第15話 覚醒
…寒い…此処は何処なんだ?一面真っ暗闇…闇の世界だ。
俺は…一体今、何処に居るんだ?体が寒くて…何も考えられない。
凍えそうだ。
助けて…誰か助けて…誰でもいいから俺のことを助けてくれー!
…なんだ?…人の声がする…1人2人…いや・・・それ以上…違う…あれは叫び声だ!大勢の人達が俺のことを呼んでいるんだ!
「マルセル。」
ジミーじゃないか?何でジミーがこんな所に…?
「マルセル!何やってんだよ。ファンがお前のことを待っているぞ。」
えっ!?なんだ?俺のこの格好は?黒い革ジャンに腕にはリストバンド。
ピッチリした黒革のパンツスタイルに、黒いかかとが3㎝程もあるブーツを履いている。
ジミー達も同じような格好をして…そうか!今はライブ中だったんだ。
俺は今、サベージパンプキンのメンバーの1人として、このステージに立っているんだ。
そして、この舞台の下で俺の歌を聴きたくてウズウズしている奴らは俺達のファン。
俺のファンなんだ。
俺の目の前には銀色のマイク…ああ!あんなにも焦がれたお前の前にまた、帰ってくる事が出来るなんて、まるで夢のようだ…!
…夢…!?そうだ、今までの事は全部夢だったんだ。
真理絵と逢った事も。
哲のアパートで一緒に住んだ事も、そしてジミーに解雇を言い渡された事も、…みんな夢…。
アハハ!俺の声は元通りだ!もう苦しむことはない!よし、思いっきり歌ってやるぞ!
ジョージがドラムを響かせている。
この振動、この迫力堪らないぜ!さあ、俺の歌が入るぞ…3…2…1…よし、上手くはまった!今日は調子がいいな…あれ…!?どうしてだ!?何故みんな帰って行くんだ!?おいみんな何処へ行くんだよ!何故置いて行ってしまうんだよーっ!!
「マルセル…悲しいけど…俺達はもう終わりだ…。」
何を言い出すんだチャーリー!?さっきまであれ程楽しく演奏していたのに!!
「残念だよマルセル。お前の歌は最高だったのに、これほど落ちているとは…。」
ウォルターまで…俺の歌の何が悪いって言うんだ!?声が元に戻ったのに。
どうしてそんな冷たい言い方をするんだ…あっ!!みんなが帰ってしまう!止めてくれ!お願いだから行かないで…俺を一人にしないでくれよーっ!!
俺の歌が落ちたなんて、やっぱり俺の声は元には戻っていなかった。
なに1つ戻っていなかったんだ…ああ!こんな思いをする位ならいっその事、ヘビーメタルを止めてしまおうか?
そうだ、何故俺はヘビーメタルを選んだんだ!?ヘビーメタルでなければならなかったんだ!?
俺には前途があった、声楽家としてあれほど期待されていたじゃないか?
また、あの頃に戻ればいい。
そうさ、そうすれば何もかも上手く行く。
元々俺はクラシックが好きだった。
バッハやベートーベン。
あの激しい迸るような感情を表した音楽が何よりも好きだった。
好きだったのに…たった1回のロックコンサートが俺の人生を無残に変えてしまった。
あの時、どうして同室の奴の誘いを受けてしまったんだろう?大人しく部屋に居れば良かったのに…何故、奴の誘いを受けてしまったのか?
「あの、バンドかっこいいね。」
「何だ?マルセルあんな前座バンドがいいのか?」
「うん。何て名前のバンドなの?」
「スコルピオン。出来たばっかりのヘビーメタルバンドだよ。」
「ヘビー…メタル?何それ?」
「1979年にイギリスで起きた、一大ハードロックムーブメントの事を言うのさ。そのハードロックが、今までの音楽より、スピーディーで、尚且つヘビーな印象を伴った音楽だったから、戦車のような重戦機を想い起こさせるような音楽として、『ヘビーメタル』と命名されたのさ。ドイツのメタルだから、差し詰めジャーマンメタルってところかな。」
「ジャーマン…メタル…。」
あの言葉に、俺は異常な程の胸の高鳴りを覚えた。
ジャーマンメタル!なんて素敵な言葉!そして俺もこの仲間に加わりたいと思った。
心から切望した。
そしてその願いは叶った…。
けれど…この空虚な思いはなんだ?憧れと現実のあまりにも違うギャップに驚いたからか?
