第6話 ただ広がるは荒野のみ

「……どうだい紗菜、あっていたかい?」


 そのとろけるような甘い声がやけに大きく耳につく。


「トオルのクセによくやるわ」


 いろはは呆れ半分、からかい半分の褪めた目で二人を見ているようだ。


「ね、きぃ君はどう思う?」


 良い意味でも悪い意味でもトオルらしいなとは思う。


「な、ななななな」


 時間差で状況を理解した八乙女がわなわなと震えだし、トオルがぱっと手を離し立ち上がり。

 どっと黄色い悲鳴がギャラリーから湧いた。


「これが理想のシチュエーションというやつさ」


 周りの声など我関せずと、その肝の据わり具合はやはりプリンスと呼ばれるにふさわしい男だが。知ってるか? その突飛な行動から機巧界もとい奇行界のプリンスとささやかれていることを。


「ほんとよくやるわ」


 いろはだってここまでしない。


「お褒めに預かり光栄さ」


「褒めてないわよ」


 どう見てもさげすみの目だ。


「女の子はお姫様に憧れるものだろう? 君だってそうじゃないか、Ms.いろは?」


「バカね。そんな型にはめ込んで、分かりきった気になっちゃうなんて」


 少なくともいろはがそう思ってないらしい。


「ハッハッハッ、ジョークが上手いね、いろは。バカは恭介じゃないか」


「なんでだよ」


 巻き込むな。


「本式は手を額に当てるのが普通だが、僕がどうしてキスをしたか分かるかい?」


 ろくな理由じゃないことなら分かる。


「そもそも、これは八乙女の緊張をほぐす為のクイズじゃなかったのか?」


 八乙女を見ろ、魂が抜けちゃって、ぺたんと座り込んでるぞ。


「ハッハッハッ! 物理的接触、ようはキスによって愛情ホルモンのオキシトシンが分泌されるのを知っているかい? キスはリラックスに繋がるのだよ」


 物理的接触なら額で充分だっただろ、拡大解釈にも程がある。


「相手は八乙女だぞ」


 もっとも、イケメンからのお姫さま扱いは嫌いじゃないという女子も多いだろうが。


「可愛い子猫ちゃんだろう? そして今のキスがクイズの答えだよ」


 すればするほど足りなくなって、どんどんしたくなるもの。


「……もしかして。八乙女はそれに気付いていたから紅くなっていた?」


 ま、今は魂が抜けたみたいに真っ白になってるが。


「ノンノン、恭介。レディを虐めるのはいただけないな」


「またそれかよ」


「この国にはバカは死ななきゃ治らないということわざがあるが、ここまで説明しても分からないなんてね」


 もう言いたい放題だ。トオルの奇行は止まらない。


「分からねぇ……」


 俺なんかでは、トオルの理論ロジックなんてこれっぽっちも理解できない。というかしたくない。


「ふ、バカは風邪をひかないという。だがそうじゃない。本物のバカは風邪を引いても気づかないのさ」


 ダメだコイツ、早くなんとかしないと。


「あなたも風邪ひかないでしょう」


 いろはの冷静な突っ込みが繰り出された。


「僕はオートマタだからね」


 トオルはゼンマイとバネで出来ているのだから、壊れることはあっても病気にはかからない。


「認めるのね? だったらその理屈じゃあ、あなたが一番のバカよ」


「ふっふっふっ、それですらも一番をとるとはまさに僕らしい」


 あぁもうホントどうにかならないか。


「それにしても、こんな恭介にどうしてMs.いろはは恋をした?」


「は?」


「おっと、そんな怖い目で見ないでくれ、恭介に欠点があるという話じゃないよ」


 ドスの利いたいろはの声に、トオルが慌てて補足する。


「恋をする理由が知りたいだけなんだ」


 どこからそんな話になったのか。


「恋をするのに理由がいるの?」


「当然だろう? 僕といろはは特別なんだ」


 言葉を交わすアンドロイドの二人以外は、誰も話に加われそうにない。


「人は恋をする。きっかけや誰に恋慕を抱くかは分からない。だが時に、人は自分を犠牲にしてまで恋をする」


 恋を語りだしたトオルはやけに饒舌だ。


「好きな人が好きなものが、私の好きなものというように。それは自分を根幹から壊す行為に他ならない危険な行為だが、恋のためなら喜んで破滅すらも受け入れる。どうだい、なぜ人は恋をするのか知りたくないか?」


 スッと細められたトオルの視線がいろはを射貫く。


「知らないわよ」


 それでもいろははたじろがない。


「人に限らず、生物にはその根源のDNAに種の存続が刻まれている。子を成し、次へと繋げていくために。自分には足りないものを補い合って、より生物として存続していけるようにね」


「だから?」


 とにかくトオルが満足いくまで喋らせるつもりのようだ。


「だが僕達はそうじゃない。機巧型オートマトンの僕と、生物工学バイオテクノロジーからアプローチされた自律型幹細胞バイオロイドのいろは。種として存続を図るという銘文は、僕達には刻まれてない」


