秋:怪物の名前 2
「そういえば、雪町先輩のクラスは文化祭で何やるんですか?」
翌週の月曜日、その放課後。
本への書き込みを消しながら話を振れば、同じ作業をしていた雪町が顔を上げた。
「三年生だし、うちのクラスはあまりこの手の行事に積極的ではなくてね。適当に家から持ち寄ったものでバザーを開くことになったよ」
「三年だと多いみたいですね、バザー」
「夏目のクラスは?」
「うちはお菓子を売ることに。調理室の使用権がとれたから、お菓子作り趣味な子が張り切ってまして。おかげで売り子はそっちがやるので仕事は裏方なんですけど」
「僕も裏方に回りたかったんだけど、今年は売り子を押しつけられたから気が重いな」
「あー、それはお気の毒に」
憂鬱そうに呟く横顔を、不躾にならない程度に見る。
(顔良いからなあ、この先輩)
中性寄りに整った凛々しい顔立ちは、立たせておくだけで集客効果が見込めるだろう。バザーという目玉要素がない出店だからこそ、なおさら雪町のクラスメートは彼を売り子に据えたがったに違いない。
しかし、彼にとっては迷惑なことだし、憂鬱なことだろう。
面倒だからというだけではない。それ以上の問題が雪町にはある。
「知らない人がたくさんいる中だと、殺人衝動抑えるのも大変でしょうし」
同じ殺人鬼だからこそわかるそれに、夏目は理解を示す言葉を発した。
「うん、そうなんだ。だから人ごみとかも苦手で」
余人には決して理解されない悩みに共感を示され、雪町は嬉しそうに唇を綻ばせる。
その反応が嬉しくあり、同時になぜか小さな痛みが走った。ちくりと一瞬だけ刺さったそれは正体を探る間もなく消え去って、ささやかな違和感だけが残る。
そしてそれは、何も今に始まったことではなかった。
夏休み、雷雨の夕方。
雷に怯える夏目が落ち着くまで、雪町がずっと傍にいてくれた夏の日。
あの日から、雪町と接していると時折、不可思議な痛みを覚えるようになった。
発生するタイミングはランダムで、法則性があるようには思えない。ただ、ふとした瞬間に胸をつきんと刺すような痛みが生じる。不愉快というほどではなく、かといって無視できるものでもない、そんな痛みだ。
何が原因なのかもわからないため、対処のしようがない。
唯一の対策としてとれるのは、せいぜい雪町と交流しないことだろう。だが、さすがにそこまでするほどの痛みでもなく、不可思議な痛みを持て余したまま二学期を過ごしていた。
「わかりますよ。満員電車とかエレベーターとかなら、逆にまだ平気なんですけど」
「大勢の赤の他人と行き会うのは、落ち着かないんだよね」
「ですよね。すれ違いざまに殺してしまいそうで」
痛みが生まれたことなど欠片も気取らせぬまま、ひとでなしの会話を続ける。他に言える相手がいない話題なだけに、気づけばお互い作業の手が止まっていた。
「……あの」
「!」
「っ」
だからだろう。いつの間にかカウンターの前に立っていた生徒に気づくのが遅れたのは。
現場を直接見られたわけではないので焦燥の度合いはそこまで高くないが、あまりこういう話を人に聞かれるのはまずい。どこまで聞かれていただろうかと視線を向けたところで、夏目は既視感を覚えた。
(……あれ? この人どこかで)
カウンターの前に立っているのは、名前も知らない三年生の女子生徒だ。しかし、どこかで見たような気がして、夏目は首を傾げた。
一方の女子生徒は夏目に目もくれず、雪町の方にだけ顔を向けている。そして、ポケットから取り出したものをおずおずと差し出した。
それは、一通の封筒。
可愛らしいピンク色をしたそれの意図は明白で、思わず目を瞬かせてしまう。
(あっ)
同時に、目の前の女子生徒に感じていた既視感の正体に気づく。
(この人、この前先輩と一緒に買い出ししてた人だ)
ホームセンターで、雪町の隣にいた少女。遠目からでしか見ていなかったのですぐには思い出せなかったが、気づいてしまえば間違いなくあの時一緒にいた彼女だった。
気づいてしまえば、こちらを見ないのも、豪胆な渡し方にも納得がいく。
あからさまな牽制にいっそ清々しさすら覚えていると、雪町は首を傾げながらも差し出された封筒を受け取る。それを見届けた女子生徒は、嬉しそうに顔を綻ばせた。