いや…違う。
誤魔化している。
俺は疲れていた。
毎日の様に続くツアーに、身も心もボロボロになって…これがプロだと割り切って考えていても、無理だったんだ。
それに色々な事が重なって…苦しかった。
そしてそんな思いを抱えていた矢先に…あの事件があった。
母が死んだ…俺には立っていられない程の衝撃的な事柄だった。
けれど…あの時父は泣いていた。
なぜ…父が泣く必要などあったのだろう?あの男にはルーザと言う女性がいたはずなのに…。
それとも…父はまだヘレナを愛していた?
「ミハイル…。」
誰だ…?俺を呼ぶ声がまた聞こえる。
この声は…この昔聞いた懐かしい甘いこの声は…ああ!母さん!ヘレナ…あなたなんですね!?
「ミハイル…。」
気が付くと、俺は4歳位の自分に戻っていた。
ヘレナはユックリと俺の元に歩み寄って来た。
そして小さな俺の手を握り、優しく抱き締めてくれた。
「ミハイル…お母さんね、遠くへ行く事になっちゃたの…お父さんと別々に暮らす事になっちゃたの…。」
ヘレナは泣きながら俺をギュッと強く抱き締めた。
俺の頬に、彼女の涙が伝わってくる。
冷たい…冷たい涙だ。
俺は彼女の香水の匂いを嗅ぎながら、白い首に手を回した。
何ヶ月振りだったろう。
ヘレナが俺のことをこうやって抱き締めてくれたのは…
やがてヘレナは小さく呟くように「お母さんと一緒に暮らそうよ。ミハイル…。」と言った。
俺は彼女の瞳を見つめながら言った。
「暮らす?」
「そうよ。お母さんとずーっと一緒に居られるのよ。新しいお父さんだって出来るし…家族3人で幸せに暮らす事が出来るの。ミハイルの好きな物何でも買ってあげるわよ。」
「お父さん一緒じゃないの?」
「うん。でも新しいお父さんが居るの。とっても優しいお父さんがね…」
ヘレナはそう言って、フッと笑った。
「僕、行かない!お父さん可哀想だもの。」
俺の言葉にヘレナは衝撃を受けた。
そして、俺は尚も、
「お母さん。お父さんを1人にして行っちゃうの?何でそんな事するの?可哀想だよお父さん。お母さんはお父さんのことをもう好きじゃないの?」
と、ヘレナを攻めた。
ヘレナは何も言わず、ただ黙って悲しそうに涙をポロポロと溢した。
その涙は夕焼けの紅色と溶け合い、彼女が涙を流す度キラキラと輝いた。
「ごめんね…ミハイル…」
一言だけ彼女は呟いた、
ごめんねミハイル。
その一言には彼女が相手の男を捨てられない。
俺と父を置き去りにしても、彼を選ぶという、母親を飛び越した一人の女性としての心理が隠されていた。
一人の女性…?
