第12話 呪いと祝い

 三日かけてたどり着いたのは、帝国の北方にある諸島だった。かつてセヴァール王国が治めていた土地。

 数百という小島があり、ごつごつとした岩の隙間を縫うように樹木が群生している。作り物のような美しい島々に、体を覆っていただるさが吹き飛ぶような気分だった。

 アンジェラはあの後、ほとんど寝込んだままだった。諸島にたどり着いてスピードが落ちると、体調不良は多少マシになったが……船酔いは侮れなかった。まともに立っていられなかったのだった。

 その間、ブラッドのベッドを占領していたわけだけれど、眠りから覚めたブラッドはやはりアンジェラに近づこうともしなかった。倒れた時のお礼を言いたかったのに、機会は失ったままだ。

 と思っていたら、そのブラッドがこちらに近づいてきた。

 今だ、とアンジェラは口を開く。


「あの」


 だがブラッドは遮るように言った。


「降りるぞ」


 ぎい、という音の下方向を見ると、小舟が降ろされている。


「パーシヴァル、船を頼んだ。……ジョシュア、ついてこい」



 島は全部同じように見えるが、ブラッドは迷いなく一つの島に向かった。大きな岩の上には尖った葉をみっしりと茂らせた樹木が生えている。見たことのない木だった。すべて同じ方向に傾いているのが不思議だ。

 岩場に船をつけると、ブラッドとジョシュアは飛び降りた。


「飛べるか?」


 アンジェラは頷くと、「避けておいてください、眠ったら大変ですし」と言って舟から飛ぶ。

 膝を擦りむいたもののなんとか着地した。


(やった)


 達成感を感じながら顔を上げると、ジョシュアがブラッドを羽交い締めにしていた。


「ど、うしたんです?」


 尋ねると、ブラッドははっとしたような顔をしたあと、ぷいと顔を背けた。ジョシュアが苦笑いをしている。


「また寝ようとするから、止めただけ」

「?」

「行くぞ」


 吐き捨てるようにいうと、ブラッドはずんずんと林の中に入っていく。


(……もしかして、また助けてくれようとした?)


 気がついたアンジェラの口元が緩む。きっと、そうだ。この間、床に倒れたアンジェラを庇ってくれたのとおんなじだ。


(あの人、それほど、悪い人じゃないのかも……)


 そんな気がしてしまったのだ。



 ***



 林の中を少し進むと木々は鬱蒼としてきた。岩場なので足元が悪い。だが迷惑をかける訳にはいかないと、アンジェラは必死で男二人についていく。

 太い樹の隙間を縫うように建てられた小さな庵の前には老女が一人ぽつんと腰掛けていた。白い髪に青い瞳の彼女は、ブラッドをみるとニンマリと笑った。


「何年ぶりかね。そろそろ来るんじゃないかって思ってたよ。よかったね、あと少し遅かったらわたしが先に行っちまったよ」

「アマリリス。少し見ないうちにずいぶん老けたな」


 ブラッドは失礼な事を言うが、アマリリスと呼ばれた老女は「あんたは全く変わんないね」と小さく笑っただけだった。

 招き入れられた庵の中は、人が一人横になるのが精一杯。ブラッドとアンジェラが入ると息苦しさを感じるくらいの狭さだった。

 ジョシュアは、少し覗くなり、外で待つと言った。

 こんなところでどうやって生活をしているというのだろう。アンジェラがそう思っていると、


「木の実は多いし、魚も釣れる。それに他の島にも住人がいる。滅多に出てこないが、小舟で行き来して助け合ってる」


 と心を読んだようなことを言われて目を見開いた。さすがは魔女と言われる人だ。


「で、今日はなんの用だい。まさか例の呪いかい? あんたの呪いは私には解けないって言っただろ」

「違う。この娘にかけられている呪いを調べて欲しい」

「呪い?」

「眠りの呪いだ。俺を眠らせるくらいの強烈なやつだ」

「ふうん……どれどれ」


 アマリリスが手を伸ばそうとするのでアンジェラは後ずさった。


「あ、──触ったらだめです。眠ってしまうんです」

「おれを眠らせるくらいの強烈な呪い持ちだ」


 アマリリスはわずかに笑うと、手を引っ込める代わりにじっとアンジェラを見つめた。そして目を細める。


「あんたの眠りに打ち勝つくらいの……つまり、あんたはこの娘が聖女かどうかって疑ってるってわけかい?」

「聖女だって言い張るしな」


 アマリリスは楽しげに口元を歪めた。


「前にも言ったが、聖女かどうかは、女神がその身に降臨しない限りわからないよ。聖女候補にはわかりやすい印なんかないんだ。聖女が聖女だとわからないからこそ、聖女は守られる……はずだったんだ。皇帝が愚かすぎたせいで、聖女狩りなんて悲劇が起こったけれどね」


 聖女狩りという言葉にひやっとする。


「で、あんたは、聖女なのかい?」


 アマリリスはずい、と顔を寄せる。


「…………わ、わたしは、」


(ど、どうしよう……! 今の話だと、聖女かどうか、自分でもわからないってことになる、わよね……そして、ブラッドは前にもその事を聞いていたから……だから、わたしの言うことが嘘だって思ってたってこと……?)