「当然ね。人の脳の恋をつかさどる部位、扁桃体へんとうたいが未だに解明されていないんだから。それで何が言いたいの」


 トオルの笑みは崩れない。


「つまりアンドロイドである僕達は、恋する理由を見つける使命があるんだよ」


 こんな獰猛な面を見せるトオルは初めてかもしれない。夏の間にトオルにも、何かがあったに違いない。


「あぁそうやるなら勝手にやってなさいよ、私はいちゃいちゃするのに忙しいのよ」


 勘弁してもらいたい。


「存分に見せつけてくれたまえ。それでいろははどうして恋をした? 僕はそれが知れたらそれでいい。言っては悪いが恭介は平凡な男だよ。君が恋する理由なんて見当たらないな」


 プチン、と。

 幻聴なのかも知れないが、なにかが弾けた音がした。


「言わせておけば、いけしゃあしゃあと! 私がきぃ君のこと好きなのよっ! 恋をする理由ですって? 恋は感じるもので考えるものじゃない!」


 むしろいっそう清々しいが、聞いてるこっちは恥ずかしすぎる。


「ふ、そう簡単に教えてはくれないと。いいよ、いろは。僕は諦めないからね。君たちのいちゃいちゃを見て盗んでやるさ」


「えぇどうぞご勝手に。さ、きぃ君もコイツになんか言ってやってよ」


 ……俺が言えるようなことなんてどこにある?


「まぁ、トオルが何をしようが勝手だが」


 恋する理由を探しているとトオルは言った。

 馬鹿げていると笑うのは簡単だけど、おそらくトオルにとっては嘘偽りない本心から出た言葉だろう。


「それに八乙女を巻き込む必要がどこにあった?」


 いろはと俺ならまだ分かる。トオルにとって俺たち二人は観察対象なんだから。

 けれど八乙女はそうじゃない。


「恭介、なぜ地雷は埋まっているか分かるかい?」


 地雷?


「きぃ君、きっと地雷ってのは、ウブな八乙女さんの乙女心よ」


「あぁそういうことか、分かりづらいな」


 いろはがいなければ、トオルとの会話だって難しかっただろう。


「同時通訳は任せてね」


 こういう時のいろははすごく頼もしい。


「そして恭介、地雷は踏み抜かれる為にある」


 チラといろはを見ると間髪入れず、


「ウブな乙女心は弄んでなんぼのものよ」


 どんなもんだと得意げに胸を張っていた。


「余計にこんがらがってきた。トオルにとって八乙女は可愛い子猫ちゃんじゃなかったか?」


「好奇心は猫をも殺すというだろう? 僕の好奇心にノックダウンされちゃったのさ」


 どこまでも飄々とした物言いだ。


「俺はどうして八乙女を巻き込んだんだと聞いたんだ。繋がってないぞ」


「地雷を踏み抜いて発破をかけた。それがいろはに飛び火した。おかげで僕は有意義な会話が出来て満足だ」


「噛ませ犬としてけしかけて、いろはを釣ることができて楽しいよ。て何を言わせるのよ、きぃ君っ」


 今のはいろはの通訳がなくても分かったが。


「つまり、恋する理由を見つけるためならどんなやり方も辞さないと言うことか……」


「これからは率先して踏み抜いていくつもりだよ」


 トオルは最初から奇行界のプリンスと呼ばれるほど浮いた存在だったが、こういう露骨な行動はこれまで一度もなかった。

 やはり、夏休みに何かがあったに違いない。


「あぁ、宣戦布告と受け取ってくれても構わない。だけど、僕が負けるはずないからね。きっと暴いてみせるさ、恋をする理由というヤツを」


 誰を巻き込もうがどんなことになろうとも、その目的の為に手段なんか選ばないということだろう。


「でもトオルなら、もっと賢いやり方があったと思うけどな」


 それはある意味、プリンスであるのならという、妙な信頼がそう思わせたのかも知れない。


「バカだねぇ恭介。地雷は踏み抜かれる為に埋まってるんだ。踏み抜いてこそだろう? だから恭介、存分にいちゃいちゃしてくれたまえ」


「ん? つまりトオルは、私がきぃ君の彼女だってことには文句ないわけ?」


「当然だろう? 恋をする理由が知りたいだけで、文句をつける気は塵もない。しかしまぁ、いろはのそれはいささか強引かとは思うが、それも恋する女の子の特権だろうさ」


 ……嫌な予感しかしない。


「あぁそう、ならいいわ。きぃ君、さっきの聞いた聞いた?」


 ニマニマ見んなようざったい。


「ユウキですら認めてるのよ? これはもう認めるしかないんじゃなくて?」


「彼女じゃねぇよ、幼馴染だ!」


「いい加減認めたら?」


「それでも俺はやってない!」


 もうどうすれば収拾がつくんだよ。


「んふふー、照れちゃって。もー、そんな可愛いきぃ君も、大好きだよ!」


「僕も好きだよ、恭介」


「あぁ、もう!」

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