そうだ…彼女は母親である前に一人の女性だったのだ。
一人のヘレナという名前の女性として、ルドルフと結婚し、俺が授かり、そしてまた一人の女性としてあの男を選んだのだ。
俺はその彼女の気持ちを心の中で、薄々気が付いていた。
歳をとると共に、俺も一人の女性を愛する気持ちを学び取っていたから…。
でも…気が付きたくなかった。
だって、そんなのあまりにも辛いだろ?俺と父を捨てて行った女性を許してしまったら、俺のこのずっと味わってきた寂しい思いは、一体どうなってしまうのさ。
「貴方には…まだお母さんが居るじゃない?ルーザという名前の母親が…。」
そうだね、真理絵。
俺にはまだ義母が居たね。
優しい優しいルーザが…
でもあの人は、俺の事など子供だと思ってくれた事など一度もなかった。
ただ黙って俺の言う事を、ニコリと笑いながら聞いてくれるだけの女性だった。
ヘレナとはまるで正反対で…俺はいつも戸惑いと共に愛されない不安を抱えていた。
けど…愛される気持ちって、いったい何で表すのだろう。
バロメーターがあるわけでもないし…。
今まで俺は、両方の母親から全く愛されなかったと思い込んでいたけれど…愛される思いを実感する事って、基準は決まってないと思うのに…いつからそんな思いを抱くようになってしまったのか?
「どうしても行くの?ミハイル?」
ルーザは俺が、ヘビーメタルヴォーカリストになる為に家を出ようとしたその日、俺の部屋へ来て、こう言った事があった。
俺は彼女の言葉を単に耳障りだと思い忙しそうに荷物の整理をする事で、その気持ちを誤魔化していた。
「ねえ…ミハイル。一つだけ聞かせて頂戴。貴方にとってヘビーメタルって何なの?こうやって家族を捨ててまでやらなければならない事なの?そんなに大切な物なの?」
「大切さ!ルドルフより、クラシックより、貴方よりもね!」
違う!俺は、この時まったく違う言葉を彼女にぶつけていた。
俺は義母さん。
貴方の愛がずっと欲しかったんだ。
欲しくて欲しくて義妹に接するように、俺にも接してほしかったんだ、だから俺は貴方に挑戦的な言葉をぶつける事によって、貴方の愛を試していたんだ。
そうする事で貴方は、俺にどんな反応をしてくれるだろうと、そんな僅かな期待を遠回しに思いながら彼女にぶつけていたんだ。
だって、拒絶されるのが怖かったから。
貴方の戸惑う顔を見て、一人ほくそ笑んでいた。
そうされる事で、貴方が俺の傍に居る事を確認できたし、自分を認めてくれると思っていたから、俺が…貴方を『母さん』と思っていなかったんだ。
なんて事だ!?自分が加害者だったなんて!!
だから、俺はヘビーメタルに走った。
この寂しい愛に飢えていた俺を助けてくれるのは、あれしかなかったから
…とどのつまり、俺はヘビーメタルに逃げたんだ。
あの音楽を利用したんだ。
好きだという気持ちも強かったけど、あとの半分は、そんな薄汚れた動機があったんだ。
だから、俺は何とかサベージパンプキンに入り込み、彼等の音楽を体で掴もうと、どんな事だって真剣に学んだ。
そして、何とか自分の物にしようとした…でも、いつもバンドの中で感じていたあの空虚な気持ちは…真理絵の言う通り、逃げていたからだ。
バンドのみんなに無意識のうちに親を求めていたから、本当の親と向き合おうとしない自分勝手な気持ちが空回りしていたんだ。
非は自分自身にあったんだ!!ああ!やっと分かった。
長い間、苦しんでいたその訳が!!
やっと、俺は長い呪縛の日々に終わりを告げることが出来るんだ!!
遠くに光が見える。
まるで俺にそこへ行けと命じているように。
俺の足は1歩1歩その光に吸い寄せられて行く。
眩しい!!なんて輝きなんだ!!…人影が見える…1…2…いや、もっと沢山!この人達は…ジミーもバンドのメンバーも居る。
そして、多くの人々が…俺に笑いかけている。
なんて優しい繋がり…目が眩むようだ…そうだ。俺は、生きているんじゃない。多くの人々によって生かされているんだ!
