第9話 この気持ちは何なのか

「ちょ、ちょっと……今日はなんなんです!?」


 さすがに、いつものやつかと慣れてきた頃だった。ブラッドは少し触れただけで寝てしまうが、数時間後にはピンピンして起きてくる。しかもその度に明らかに元気になっている。人助けでもしている気分になっていたし……実のところ、抱きしめられるのは、さほど不快ではない……というより──


(ちょっと安心する……のよね)


 自分でも変だとは思うけれど。


 だが、今日。部屋に入るなりアンジェラはひるんだ。

 というのも、ブラッドの様子が明らかにおかしかったからだ。


 いつもは服をちゃんと着ているのだけれど、今日はシャツがはだけている。その隙間から日に焼けた肌が覗いていて、アンジェラは思わず赤くなる。

 免疫は、まったくないのだ。


(わたしと……全然、ちがう)


 抱きしめられたときになんとなく気づいていたけれど……やはりブラッドの胸は、アンジェラのように膨らんでいない。むしろ硬そうな筋肉をまとっているのがわかる。

 そして、それがおそらくとても美しいということも。

 見ているとなんだかくらくらしてくる。酒を飲んだことはないけれど、飲んだらこんな気分になるのではないかと思った。


「アンジェラ。こっちに来い」

「だから……あの、なんで懲りずに触るんです?」

「呪いを解きたいからだ」

「でも眠っちゃいますよね? 呪いが解けているのと同じでは?」

「いいや。それじゃあ意味がない」

「どういうことです?」

「お前は黙って俺に抱かれればいいんだ」

「って、何回も抱かれてますし――っ!?」


 反論しているうちに押し倒された。熱い息が首筋にかかり、アンジェラの目が回る。

 ブラッドはアンジェラの首筋から顔をあげる。そして真上からアンジェラを見つめた。


「俺の、」


 長い指が頬に触れる。するりと撫でられてぞくりと鳥肌が立つ。


「呪いを」


 赤い目が細められると、表情が一気に甘くなる。息が止まる。顔が近づき、思わず顔を背けると、おとがいを持ち上げられて真っ直ぐに見つめられる。


(ここまで、触れられたのって、はじめて……!?)


 呪いがきかないことに驚く。

 これはもしかしたらもしかすると、本当に呪いが解けたのだろうか? 

 それともアンジェラの力が薄れていたりするのだろうか?

 ブラッドの呪いがアンジェラにも影響しているのかもしれない?


(ああ、だめ。頭が働かない)


 いろいろ考えたいのに、眼差しが熱すぎてだめだった。見ている者の心を蕩かすような、そんな目だと思った。

 だが、直後のこと。


「解い――」


 口がそう発したとたん、ブラッドはアンジェラの上に覆いかぶさる。


「っ――」


 急激に落ちてきた筋肉の塊に、ぐえっと乙女にあるまじきうめき声を上げそうになった。


(お、重……っ)


 これだけ同じことを何度もやられると嫌でも慣れてしまう。なんとか這い出して見ると、予想通り、ブラッドはしっかり寝入っていた。


「……なんなの、ほんとに、この人」


 いつもと同じだと言い聞かせたくて。そうつぶやいてみるものの、のぼせてしまって、笑えない。寝入る直前までの色気に当てられてしまったのだ。


 甘い光を湛えた赤い瞳。しっかりと通った鼻。くっきりと刻まれた唇はわずかに柔かい弧を描いていて。

 額にわずかにかいていた汗は、なんだか艶かしく思えた。


 今も、表情はあどけないというのに、長いまつげや、少しだけ開いた唇から目が離せない。胸が妙に騒いで仕方がない。怖かったのだろうか? だけど、どこか心地よさもあったような。


(なんで、こんなに胸が騒ぐわけ……?)


 この気持ちが何なのか。わからずに気持ちが悪い。

 アンジェラは逃げるように船室を出て、大きくため息を吐いた。息を呑んで待ち構えていた船員が、弾けるように笑いだしたからだ。




 アンジェラは真っ赤な顔のままムッとする。こういうのは感じが悪い。


「ちょっと……笑わないでください!」

「だってよお、あのブラッドが負け続けるとか、娯楽以外のなんでもないだろーが」


 彼がしたいのは、どうやら修道院では教えてくれないようなことらしい。じゃあ、この船員たちに聞けばいい。そうしてさっさと終わらせるのだ!


「あの人、一体何がしたいんです!?」


 アンジェラが言うと、船員たちはさらに笑った。にやにやと嫌な笑いだ。

 無知を笑うのは卑小な行いだとレイラはよく言っていた。

 ジーンも馬鹿にした笑いを浮かべているのを見つけて、かっとなる。正面切っての文句は耐えられるけれど、こういう陰湿なのは嫌いだ。

 アンジェラはジーンに向かって問いかけた。


「ジーン。あなたも知ってるんでしょ、ブラッドがなにをしようとしてるのか! 知ってるなら教えてよ!」


 船員たちが「おっ! いいじゃねえか。ブラッドより先に教えてやれよ、ジーン」と冷やかすと彼は一転して真っ赤になった。


「ば、ばかか! んなこと女が聞くなよ、このあばずれ!」


 ばかはわかるが、あばずれとはどういう意味だろう。海賊たちはアンジェラの知らない言葉をよく吐く。


(本も新聞もよく読んでいたはずなのに、……世界は広いわ)


 そんなことを考えていると、ごつんという音がして、ギョッとする。いつのまにかジーンの隣でパーシヴァルがいかつい顔をしかめていた。


「汚い言葉を使うな。――あとお前たち、調子に乗りすぎだぞ。船長も甘やかしすぎだ。わかってるとは思うが、アンジェラに手は出すなよ? 大事なお客様だ」


 船員たちが「うぇーい、手の出しようがありませーん」と気の抜けた返事をする中、げんこつを食らったジーンは、頭を押さえながら腹立たしげにアンジェラをにらんでいる。


 だが一体アンジェラが何をしたというのだろう? 納得いかない気分だった。

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