第2話 シンデレラ、王子から逃げる

 シンデレラを乗せた元南瓜の馬車は、丘の上に立つ城の前に止まりました。

 門前で客の応対をしていた召使に招待状を見せれば、すんなりと大理石の階段を城の中へ導かれ、礼法も習わぬシンデレラはびくびくしながら後に続きます。

 至る所を花々で飾られた城の中には、国中から集まった乙女達、その御付きの者、諸外国の重鎮、その御付きの者と、前例のないほど多くの客が集まっておりました。大小の間に料理人が腕をふるった目と舌を喜ばす料理が並び、美酒を手に人々が歓談しています。

 そして連れてこられた大広間には、シンデレラが見たこともない世界がありました。彫金のシャンデリアには煌々こうこうと蝋燭が灯り、壁は美しく磨き上げられた鏡でおおわれ、黒曜石の床の上で色鮮やかなドレスと燕尾服を着た男女が優雅に踊っています。

 唖然と立ち尽くすシンデレラです。

 しかしさらに驚いたことに、中でも際立きわだって上等な衣装の青年がシンデレラの方へ直進し、手を差し伸べたのです。

「これほど美しい女性は初めて見ました。一曲、お相手を願えないでしょうか」

 そう言うや、シンデレラの返事も待たずに広間の真ん中へと手を引いていきます。いつの間にか他の人々は二人を囲んで壁際に並び、大きな円ができました。

「ふふ、ダンスは苦手ですか?」

 衆目に慣れているのか、青年は悠々ゆうゆうと見事なリードで踊りながら微笑みます。シンデレラは一介の庶民ですから社交ダンスなんて知りません。青年のおかげで何とかステップについていっているだけです。

「私のような王子には貴女こそ相応しい。こんな美しい令嬢が国にいたなんて」

「お、王子様?」

「ええ、普段は護衛で遠目からしか見えませんものね。驚くお顔も魅力的ですよ」

「そんな、私のような娘に過分なお言葉を……」

 シンデレラもお年頃の娘です。初めて囁かれる甘い言葉に、身も心もとろけてしまいそうでした。

「決めましたよ。私は貴女を妃に迎えましょう」

「えっ……」

 王子の優しい微笑みと音楽のような声で信じられない言葉を聴き、シンデレラの鼓動が急に大きくなります。

「幸せになりますよ。全ての者が貴女にかしずき、言うことを聞くのですから」

 えっ?

「どちらの令嬢でしょう? 貴女の御両親はお許しになるか……いえ、私がいくらでも金を積み、首を縦に振らせましょう」

 は?

「何せ王族たる私の命なのですから! 背く者はないはずです!」

 自分の耳を疑い、シンデレラは握られた手が急におぞましくなって振り解こうとしましたが、王子の握力は異様に強いのです。王子は夢中で話し続けるばかり、シンデレラの顔が真っ青なのにも気付きません。

「王子様、私もう帰らな……」

 ポーン……

 十二時の鐘です。さあ大変、魔法が解けてしまいます。

「私っ門限なので失礼します!」

 こんな緊急事態の時にこそ人の本領は発揮されるもの。炊事掃除洗濯で鍛えた脚力腕力を最大限に使って身をひるがえし、王子の手を振り放すと、シンデレラは出口へと全力疾走。

 しかしまあ、魔女はなんて余計なことをしてくれたのでしょう。き慣れないヒールな上に足に痛いガラスの靴。シンデレラはびろうどの引かれた階段途中であわや転げ落ちそうになり、その弾みにガラスの靴が片方、脱げてしまったのです!

 でもそんなのに構ってはいられません。後ろからは「あの娘を捕まえよ!」と王子一行が追ってきます。片足ヒールでは走れません。シンデレラはもう片方も脱いで手に掴み、城の入り口へまろび出ると、南瓜の馬車に飛び乗りました。

 王子達が城の門へ出た時には時既に遅し。愛しい人の落としたガラスの靴は、王子の手の上で輝いておりました。


 *


 どたガシャごんっ、ばたっ!!


「シンデレラは楽しんだかしらー」と棚の紅茶を勝手に飲んでいた魔女は驚いてむせこみました。駆け寄るシンデレラは心配するどころか血相を変えてまくしたてます。

「お願い、私を王子から守って!」

 喉を叩いてやっと咳を止めた魔女はのらくらと尋ねます。

「ええなんでぇー?」

「あんな民を人とも思っていない人非人の情無し人間の妻になんてなれない! 金にモノを言わせて人の意見に聞く耳もないわよあの人」

「まあ王族だからお金は持ってるしねぇ」

 魔女に縋り、シンデレラは涙目で訴えます。

「そんな権力にモノ言わせるから国が傾いて私みたいなのが出ちゃうんだわ! しかも貴女が走りにくいガラスの靴なんて履かせたから片方落としてきちゃったじゃない!」

「あぁそれでいいのー、それ手掛かりに貴女を探しに来るから」

「何ですって冗談じゃないわ!」

 ドレスも馬車も馭者も消えたのに、何故ガラスの靴だけ残っているのか摩訶不思議ですが、シンデレラは今や諸悪の根源となった靴を床に打ち鳴らして叫びました。

「なんてことしてくれたのよ、あんなのと暮らすならここで家事してる方がマシだわ! 私、舞踏会行かせてなんて頼んでないし」

 ちょっと思っただけで、とシンデレラは正直に加えましたが、涙は止まりません。

「王子が来るなら魔法で見つからないようにして!」

「えー」

 魔女は困ったように、でもあまり真剣味を帯びずに、杖を宙に泳がせます。

「私、貴女の後は百年前にかけた魔法の事後処理しに行かなきゃなのー」

 無責任に欠伸をする魔女ですが、次の瞬間、嬉しそうに手を打ちました。

「わかった! 貴女が代わりに処理に行ってね!」

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