秋:怪物の名前 4



『――下校の時刻になりました。まだ残っている生徒は、速やかに帰宅してください』

校内に響き渡るアナウンス。後片付けはとうに終わらせているものだと決めてかかっているそれを聞きながら、紙ゴミが詰まった袋を持った少女は歩調を少し早めた。

飾りつけに力を入れすぎて、少女のクラスは後片付けに時間がかかってしまった。

ゴミ捨てに着手できたのも、下校時間ギリギリだ。ほんの少し前までは人がごった返していたと思われるゴミ捨て場には誰もおらず、いるのは少女一人きり。夕暮れの薄暗さもあって、無人のゴミ捨て場には不気味な雰囲気が漂っていた。

「……誰かについてきてもらえばよかったかな」

思わず軽く肩を震わせながら、後悔の言葉を零す。

しかし、誘えるようなクラスメートたちには別の用事があり、一人で十分こなせるゴミ捨ての同行を願うのは難しかっただろう。それに、少し一人になりたかったため、自分からゴミ捨てを請け負ったのもある。詮無き後悔だと自分でも思いつつ、ゴミ袋を置いた。

そんな少女の脳裏によぎるのは、数時間前のできごと。

一年の時から好きだった先輩に告白し、見事に玉砕した。

「あーあ、ふられちゃった」

自分の恋は叶わないだろうなと思ってはいた。

平凡な自分には分不相応な相手だったことは百も承知。それでも、何も伝えられずに彼が卒業するのを黙って見ていることはできなかった。文化祭の熱気に後押しされ、半ば勢いのまま想いを伝えたが、そのことを後悔はしていない。

(思い出も、もらったしね)

抱きしめてほしいという後輩の無茶な頼みを、優しい先輩は聞き届けてくれた。

あの腕のぬくもりは、一生忘れられないだろう。

優しすぎて勘違いをしそうになったが、あれは本当にただの優しさであって、自分に好意があったわけではないだろう。そこを履き違えてしまっては、あの優しさに申し訳が立たない。温かい思い出にしなければと、心臓が高鳴りそうになるのを自制した。

(それに、多分先輩は――――)

彼のことを思い出し、そして気づいたことに考えを巡らせようとした直前。

……ざりっ、と。

背後から、足音が聞こえた。

「ん?」

自分たち以外にもゴミ捨てが終わってないクラスがあったのかと。

そんなことを思いながら、一片の警戒心もなく振り返る。

しかし、ここで何の警戒もしなかったからといって、彼女を責めることはできないだろう。

なぜなら、人気がないとはいえ、ここは学校の敷地内であって。

なぜなら、彼女にとって『事件』というものはメディアの中の非日常であって。

何よりも、彼女は知らなかった。

(確かこの子、二年四組の)

振り返った先に立つ人物を見て、少女は相手の正体を思い出そうとする。

それが、彼女がまともにとれた最期の思考となった。




――――そうして、殺人鬼の前には、少女の死体が生まれた。

普段使う得物ではなく、適当なところから持ってきたカッターナイフで、殺した。

手に馴染み、確実性が高い凶器を持ち出す余裕もなく、殺した。

殺人欲求を満たすためではなく。

ただ、殺さなければならないと思ったがために。

「……」

思い出し、振り返り、反芻し、飲み込む。

行動原理を見つけ出すための思考は、やがて一つの解答を導き出した。

「……ああ、そっか、私は」

私は彼女に、嫉妬したんだ。

吐き出すように呟かれた言葉が、血濡れの地面に落ちた。

雪町に想いを告げられる彼女が羨ましかった。

雪町に抱きしめられる彼女が妬ましかった。

雪町に普通の女の子のように優しくされることができる彼女に羨望した。

雪町にその想いを惜しまれる彼女に嫉妬した。

彼女の恋は叶わなかったにも関わらず。

彼が彼女の恋に応えなかったのにも関わらず。

それでも殺さずにいられないくらいには、この少女の存在が許容できなかった。

その殺意はあまりにも身勝手で。

だから――否応なく、夏目は自身の感情に向き合わざるを得なくなった。

「…………せんぱい」

そうして向き合ってしまえば、気づいてしまえば。

胸の内から止め処なく――殺意が湧き上がってくる。

「殺したい、殺したい、殺したい、殺したい、殺したい、殺したい、殺したい、殺したい、殺したい、殺したい、斬殺したい、刺殺したい、撲殺したい、絞殺したい、格殺したい、薬殺したい、惨殺したい、故殺したい、殺したい、殺したい、殺したい、殺したい、殺したい、殺したい、殺したい――――雪町先輩を、殺したい」

頬を紅潮させながら。

瞳を潤ませながら。

まるで恋する少女のように、殺人鬼は恋慕(さつい)の言葉を紡ぐ。

どうしようもないほどに醜いひとでなしの恋が、産声を上げた。

――――そして。

(……こんなの、言えるわけがない)

醜い獣性の恋慕だからこそ、次第に夏目の頭は冷えていく。

雪町宗介は、殺人欲求の理解者で、殺人鬼の同類だ。

しかし、それだけでしかない。

恋も愛も知らぬ彼に、こんな醜い恋心を理解してもらえるとは到底思えなかった。

何より夏目自身が、この醜さをさらけ出したくないと、強く思ってしまった。

「……」

すぐ傍にあるゴミ捨て場に置き去りにするように、生まれた想いに蓋をする。

そして、ひとでなしの恋の犠牲となった骸に背を向けて、その場から立ち去った。



☨☨☨



「……ただいま」

家の中に帰宅を告げる声を投げかけながら、扉を閉めた。

「あ、柚木。おかえりなさい」

「ただいま、お母さん」

「早かったわね。打ち上げとかは出なかったの?」

声に反応して顔を出した母が、時間を確認してそんな言葉をかける。

カッターナイフを捨てるために川辺を経由したものの、文化祭最終日にしては帰宅が早かったかもしれない。母の言葉でクラスメートに何も告げず帰ってきたことを思い出しながら、靴を脱ぎ捨てた。

「ちょっと調子悪くて」

「あら。そろそろ冬が本格的に来るんだから、気をつけなさいよ?」

「わかってるって。そういえば今日、お父さん帰るの早いね」

嘘は言っていないが正しいことも言っていないので、話を逸らすように玄関に目を落とす。

普段は夜の九時ごろに帰ってくる父の靴が、今日は既に揃えて置かれている。話を逸らすのが主目的ではあったが、早い帰宅なのは確かなので疑問ではあった。

しかし、夏目の問いかけに対して、返ってきたのはひそめられた眉だった。

それも話を逸らしたことを咎めるものではなく、言いにくいことに触れられて思わず困ってしまったような、そんな表情。思わず首を傾げていると、母は重々しく口を開いた。

「あのね、柚木。あとでお父さんからちゃんと話があると思うんだけど――――」

そうして、告げられる言葉。

「……えっ?」

思いもよらないそれに、夏目は目を見開いた。


過ちと自覚の秋が終わる。

訣別の冬は、近い。

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