8 戦鬼《イクサオニ》

 第三天守閣は二十メートル四方の正方形からなる空間だった。一枚板のバイオ樫の床には、樹齢を経た年輪がゆったりとうねっている。

 マクラギが窓の欄干に腰掛けて外を覗けば、ヤギュウ・サムライ・クランとローニン・ストーマーズの乱戦が行われている。ストーマーズは頑張っている方だと言えるが、防戦一方で徐々に不利なことには違いない。コンテナ搬入の準備は出来ているはずだが、迎えはまだ来ていない。


 到るところから黒々とした煙が昇っている。城が炎に包まれるまでまだ時間はあるが、決して余裕はあるまい。それまでには脱出したいところだった。

 

「マクラギ・ダイキュー=サン!!」

 

 名前を呼ばわれた。そちらを観る。電磁木刀を提げた男子研修生。呼吸は荒く、その眼は怒りに燃えている。マクラギは欄干から立ち上がり、向き直った。自然と笑みが浮かぶ。獲物を見つけた肉食獣の表情。

 

「サスガ・ナガレです」

「マクラギ・ダイキューです。――仲間オトモダチカタキでも討ちに来たのか?」


 ナガレは挑発に対し、電磁木刀の切先を青眼セイガンに据えて応えた。

 

「抜けよ、マクラギ=サン」

「いいぜ……相手はお前じゃないが、な!」


 ナガレの右の耳元を風切り音が通り抜けた。小柄コヅカ・ダガーを投擲したのだ。無拍子ノーモーションで。ナガレは反応しなかった。微動だにすればダガーによって顔が深々と切り裂かれていたところだ。

 

 と――背後からナガレは圧力めいた気配アトモスフィアを感じた。ごく懐かしく、そして深みのあるカルマの気配――

 

師匠センセイ

「バカ弟子め、いつまで立っても直情径行が治らんようだな」

 

 ハチエモンは左手の人差指と中指に挟んだダガーを放り捨てた。マクラギが自分へ向けて投擲したそれを、二本の指だけで止めたのである。達人業タツジンワザであった。

 

 マクラギの眼が見開いて爛々と輝き、笑みが強さを増す。その表情は最早獣とは言えない――肉食獣は殺し合いを娯楽とはしないからだ。

 たとえるならば、戦鬼イクサオニの笑み。

 

「ドーモ、お久しぶりです。ハチエモン=センセイ」

「お久しぶりです、マクラギ・ダイキュー=サン。元気にしてたか……訊くまでもないな」


 ハチエモンがナガレより前に出てくる。ナガレの眼に困惑の色がよぎった。


「ハチエモン=センセイって……?」

「弟子だよ。ダイキュー=サン、過去形と現在形、どっちがいい?」

「どっちでもいい」


 ハチエモンの問いにマクラギはそう応えた。その点に関しては本当に感心がなさそうだった。ハチエモンは懐かしげな視線をかつての弟子に投げかけた。


「まだ根に持ってるのか、俺がお前の祖父様じいさま親父殿おやじどのを斬っちまったこと」

 

 マクラギは突如、怒号した。

 

「――そんな下らん感傷で俺がアンタを殺すと思っているのかッ!!」


 突如としか形容できない変貌だった。ハチエモンすら呆気に取られたようだった。マクラギは尚もまくしたてる。


「そんなものはトリガーに過ぎん! 俺はただアンタと斬り合いたいだけだ! アンタの強さに憧れたんだ……それなのに……何でアンタは片目片腕片足なんだよッ!!」


 ハチエモンは悲しげな眼をした。それから、長く息を吐いた。


「……どうしようもなくどうしようもない俺の弟子め。昔から変わっていないようだな。お前は昔から人を斬ることしか考えていなかった。カタナも剣術もイクサ・フレームも、全部がその副次物でしかなかったな、ダイキュー=サン」


 マクラギは暗い目を師に向けて言った。

 

「今更後悔か? 遅えよ師匠センセイ。俺をあの時斬っておくべきだったぜ」

 

 ハチエモンから悲嘆の気配が一気に消え失せ、その隻眼が名状し難い光を帯びた。

 

「……言ったな小僧。それに、片目片腕片足程度・・・・・・・・で俺とお前のハンデが成立するとでも?」

 

 マクラギの顔に笑みが戻った。

 ナガレは思った――戦鬼イクサオニが二人いる、と。


「……おっと、タンマ」


 ハチエモンは至って軽々しい様子で、懐から通信端末インローを取り出した。着信相手を確認し、出る。

 

「ああ、そこにいる……そうだ。うん――わかった。おい、ナガレ」

 

 それをナガレに放り投げた。師匠センセイのいきなりの行動に反応が遅れ、危うげにキャッチする。

 

「お前に替われって。あと、もういいぞ」

「もういいって――は? 何故ナンデ

「ここは俺に任せろってンだよ、バカ弟子」

 

 ハチエモンはニヤリと笑う。この笑みを見ると、この人がそう言うなら何だってダイジョウブなのだ、とナガレは確信させられてきた。スズメサカ・ハチエモンがヤギュウ・ジュウベエであった頃から、恐らく沢山の人間を安堵させてきたと思わせる表情だった。


『ナガレ=サン、ここはハチエモン=サンの言う通りにしておけ』


 通信端末インローからも声がする。女の声。電子的神託の主、ミズ・アゲハ。

 ナガレは逡巡の挙げ句、行くことを選んだ。

 

「……センセイ、無事でな」

「おう、お前もな」


 ナガレがきびすを返した。

 二人がカタナを抜き放つ音が聴こえた。


「――シャアァッ!!」


 先に動いたのはマクラギだった。軍靴がバイオ樫の床板を踏みしだき足跡を刻みつける。トップスピードに乗るのは一瞬、その速度はサムライ動体視力を持ってしても不明瞭であることだろう。


 一歩、二歩、三歩――ひと度に三ヶ所、木材が爆ぜる。


 斬撃をハチエモンが打ち払う。殆ど無造作と言っていいほどの払い除け――ギィィン!! 火花が散り、天守閣の大気をヒロカネ・メタルの残響が切り裂く。

 マクラギがハチエモンの背後の柱を折れんほどに蹴り、方向を転換する。呼気も鋭く、再度斬り込む。


「――ッ! ッ! ッ!」

「――ッ! ッ! ッ!」


 上段、下段、中段の間断なき連続攻撃。それをハチエモンは難なく捌いてのける。――言うまでもなくハチエモンは右義手であり、左手は本来利き手ではない。

 

 ギンギンギンギンギンギン――撃剣の壮絶な響きは、戦場の轟音を切り裂いてなお止むことがない。

 戦鬼イクサオニ二人のイクサに、ナガレが入り込む余地はない。誰も入れなかった。余人が二人の刃圏に飛び込めば、すぐさまナマスと成り果てるだろう。

 そこでナガレは気付いてしまった。自分がまだどうしようもない青二才アオニサイでしかないことに。

 叶うならば二人のイクサを見ていたいと思った。叶うならば、二人のヤギュウ剣士の絶技の数々を眼に焼き付けたいと。だがそれは無理だった。約束してしまったから。

 ナガレは走った。

 

 ――ドン!! 腹の底から響く重低音。通信端末の声が憶測を口にした。

 

『火薬庫に引火でもしたかの? 下は火の手が上がっているようだ』

「ならどうする?」


 ナガレは訊いた。最早この謎の人物に対して是非を云々ウンヌンしている場合ではない。

 ミズ・アゲハは決断的に告げた。


『上に行け。今からのを送って進ぜよう』

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