第2話



 ❒:???



『なぁ、坂樹山さかきやまのヤツ知ってる?』

『あの子供と大人何十人も誘拐されたっていう大事件だろ? 一時期めっちゃニュースで話題になったじゃん』

『そうそうそれそれ。……あいつ、アレの被害者だったらしいぜ?』

『うわ、マジかよきっつ……1週間近く監禁されたんだよな確か』


 ざわざわと、耳に入ってくる不快な声。

 同情するような哀れみと、異物を見るような奇異な視線。

 自然と心拍数が上がっていく。


『そうそう。しかも噂だと、被害者全員洗脳されたなんて説もあるんだとか。だから5年近く経っても犯人がまだ捕まってないんだってさ』

『え? だとしたら怖すぎるだろそれ』


 聞かなければいい話なのに、気にしなければ別に何の問題もないのに、

 無意識に心臓が握り潰されたような心地になる。


『だから、あいつもそうなんじゃないかって……』

「……っ!」


 だからオレは逃げるように学校を後にした。

 ――ドロップアウトしたオレに居場所なんてどこにもなかったんだろうね。



---



「おかえり六斗~♪」

「……た、ただいま」


 バイトを終え自宅に帰ると、愛妻のごとく弾んだ声で出迎えてくれたのは姉さんだった。

 しかし声とは裏腹に、その表情は全く笑っていない。

 むしろ、引きつってさえいる。美人な顔が台無しだった。


 肩を縮こまらせつつリビングへ行こうとすると、姉さんは仁王立ちのままその場に立ちふさがり、オレの行く手を阻んでくる。


「あの……退いてくれません?」

「退く前に、説明することがあるでしょう?」


 吉浦莉緒よしうらりお

 年は7つほど離れているオレの姉である。

 あまりの不出来さに、両親に勘当されかけたも同然のオレにとって、彼女だけが唯一の肉親といっても過言じゃなかった。

 学校を進言してくれたり、学費を工面してくれたり、オレのバイト先を斡旋してくれたりと、恩を数えればきっとキリがない。


「……なんていうか、全然合わなかったんだ。それだけだよ」


 リビングに移動して部屋着に着替えながら、

 オレは姉さんに退学届けを出した経緯を適当に説明した。


「……何かあったってこと?」

「そういうんじゃなくて……」

「じゃあちゃんと説明しなさいよ」

「………」


 どうしたものか。


「じゅ、授業についていけなかったんだよ……」

「そんな嘘、誰が信じると思うわけ?」

「いや、ほんとだって!」


 もちろん嘘だ。

 でもシラを切っておかないとな。


「ほんとに?」

「ああ。てかもういいだろ? 飯食いたいんだけど」

「……」


 姉さんは目を細めて、見透かすような視線を向けてくる。

 やがて諦めたのか、姉さんは長い溜息をつくと、


「……わかった。六斗のことは一応分かってるつもりだから、無理には聞かない」

「……」


 やはり長く過ごしているからだろう、そういう気遣いは本当に助かる。

 オレとしても肩の荷が下りる。


「それじゃこの話は終わり。……それで、さっきのあの子は誰なの?」

「知らん。オレも今日会ったばかりだ」

「ふぅん、経緯は?」

「たまたま絡まれてたところを助けたら、よくわからんことになった」


 それ以外に説明しようがない。

 正直オレ自身、未だにさっきあいつが言ってた話は妄言なんじゃないかって思ってるし……。

 つーか、そうであると信じたい。


「へぇ……六斗がねぇ。そんなことできたんだ。というかできる度胸、あったんだ」

「目が合ったんだよたまたま」


 台所で夕食の準備をしながら、姉さんはふぅんとそっけなく呟く。


「たまたま、ねえ? あたしとしては六斗はそんな事するタイプじゃないと思ってたんだけどなー」


 過保護な姉だ、まったく。

 飯なんて自分で作れるのに、姉さんが来た日にはいつも姉さんが作ることになっている。

 それがウチの数少ないルールといってもいい。


