4 愛が足りないぜ

 アカウントを乗っ取り、社員を締め出した。となればやることは唯一つ。

 

「――〈クロガネ〉より〈バタフライ〉へ通達。我内部に潜入せり。ドーゾ」

『ドーモ。こちら〈バタフライ〉。〈クロガネ〉は内部へ先行し目的を遂行せよ』


 ナガレは事前にアキジから聞いていた入り口からエジタ水産の地下へ入った。ボンボリ常夜灯がケミカルな薄暗い光を放っている。 

 

 今回の装備はコチョウが用意したものからナガレが選んだ。頭に防弾頭巾を被った上からゴーグルと黒いマスクを着ける。着衣はハカマ・ニッカー型イクサ・スーツの上に防刃ジャケットを合わせている。武器はハンドガン〈PJ-1600〉に電磁木刀。あとサブウェポンとして各種爆弾類を強引に持たされた。

 

 目標は二つ。アキジの父親を含む強制労働従事者の救出と、この加工場でヤクザどもが何をしているかを見極め、可能ならばその破棄である。

 

「それにしても……生臭ッ」

 

 思わず鼻を抑えた。マスクを装着していてよかった。周囲には大量のイルカが捌かれた証拠たる臭気が立ち込めている。少し足を動かすだけでぐちゃりと何か粘着質なものを踏んだ音がした。


『仕事はしても後片付けはろくろくしていないようだな』


 耳裏に貼った骨伝導無線テープからコチョウの声がした。耳に受信用、喉元に送信用のテープをそれぞれ貼っている。


「眼に沁みるよコレ……」


 額まで上げていた多機能ゴーグルを降ろす。このゴーグルを通してコチョウはモニタリングしている。


『暗視してみよ』


 コチョウの指令が来た。確かに光源が足りない。ゴーグルのスイッチをオンにしてしばらく歩く。

 地下道はやたらと湿気が多く、手袋越しでも壁に触れようとは考えなかった。バイオゴキブリやバイオカマドウマやバイオゲジゲジが時折足元をよぎってゆくのが確認出来る。長くいるとアレルギー性皮膚炎を発症しそうだ。

 と、左右の壁に光の糸がおびただしく張り巡らされているゾーンに出くわした。


「レーザー警報だ。十や二十じゃ効かない」

『ますます核心に近づいてきたな。今警報を切る』


 一つ一つ光の糸が消えてゆく。コチョウの手並みからすると随分時間がかかっているように感じた。距離や場所の問題か? と言っても、安全保証上の問題でナガレはコチョウの居場所を知らされていない。概ね〈フェニックス〉だと思うが、そもそもあの電子戦艦が今どこに在るのかすら知らなかった。

 そう思うと若干の心細さが兆す。

 

 最後のレーザーが消えたのを確認し、歩みを再開する。

 曲がり角を曲がると、暗視機能越しに扉が見えた。ノブに手をかけ、音がしないようにゆっくり押しながら中を覗き込む。

 眼で確認するより早く、異変を感じ取ったのは鼻だった……一際強い腐敗臭が鼻を突き刺してきたのだ。ナガレはうっとえずきかけ、口元を抑えた。

 

『どうした?』 

「中に何かある」 

 

 ナガレはやや躊躇ったが意を決して中を検めることにした。幸か不幸かそれが何なのか、奥深く入らなくてもわかった。

 

「コチョウ=サン……イルカって余すところなく使えるんだよな? それこそ骨まで」

『そうだが――これは』

「そうだな。脳だけ抜かれたイルカの屍体がゴロゴロと……」


 文字通り、腐敗したイルカの屍体が山のように重なって打ち捨てられていた。見る限り全てのイルカが頭蓋を開かれ、脳がある部位はぽっかり空洞になっていた。――暗視でよかったとナガレは思った。肉眼ならゴア風景による精神汚染間違いなしだ。


「……ヤクザの稼ぎにしてもおかしくはないか、これ」

『ヤクザはガメついから普通こんな無駄はしないよ。いや……もしや強制労働はノルマ早期達成のために……?』


 コチョウの灰色のニューロンが高速循環し始めたところでナガレはイルカ・モルグから出た。これ以上ここにいても何もないと思ったのと、これ以上ここにいたくなかったからだった。


