第11話 進路を北に
「今より進路を北にとる。面舵一杯!」
ブラッドの声が響き渡ると、船員の顔が一気に引き締まった。
航海士でもあるらしいパーシヴァルが細かな指示を出すと、船員が掛け声とともにロープを引き、帆の向きが変わる。白い飛沫が上がり、ぐらりと船が揺れた。
帆が空気を抱き込むと船はぐいぐいとスピードを上げた。推し避けられた波が船を大きく揺らす。倒れそうになったと同時に水沫をかぶりアンジェラが顔をしかめていると、ブラッドが船長室に入っていく。ジョシュアとパーシヴァル、ジーンもそちらに向かい、アンジェラにもついてこいと促した。
船室の暖かい空気に包まれるとほっとする。どうやら思ったより体が冷えていた。北に向かうと言っていたので、気温も下がっていたのだろう。さらには風も強い。どこへいくのだろうと思っていると、
「ここからはちょっと荒れるかもな……大丈夫か?」
ブラッドがちらりとアンジェラを見た。とっさに構えてしまう。
ここ数日、彼は急にアンジェラと距離を置き始めた。ようやく懲りたのかとホッとしていたのだけれど、あんまりにも諦めが良いと気になってしまう。
アンジェラの方は彼に抱きしめられることに慣れてきていたらしい。少し寂しさを感じていたところに、こうして見つめられると、胸がひどく騒ぐ。
思い出すのだ。この間の熱のこもったあの眼差しを。
急に思い出してドギマギしていたが、ブラッドはアンジェラからすぐに目をそらした。
(あれ?)
今までにない手応えのなさ。拍子抜けしていると、ジョシュアが言う。
「確かに、ちょっと不安だね。外海、出たことなさそうだし」
「不安?」
どういうことだろう? と思って首をかしげると、パーシヴァルが地図を指差した。
「ここが修道院。皇帝の動きを聞いて内海を回っていたが、俺たちの拠点は基本、外海だ。――お前、外に出たことは?」
ブラッドが聞くが、彼はやはりこっちを見もしない。自分に尋ねられているのだとはわかるけれど、なんとなくいい気はしない。
気のせいか、なんだか胃までむかむかとする。
「外も何も、修道院から出たことがありません」
わずかに尖った口調で言い返すと、
「そりゃあすごいな。世間知らずにもなっとくだ!」
ジーンがバカにしたように笑い、ジョシュアが「女の子に意地悪するような男はモテないよ」と言う。ジーンはむうっと顔をしかめた。
「あの……どこへ向かっているのですか?」
「辺境の魔女のところに行く」
ブラッドはそう言ったっきり。補足を求めて尋ねる。
「魔女……なんているんですか?」
「……」
どうやらアンジェラとは極力話したくないらしい。この間まで目があうたびに押し倒してきたと言うのに、一体どういう心境の変化だろうか。
(ほんと……この人なんなの?)
苛立ちながら待っても、ブラッドは黙り込んだまま。ジョシュアが苦笑いをしながら代わりに答えた。
「魔女っていうより、知恵者というか。帝国からの隠匿者だね。彼らに従うことを良しとせず、隠れて生きている」
アンジェラはブラッドとの対話を諦め、ジョシュアに向き合う。
「隠匿って……そんなことが可能なのですか」
それに、どうやったらそんなふうに隠れている人のところにたどり着けるというのだろう。
「帝国だって領地の隅々まで把握なんかできないさ。だから力と知恵さえあればどこだって生きていける。俺たちも同類だし。魔女には前に呪いを解いてもらいに行ったらしいんだけど……ってアンジェラちゃん? 顔、真っ青だけど……」
「え?」
言われてみて気がつく。そういえば、さきほどから視界が歪むような気がしていた。あとなんだか吐き気もあるような? ブラッドにいらいらしていたからだと思っていたけれど……。
自覚したら急激に吐き気が悪化した。
「さっそくやらかしたか。さっき言ったこと聞いてなかったのか?」
ブラッドがため息をつく。
「船酔いだ。すぐにそこに寝ろ。誰も運べないのわかってるだろうが」
指さされたのは彼のベッドだった。
「あ、はい」
椅子から立ち上がったが、地面がぐにゃりと歪んだ気がした。
(あ、ら?)
体を立て直しながら、瞬く。だが、目を開けるたびに皆の顔が揺れて、回転して、最後には横になった。倒れた、と思ったのは体に衝撃があったからだ。
だが、感じたのは硬い床の感触ではなかった。
(え……?)
「あーらら……仕事溜まってるから、しばらく寝ないって言ってたくせに」
ジョシュアが間の抜けた声を出した。下を見ると、ブラッドがアンジェラを抱きとめたまま、すやすやと眠っていたのだった。
なんだか胸がジワリと熱くなる。
(だって、この人、今、私を庇った?)
「立てる?」
呆然としていたアンジェラは、ジョシュアの問いかけにハッとする。
「あ、ええ、なんとか」
アンジェラは這うようにしてベッドに向かう。そしてそこから毛布を剥がすと、ブラッドにかけた。
「なにしてるの。ブラッドは放っておいていいから、アンジェラちゃん、早く横になって。君のことは、誰も動かせない」
「でも」
「こいつはどこでも眠れる。海賊だから、ね」
なにか含みがあるような気がしたけれど、めまいが思考を遮った。
アンジェラはベッドに倒れこむと目を閉じる。
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