歌を忘れたヴォーカリスト
谷口雅胡
第1話プロローグ
| 浅野真理絵は、大のロック好きであった。
中でも、外国のヘビーメタルが最も好きで、ジャーマンメタルの『サベージ パンプキン』というバンドには一目を置いている。
その中の、ヴォーカル。
『マルセル キスク』に恋に似た感情を持ち続けていた。
そもそも真理絵がロックを好きになったのは高校生の頃、弟の『勇一郎』が友達から借りてきた、
『デュラン・デュラン』という、ブリティッシュロック系のアーティストのビデオを見た時、こんな素敵な人達がこの世に居たなんて・・・と感動してしまい、その日から趣味が変わってしまったのがきっかけであった。
それから二年後、真理絵が高校三年になった時の事、文化祭で同じ係をしていた『圓山あすな』という女性に出会った。
彼女は偶然にも、真理絵と同じデュラン・デュランのファンであり、意気投合をした二人は高校を卒業してからも、時々一緒に彼等のコンサートに行くほど大の仲良しになった。
しかし、物事はそんなに順調には運ばなかった。
何と、デュランのメンバーの二人が、仲間割れの末バンドを脱退してしまったのである。
その事実は真理絵の心を強く打ち、しばらくの間食事も喉に通らないほど落ち込んでしまった。
そんな、真理絵の日常に一筋の光が差した。
ある日何気なく見ていたMTVで、彼女は『サベージ パンプキン』に出会ったのだ。
その曲、間のテクニック…曲のPVが終わって、バンドの解説を司会者が始めてからも、真理絵は唯々圧倒されていた。
サベージ パンプキン…野蛮なパンプキンという意味で、これはハロウィーン祭に使うカボチャのお化けの、『ジャックオーランタン』のことを指している。
いかにもヘビーメタル的なバンド名だ。
しかし真理絵にはそんな意味などどうでも良かったのだ。
何よりも、真理絵を引き付けたのは、そのバンドのボーカリスト、『マルセル キスク』の歌だ。
ピーンと真っ直ぐに伸びたハイトーンの高らかな声は、彼女の心を一発で貫き、その日から真理絵は言うまでもなくこのバンドに惹かれていき、またヘビーメタルにものめりこんでいった。
それからしばらくして、サベージ パンプキンの来日情報が真理絵の耳に飛び込んできた。
真理絵は行きたかった。
しかし、行く相手がいない。
途方に暮れた彼女のもとに、一本の電話が鳴った。
あすなだ。
彼女は自分の好きなブリティッシュロック系のアーティストのライブがあるので、一緒に行ってくれないかとのことだった。
真理絵も、そのアーティストのことは好きだったので、行くことを承諾したが、その交換条件として、サベージ パンプキンのライブに一緒に行くことを要求した。
あすなは、ヘビーメタルは嫌いなほうだったので、えーっ‼と言ったが、自分もライブに一緒に行ってほしかったので、渋々ながら了承した。
数日後、ついにサベージパンプキンのライブの日がやってきた。
会場の中は思い思いに着飾ったファンでいっぱいになり、今か今かと待っていると…ふっと急に会場の中が一斉に暗くなり、物凄い音響と共に、空気が打ち震えるような歓声と熱狂…。
彼等のライブコンサートが幕を開けたのだ。
波打つ音の中から、マルセル キスクの鋭く高い声が木霊するように聞こえてくる。
すると、ファンは一斉に高らかに手を挙げ、彼らの期待に応えるかの如く一緒に歌い始めるのだ。
それにともない、色とりどりの照明が頭上を回りながら、会場や舞台を照らし、ボーカルのマルセルの顔を次々と変化させていく。
続けざまに3曲を歌い終わって、会場の嵐のような歓声の中、マルセルは側のドラム台に置いてあった、ミネラルウォーターを掴み、自分の全身に水を思いっきり浴びせる。
途端に会場中から、ワーッ‼というどよめきが起こる。
マルセルはその反応を聞き、ニヤッと笑みを浮かべると、今度は会場に向かって残りのミネラルウォーターをまき散らした。
瞬間、キャー!という楽しみにも似た悲鳴が起きる。
水をかけられて、前列の人たちの洋服が半分濡れてしまったからだ。
「its a crazy!」リードギターの『ジミー ハンセン』が、半分笑いながら言う。
それを見ながらマルセルは、「sorry!」
と、おどけた様子で謝った。
それから彼は会場全体を見つめ、大声で「hello!!tokio!!」と改めて挨拶をした。
Hello!!会場から返事が幾重にも木霊するように帰ってきた。
その光景に彼は満足そうな笑みを浮かべると、英語で、次の曲は、つい最近出したアルバムからのものだと答えた。
