二幕

第7話 憩いを求めて

 あぁだこうだの不毛過ぎる争いを経て、夏休み明けの顔合わせは済まされた。それからはトオルもいろはも八乙女だっておとなしくして、つつがなく授業が進んでいった。


 それが逆に恐ろしくも思えたが。

 実際なにごともなく放課後を迎えた俺は、なにか事件が起こる前に教室を抜け出した。そして俺は安らぎを求め、特別教棟へ向かった。


「それはそれは大変でしたね阿頼耶あらやさん」


「そう言ってくれるのはお前だけだよ、千歳ちとせ


 ここは文化系部活の部室が連なっている教棟だ。その一室で俺は、一年なのに部長の肩書をもつメガネっ子の女性徒に愚痴を聞いてもらっていた。


「けれど皆様、おかわりないようでホッとしました」


「まぁ、千歳から見たらそうなのかもしれないな」


 トオルの行動はやりすぎな気がしているが、千歳にとってはあくまでいつもの範疇らしい。


「阿頼耶さんもこうしてお越しくださりましたし、私としましては嬉しい限りです。ぁ、お湯が沸きました。ただいまコーヒーをお入れしますね」


 この部室には、問題なくお茶会をすることができるくらいには調理道具が揃っていた。お湯を沸かすためのケトルに食器類は勿論のこと、電子レンジにトースター、冷蔵庫までもある。

