第1話 ある迷い子の悲観
昔の僕の人生は、僕が観ていた映画か何かだった。僕は劇場にいるたった一人の観客で、スクリーンに映る景色を眺めているだけだった。
ところが、そんな無干渉である筈の僕に、突如として、人生は決断を迫ってきたのだ。
この時僕は当惑した。しかし無理もない。人生という映画が「この先はお前次第だ」と、観客に一切の決定権を丸投げしたのだから。
人生に影響を及ぼす決断というものは、意外にも、一瞬の出来事だった。世界は、僕なんか無視して進むのだ。そうして気付いた。僕は映画の主人公ではあったけれども、世界の主人公ではなかったのだと。
思えば僕は、あの日からようやく自分自身の人生を歩みだしたのかもしれない。
玲瓏とすんだ声が、惰眠する僕の耳をふるわせた。僕はゆっくりと身を起こして、その声の正体を確認した。妹の美幸だった。
「どうした」
僕のいい加減な挨拶を聞いて、美幸は話し始めた。
「いや、そのさ。今日は学校、来ないのかなと思って」
あまりに答えるのが億劫な問いだった。ただ、答えない訳にもいかなかった。
「前にも言っただろ。うんざりなんだよ、学校とか」
僕は包み隠さず率直に答えた。が、しかし美幸は、あざとく僕に学校へ行くことを勧めてきた。僕がそれに反駁したところ、美幸はとうとう憮然とした、これでもかというぐらいの失意の念をもって、小さく呟いた。
「もう知らない。本当、今の兄さん、ダサいよ」
その言葉は、寝起きの僕の胸を締め付けた。けれど、これはいつもの事だった。慣れっこだから、別にいい。そう割りきれた。
美幸が家を出たのを確認し、安堵の息と共に階段を下った。我ながら落ちるところまで落ちたなと自省したが、まず手遅れだった。
階下に足を着けたところで、母の聖子が心配そうな顔で待っていた。
「大丈夫?また喧嘩でもしたの」
「いいや、そうじゃない。ちょっとね」
母さんは、父さんと別れてからというもの、僕たち兄妹のために女手ひとつで働いている。そんな母さんに、いらぬ心配をかけさせたくなかった。ただでさえ、僕は邪魔者なのに、その上心労をかけては出来損ないにも程がある。
「母さん、今日、仕事はどうしたの」
「それがね。今日は母さん、友達の葬式に行くから休みなの」
「そっか」
「ご飯、食べる?」
「うん」
僕はキッチンの食卓を囲むイスの一つに腰掛け、気まずい気分で料理を待っていた。母さんはああ言ったが、実際問題、二階の音がここへ漏れてもおかしくない。
僕がうなだれたように固まっていると、配膳台の前から、母さんが話しかけてきた。
「龍一、美幸とはあんまり仲が良くないようだけど、前はあんなに仲良くやっていたじゃない」
まるで諭すような話し方だった。
「前は前だよ。別に仲が悪くなろうが自然な成り行きさ」
「でも、あなたたちは兄妹でしょ。今喧嘩ばかりしてると、大人になってからもそうよ」
「僕のせいじゃないよ。全部、全部あいつの、父さんのせいだ」
無意識に、僕は声を震わせていた。父さんの事を思い出すと、どうしても感情的になってしまう。
母さんは何も言わなかった。母さんも母さんで、父さんの話題になると、決まって無言になる。
食事を済ませ、僕は自室へ引きこもった。
スイッチを入れて明かりを点けると、見慣れたシンプルなレイアウトが現れる。
机にデスクトップ。たったそれだけ。
自室にいるとき、僕の心はいつも懊悩している。僕の意識の外で、誰かが言っているようだ。
「こんなの僕じゃない」
その声を黙殺し、僕は昼夜ゲームをし続ける。毎日、毎日。
そろそろ眠りにつこうかと思った頃に、ゲームのフレンドから一件のメッセージが届いた。
僕はそれを、なんら怪訝を覚えずに目を通した。そんな無用心も相俟って、メッセージの内容には戦慄するほかなかった。
それはいわば、集団自殺の招待状だった。
ーー人生に影響を及ぼす決断というものは、意外にも、一瞬だった。……僕は迷わず快諾した。きっと、世界は、僕を無視して進んでくれるだろうと信じて。
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