途端に会場が
ワーッと、歓声に包まれた。
ギターのジミーの前奏がうなるように響く。
すると、リズムギターの『ウォルター バレット』も、ジミーの音を追いかけるように奏で始める。
そしてドラムの『ジョージ エドマンド』は、スネアドラムとパスドラムを思いっきり鳴り響かせ、同時に、ベースの『チャーリー リッテル』
は、重々しい得意の低温をはじき始め、いよいよマルセルが、3オクターブもの高い声域で歌を歌い始めるのだ。
ノリに乗りまくる会場を見ながら、マルセル、ジミー、ウォルターの3人は、舞台の隅から隅まで走り回る。飛び散る汗。
ファンの熱狂的な歓声によって、5人は何度もクラクラするような感覚を覚えた。
これがアドレナリンがほとばしるという感覚なのだろうか。
特にマルセルは、人を笑わせることには、ピカ一の才能を持っているのか、ハロウィーンの怪物のまねごとをしてみたり、歌が終わった後、フッ…と倒れて気絶する演出を試みてみたり、普段言わない4文字の言葉をファンに言わせてみたり、また、彼らの故郷ドイツの国家を大声で歌ってファンを驚かせ、リハーサルではやらなかったことを次から次へと始める彼を、メンバーは、絶好調と捉えていたが、しかし…誰も彼に芽生え始めた、異変に気付く者はいなかった。
時間が経つにつれ、次々と曲が進んでいく中ライブはもう、誰も止められないほどの熱狂の渦に変化していった。
「wa-o!!」マルセルが大きな声で叫ぶ。
それにジミーがギターで答えると、また騒ぎ出すファン達。
涙を流してライブを見つめる者、喉が枯れるほど大声を出して叫ぶ者。
唯、頭を上下に振って、ヘッドバンギングする者と十人十色であった。
その狂乱の中、サベージパンプキンは3回のファンのアンコールに応え、そしてついに舞台から姿を消した。
「本日のコンサートは全て終了致しました」
場内アナウンスが響く中、真理絵とあすなは楽屋裏へと急いだが、メンバーはもう会場を出た後で、ファンの女の子達が彼らの車を追いかけようと、タクシーを拾う姿が見える。
サベージパンプキンは、今回、東京に6日間位しか滞在することが出来なかった為、その間にプロモーション活動をしなければならず、超過密スケジュールだったのだ。
せっかく、プレゼントを持ってきたのに…。
会場から、遠く離れた池袋のレストランについた後も、真理絵はずっと言い続けていた。
今度は、いつ日本に来てくれるか分からないのに、せっかくのチャンスを逃してしまった。
直も、しつこく言い続ける真理絵の愚痴を、あすなは笑いながら聞いていたが、テーブルに二人が頼んだシーフードグラタンが運ばれると、あすなは食事をしながら、でも今日のコンサートは、私はヘビーメタル苦手だけど、圧倒されたなー。
と答えた。
その一言を聞いた真理絵は、途端に先ほどの不満はどこへやら、彼女に続けざまヘビーメタルの良さを教え、何とかファンに引きずり込もうとするが、しかしあすなのガードは結構固く、やはり彼女はポップスのほうが好みのようであった。
散々あすなとレストランで色々な話に花を咲かせたあと、二人はそこを出、それぞれの家路へと別れていった。
真理絵が息せき切って地下鉄の切符を買い、ホームに出ると、電車がすでに停まっていた。
それに滑り込みで乗る真理絵。
それは最終電車であった。
コンサートが終わってからすでに2時間ほど経っていたのである。
池袋駅の明かりが次々と消えていく様を地下鉄のドアから眺めた後、彼女はあまり人が座っていないシートに疲れを休めるがごとく、深々と座った。
時計を見るともう、AM0:00を回っている。
ああ…明日は仕事だ…また筋肉痛に悩まされそう…。そんな考えが、真理絵の脳裏に浮かぶ。
だが、手に持っていた今日のライブのパンフレットを見た途端、今までの考えは一気に吹き飛んだ。
素晴らしいライブであった。
見知らぬ人々が、サベージパンプキンの音楽で一つに結ばれたのだ。
彼らの演奏に、歌一つ一つに歓喜し、叫び、楽しみ、感動に打ち震え、まるで大切な宝物を一つ一つ探し当てるかのように、非現実的な世界に溶け込んでいった。
色とりどりのスポットライトに、激しいギターメロディ…。
汗まみれのドラマーの姿…。
あくまでも冷静さを保った、ベーシスト・・・
そして・・・そして、忘れられないマルセル キスクの笑顔が浮かんでくる…。
真理絵は、いつの間にか、地下鉄の中の浅い眠りに落ちていった。
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