 これらはすべて千歳の私物で、正式に許可をとって持ち込んだものらしい。


「阿頼耶さんはブラックで?」


「あぁ、それで。ってか、わざわざ聞かなくても俺がブラックしか飲めないことくらい分かってるだろ」


 初めてここに来たときから千歳のおもてなしは完璧だった。

 たしかあのときは紅茶かコーヒーか麦茶、どれもご用意がありますよと言われ。お茶請けにバウムクーヘンが出てきたんだっけ。


「阿頼耶さんは紅茶とコーヒーならコーヒーで、甘すぎるのは苦手でしたね」


「あぁ、甘いの食べると胸が悪くなるんだよ。だからブラックくらいが丁度いい」


 クッキーとかの甘さと中和されるからな。


「夏休みがありましたので。好みの一つや二つが変わるには十分な時間ですから。どうぞ、こちらブラックになります」


 はにかむ千歳は慣れた手付きで卓の前にコーヒーを置く。今日のお茶請けは色とりどりのマカロンだった。


「本当に、千歳がいてくれて助かってるよ」


「またまた、そんなことありません」


 千歳も自分の分を用意すると卓に着いた。基本、千歳はその日の気分で飲み物を選ぶが、今日は俺と同じコーヒーらしい。

 スティックシュガーを手に取ると、さらさらと入れてかき混ぜた。


「そんなことあるって。あのクラスでなんとか俺がやっていけてるのは、千歳がこうして話を聞いてくれているからだ」


 掛け値なしにそう思う。


「それは……、ありがとうございます」


 鷹司たかつかさ千歳ちとせ。一年でありながら部長の肩書を持つメガネ女子。

 マカロンを口にいれ、コーヒーに手を伸ばす。マカロンの甘みとコーヒーの苦味がちょうどよいバランスで成り立っている。


「うん、うまいな、これも。また腕を上げてないか?」


「ありがとうございます。私もこの夏に少しだけ、料理修行をしてまいりましたので」


 千歳もマカロンに手を伸ばし、口に含んでしっかりと味を確かめると微笑んだ。


「うん、ばっちりです」


 マカロンをはじめ、ここで茶請けとして用意されているお菓子はすべて千歳の手作りだった。


「いつも悪いな、愚痴を聞いてもらってこんな美味しいお菓子まで」


「いいえ、お気になさらないでくださいな。千歳と阿頼耶さんの関係はギブアンドテイクじゃないですか」


 悪いと思う必要はない。そう笑いかける千歳は心から楽しげにしているように見える。


「千歳は物部さまのお話が聞きたいのです。そして、阿頼耶さんは聞いてもらいたい。ね、ウィンウィンの関係でしょう?」


 変な話だとは思うが、千歳がいろはの話を聞きたがるのは事実だった。


「だからってなぁ」


「もう、阿頼耶さんは気にしすぎです。そもそも、一番最初にお願いしたのは千歳の方なんですよ?」


 むくれる千歳はもう一つ、マカロンを摘まんで口に運んだ。


「そうだったっけ」


「そうですよ。あの日、押しかけてしまった千歳を優しく受け止めてくれたじゃないですか」


 そうだ、確かはじめは千歳がうちのクラスに突撃してきたんだったっけ。


「思い出した。けど、別に優しくした覚えはないぞ? 他所よそのクラスから良くきたな、って思っただけで」


 そう、粛清の彼女という二つ名を持ついろはに、自分から近付こうとする猛者もさなどそれまでいやしなかった。


「阿頼耶さんが取りなしてくださったおかげで、こうして物部さまのことをお慕いすることが出来てます。感謝こそすれ、邪険にする理由はどこにもありません」


 千歳はいろはのことを物部さまと呼ぶ。

 未だにどうして千歳のような性格タイプの子がいろはのことを気に入っているのか知らないが、その熱は本物らしい。


「だけど、それだといつもご馳走してもらってる分、俺の方が得してないか?」


「お菓子作りは趣味ですし。美味しく食べていただける人がいるなんて、それだけでこっちはもう嬉しいんです」


「だけどなぁ」


 千歳が良くてもこちらの気が済みそうにない。

 前にこちらからも差し入れを持ち込んだことがあったが、あのときは『千歳のお菓子が気に入りませんでしたか』と落ち込ませてしまったし……。


「そうだ、ではこういうのはどうでしょう?」


「お、なにかリクエストしてもらえるか?」


 材料の買い出しでもこの部屋の掃除でも、俺にできることなら可能な限り手伝うぞ。


「できればでよろしいのですが。夏休み中の物部さまのご様子なども聞けますか?」


「そんなことでいいのか?」


 いつもの愚痴と変わらない気がするけれど。


「えぇ、千歳にとってはとても価値があるのです」


「まぁ、元から話すつもりではいたけどな。ってか聞いてくれよ、今日は寝起きからとんでもない目にあったんだ」


 昨夜にネット掲示板にかき込んだことからいろはに起こされ親公認にされるまで、かいつまんで千歳に話す。


「まあ! なんて大胆な……」


 八乙女ほど初心うぶではないが、千歳は顔を赤くし手うちわで頬を仰いでいる。


「本当に参ったよ、今日は」


 久しぶりの学校で、いろはのテンションも高くなっていたのかもしれないが。こっちにとってはいい迷惑だ。


「まぁまぁ。千歳はとっても満足ですよ?」


「そりゃあ良かった」


 こっちも話せてスッキリしたし、ようやくちゃんと落ち着けた。

 コーヒーうまい。


「あぁ、今日も物部様は素敵だったんですね」


 素敵、か? 話を聞く分には実害がないからそう思えるのかもしれないな。しかし当人の俺から見たら、全然そうは思えない。


「代われるものなら代わってほしいくらいだよ」


「千歳だって代わりたいですよ。でも千歳には、こうしてお話を聞くくらいしか許してくれません」


 押しかけてきた千歳の目的は、彼女が立ち上げた部活に入って欲しいということだった。

 だがいろははそれを断った上に、千歳に接近禁止令まで出した。


「あぁ、物部さまの為に作ったこの場所に、いつ彼女はお越しくださるのでしょうか」


 物憂げな様子でマカロンをまた一つ口に運んだ。


「いつか物部様にも食べて頂けるように、努力しているのですが……」


「俺としては、ここにいろはが来られたらたまったものじゃないんだが。まぁ、報われるといいな」


 トオルと八乙女に比べたら、千歳の立ち位置は特殊と言える。

 前者はいろはと敵対関係にあり対立しているが、後者はただ嫌われているだけの味方と言える。


「というか、千歳はいろはのファンなんだよな?」


「えぇ、そうですよ。物部様の前で一糸乱れぬ動きをみせる生徒達。あぁ、どうしたらあんなに見事な人心掌握できるでしょうか。雷に打たれたかと思いましたよ」


 うっとりとしたその表情は、まるで恋する少女のようだ。


「千歳もほんと物好きだよな」


 いろはもそれが分かっているからなんだろう。俺がこの部室にきても、千歳にはちょっかいを出さないでいる。


「前にも聞いたと思うけど、改めて教えてくれないか?」


「なにをでしょうか。あ、コーヒーのおかわり淹れますね」


 トポトポとカップを満たす黒い液体が、芳しい香りを立ち上らせる。

 彼女はどこまでも柔らかな物腰で、心から、出来た人だと思っているが。


「どうしてここは魔術部なんて名前なんだ?」


 放課後にふらりと立ち寄って、お茶をする。

 活動内容から見れば、十分カフェと言っても差し支えないこの空間は、けれどなぜか魔術部なんていう看板が掲げられていた。


「そのままの意味ですよ。美濃部先生から聞いた覚えはありませんか? 高度に発達した科学は魔法と区別がつかないと」


 それは美濃部先生がよく使うお決まりの定型句フレーズで、勿論何度も聞いている。


「それで?」


「この空間は物部様の為に作りましたから」


 千歳はあっけらかんと笑って言うが、こっちはわけが分からない。


「前もそう言われたけどな、よく分からないんだよ。もうそろそろ、ちゃんと教えてくれてもいいだろう?」


 ギブアンドテイクで始まった関係だけど、今ではそれだけではないはずだ。


「そこまで期待されることでもないんですけれど。阿頼耶さんは考えすぎなんですよ。言葉通りの意味なんです」


 その言葉通りに受け取れば。高度に発達した科学は魔法と区別がつかず、いろはのために作られた空間だから魔術部で。


「まだ分からないですか?」


 俺の想像力が足りないせいか、どう考えても分からない。


「素直に受け止めてくだされば、とても簡単なんですよ」


 駄目だ、降参だ。


「すまん、思いつきそうにないんだよ」


 やれやれと肩をすくめた千歳はコーヒーに口をつけ、棚の奥に目を向けた。

 そこにはまだ一度も使われたところを見たことがない、一組のカップが置かれている。

 きっとあれはいろはの為の一組だ。そこにどんな意味が込められているのかまでは知らないが、そうに違いないだろう。


 それから千歳ははにかむように笑って言った。


「ですからね? 物部いろはは魔女なんですよ」

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