 通路の奥から声が聴こえた。

 

「もう嫌だッ、もう嫌だーッ!」

「テメエッ、ムエルタ=サンッコラー!」


 一般人を脅かすヤクザ恫喝! しかし男は怯まない。


「イルカの頭を開けては中身を取り出して捨てるだけの仕事はもう嫌だと言ったんだ、僕はッ! 皆そうだろう!?」


 ムエルタと呼ばれた男が絶叫し、仕事仲間に呼びかけた。応答はない。ムエルタは続けた。


「僕はね、イルカが好きなんですよ。好きで仕方ないんだ。望むなら僕はイルカの研究をしたかった、でも貧乏だから無理だった。それでもね、イルカチャンに関われるからこのエジタ水産に入ったんだ。僕はイルカチャンの身体に刃を入れる時、いっつも悲しくて仕方ないンだ。でも、それでもイルカが好きなのはやめられなかった。それだというのに君たちは脳以外捨てろと言う! もう限界だ! イルカだって心があるンだ! だから、せめて皮から骨まで丸ごと使ってあげるのが礼儀なンだッ! それを君たちと来たら――君たちにはね、イルカチャンに対する愛が足りないンですよッ! 愛してないでしょッ、イルカチャンを!」


 一拍置いて、ヤクザ恫喝が再び飛んだ。


「うるせえッ黙れッコラーッ!」

「サボタージュは死ねッコラーッ!」

「グエーッ!」


 殴る蹴る殴る! ムエルタは最初の一発でグロッキー状態だった。


「ムエルタ=サンよ……テメエそんなに蟻の餌になりたいらしいな?」


 男が床に倒れ伏したムエルタの胸倉を掴んで起こした。彼らは暴力に夢中だった。背後から接近するナガレに気づかぬほどに。

 ナガレが電磁木刀で男たちの首筋を殴る。あくまで本気ではなく、ただし失神する程度には確実に。

 男たちは膝から崩れ落ちた。

 ナガレがムエルタの背中をすんでで支える。


「ムエルタ=サンか。助けに来たよ」

「ア……アナタは?」

「アキジ=サンの知り合いだ。心配してたぜ」

「アキジが……」

 

 ムエルタが立ち上がる。

 ナガレはゴーグルを外し、周囲を見渡す。ここは眼の痛さはさほど気にならない。運搬用冷蔵庫やスライスマシン、金属大型テーブルが並び、テーブルに応じて開頭されたバイオイルカが横たわっていた。皆銀色の金属製である。ここが加工所か。

 作業者はムエルタを含めて十名。全員不燃布の使い捨て帽子にマスク、ビニルポンチョの作業着だった。床のヤクザすらも。

 

「強制労働してたのはこれで全員か?」

「そうです。私たちは脳髄取り出しのエキスパートだった。残業手当も出るからと……」

「若いの、とんでもないことをしてくれたの」


 ナガレに老人が声をかけた。


「ワシらのことはいい。悪いことは言わん、今すぐ出ていくがいい」

「そうも行かないんだよジイチャン」

「ではこう言い直そう。ワシらだけ・・・・・のことなら構わんと。の餌食にならんうちに、帰れ!」


 含むような言い方。ナガレはムエルタにただした


「……蟻? ムエルタ=サン、蟻って?」

「それはですね……」


 ムエルタとの会話途中でナガレは気付いた。コチョウの声が聴こえない。耳裏をSOSリズムで叩くも、不通。ぞっとする。

 

 同時に――バン! 金属のドアが凹む。バン! 二発、バン! 三発目の殴打で金属ドアが蝶番ごと吹っ飛んだ。

 

 戸口を潜ったもの――それは巨大な蟻だった。金属造りの蟻……否、蟻めいた形状の……多脚戦車!


 ――DRRRRRRRRRR!! 頭部、触覚めいた部位は機銃であった。ナガレは咄嗟に射線から逃れ出た。弾幕を浴びたバイオイルカがたちまちに血肉骨の入り混じるミンチと化す。ゴア情景! 作業員は悲鳴を上げて逃げ惑う!

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