第3話 海賊とニセ聖女
「お前、年齢は」
「十四歳です」
「よし、じゃあちょうどよい。一緒に来い」
アンジェラが塔にたどり着いたとき、人垣の中央で役人が腕を掴んだのは、ナタリアだった。
「ちょっと、何するんですか!」
「皇帝陛下が国中の美しい娘をご所望だ。気に入られれば、妃にしてもらえるかもしれない。光栄に思え」
喜色を浮かべた少女たちはざわめく。だが、ナタリアは毅然と言い返した。
「わたしは神にこの身を捧げたのです。たとえ皇帝陛下相手でも、誓いは破れませんわ」
すると、役人は穏やかさを引っ込めて、腕に力を入れた。
「とにかく来い。こっちは国中を回ってて忙しい。――ったく、こんな辺境の島々を回り続けて、疲れてるんだよ。あと何人集めればいいと思っている?」
そう言った役人は、ふと修道女たちを見回して「なかなかに粒ぞろいじゃないか? 一人に絞るのも惜しいかもな」とつぶやくと、ニヤリと笑った。
「なんなら……全員連れて行ってやろうか。皇帝直々に選定してくださるだろうし。そうだな、十二歳以上の者で、希望者は手を上げろ」
自由を求めていたアンジェラだったが、役人の冷たい声からは輝かしい未来はとても見えないと思った。
何より、先ほどのレイラとの会話は耳に張り付いている。
「わ、わたし、行きたい……わ」
少女たちがぽつりぽつり名乗りを上げる。あどけない顔には外の世界への期待が浮かんでいる。
だが、アンジェラは顔をひきつらせて首を横に振った。これは、后選びなどとは違う。
聞き取りにくかったが、あの男は確か、
『聖女なのだから、美しい娘に決まっている』
と言った。皇帝が十五年前に行ったという虐殺、それは、皇帝に害をなす、《聖女》を廃する――その名目で行われなかったか。
この隔離された土地では大人が口をつぐめば、子供が過去を知ることはない。アンジェラのように皆が皆、外に興味を持つとは限らない。だから、知らないのだ。
「みんな、騙されちゃだめ……! これは《聖女狩り》よ!」
アンジェラが叫んだときだった。
窓から人影が飛び込んできた。
「悪いな。《聖女》は俺たちが貰い受ける」
アンジェラは悲鳴をこらえるのが精一杯だった。というのも、太陽の光を背に飛び込んできた人物は、まるで幽鬼のような有様だったからだ。
肌は青白く、隈で真っ黒。黒い髪は伸び放題。
さらに異様に感じられる原因は、彼が隻眼だったからだ。
眼帯のされていない方も、落ち窪んでいる。血のように赤い目には光がなく、この世のものとは思えない。
背は高く、肩幅も広いため、威圧感がすごく、その場にいた皆が圧倒されていた。修道女たちは卒倒しそうな顔で息を呑んでいた。
さらに、次々に現れる男たちに役人は蒼白になった。
「な、なんだお前らは」
「――海賊だ」
隻眼の男が言うと空気が震えた気がした。低い声は、しかし、なぜかひどく甘い。人の心を震わせるような声だった。
役人が腰に佩いていた剣を抜く。だが、それはすぐに叩き落とされた。逆にあっさり短剣を突きつけられた役人は、ブルブルと震えると塔から逃げ出す。
「あ、ありがとうございます――」
修道女たちはお礼を言っているけれど、アンジェラはそれは違うと思った。先ほど、彼は言った。『貰い受ける』と。
(つまり、この男も――敵!)
「んー……やっぱりお前が怪しいかな。一番の美人だ」
男は言うと、やはりナタリアの腕を取る。
「何するんです!?」
ナタリアは気丈に振り払おうとする。持っていた歌集で腕を殴る。激しい音がするけれど、男の腕はびくともしなかった。
「来い」
ナタリアの悲鳴が上がり、修道女たちも騒然となった。
少女たちは手にモップや箒を握りしめる。果敢にも戦おうとしているのがわかり、アンジェラは思わず人垣をかき分けて飛び出した。
幼いときから知っていれば自然、愛着が湧く。ナタリアだけでなく、皆を妹みたいに思っていた。──たとえ避けられていても。
彼女たちを守らねば、と思ったら足が勝手に動いた。
「待って!」
隻眼の男が振り返る。落ち窪んだ赤い目に、アンジェラは怯みながらも力を振り絞って言った。
「わたしが、聖女です!」
「アンジェラ! どうしてここに――部屋にいなさいってあれほど――」
場を切り裂くような金切り声が上がる。声の主は真っ青な顔をしたレイラだった。
「わたしが、聖女です」
アンジェラはレイラを無視すると、もう一度力強く言った。
「は、何を言っている。聖女といえば美女と相場が決まっている」
隻眼の男は、くっと喉の奥で笑う。
失敬な! そう思ったが、事実なのでアンジェラはぐっと詰まる。じわっと顔が赤らむ。だが、ここは譲れない。ナタリアを――それから他の娘たちを、守らねば。
「それでも、わたしが聖女です!」
聖女を名乗り続けながら、他の少女たちを背にかばう。すると、男がふらっと前に出た。
「じゃあ、一緒に来てもらおうか? 聖女サマ」
だがアンジェラは首をはっきりと横に振った。
「いいえ。――行かないわ」
「はぁ?」
「わたしはここから動かない。連れて行くなら力づくで連れていけばいいわ」
足が震えているのがわかった。長いスカートがそれを隠してくれていることを祈りながらアンジェラは男を睨んだ。
修道女たちにはアンジェラの意図がわかったのだろう。息を呑んで成り行きを見守っている。
男はにやっと笑うのと同時に、アンジェラは彼に飛びついた。ぎゅうっと腕に抱きついた、その直後のことだった。
「!? お前――なに、を」
男の目に一瞬光が戻る。アンジェラはぎょっとする。
(え、呪いが、効いていない!?)
