1章
第1話
「……ふぅ」
ショッピングモール街のベンチに座りながら、オレはゆっくりと息を吐く。
5月の太陽は燦々としていて、うっとりしてしまうほど暖かい。
空は暢気なくらいにいつもと変わらない白い雲がゆっくりと流れている。
本当に、長閑だ。
「ふぅ……」
深呼吸して、流れ行く人々を眺める。
平日の昼間だからか人はそんなに多くないが、
街一番のショッピングモールなだけあって、十分すぎるくらい賑わっていた。
まさに平和ともいえるべき、穏やかな一幕。
何も、変わらない。
『さぁ、これから私たちみんなで未来を作っていこう!!』
ちょうどそばにあるディスプレイには、若手女優を起用して、何を伝えたいのかよく分からない漠然としたCMが流れていた。
……未来、か。
今のオレにはあまり聞きたくない言葉だった。
なぜならオレはつい先日、退学届を出してきたばかりだからだ。
姉に、「まだ若いんだから、学校くらいちゃんと行っときなさい」と勧められたのはいいが、どうにも全然合わなかったのだ。
きっと後でめちゃくちゃ叱られるだろうが、まぁ、仕方ない。
「ま、何とかなるか」
バイトはしているから、これからの自分の食い扶持くらいはどうにかなるだろう。
もっと先の将来のことは、もっと先に考えればいいのだ。
よっこらせ、とオレはベンチから立ち上がり家に帰ることにした。
---
ショッピングモールの建物の合間を縫うように歩く。
ちょうど太陽が入ってこないせいか、薄暗い。
ゴミも多い。
表の方には掃除係がいるが、流石にこのあたりまではしていないんだろう。
見えない部分が真っ黒なんてことはよくあることだ。
「……して!」
「……ん?」
「離して!!」
聞こえてくるのは、女性の声。
(なんだろう……?)
気になって近寄って見ると、そこにはオレと同い年くらいの女の子と大柄の男が何やら言い争っていた。
傍から見ても、物々しい雰囲気なのが分かる。
平和なこの街にしては、なんとも珍しい光景だった。
「もういい加減に!」
「はな、して……!」
大男が銀髪の少女の腕をむりやり掴む。
少女は、必死に抵抗する様子を見せるも、びくともしない。
周囲を見る限り、どうやら気づいているのはオレだけらしい。
ちょうど人気の少ない建物と建物の間だからかもしれない。
でも――。
だから何だというのだ。
その様子を実際に目の当たりにしたら、恐らく8割の人間は見過ごすだろう。
見なかったことにして、我関せずを突き通す。
或いは、何かの舞台現場だと思い込む。
オレもきっと、その中の一人に過ぎない。
別に、それで構わない。
ベッドで入る時には思い返して、ああすればよかったなんて後悔するかもしれないが、どうせ月日が経てば何もかも忘れているのだ。
だから気にする必要なんてない。
(……可哀想に。でも、助けを呼べばきっと誰かが来てくれるさ)
そして、踵を返そうとした次の瞬間。
たまたま、その少女と目が合った。
合ってしまったのだ。
彼女の助けを求めるような潤んだ瞳が、こちらに向けられて……。
「……っ!」
オレは本能的に飛び出していた。
偽善とかそういうのじゃなくて、しなければならないのだ、と訴えていた気がしたから。
「こっち!」
「……え、ちょ、ちょっと!?」
この状況にしては、彼女の声は少しだけ浮ついた感じがした。
けれど、どうでもいい。
オレはそんなの気にしていられなかった。
彼女を連れて、逃げる。
店の間を通って、外の方へ。
たくさんの遮蔽物を利用して、その隙間を縫うように道を進んでいく。
「待てーっ!」
「おい、あっち行ったぞ! 追え! 包囲しろ!」
増えてるッ!?
まずい。
ととと、とにかく急がないと……!!