「雪町くん、それ。あとで読んでほしいな」
「ああ、うん。わかったよ」
「それじゃあ私はこれで。図書委員の当番、がんばってね」
「ありがとう」
そんなやりとりを交わして、女子生徒は去っていく。
最後まで徹底して夏目に視線を向けなかったが、それが却って彼女の敵愾心の強さを示していた。夏目はホームセンターであの女子生徒の存在を認識したが、女子生徒の方は好意を寄せている同級生と同じ委員会の後輩を、以前から知っていたのかもしれない。
(私に敵意向けるのはお門違いな気もするんだけど……)
封筒を片手に首を傾げている隣席を見ると、そんなことを思わずにいられなかった。
異性と交際した経験がない夏目でも、これは明らかに脈なしなのがわかる。少しでも異性としてあの女子生徒を意識したことがあるなら、あからさまなラブレターを受け取って首を傾げるだけなのはないだろう。
雪町の表情は相変わらず無表情だったが、彼の怪訝が「なぜ自分に」ではなく「これは何だろう」寄りなのは、少なくとも夏目の目には明らかだった。
「……?」
その事実を感じ取って、なぜか奇妙な心地よさがあった。
人の恋路が儚く散ろうとするのを喜ぶような、悪趣味な嗜好は持ち合わせていない。ゆえにここで心地よさを感じる理由がわからず、夏目もまた首を傾げた。
気づいてなかっただけで、実は夏目柚木は悪趣味だったのかもしれない。殺人鬼でひとでなし、その上悪趣味。三重苦はさすがに生きているのが申し訳なくなる
「ラブレターをもらうなんて、先輩をモテますね」。
そんな可能性を否定したくて、思わず茶化すように言葉を発した。
話しかけられた雪町は、目を瞬かせた後、感心したように口を開く。
「……夏目は凄いな。中を見てないのに、これが何なのかわかったのかい?」
「いや、どう見てもラブレター以外にないでしょ、そのピンク封筒」
「そういうものなのかい? ああでも、確かに今までもらったことのあるやつも、可愛らしい色合いの封筒が多かった気がするな」
(あ、やっぱ初めてじゃないんだな、もらうの……)
イケメンの特権だなと思う一方、ラブレターを受け取った経験があるのに怪訝そうな顔だったのかと思うと、ますます女子生徒の脈のなさを感じる。
「付き合ったりしないんです? さっきの人と」
「うん、しないかな」
さすがに可哀想になってきて、ついそんなことを聞いてしまう。
しかし返る反応は、女子生徒にとってはそっけないものだった。
「それなりに話はするクラスメートだけど、それだけだからね」
「でも、わりと美人だとは思いますけど」
「そうかい? そこらへんはよくわからないけど。とはいえ、相手が可愛かろうと美人だろうと、それだけで付き合おうって気にはならないかな」
「そうなんです? 男の人って、顔が良ければオッケーなイメージありました」
「さりげなく酷いことを言うね、夏目も……」
「あ、雪町先輩がそうって言いたいわけじゃなく、あくまで偏見に基づいた一般論です」
「さすがにそこはわかってるけど、相手を選んで言いなよ?」
「同類である先輩にだからこそ叩ける無礼な軽口ですよ」
「大丈夫ならいいんだけど。まあ、可愛い子の方が良いと思うのは否定しないよ。それでも、そこだけを基準にすることはないかな。少なくとも僕はね」
「先輩は見た目より中身派ですか」
「それもあるけど……」
そこまで言ったところで、雪町はいったん言葉を区切る。
そして、困ったような目を手元の封筒に向けた。
「僕は、人を見ると殺すことしか考えられない。殺人衝動を抱えた僕が他人に向ける感情は、殺意だけだ。だから正直、恋とか愛とか、よくわからない」
「……」
「だから、見た目で付き合おうとは思えないし思わない。応えられる自信がないのに見た目で決めてしまったら、装飾品にするのと同じことだからね」
ひとでなしの殺人鬼でも、人間に対してそれくらいの誠意はあるのだと。
そんなことを話す雪町の横顔を、つい言葉もなく見つめてしまう。
「夏目は? 恋とか愛とか、わかるかい?」
「あっ、えっ、私ですか? うーん……」
急に話を振られて焦りつつ、それでも問いに応えるべく考え込む。
「近所に住んでたお兄さんとか、頼れる先生とかに、恋をしてた時はあった気もしますけど」
「……そうかい」
(ん?)