ナタリアはアンジェラにわずかに触れた直後、一瞬で意識を失った。レイラもそれだけの強烈な呪いだと言い聞かせてきたのだ。
だがこの男は未だ普通に立っているし、言葉さえ発した。
アンジェラが次策を必死で考えていると、
「これは、一体――なんだ……睡魔……? まさか」
そう言って、彼は愕然とした表情になる。そして重そうにまぶたを押上げながら、部下に向かって言った。
「この女――なん、としても、連れてこい。まさかの、大当た……」
そのまま床に崩れ落ちると、男は深い眠りについてしまった。
(あああああ、よかった……!)
ホッとしたのもつかの間だ。部下が騒ぎ出す。
「死んだ!?」
「いや、死んでねえ――ってか、これ、寝てる……寝てるぞ!」
「ブラッドが――眠った!???」
「大当たりって言ってたが……まさか」
(え、どういうこと?)
声に喜色さえ感じて不可解に思ったとき、部下たちの視線が一斉にアンジェラに向かった。
驚愕、恐怖に満ちた表情の中、一人、赤毛の男が冷静に、そして楽しげに笑っていた。
海賊というのが嘘みたいに線の柔らかい男だった。赤い髪は長く、穏やかな表情も女性的だ。
彼が一歩前に出ると、男たちが鋭く言う。
「ジョシュア、気をつけろ」
ジョシュアと呼ばれた男は、アンジェラをじっと観察したあと、ささやくように言った。
「うん。これは、磨けば光る感じがする――っていうか……なんだか、わざと磨かずに曇らされてる感じ。あのブラッドを眠らせたし、かなり怪しいんじゃない? ――本物なら、丁重に扱わないと、ね」
(怪しい? 本物? え、わたしの嘘、信じてくれてる?)
気になることばかりだったけれど、自分で聖女を名乗った手前、うかつな質問はできない。
「ど、どうする気?」
近づけば、全員眠らせるから。
アンジェラは手をひろげ、応戦態勢をとる。いっそこっちから仕掛けてやろうと手を伸ばしたら、ジョシュアはあっという間にすぐ後ろにいたナタリアを拘束し、その白い首にナイフを押し当てる。
「なっ――」
「どうやら眠らせようとしてるみたいだけど……友達を助けるために自分から名乗り出てくるくらいだ。これなら言う事聞いてくれるよね?」
ニヤッと笑われて、アンジェラは目を剥いた。
拘束されたナタリアは、気丈にも笑顔を浮かべている。
そして目で言った。アンジェラ。だめ。わたしが行くわ――と。
「あーあ、さっきからあなたたち、何言ってるの? ちゃんと目がついてる? ここで一番美人のわたしが聖女に決まってるじゃない! 連れて行くならわたしにしなさい。だけど待遇は特上でお願いするわよ!」
ナタリアがきっぱりと言うと、
「おや。聖女候補が二人になったよ。そうだな――どっちも連れて行こうか? それとも全員? 海の上には女っ気がなくていけないし。なぁ、お前ら?」
ジョシュアもすぐに応戦した。
男たちは「修道女の酌か。酒がさぞうまいだろうよ」とげらげら一斉に笑う。
これはだめだ。世間知らずの修道女が束になっても、とても太刀打ちできない。
ナタリアは気丈に不敵な笑みを浮かべていたけれど、さすがにまだ十四歳の少女だ。強がりも限界だったのだろう。その顔がみるみる青ざめていく。
打つ手なし。アンジェラの腹は自然と決まった。
「――やめて。……わたし、わたしが行くから。お願い」
「アンジェラ!」
レイラが涙を流しはじめた。修道女たちも一斉にすすり泣き始める。
「いいの。ほら。わたしって、ここで浮いてたじゃない。いい機会だわ。新しい世界のほうがうまくやっていける気がする」
本当はものすごく怖かった。だけど、この場所が自分の場所ではないというのは常に感じていたことだった。口に出してしまうと、それが本当に良いような気がしてきた。やせ我慢だと言われるかもしれないけれど。
(わたし、ほんと皆に迷惑かけっぱなしだったけど……最後に、役に立てたよね?)
渾身の笑顔を振り絞ると、ナタリアが泣き崩れた。
「……わたし達がこれまでなんのために」
レイラの声が聞こえた気がして、アンジェラはそちらをみやった。だが、彼女は充血した目で、ジョシュアを睨んでいるだけだった。
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