「なぁ、交番ってどっちだ?」
「北の心臓破りの坂を真っ直ぐ!」
「分かった!」
オレには、この辺りの土地勘は全くといっていいほどない。
有名なショッピングモールがあることは知ってるが、それくらいだけ。
だからオレは、彼女の言うことを信じてがむしゃらに突き進んだ――。
---
それから15分程ひたすら走り続け。
北にある丘の方にまで、やってきた。
「……はぁ……はぁ……」
緊張の糸がほぐれると同時にオレは膝をつき、その場に崩れ落ちる。
道中の上り坂が、想像以上にキツかった。
こんなに走ったのは久々だ。
それはいいんだけど……。
「…………交番は?」
交番なんてどこにもなかった。
近くにあるのは、街全体を眺めることができるスカイデッキだけ。
そういや思い出した。
ここは、開拓中の土地だ。
これからどんどんと街が建設されていく場所で、今はほとんど何もないんだった。
さっきはもう逃げることだけしか頭になくて、
ひたすら彼女の言うままずっと走ってたけど……。
(なんなんだ……ほんとに)
オレが動転している中、
かたや銀髪の少女はというと……、
「……~っ」
ちょっと後ろにある展望台には、目を瞑りながら、優雅に風を浴びていた。
その姿は、幻想的な一枚絵のように美しかった。
憂いとか、懊悩とか、哀しみとか、そういったものを全て忘れてしまうほどに。
ほんと、なんていうか、調子が狂う。
少し休憩を挟み、彼女がいるスカイデッキの方にまで移動する。
「ここの景色、綺麗だと思わない?」
オレが言葉を発する前に、彼女が機先を制する。
「まぁ……そうだな」
確かに綺麗だ。
たくさんの建物があって、その奥には海があって……船がゆっくりと通過していくのが見える。
「そういや、助けてくれてありがとう」
「別にいいけど……何があったんだ?」
「ちょっと揉めちゃって……」
肝心の内容はぼかされた。
まぁ、深く聞くようなことでもないか。
「私、
「吉浦。
視線は街の方を向いたまま、流れで自己紹介をし合う。
表情はあまり見えなかったが、不思議と少し口端を吊り上げているような気がした。
気のせいかもしれない。
「ふぅん……そうなのね」
「……」
「……」
「私、あなたのこと気に入ったかも」
「……はぁ」
よくわからんが……気に入られたらしい。
どうせ会うのも今日が最初で最後なんだから、別にどうでもいいんだが。
しばらくデッキからの眺望を堪能していると、ふと白金がオレの方を向き、上から下までをまじまじと見つめてくる。
「見るからに成人はしてないわよね……18くらいかしら?」
「……17だけど」
「ってことは学生ね。どこに通ってるの?」
「……」
後者の方は、視線を逸らし、答えを濁した。
オレの表情を見て、白金は何やら合点したように頷くと、
「そ。行ってないのね」
「この間まで普通に行ってたから!!」
「じゃあ今は行ってないんじゃない」
「ま、まぁ……そうだけど……」
そのことについて何か咎められるかと思ったが、特にそんなことはなかった。
それから少しの沈黙が続き……。
「決めたわ」
白金は唐突に独り言を呟くと、
「あなた、いえ、吉浦六斗」
真剣な表情でこちらを見据えながら、思いがけないことを言い放ってきた。
「私の学園に来なさい!!」
「………」
……。
呆然としていたわけではない。
ちゃんと頭の中で、彼女が言った言葉を意味は理解していた。
「すまん。遠慮するわ」
「ちょっと、なんでよっ!?」
「別に今さら学校なんて興味ないんだよ」
つい先日退学届を出したばかりだというのに、また学校にいけなんて言われても困る。
未練なんてさらさらない。
それにあんな場所、本当にろくなことが起きないのだ。
「それじゃ。オレそろそろバイトあるから」
軽く手を上げて踵を返そうとするが、思うように足が進まない。
右手をがっしりと掴まれていた。
「なんだよ?」
「仕方ないわね……強制的に入れさせてあげるわ」
「はぁ?」
「お礼と思っていいから」
「そういうのはお礼って言わないんだよ。押し売りっていうんだ」
「構わないわ別に。私、一方的に借りを受けたままにしておきたくはないの」
こっちが構うんだよ……。
面倒なのに、引っかかっちまったな。
助けなきゃ良かった……。
呆れていると、白金はポケットからスマホを取り出してどこかに電話をかけ始めた。
「もしもし中峰。……彼について調べは? 学校は隣街の定時制学校。……え? 退学届を先週出した? 保護者の許可なく? そう、保護者はお姉さん……。じゃあ、彼女の職場に繋いでもらえるかしら?」
「……」
え? ちょっとまって。
待て待て待て待てまてまてまてまt……。
これはまずい。想定外すぎるぞ。
「……初めまして。私、白金エリスと申します。急で申し訳ないんですけど、弟さんが学校を辞めたことについてはご存知ですか?」
『はぁああああああああああああああああああああああ!?』
電話越しから聞きたくない姉の叫び声が聞こえてくる……。
これは、ほんとにヤバいことになったかもしれん。
てか、なんかオレの個人情報どんどん漏れてってないか?
もしかしたらオレは、ヤバイのを敵にしてしまったのかもしれない。
「寝耳に水、ですよね。それで提案があるんですけど……」
それからしばらく電話が続き……。
ようやく終えたのか、スマホを仕舞うと、白金はしてやったりといった満足そうな表情でこちらを見てくる。
「保護者の許可は取ったわ。後はあなたの許可だけ」
「……」
「ま、家に帰ったところでお姉さんにこっぴどく叱られるでしょうね。でも安心して? 私からきちんと口添えはしておいてあげたから」
「……学園に入れってか?」
「そういうこと」
白金は何やら不気味な瞳を湛え、にやにやと微笑んでいた。
――この提案を断ればどうなるか分かってるでしょうね?
そう言っているようなものだ。
でも、こちらとしては意味が分からない。
置いてきぼりだ。
「……はぁ」
ため息をつきながら、オレは何となく空を見上げる。
いつもと変わらない穏やかな午後の空。
あと少ししたら陽が傾き、黄金色に染まっていくんだろう。
「それで? 聞かせてもらおうかしら」
「……分かったよ。入りゃいいんだろ入りゃ」
「決まりね」
白金は達成感に満ちた笑みを浮かべながら、耳元の髪をサッとかきあげて言った。
「それじゃ、これからよろしく。吉浦六斗君」
こうして、
オレの新しい生活が始まるのだった。
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