第7話 女神のわがまま

 アンジェラの助けを聞きつけて入ってきたのは、ジョシュアだった。彼はブラッドの下でジタバタしているアンジェラを見ると、驚いた顔をした。


「眠りの呪いと不眠の呪い、どっちの呪いが強いか賭けてたんだけど……あーあ……そっか。失敗だったか。そりゃあ、残念」


 そして半泣きのアンジェラの上にいたブラッドを担ぎ上げた。細身のくせに力はあるようだ。


「どこまでされた?」

「えっ」


 どこまで、とはどういうことだろう?

 何を問われているのかさえもわからずに、とりあえずされたことを告げることにした。


「えっと、頬を触られただけで、すけど」


 それだけを言うのになぜか顔が赤くなった。冷たい指先の感触が蘇ると胸が妙にドキドキしたのだ。

 しどろもどろになりながら言うと、ジョシュアは呆れたようなため息を吐いた。


「頬……しかも触れただけ? かなり強烈な呪いだなあ」


 アンジェラがベッドから降りると、ジョシュアはそのままブラッドをごろんと転がした。扱いはずいぶんと雑だ。

 ジョシュアは船長室から出ていき、アンジェラはついていく。アンジェラが外に出ると同時にジョシュアが「失敗だ」と告げる。


 周囲からは喜びの声と落胆の声が上がる。賭けをしていたのは本当らしい。


「すげえな。あの《眠らずのブラッド》を二日連続落としちまった」

「どんな睡眠薬もきかなかったのにな」


 海賊たちがざわめく中、アンジェラは気になったことを聞くことにした。


「……あの……ジョシュアさん」

「ん? 名前覚えてくれてるんだ?」


 ジョシュアが振り返る。笑顔は花が咲いたように可憐だった。

 戸惑いながらも続けて問いかけた。ブラッドの話が未だよくわからなくてもやもやしていたのだ。


「ブラッドさんの呪いって……」

「ああ。あいつ、強烈な不眠症なんだよ」

「不眠、症ですか?」


 呪いと言っていたけれど、大げさな。

 だけど、ジョシュアは小さく首を横に振った。


「ただの不眠症じゃない。女神フレイアに呪いをかけられてね。気が遠くなるくらい長い間寝ていなかった。で、あんなひどい顔になってたってわけ。あんなに男前なのにさあ、幽鬼みたいになっちゃって、もったいない話だよ」

「女神フレイア?」


 聞きなれない名前だった。アンジェラにとっての神は、ザラマ帝国国教の神、ウォーデン神、一柱だけ。

 アンジェラが首をかしげると、ジョシュアは少し考え込んだ。


「君って何歳?」

「ええと……十六歳です」

「ふうん……じゃああの大虐殺の一年前に生まれたってことか。てっきり生き残りかと思ったけど」

「それは、あの、それって『聖女狩り』のでしょうか? あなた達も聖女を探していたようですけど……」


 聖女とは一体なんなのでしょう――と問いかけそうになって、アンジェラはその先を飲み込んだ。自分が聖女と名乗っておいて知らないのが変なのだ。尋ねる訳にはいかない。

 だけど聖女を狩るという言葉はどうしても気持ち悪い。聖女は良いもののはず。なのにどうして狩らなければならない?


「女神信仰は150年前に禁じられたからなあ……知らなくてもしょうがないか」


 その口ぶりから、なんだかジョシュアもアンジェラの言葉を全然信じていないようだった。

 自らも昔の人間のようにいうと、ジョシュアは、甲板の荷物の上に腰掛ける。そしてアンジェラにも隣を勧めた。

 船の縁よりも目線が上がり、海がよく見える。波はやはり穏やかで、小さな島々の間を透明度の高い水がたゆたっていた。


「今の帝国は、小さな国々を徐々に侵略して、一つの大きな国になったものだっていうのは?」

「知っています」


 レイラは暇を見つけてはアンジェラに歴史を教えてくれたのだ。だがそれでも女神信仰のことは初めて聞いた。


「そして最後まで反抗し続けたのが、北部の島々を統括していたセヴァールっていう海洋王国だ。君の住んでいた修道院も昔はセヴァールの領土だった」


 それも知っている。アンジェラはうなずいた。


「セヴァールが滅びたのが約150年前。滅びた理由は?」

「ええと、クーデターが発生したとか」


 ジョシュアは忌々しげに頷いた。


「セヴァールは強力な海軍を持っていて、帝国は攻めあぐねていたんだ。だから内部から攻めた。当時海軍を指揮していた第二王子が遠征に出ている隙を突いて、王族を一掃したんだ」


 血なまぐさい話に顔をしかめる。


「そうしてセヴァールを配下に置いた帝国は、土着の信仰を民に捨てさせた。そのときにセヴァールに根付いていた女神信仰は終わったんだ。だから今、女神を信仰している人間はほとんどいない。帝国に知られたら処刑されるからね」