どこか不服そうな声音に聞こえて、怪訝さを覚える。
首を傾げ、ほどなくしてその正体に思い至った。
「心配しなくても、今さら人間ぶったりしませんよ。恋って言っても小さいころ特有の思い込みの激しさみたいなもんで、今思い返すと初恋にさえなってないですし」
同類を安心させるように笑みを零せば、雪町は一瞬きょとんとした後、なぜか得心がいったような顔を浮かべる。それにまた怪訝さを感じたものの、今度は理由もわからず、すぐに返せる言葉も浮かばなかったので、そちらは気にせず話を続けた。
「あれは恋だったなって今でもはっきり言えるほど、他人に対して殺意以外の強い感情を抱いたことはないですね。私もひとでなしの殺人鬼で、今殺すかいつか殺すかの二通りでしか人間を見ることができないから」
「殺人欲求ゆえに?」
「ええ。だから先輩にあれこれ言えるほど、私も恋とか愛とかわかっちゃいないんでしょう。一応成りは女子なんで、少女漫画みたいなのに憧れなくはないんですけどね」
そういう普通の恋や愛は、ひとでなしには分不相応でしょう。
自嘲も交えてそう言った直後、放課後の終わりを告げるチャイムが響く。つられるように顔を上げたため、その言葉に雪町がどんな顔をしたかを、夏目は見ることがなかった。
「……話に夢中で、作業全然できてないですね」
「……まあ、急務なわけでもないし。先生も気にしないと思うよ」
「ワレワレは先生の好感度も高いですしね」
「言い方が良くないよ、夏目」
「はいはい、気をつけまーす」
軽口を叩きながら、閉館準備のために立ち上がる。
文化祭の準備期間に入っているので利用者自体はいつもにもまして少ないが、それでも人の出入りがある以上は見て回る義務がある。カウンターの後片付けを雪町に任せて、夏目は閲覧室の方へと歩を進めた。
(……恋とか愛とか、か)
書棚のチェックをしながら、ふと、先ほどのやりとりを思い出す。
漫画のような恋や愛に憧れていなくはないが、ひとでなしには分不相応だと。
雪町に言った言葉に嘘はない。
しかし、正しい言い方もしていない自覚はあった。
(分不相応なんてレベルじゃなく。私にはきっと、普通の恋や愛はできない)
なぜなら、夏目柚木というひとでなしは。
殺人欲求という、第四の生存欲求を抱えた少女は。
誰かを好きになったなら――その相手を、殺さずにはいられないだろうから。
恋愛感情は、三大欲求と切っても切り離せない。当然のように殺人欲求も、それと切り離すことなどできはしないだろうから。
(きっと、ケダモノみたいな恋しか、できない)
確信がある予想。だがそれを、同類であっても雪町に告げるには躊躇いがあった。
だからあえて、分不相応という言葉でごまかした。それでも間違いはなかったから。
しかし。
しかしここで、もしも正しく自分の恋というものについて言えていたなら。
雪町にそれを、伝えることができていたなら。
二人の顛末はおそらく、もっと別のものになっていただろう。
――――こうしてまた一つ、過ちは重ねられる。
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