第2話 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか

 そのフレンドの名前(厳密にはただのIDだ)は翼といった。数ヶ月の交流の中で、彼とはゲームのチャット機能を通じ、よく話したものだ。   

 例えば、僕がある理由から引きこもりになったことも、翼は知っている。しかし彼は、僕に見切りをつけるどころか、僕を慰めた。彼との会話は文通でしかないし、所詮体裁だけのものかもしれないけれど、慈悲深げなあの慰めの言葉を、僕は嫌いになれなかった。

 次第に僕らは親睦を深めてゆき、やはり翼の寛厚な人柄に間違いはないとわかった。だが、そんな矢先、彼から、集団自殺の招待が明確に記されたメッセージが届いた。内容はかなり軽薄で、深刻さを欠いていた。


 「以前、君は死にたいと言いました。今の僕も同じ気持ち。それで、よかったらなんだけど、集団自殺の募集があるから、一緒にどうですか?」


 文章の下には、集合時刻や人数などの説明が書かれており、更には集合場所の画像が添付されていた。

 彼の身に何があったのか。そしてどこまで本気なのだろう。僕はそれのことをしきりに考えていたが、到頭答えは出せなかった。


 気づくと、目前に天井が存在していた。どうやら、思案投げ首のうちに寝過ごしていたみたいだ。全身の怠さに抗ってベットからおり、机上のディスプレイに向かった。

 昨夜のことが夢でないと確認し、僕は準備を始めた。階下にいる家族に悟られないよう、物音を立てずに着替え、静かに階段を下った。

 玄関まで進んで、足を止めた。躊躇ったからではなく、妹に呼び止められたからだ。

「どこに行くの」

 きっと美幸は、出不精な僕が外出することを不審に思ったのだ。顔にそう書いていた。

「お前には関係ないだろ」

「あるよ」

「ほっといてくれ」

 僕が声を重くして言うと、美幸は眉根を寄せ、露骨に嫌な顔をした。僕は面食らって何も言えなかった。妹も何も言わない。しばらく静寂が続いた。それを破ったのは、しかし妹だった。

「……今の私には、お兄ちゃんが理解できないよ。」

「前だってわからなかった癖に」

「お兄ちゃん変わったよ」

「逆に不思議だ。あんなことがあった後で、何でお前がこうして暢気でいられるのか。俺にはわからない」

 美幸の端正な顔が、言葉を交わす度に歪んでいった。今や涙ぐみ、僕に対する失意を露にしている。その推移を追うごとに、僕の心の傷は増えていった。

「違う。違う。全然違う。私は、暢気なんかじゃない。私だってお兄ちゃんと同じぐらい悩んでいるのに、何でそんなこと…」

 美幸が年少の頃以来の、怒鳴り声だった。

 僕の頭に、反響した。僕を、半狂乱に、誘う。

「父親が、犯罪者なんだ。すると俺たちは、犯罪者の子供ってことだ。これからもそういうレッテルを貼られて生きていくことになるんだ」

 怒鳴る美幸に対して、僕は落ち着き払って言った。

「でも、お父さんはやってないって言っていたじゃない」

「美幸。お前は、犯罪者の言うことを信じるのか?」

 堪忍袋の緒が切れた、ようだった。美幸は僕に向かって平手打ちし、その音が、まさに美幸の堪忍袋の緒が切れた効果音なのかもしれなかった。

 落ち着き払っていたのは、美幸の方だった。結局、僕の発言は始終暴走していたのだ。妹をこんなに心配させて、挙げ句、こんなに絶望させるなんて。僕は兄失格だった。

「気がすんだなら、もう、行くから」

 家を出ていく僕の背中に妹が送ったのは「もう、勝手にしてよ」という言葉だった。


 昨夜のうちに、あらかじめ写しておいた情報を見る限り、目的地はそう遠くないことがわかる。z県s町のはずれの山林。そこへ行く前に、翼とは別所で待ち合わせる予定だ。

 移動手段は電車だったが、乗り心地は、割に良いものだった。車窓からの景色も優雅だったし、何故だか人もすいていて、渡りに船だった。だが、死ぬ前に自然の優雅を堪能するのもおかしな話だ。或いは、死ぬ前だからこその感情なのだろうか。

 

 駅を離れて数分歩いたところで、翼と待ち合わせているカフェを発見した。特筆に値するほど地味な外装の建物が、軒並み続いており、店どころか看板さえ判別するのが難しかった。景観を統一する条令でもあるのかもしれない。

 僕は迷わず入店し、翼を探した(先に着いて席を確保している保証はなかった)。だが、それらしき人物は見受けられなかった。

 僕が考えてあぐねているところに、店員がやって来て、席に案内した。僕はされるがままについていったが、その途中で、店員に声がかかった。甲高い声だった。

「すみません。その人、私の知り合いなので、相席にしたいんですが」

 それを聞いた店員は、僕の顔を覗いて「宜しいですか」と訊いてきた。僕はそれを了承し、僕の知り合いだという人物のところに歩を進めた。

 そこに座っていたのは、意外にも女性だった。僕は当惑したが、思いきって、こう尋ねた。

「君が、翼?」

「そう」

 翼は短く答えた。 

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