やっと分かったよ…真理絵。
君の言っていた答えが…
そこで、マルセルは目を開けた。
時計は朝の5:00を指していた。
コッチコッチと時計を刻む音を聞きながら、彼は首を振った。
夢を見てたのか…夢の内容は朧げであったが、長い長い夢のように思えた。
一気に3日ほど眠ってしまった様な、やけに現実味に思えた様な夢に思えた。
彼は目を見開いた。
すると、マルセルの目の前に水色の毛布が見えた。
俺こんなの掛けた覚えあったかな…毛布を右の手に持ちながら考えてみると、台所のテーブルに哲太がうつ伏せになって寝ているのが見えた。
テーブルには、飲んだ缶ビールの山が置かれていた。
…お前が掛けてくれたのか…。
ふと、マルセルは思い哲太の優しさに目頭が熱くなる。
昨日の事を彼は良く覚えていなかったが、真理絵と喧嘩別れした後、一人やけ酒をして大の字になって眠ってしまったらしい。
その為、哲太の布団を引くことが出来なかったようである。
マルセルは、自分が掛けていた毛布を手にすると、眠っている哲太の肩にそれを掛けた。
そして、自分は部屋の外へと出た。
東の空が薄明るくなっており、朝がすぐそこまで来ている事を知らせているようだった。
マルセルは、アパートの階段を降りた後、あてもなく歩き出した。
誰も通っていない道路は、朝の新鮮な空気が張り詰めているように感じる。
気持ちがいい。
素直にマルセルは思った。
すると、その空気を吸い込んでいるうちに、彼の脳裏にドイツの朝の情景が思い出されてきた。
練習が終わる丁度今頃の時間、彼とジミーだけはアパートには帰らず、誰も居ない所で、発声練習をしていたことを思い出す。
ベルリンのある広場でマルセルとジミーは、誰も居ないその場所で、彼のクラシックの発声法をヘビーメタルの発声法に変えていた。
「さあ、マルセル!空に向かって感情をぶつけるんだ、そして声に表すんだ。喉からはなるべく出すなよ。声をつぶす危険性があるからな。いいか?俺が手本を見せるぞ。足を少し開き踏ん張りながら、腹に力を込めるんだ、そして腹から一気に出す。変なビブラートはかけるな。自分の思いをそのまま相手に伝えるんだ…。」
ジミーの声が彼の脳裏を霞めた。
すると、何故だかマルセルは歌を歌いたくて堪らない気持ちになってきた。
バカな…俺は声が出ないのに…。
しかし、彼の根底で声が出るという確信が出てきた。
もしかしたら、今日は…!マルセルは走った!走って走って…そして、ある公園に出た。
そこには人は誰も居なかった。
太陽はさらに上り始めていた。
公園は凍てつくほど寒かったが、マルセルの心は踊った。
下手な声でもいいじゃないか。
俺は歌いたい様に、感情のままに声を出す。
公園の真ん中に行き。
彼は、足を踏みしめる。
そして手には拳を作り、先程のジミーの言葉を思い出した。
足に力を込め、瞳は正面を見据え、腹に力を込め、変なビブラートはかけずに、腹から声を感情のままに出す…!
その瞬間…マルセルは高く張り詰めた素晴らしく高い声を、腹の底から出していた。
そして出し終わった後、マルセルは自分の耳を疑い、目を見開いた。
俺の声だ…!声が戻っている…!あんなにも、出なかった声が…声が戻っている…!
マルセルは、自分の喉を手で擦った。
そして、やった…!と心の中で叫んでいた。
ああ!俺の声が戻った…!こんな嬉しい事があるか…?今まで治るなんてまるで、考えた事がなかったのに。
何故、戻ったのか分からないけど、奇跡が起きた…!
マルセルは、涙を拭った。
しかし、何度拭っても彼の瞳からは、涙が溢れて止まらなかった。
勝ったんだ。
俺は自分自身に。
自分の弱い心に、勝つ事が出来たんだ。
東の空からは、まるでマルセルを祝福するかのように太陽が煌々と輝き昇ってきた。
彼はその太陽を涙で濡れた瞳で見つめたまま、誓った。
もう何物にも、決して自分自身を束縛しない。
もう決して俺は何物からも逃げない!
赤い火の塊を思い起こさせる太陽に向かって、彼は自分自身にそう言い聞かせた。
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