったときは、目も合わせてくれなかったというのに。

 今になってこんな嘘くさい台詞を言われても、不快なだけだ。


「…………あの、掃除の邪魔なんですけど」


 台詞は聞かなかったことにした。そのまま氷のような視線を送ると、ブラッドの耳がじわじわと赤くなる。


(ん……あれ?)


 怪訝に思ったアンジェラが目を細めると、ブラッドは耐えられないと言った様子で口元を押さえて目をそらした。かと思うと、アンジェラから離れて──そのまますごい勢いで船尾に向かった。


 見えなくなった途端、どこかでごつんというすごい音がし、さらに「うわあああ、船長!」「やめてください! 船長の頭は平気でしょうけど、壁が壊れる!」という複数の悲鳴。


 気になったけれど、さすがに追いかけて見るような気になれない。呆れてため息をつこうとした時、ブラッドの赤い耳を思い出してはっとする。


(でも……あれ、今のって……照れてた? だとしたら……なんていうか……ものすごく、可愛くない?)




 頭を打ち付けた壁には亀裂が入っていた。船員が文句を言いながら金槌で釘を打ち付けている。


「…………だめか……っていうかこれはかなりキツい」


 サミーは「壁際に押しやって甘い言葉吐いてたらイチコロっすよ」などと言っていたけれど、どこがだ。

 しかも教えてもらったとおりのセリフを言ったのに、海をも凍らせるような視線は、本当に痛かった。あんな目、今までにどんな女にもされたことがない。言い寄ってくるのが常で、大体の女は最初から彼に好意を抱いていた。だから、アンジェラについても少しの工夫ですぐに落ちるものだと簡単に考えていたのだが……甘かったらしい。


 人選が悪かったのだろうか?

 ブラッドは気を取り直すと、別の船員に声を掛ける。




「海よりも空よりも、おまえのほうが、きれいだ」


 相も変わらず、棒読みな台詞が甲板に響いた。

 アンジェラは無視してモップを動かしている。その目がどんどん冷たくなっているのを見て、パーシヴァルはため息をつく。だが、どこかでぶほっとたまらずに噴き出した音につられて、ついつい笑いそうになった。


(一体何をやってるんだあの方は)


 ここ数日、ブラッドは暇を見つけてはアンジェラを引き止めて口説いている(?)のだが……その台詞が、誰が考えたのか、聞いたら鳥肌が立つようなものばかりなのだった。

 例えば、


『おまえのことが、一日中頭から離れないんだ』

『おまえのせいで、おれの心臓がうるさいんだ。なんとかしろよ』


 など。

 尊敬して仕えているものとしては、非常に辛い。すさまじく痛々しい。だが本人がすこぶる本気なのなので、やめろともなかなか言えない。


「お前ら、あんまり変なことをブラッドに吹き込むな。興味が無かったからか、あの外見なのにそっち関連恐ろしく疎いから真に受ける」


 だからこそ余計に面白いのだろうが。

 船員たちは壁の後ろに隠れて覗き見ている。海の上の娯楽は賭け事から三文芝居に移り変わった。このままだと、ブラッドの本来の目的にはとてもたどり着きそうにない。


 彼らはうぇーいと返事をしながらも、ニヤニヤと笑っている。おそらく次に言わせる台詞でも考えているのだろう。


「悪い意味で素直すぎるのです、あなたは……」


 無知を恥じたりはせず、わからないことは率先して聞く。部下の知恵を最大限に活かす。そうして彼はこの船を仕切ってきた。


(それが船と海のことなら、うまくいくのに……)


 ここは自分が一肌脱ぐしかないのだろうか。そんな事を考えていたパーシヴァルは、風向きが変わるのを頬で感じる。

 だが水平線を見ても雲ひとつない。気のせいだろうかと思いつつ、念の為ジーンを呼びつける。

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