「それにしても不思議よね。いきなり学校に入れだなんて」

「まぁな」


 2人だけの、いつもの食卓。

 慣れているので、寂しさなんてものはこれっぽっちもない。

 互いに特に会話はなく、静かにご飯を機械的に運んでいく。

 飯を食い終わり、オレがその場から立ち上がろうとすると、


「ま、何があっても高校くらいは卒業しときなさいよ。大学は別に六斗の好きにしたらいい。必ず絶対に役に立つから」


 きっぱりとした口調で断言すると、

 それ以降、この件に関しては何も口出しすることなく大人しく帰っていった。



---


 翌日。


 ――ピンポーン。


「……」


 ――ピンポーンピンポーン。


「……ぁ?」


 ――ピンポーンピンポーンピンポーンピンポーンピンポーンピンポーンピンポーンピンポーンピンポーンピンポーンピンポーンピンポーンピンポーンピンポーン!!


 ……って、


「うるせえええええ!!!」


 ったく、なんだよ……せっかく寝てたのに。……いたずらか?

 パジャマ姿のままドアを開けると、


「おはようございます。吉浦様」

「……」


 黒いタキシードに身を包んだ、執事みたいなのがいた。


「お迎えにあがりました」


 しかも、女。

 黒髪のショートヘアで、宝塚歌劇団にでもいそうな整った顔立ち。

 どうみても学生なのに、雰囲気とか仕草とか言葉遣いなんかがとても異質だった。


「は、はぁ……それで、なんの用ですか?」

「今日からエリス様のご命令により、学園に通うことになっていますので、お迎えにあがりました」

「……は?」


 何言ってるか理解できなかった。寝起きだからかもしれない。

 てか、あの話、やっぱりほんとだったの?


「いや、まだ全然準備とか出来てないしさ……」

「気になさらなくて結構です。後は我々にお任せ下さい。それでは荷物の移動を」

「「「はっ!」」」


 彼女の覇気ある掛け声と共に、

 後ろにいたらしい、作業着に扮した男たちがぞろぞろとオレの家の中に入っていく。


「い、いや、ちょっと……?」


 い、今からは流石に急すぎないか? 

 まだ大家とだって話してないしさ……。


「それに関してはお気になさらず。しっかりと大家の方とはこちらで話をつけてありますので。いつでも出ていって構わないだそうです」

「ああ、そう……」

 

 オレの思ってることを見透かすように執事さんが言う。


 どうやらもう準備万端ってことですね。

 ……ちくしょう!

 


 それからみるみると家具が運ばれていき、

 その間にオレは乗ったこともないような高級車みたいなのに乗せられて……。

 しかも、さっき初めて会った彼女が隣で……。


「……」

「……」


 なんとも気まずい時間が続いていた。

 タクシーで相乗りしててもこんなふうにはならないだろ……。

 

「あの?」

「……」


 反応なし。

 彼女は前を見たまま、機械かなにかのように、ぼーっとしている。


「あの?」

「……なにか?」

「それ、執事なの? それともコスプレ?」

「れっきとした執事です」


 きっぱりとした物言いに、拒絶を感じた。

 ……悲しいなぁ。


 車で数十分ほどしてやってきたのは、昨日、オレがあいつに走って連れてこられた場所のすぐ近くだった。

 辺り一帯何もない中に、どでかい校舎が建っている。

 まだ設立されて日があまり経ってないのか、どうにも真新しく感じた。


 けれど、車は止まることなく、通り過ぎていく。


「おい、どこいくんだ? ここじゃないのか?」

「……何を言ってるんですか。先に寮に決まってるじゃないですか。何のために家財運んだんですか馬鹿なんですかあほまぬけぐどんks……」

「……」


 後半からはもう呪詛みたいに悪口しか言ってなかった。

 こいつほんま、初対面にしては口悪すぎるだろ……ほんとに執事か?


