一幕
第3話 玩具と書いてライバルと読む
「高度に発達した科学は魔法と区別がつかないと、大昔の偉人は言った」
ただでさえ寝不足なのに、起き抜けからボディブローを見舞われた新学期初日の授業は現代社会、人間とアンドロイドについての振り返り。
「そしてさらに高度に発達した現代は、アンドロイドは人間と全く同じと言っていいほど似通った存在になっている」
この授業はクラス担任である
「アンドロイドにも人権が与えられ、義務が課されて法制上も同等だ。これまで何度も教えてきた基礎の部分だ、これがどういう意味か分かるよな?」
名指しでもするつもりだろうか。先生の視線が生徒達に向けられた。
その動きに気づいた一部の生徒は背筋を伸ばし、聞いてましたから当てないでと訴えかける。
「……いくつか具体例を紹介しよう」
どうやら功を奏したようだ、名指しは行われないらしい。
まったりとした空気が戻ってきた。
もっとも、名指しされたところでみんな、困ることなく答えることができるだろうが。でもだからって好きこのんで名指しされたいとは思わない。
「まず、アンドロイドも自立することができる。アンドロイドが誕生したばかりの頃は、人間が持ち主でアンドロイドはその所有物という扱いだった。次に、アンドロイドにも労働基準法が適用される。アンドロイドだからって、残業させたり強制労働させてはならない。最後に、アンドロイドも結婚することが許されている。人間とだって婚姻届さえ提出すれば大丈夫」
振り返りの授業だからか、他の生徒も眠たそうに聞いている。
「ロボットとアンドロイドの違いや、アンドロイドの性格はどのように決まるのかについてまだまだ語り足らないが。お前らが眠そうなのでこの辺りにしておいてやる」
うつらうつら舟を漕いでいた自称イケメン
「後の時間は、そうだな。夏休み明け、お前らも積もる話もあるだろう。そうだ、ついでに席替えだってすればいい。俺は職員室に戻るが、他はまだ授業中だ。あまり騒ぎすぎるなよ? 後は八乙女、任せた」
まだ二十分は授業時間が残っているが、美濃部先生はなんの躊躇も見せずに本当に教室を出ていった。
「皆さん、あらためておはようございます。今学期も引き続きクラス代表を務めます、
緩んだ空気感のなか、先生と入れ替わり教壇に上がったのは制服をきちっと着こなす八乙女だ。
夏休み前と何ら変わらないショートボブで日焼けしていない彼女は、その持ち前の几帳面さと品行方正な立ち居振る舞いからクラス代表を任されていた。
「きぃ君、聞いた聞いた?」
「どうしたんだよ、八乙女のことか?」
「ううん、美濃部センセの現代社会、アンドロイドと人間の振り返りだよっ、ちゃんと聞いてた?」
「あぁ、そっちか」
いろはの声は弾んでいて、とても機嫌が良さそうだ。あんな眠くなる授業のどこがそんなに良かったのか。
「それじゃ、分かるよね?」
「なにがだよ」
「きぃ君と私は、結婚していいんだよっ」
美濃部先生はアンドロイドとの共生について肯定的な意見を持っている。だから生徒にそういう見方で話すし、実際にアンドロイドと結婚することにも変な目を向けない人だ。
「ね、きぃ君。わざわざ私達の前で教えてくれたってことは~、お墨付きってことだよねっ。婚姻届の証人欄は、美濃部センセに決まりだねっ」
「まてよ、その前に俺が認めてねえからな!」
今朝だって、いつの間にやら親公認にされていた。きっと、夏休み中にいろはがうちに通っていたのは母さんへの裏工作だったに違いない。
「え、彼女になるにも届け出いるの?」
「なっ!?」
この世には、恋人契約書という紙がある。
付き合っている二人の間の取り決めごとをまとめた紙で、異性が参加している食事会には行かないだとか、夜寝る前はおやすみ通話を一時間といった決まり事を書く紙だ。
あとで言った言わないで揉めないように、付き合う前にルールを決めておきましょうという紙だ。
だが、いろはが言っているのはきっとそういう意味じゃない。
答えに苦しんでいると、いろははどこからか習字道具を持ってきて硯に墨汁を垂らし、半紙に太筆を走らせた。
「きぃ君はお母様のだから、宛名はお母様にしてっと。幸せにします、きぃ君をいろはに下さい、っと。うん、これで良し」
どこから突っ込んでいいか分からないが、まず目を向けるべきは机に広げられた筆記具だろう。習字や書道の授業はないし、ましてや新学期初日。置いたままにしていたとかもありえない。
「なんでそんなモン持ってんだ」
「こんなこともあろうかと!」
「凄ぇ!」
しかも宛名が俺じゃなくて母さんだ!
二つ返事でサインされるに決まってる!