 考えれば考えるほど、ばくばくと胸が音を立てた。なんだか冷や汗が全身から吹き出してくる。頭が真っ白になりかける。


「わ、わたしはっ」


 それでも必死に正解を探していると、「ぶ……っ」と息が漏れる気配。そして直後、ブラッドが咳き込んだ。


「だ、大丈夫ですか?」


 ブラッドは苦しげに顔を伏せている。背を撫でてあげられたら良いのだけれど、別の被害が出てしまう。


「……っ……。ところで……こいつの呪いは、一体何なんだ? 聖女とは関係ないのか?」


 あっさり話を切り替えたブラッドに、アンジェラはほっと息をつく。なんだか知らないが、助かったのだろうか?


「古い禁厭まじないだね。だけど……ふうん……これは」


 アマリリスはアンジェラをじっと見つめる。気恥ずかしくなってきた頃、彼女は言った。


「そんなに珍しいものじゃあない。だけど、禁厭が体の周りで何重にも層をなしている。誰かがこの娘に生まれたときからずっと呪いをかけ続けていたみたいだね」

「えっ!?」


 生まれたときから?


「でも、わたし、生まれたときからずっと修道院にいましたけど」

「じゃあ、そこで魔術をかけられたんだろう」


 だとすると、レイラなのだろうか?

 疑いたくなどないけれど、あの場所にはそもそも人があまりいないのだ。だとしたら……。


「……なんのために?」


 アンジェラが眉をひそめていると、アマリリスは少し考え込み、言った。


「あんた、ちょっと外で水をくんできてくれないか」


 唐突な依頼にアンジェラは瞬いた。


「え?」

「年をとると、喉が渇きやすいんだよ」


 有無を言わせない雰囲気に、仕方なくアンジェラは外に出る。すぐ戻ろうと水瓶を探したが、空だった。どこで水を汲めばいいのだろう?


「どうした?」


 ジョシュアがアンジェラに気づき、近寄ってくる。


「水が欲しいそうですけど、入っていないんです」


 ジョシュアは瓶を覗き込むと、「ふうん」となにか会得したようにうなずいた。そして森の奥を指差す。


「どこかで水が汲めるかも。一緒に行こう」

「……はい」


 なんだか腑に落ちないけれど、老人には親切にせねばならない。話はまたあとで聞けば良い。

 ジョシュアが瓶を持ち上げる。アンジェラは彼について、森の奥へと向かった。





「……あいつを追い出したのは?」


 足音が遠ざかるのを待ち、ブラッドは尋ねた。


「あの子には聞かれたくなかったからだよ。きづいてるかい? あの子がまとってるのは、《呪い》じゃあない。《祝い》だ」

「祝い?」

、誰かがかけた。だから誰もあの子に触れられない。さらにあの子はそれを呪いだと思いこんでいる。だからこそ自分からは絶対人に近づかない。つなぎ合わせれば、答えは出そうなもんじゃないかい?」


 ブラッドはその意味について考え、そして、答えを口にするのはやめた。アマリリスと同じく、わかっても明言しない方が良いと思ったのだ。


「それを解くには?」

「ああいった禁厭を解く鍵は、昔からただ一つしかないよ。かけた者の意図を考えても、答えは、《真実の愛》以外にないだろうね。彼女があんたを愛せば、は叶うかもしれない」

「…………そうか。参考になった」


 たどり着いたあまりに陳腐な答えにうんざりする。

 もともと、愛という言葉をブラッドは嫌悪していた。

 その愛とやらに、ずっと振り回されてきたからだ。


(馬鹿馬鹿しい……が、解呪の手がかりを知ることができたのは収穫、か)


 耳に美しく、そして腹立たしい声が響いた。


『愛させてみなさいよ』


(ああ、それじゃあ、望み通りやってやるよ)


 湧き上がった苛立ちとともにブラッドは立ち上がる。もうここに用はない。

 謝礼の酒を置くと、アマリリスはそっけなく受け取る。背を向けたブラッドが外に出ようとすると、囁くような声が響いた。


「呪いは祝いで打ち消される。そして《彼》は力を手に入れる。世界を救う力を」


 振り返って見下ろすと彼女は嬉しそうに微笑んでいた。若かりし頃の彼女を思い出す。名のとおりに花のような娘だった、彼女を。


(ああ、この女もまた、俺を置いていく)


 鈍い痛みが胸を刺し、ブラッドは顔をしかめながら彼女から目をそらす。

 彼女は挑むように言った。


「女神が選び、聖女の加護を受け取れるのは、それだけの器を持つ男だけだ。では得られるのも偽りの愛だ。とても真実の愛など得られないよ」


 運命から逃げるな。そう言われている気がした。

 その目には、仲間たちが時折ブラッドに向けてくる願望と同じものが混じっている気がした。


「なんの話か、俺には、まるでわからないな」


 ブラッドはそう言い置くと、庵を出た。

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