第5話 それが子猫ちゃんの為ならば、喜んで騎士にもなろうじゃないか

「おっと、僕の背中では不満かい?」


「い、いえ、あの、そうじゃなくて……」


 何かを言いかけ、だがその後が続かない。先程までの気勢は鎮火してしまっていた。


「あれれー? ヤギさんいなくなっちゃったぁ」


 それに比べてトオルとのやり取りで疲れていたいろはは勢いを取り戻し、露骨に肩を落としてみせる。

 八乙女はきっとまなじりを上げ気炎を立ち上らせたがだがしかし。言葉の槍を放とうとして、トオルの背に再び前を塞がれた。


「Ms.いろは」


 トオルがいろはの名前を呼んだ。


「ぁによ、そんな甘い声出して」


 怪しい声のトーンにいろはは警戒を高める。

 バイオロイドのいろはでもトオルが何をするかは見当をつけることはできないらしい。


「ここにいるのはね」


 目を輝かせた小さな子供が、大事にしている秘密のお宝を見せるように。


「可愛い子猫ちゃんだけさ」


 内緒だよ、と柔らかくウィンクをすると、背からそっと八乙女をいろはの前に披露した。


「まるでブリティッシュショートヘアのようで可愛かわいいだろう?」


 八乙女はその紹介に戸惑っているのか、体を小さくちぢこまらせた。


「それただのショートボブなだけじゃない」


 八乙女やおとめ紗菜さな。クラス代表の立場からいろはによく突っかかっているが、それを除けば普段は温厚な女子だ。


「見た目だけの話じゃないよ? もちろん可愛らしいが、その瞳に芯の強い意思を宿して、クラス代表としての責務をまっとうしようと努力しているその姿。美しいだろう?」


「なるほど。あなたがこの子をどう見ているのかは分かったわ」


「それはよかった」


 トオルは満面の笑みを浮かべた。


「けれどその借りてきた子猫ちゃんをよく見なさいな、ゆでダコになってるわよ」


 トオルには見えていなかった。小さく小さく縮こまり、今にも噴火してしまいそうなほど真っ赤に染まっているその表情が。


「おや、どうしたんだい八乙女君、いろはになにかされたかい?」


 トオルは自分が元凶だとは気づいていないらしい。


「ぅ、ぁ、あの……」


 俗に言う褒め殺し。八乙女のライフゲージは尽きかけている。


「っく、全く分からない。いろは、君はなにをした!」


 いろははなにもしていない。トオルがおかど違いをしているだけだ。


「は、機巧界のプリンス様が分っかんないの?」


 いろはも飽き飽きとしているが、これがクラスメイトから天然たらしプリンスと呼ばれている所以であるといえばそれまでなのかもしれない。


「よく聞きなさい? この真面目でお固いクラス代表はね、こういう扱いにはなれてないのよ」


 トオルは小首を傾げると、しゃがみこんで八乙女の顔を覗き込む。


「こういう扱いだって?」


 分かってやっているのだろうか。八乙女は大わらわにあたふたしながらそっぽを向いて、懸命に身をよじっている。


「見て分からない? この子はお姫様扱いに免疫がないのよ。いつもはクラス代表の仮面が被れているから堂々と皆の前にも立てるけど、それがないとこんなものなの」


「そうだったのか、それはごめんよMs紗菜。反省しているからその可愛い顔を僕に見せておくれ」


 まず間違いなくいろはなら突き飛ばしていただろう。

 しかし今の八乙女はクラス代表の仮面も取り上げられたただの女子。押しが強いトオルから逃げることもできず、わなわなと口元を震わせ声にならない声を出す。


「~~っ、も、物部いろは!」


 これでもかと言うほど憎々しげに、眉根を寄せて潤んだ瞳でいろはを睨む。


「あなたって人はっ! あなたって人はぁ~っ!」


 八乙女よ。羞恥に体を震わせながらも、なお噛み付く強さこそ認めるが。


「あらそんな赤くなっちゃって、クラス代表様のお可愛いこと」


 お前が相手にしている女子は、それぐらいでは揺るがない。


「っもう、阿頼耶君も見てないで助けてよ!」


 八乙女から見たら俺もいろは陣営に入っているのだろうが、なりふり構っている場合ではないらしい。

 いろはを見ると、あ、そっちの味方しちゃうんだ? とそのジト目が雄弁に語りかけてくるが、これ以上は流石に駄目だろう。


「いろは」


 特別な言葉なんていらない。ただ名前を呼ぶだけで充分だ。


「もぅ分かったわよ。命拾いしたわね、八乙女さん?」


 チクリとお小言ひとつを残して後ろに引いた。あとはトオルの方だ。


「トオルもプリンスならプリンスらしく、このギスギスしている空気をなんとかしてくれよ」


「ふむ、そう言われてもな。どういう脈絡でそのなんとかして欲しいに繋がっているのか分からない」