 程なくして、寮の方にやってきた。

 こっちも外観は綺麗で、家賃でいったらかなり高いんじゃないかって思える。 

 前の家より断然グレードアップだろう。

 てか、学生にこれって……金持ちばっかなのかここ?


 そんな事を思いつつ、ボーイッシュな彼女と共に中へと入っていく。


「あなたの部屋は、本来ものお……スペシャルルームとして使われている部屋をご用意致しました。」


 物置きって言おうとしただろ、こいつ。


 それはまぁいいとして、部屋の中へ。

 広さは……結構あるな。10畳弱、くらいか。

 どうやらある程度の家具は備え付けられてるらしい。

 テレビとか、ベッドとか、ソファーとか、どれも結構高そうな感じに見える。


「はぇー……」


 いきなりで急だったけど、

 ここに引っ越せるなら悪い気はしないかもしれない。




 ――2時間後。


「ふぃい~、疲れたー」


 大方の荷解きが終わり、オレはベッドに腰掛けながら息を吐く。

 朝から移動と荷解きでもう午前中はほとんど終わってしまった。

 

「もしかしてこれからオレ学校行かなきゃいけない感じ?」

「何言ってるんですか、今日学校なんてあるわけないじゃないですか。時計を見やがれですよ。愚鈍野郎」

「はぁ?」


 スマホ……スマホ……あ、ねえ。

 寝て起きてすぐ連れてこられたから、どっかのダンボール箱に入ってんだろうな、たぶん。

 近くにあったデジタル時計を探し出す。

 そこに書かれていた日付は、5月6日(月)。

 うん、平日だよな。オレは間違ってないはず。


「月曜だけど?」

「振替休日ですよ、今日は」

「…ふりかえ、きゅうじつ?」

「知らないんですか? もしかして日本に来て間もない初心者さんですか?」

「めちゃくちゃ口悪いよなお前」

「お嬢様に近づく敵は許すわけにはいきませんから」

「あぁ、そう……」


 確かにこんなのいたら、誰も近寄ってこないだろうな。

 そう考えると、こいつの思惑通りなのかもしれないけど……。


「碧葉~?」


 と、そこに。

 廊下の方から、昨日聞いたばかりの声が聞こえてくる。


「あぁ、いたいた」

「どうしましたお嬢様?」


 うわー、ガチでお嬢様とかっているんだな……。


「……っ!」

「うわぉいっ!」


 急に執事女が身を屈めたかと思うと、後ろ回し蹴りが飛んできた。


「いきなり何すんだよ!! あぶねーだろ!」 

「チッ。悪意の気配を感じたのだが」

「ほんとおっかねえ女だなまじで……」


 悪意感じ取っただけで攻撃してくるとかバケモンかよお前。


「もちろんこういう事をするときは、しっかりとTPOはわきまえていますので、

 ご安心を」

「そうすか……」

「ふぅん、終わったんだ引っ越し。お疲れ様」


 そう言って、白金が何かを投げてくる。

 缶コーヒーだった。


「ど、ども……」

「これくらいなんてことないわ。昨日は無理言ったんだから」


 白金がソファーの方に腰掛けると、自分用のパックティーを飲む。

 

「碧葉はちょっとクセがあるけど、悪い子じゃないから」

「クセねえ……」

「私としても言ってるんだけど、結構頑固でね……」

「碧葉って言うんだな」

「そう。彼女は中峰碧葉なかみね あおばって言うの。昔から私に仕えてくれてる子よ」

「へぇ……今でもそんなんあるのか」

「ウチと中峰は代々そういう家系だったらしいの。だから子どもの頃からよく会って遊んでたわ。でも今どきそういうのってちょっと古くさいじゃない? 一応家族ぐるみで付き合いはあったけど、そういう主従関係的なのはなくて。それでも、ボディーガードやりたいなんて言い出したのは碧葉の方」


 なんかあるんだろうか。

 まぁ、勘ぐってもしょうがないよな。

 

 理由なんて人それぞれがどこかに抱えてるもんなんだから。





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