第5話 そして、朝が来て
にわかに甲板が騒がしくなり、アンジェラは歌を歌うのをやめた。毎日歌っていた聖歌は、身体に染み付いてしまっている。対応に悩んだらしい海賊たちに放置されているうちに、うっかり口ずさんでしまっていた。
「船長! 無事だったんっすね!」
そう呼ぶ声にアンジェラはまさかと思う。
(起きた!? うそ。ナタリアは一週間も起きなかったのに!? まだ半日くらいじゃない?)
「あっ、やっと起きた! 船長、あの女、危険物過ぎます。何とかしてくださいよ!」
少年が叫んでいる。ジーンと言うらしいが、船長――ブラッドを運んできた片割れだ。甲高い声がまだ似合う。アンジェラと同じくらいの歳か、年下かもしれない。アンジェラが気に食わないらしく、見るたびに鋭い目で睨んでくる。
「なんだ、今の歌は……歌っていたのは、おまえか」
人垣をかき分けて現れた人物を見て、アンジェラは目を見開いた。
(え、誰、これ)
昨日見た顔と全く違うのだ。黒い髪と赤い目と眼帯が特徴的なので、本人だとは思うのだけれど、……別人と思うほどの変貌だった。
落ち窪んでいた目が光を取り戻しているのが一番の原因だろうが、青白かった顔色も健康的な肌色に戻っているし、カサカサで干からびていた肌も水分を取り戻している。三十歳くらい若返ったような印象だった。
しかも、
(え……なんか……すごく……)
男の人が周りにいなかったせいで、褒める言葉をあまり知らないアンジェラだったが、こういう人を何と言うのだろうか。
高く通った鼻筋は精悍さを訴え、くっきりと刻まれた唇は意志の強さを訴えてくる。そして、まなざしは鋭いのにどこか甘い。
見ているとなぜか胸が騒ぐような男性だった。
昨日アンジェラを連れてきたジョシュアも顔立ちがきれいだったけれど、また違うタイプだった。
(怖い……とはちょっと違うような)
アンジェラが観察していると、ブラッドはため息をついた。
「何だこの有様は。パーシヴァル、説明しなかったのか?」
パーシヴァルと呼ばれたのは、昨日も一緒にいた、壮年のいかつい顔をした男性だった。
「説明をする前に飛びついたもので。申し訳ありません」
声を聞いて、話すのを聞いたのは初めてだと気がつく。顔は怖いけれど、なんだか海賊っぽくない男の人だと思った。
彼らの視線を追ってアンジェラは床に転がる船員五名を見下ろした。彼らは、昨日、アンジェラが乗船した直後から眠っている。
船に乗るなり、事情を知らずにアンジェラにちょっかいをかけようとして……この有様だった。起きる気配が全くなく、転がされたままだ。
「これは……本物か?」
「かもしれないですねー」
聞き覚えのある声に振り向くと、ジョシュアが扉から顔を見せた。開いた扉からはすごく良い匂いが漂っている。どうやら彼はコックらしい。見かけが海賊っぽくないのは戦闘員ではないからかもしれない。
「それにしても……ブラッド、男前に戻ったねえ。やっぱり睡眠は大事だな」
「……夢見は最悪だったがな」
ブラッドは吐き捨てるように言う。そうして、アンジェラを見た。
「お前の処遇だが……まず、本物の聖女かどうか確かめさせてもらう」
「えっ」
突然話を振られて、アンジェラは思わず手に持っていたモップを構える。たとえすぐに眠ってしまうとしても触れられるのには恐怖があった。自衛のため……とこれ以上不要の被害を出さないように握っていたのだった。
「……どうやって?」
ブラッドが一歩足を踏み出す。妙な威圧感を感じて、アンジェラは一歩下がる。するとブラッドはもう一歩足を進めた。
(え、この人、わたしのこと、怖くないの!?)
床に転がっている男たちが見えないのだろうか? なにより、自身が被害を受けたばかりではないか!
「ち、近づかないで!」
とアンジェラは思わず目をつぶって、モップを振り回す。
すると、ガツン、と嫌な音がした。柱にでもあたったのだろうかと思って、そっと目を開けると、ブラッドの腕がモップを受けていた。
アンジェラは蒼白になる。今の音で腕が無事だとはとても思えなかったのだ。
「だ、大丈夫――!?」
「…………おかしい」
ブラッドはまるで平気な顔をしている。腕に防具でも巻いていたのだろうかと思ったが、彼が腕をまくると、素手が現れて仰天する。しかも無傷。痣一つできていない。
「呪いが解けたかと思ったんだが……やっぱりこいつは違うのか?」
疑いの眼を向けられ、ぎくりとする。偽物とバレたらどうなるのだろう。皆はどうなる?
アンジェラがひるんだ直後、ジョシュアが「やってないからじゃないの? 試してみろよ。すぐに分かるだろ」と楽しげに言った。
「試すって――朝っぱらから?」
「今までの聖女候補、結局指一本触れずに家に返しちゃったじゃない。日照りも長いんだし、一石二鳥だろ」
ジョシュアはニヤニヤと笑っている。ブラッドは高い位置にある太陽を見上げ、少し考えていたが、やがて小さな声で呟いた。
「そうだ。今度こそ悩まないと決めたんだった。――ついてこい」
「さっすが船長、我らがライゼンテ号と一緒で行動が素早い」
ひゅうっと口笛があちこちから上がった。経験したことのないような、粘り気のある視線が体にまとわりつく。すごく嫌な感じだった。
「い、嫌って言ったら?」
「断れると思ってるのか? そのつもりなら、すぐさま進路を変えて修道院に戻るが?」
脅されてアンジェラが睨むと、男は目を細め、口元に笑みを浮かべた。ただならぬ色気になぜか胸が跳ねる。アンジェラは思わず彼から目をそらした。
「――お前ら、覗くなよ」
船員に言うと、彼らはがっかりしたような声を出す。
アンジェラは訳も分からぬままに、船長室に入った。
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