 まぁほら、その。こういうのはニュアンスが伝われば大丈夫だろ? 正直、言った自分でも良く分かってなどいない。


「僕としてはもっと紗菜の可愛いところを見ていたいが、しかしそういうわけにもいかないことは理解している。さてどうするか」


 トオルは品定めをするかのように八乙女をつま先から頭の天辺までじろじろと見た。


「~~っ」


 八乙女は更に縮こまる。にぎゅっと握られた拳は小刻みに震え、両腕、両肩から頭部までわなわなとしている。


「そうだな、ここはクイズでもどうだろう?」


 トオルが導き出したのは突拍子もないアイデアだった。


「そっか、八乙女さんは真面目だから、そっちで頭を使わせて気をそらすのね」


 本人を前にして、その解説は失礼過ぎやしないかいろは? まぁ、当の八乙女はトオルから逃げ出したばかりでこちらの話にまでは気が回っていないようだった。


 呼吸を落ち着かせようと大きく息を吸っている。


「いろは、恭介も参加してくれると嬉しい。では紗菜、問題だ」


 問題、という言葉に釣られてしまったのだろう。


「はいっ? …………ぁ」


 返事をしてしまった八乙女は、しまったとばかりに表情をゆがませた。

 だが、この場から逃げだそうものならまたトオルに捕まりかねない。


「わ、分かったわよ、早くその問題を出しなさいっ」


 そのささやかな抵抗が涙ぐましくさえ見えた。


「では問題だ。やればやるほど足りなくなるものってなあんだ? レッツ、シンキングタイム!」


 付き合うしかなさそうだ。


「すればするほど足りなくなって、どんどんしたくなるんだ」


 トオルがクイズと言うのだから、それほど難しい答えじゃないだろう。となれば、プラモデルかパズルあたりが答えだろうか?

 いくつもある部品パーツを組めば組むほどに数は減る。その目に見えて終わりが見えてくることと、本体の完成が近づいていくほどにどんどん組み立てたくなってくる。


 と、トオル達に聞こえないように、いろはがそっと耳打ちをしてきた。


「答えはきっとよ。口車でもなんでもいいわ、相手をおだてて思い通りに操るの」


 八乙女にしたように?


「いろはらしいな」


 自信を持って言えるのだから本物だ。俺はモノづくりだとは思うが、確信があるというほどでもない。


「おっと、内密の相談かい? まぁいいだろう。恭介、君の答えを聞こう」


「俺か? 俺はプラモデルかパズルだと思ったが……。いまいちしっくりきていない」


 このトオルがそんな問題を出すだろうか? それを考慮に入れた途端に、この答えは普通すぎて間違いだということになる。


 けれどこのクイズは、八乙女の気をそらす程度の意味なのだから、これぐらいの難易度がちょうど良いとも言えるだろうか。トオル次第で答えがいくつもあるというところが難易度を大きく上げていた。


「ふ、まだまだ子供だね、恭介。紗菜は気づいているようだよ?」


「ば、バカ、なんで私に振るのよっ」


 八乙女は慌てて否定をするが、首元まで肌を紅く染めている。


「紗菜、分かったのか?」


 八乙女はなんでまた、そう紅くなっているのだろうか。


「ノンノン、恭介。レディを虐めるのはいただけないな」


 お前が言うな。


「あなたいい加減にしなさいよ? そもそもそんな紅くなるような答えなの? だったら出したあなたが問題よ」


 もっとも過ぎる言い分だ。


「それは申し訳ない、僕としても本意ではないのだよ」


 まだ八乙女のうぶさ加減が掴めていないという意味か? 申し訳ないと口にするとは、トオルにしては殊勝な態度を見せるじゃないか。


「答え合わせといこう。今回は特別に、僕が実践するからよく見るように」


「どういうことだ?」


 トオルはこういうことさと応えるように、首を傾げる俺に向けてウィンクをした。様にはなっているが気味悪い。


「さて、Ms.紗菜」


 八乙女に関係あるのだろうか。トオルはぱっと転じて彼女と真正面から向きあった。


「ぇ、なにっ?」


 トオルはスッとしゃがみ込み片膝立ちの姿勢になると、彼女の右手首をそっと握り込む。


「まさか……」


 いろはがぽつりと声をこぼした。


 それは見ようによっては、八乙女が右手の甲を差し出しているかのようだ。


 八乙女は動けない。


 この場面シーンだけを切り取ればそう、トオルはまるで貴族の娘に忠誠を誓う騎士のようにさえ見えた。そうなれば後に続く行為は簡単に想像がつくだろう。


 ただ、本当にやるわけがないという先入観が、その先の考えを妨げているだけで。


 騎士様は貴族の娘の手の甲に、そっと唇を触れさせた。

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