「このくらい予測できなくて、きぃ君の彼女なんて名乗れないっ」
にぱーっと向けられた無垢な笑みがこれほど怖いなんて初めて知ったよ神様。
一連の飄々とした返しに事態の推移を見守るクラスメイトもとい観衆も、あんぐりと口を開けて愕然としている。
「ま、いろはのこれは今に始まったことじゃあないが」
こっち見んなとも言えそうにない。
どうしたものかと思っていると、いろはも遅まきながら周囲の目に気付いたようだ。
腕組みをして教室を無言のままジィっと見回すと、鼻を小さくスンと鳴らす。
そうして向き直るいろはの顔には柔らかな微笑が浮かんでいた。
「褒めてくれても、いいよ?」
衆人環視の状況下、畳みかけるように小悪魔的なおねだりを繰り出すいろははまさに恋の最終兵器、粛清の彼女と呼ばれるに相応しい貫禄だろう。
その効果は、場に召喚された時、敵味方問わず一切合切を無力化する力だ。ただし、恭介がいる際はその限りではない。
「ドン引きだよ!」
いろはが止めた時を動かすことができるのは、粛清の彼女の想い人である恭介くらいだった。
「褒めさせてあげるよ?」
いろはは素でやりすぎるきらいがある。
天然といえば天然のうちに入るだろうが、予測していたというからには恐らく計算なんだろう。そういう強かさも含めるとやっぱりドン引きで間違ってない。
「でもな、いろは? 彼女になるのにそんな届け出はいらないんだ。それから俺の所有権は俺のだからな?」
あくまで母さんは保護者であって、もし届け出が受理されようが俺は認めない。
「いろはさん! 先生は会話こそ認められましたが、あまりはしゃぎすぎないように。恭介さんもです、お静かに願います」
クラス代表八乙女から注意が飛んだ。
「私?」
「そう、
八乙女は口調こそ丁寧だが、その声にはトゲが含まれている。
「どういうことかな」
二人とも表面上は穏やかだ。しかしその声にはトゲと冷気がたっぷりと含まれている。
「美濃部先生は騒ぎすぎないよう仰りました。そして、不純異性交遊は認められません!」
八乙女はビシっと指を突きつけ口を尖らせ糾弾するが、いろはは流れる黒髪に手櫛を通す余裕の構え。
「騒ぎとはなにかしら。いつも通りじゃない?」
「いつも通りだからイケないのです!」
「先生は、あまり騒ぎすぎないようにと言ったのよ?」
「そうです! ですから物部さんのそれは問題なのです」
「第一に。センセはいつも通りを知っている。そして、あまりとつけ加えたことからいつも通りは許される範囲よ」
「それは!」
「第二に。不純異性交遊をしてはいけないという校則は生徒手帳にはないわ。それとも、この夏休みの間に校則が変わったのかしら?」
「っ! 確かにそんな校則はありませんが、常識的に考えればすぐ分かるでしょっ!」
「そう、常識的に考えてこの状況を御覧なさい? 敬虔に諭し導く女神様と、まるで怯えるヤギのように喚き立てている貴方。騒がしいのは、ど・ち・ら・さ・ま?」
いろはがこれなら文句はないでしょうとギャラリーに審判を仰ぐ。だがそれは平等・公平とはほど遠く、誰の目から見てもいろはの明らかな勝利だった。
「~~っ、~~~~っ!」
「あれれー? いろは、読唇術使えるのにクラス代表がなに言ってるか分っかんなーいっ」
そんなものまで使えたのか。
「う~、いっぱい勉強して、夏のディベート大会で優勝までしたこの八乙女紗菜がこんなおふざけで敗れるはずがっ」
「くふ。あなたの夏はなんだったのでしょうね」
「うぅ~~~~~~っ!」
「そもそもね、私ときぃ君の間に入ろうというのが間違いなのよ。もしかしてきぃ君狙ってる? 残念でした、もうきぃ君には私という素敵な彼女がいるんです~っ」
「俺は認めてねぇよ!」
そう叫んだ途端、これまでの攻防でボロボロだった八乙女の目に生気が戻るのがすぐ見て取れた。
なにせ妙にキラキラした目でこっちを見てくるんだからな、こんな分かりやすいことないだろう。
「ふふふ、ふふふふふ。いろはさん? あなたの彼氏さんはこう言ってるけどもしかして」
利口なクラス代表の八乙女なら分かるよな? いや、分かっていてくれよ!
「物部さんの夏休みは、一体なんだったんでしょう?」
こいつほんとに言いやがったな!
それはピシ、なんて生ぬるいもんじゃない。バキン、という甲高い破断音が教室の空気を震わせた。
「私の夏休み? それはもう毎日きぃくんの」
「お前も何を言っている!?」
この夏休みのいろはと言えば、週に一度家にやってきては母さんとお喋りをする程度。
それはそれは平和なもので。だからそれが終わるという反動で、昨日は自分でもよくわからないうちに掲示板に書き込んでしまっていた。
どうやら学校が始まるというストレスで相当キていたらしい。
「うぅ~~~~~~っ」
何を想像したのか真っ赤になった八乙女は再び涙目をしている。
「それにあなた、泣き脅しなんて真似はよしなさい、みっともない。女の涙はここぞって時に使うべきだし、そんな潤んだ瞳で上目遣いをしてもねぇ? そういう露骨なお色気アピールはそう褒められたものではないわ」
「そ、そんなことしてないし!」
「嘘おっしゃいな。ね、八乙女さん、もっとお淑やかにいきましょう? ……きぃ君も、そう思うよね?」
は、朝っぱらから襲ってきた奴がどの口で言ってんだ。
「俺はノーコメントでよろしく頼む」
こんな不毛な争いに俺を巻き込まないでくれ。
「え~~。こんな楽しいのに、一緒に遊ばなきゃ損だってっ」
「周りはドン引きしてるがな!」
そもそもどういう争いだこれ?
「う~~」
八乙女はまだ唸っている。でもま、その純情さはいろはに見習ってほしいくらいにも思えるな。
「くふふのふ、ふ、ふ」
こっちはこっちですげー勝ち誇ってるし。
いろはがこうまで叩くのは、ある意味で気に入っているからなんだろうけれど。
それにしたって八乙女よ。
いいように遊ばれ過ぎやしてないか?
「なんとも楽しそうなことをしているね、
一方的な展開が繰り広げられるなか、ギャラリーの奥からその男が歩み出た。
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