 そこまで聞いても話が繋がらなかった。聞きたい情報が得られず、アンジェラはわずかに苛立つ。


「あの……それで女神とブラッドさんの呪いにはどんな関係が?」


 本筋に戻そうとすると、


「案外せっかちだな。今から話すから。女神フレイアは民の中から娘を選んで転生すると言われている。それが聖女。そして聖女が加護を与えて国を守るんだ。だけど……」


 そこでジョシュアは急に噴き出した。


「その聖女に転生したフレイアが、あのブラッドに一方的に惚れて、私を愛せって迫ったらしい」

「…………はぁ?」


 国を守るというところから一気に飛躍した話に、アンジェラは言葉を失う。

 恐怖心さえ与えるアンジェラの神からは、とても考えられない展開だった。


「で、ブラッドがさ。なんとその求愛を断ったらしいんだよ。で、プライドの高い女神様に、腹いせに呪いをかけられたって言うからすごいよね」


 アンジェラが目を丸くしていると、ジョシュアは「ま、どこまでホントかわからないけど」と肩をすくめた。

 完全に本気にしていたアンジェラは眉を寄せる。


「本当なんですか? 嘘なんですか?」


 アンジェラが詰め寄ると、ジョシュアはニヤッと笑った。


「わかんない。神話レベルの話だし。でも、これ有名なおとぎばなしだけど、知らないわけ?」

「なんですか、それ」


 こちらは真面目に聞いているのにおとぎばなしなんて。適当すぎるとむっとするけれど、ジョシュアは肩をすくめるだけだった。


「君ってさあ。なんか、全然物怖じしないよねえ……呪いで守られてるせい?」


 守られてる? その解釈は初めてで目を丸くする。平和に過ごしているときはそんなふうに思ったことはなかったけれど、今の状況では確かにこの呪いはありがたい。だけど、それと恐怖はまるで別の話だ。


「……あなたは、なんとなく海賊っぽくないので。でも怖いです」


 攫われていて怖くないわけがない。だが、このジョシュアはナタリアを解放してくれたからか。話が通じる相手だとわかっているので、さほど恐怖は感じないのかもしれない。


「でもそれって自分のことじゃないでしょ。仲間が痛めつけられるのが怖いってだけで、君が嫌な目に合うのは平気みたいな、そんな感じがする。ブラッドに押し倒されても悲鳴あげないのに、ブラッドが倒れたら悲鳴上げるとか……変な子だ」

「だって死んだら嫌だもの」

「だけど、君を攫った悪い海賊だよ? 死んでも構わないだろ」

「海賊ってだけで、死んでも良いことにはならないと思います」


 海賊と聞くと確かに印象は悪い。

 だけど、今のところアンジェラは被害を受けていないし、見方を変えれば、海賊達があの場で現れなければ、ナタリアが聖女として役人に連れて行かれて死んでいたかもしれないのだ。だとすると、命の恩人だ。

 そんな事を考えていると、ジョシュアがくすりと笑った。見ると、彼の目がなんだか優しい。どうしたのだろうと見つめ返すと、彼は言った。


「こりゃあ……案外……なんじゃないかなあ」

「え?」


 聞き取れなくて瞬いたとき、パーシヴァルが低くて通る声で言った。


「ジョシュア、あんまりサボるな。飯の時間に間に合わなくなる」

「あ、やべ」


 ジョシュアは箱から飛び降りて厨房へと向かう。


「今日の晩飯はパンジャール地区のキーマだよ」


 一体それはなんだろう。首を傾げつつもアンジェラはジョシュアを引き止めた。


「待ってください。あの、わたしにも仕事をさせてほしいんですけど」


 ジョシュアは意外そうな顔をしたが、直後ニッコリと笑った。


「んー、オレの一存じゃあ決められないから、パーシヴァルと相談して。そいつが副船長だから」


 取り残されたアンジェラの前にはいかつい顔をした男――パーシヴァルがじっとアンジェラを見つめていた。


「まず、名前を聞かせてもらおうか?」

「アンジェラです」

「姓は」

「ありません。親がいないので」

「そうか」


 少し気の毒そうな顔になる。やはりこの人はこの場に似合わない、と思う。

 なんだか海賊にしては真面目すぎる感じなのだ。


「航海術なんかわかるわけもなし、戦闘も無理。料理くらいはできるか?」

「あの、したことがありません」


 パーシヴァルは視線を尖らせた。


「洗濯は」

「できますけれど、効率はよくないかもしれません」


 自信なく首を横に振る。修道院では班を作り、交代で食事や洗濯をするものなのだが、だれもアンジェラを気味悪がって同じ班になりたがらなかった。ナタリアは例外だったが、五人ほどで班を作るため、人数がどうしても足りなかったのだ。


 なのでアンジェラの得意なことは一つ。一人でもそれなりの成果が出せること。


「……じゃあ、掃除だな」


 呆れ返ったパーシヴァルが視線で指したのは、奇しくも先ほどアンジェラが振り回していたモップだった。

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