第32話 爪先ほどの闇と光
「影住荘」前の駐車場に着くと、私たちは車を降りて建物の方をうかがった。
店舗の入り口付近は暗く、看板もしまわれたままだった。叔母はどうやら祖父の病状が一段落するまで、店を一時的に休業すると決めたらしい。
「どうするの?これから。お祖父さんが暮らしてた建物に行ってみる?」
円があたりを見回しながら言った。私は頷くと「怖いけど、そうしましょう」と答えた。
私たちは母屋を訪ねることを諦め、奥の「離れ」へと足を向けた。私道を進んで行くと、半壊した洋館の姿が嫌でも目に飛び込んできた。
「……こんなにひどかったんだ」
祖父の「離れ」は二階が潰れ、一階も一部の壁を残してほぼ瓦礫と化していた。
「入ってみる?」
円の問いかけに頷くと、私はかろうじて元の姿をとどめている玄関部分に足を運んだ。
主である祖父が不在な以上、この建物は廃屋、または事故現場扱いなのだろう。
私は取っ手に手をかけると、思い切ってドアを引いた。あっさり開いた扉の向こうに覗いた風景は、私を一層憂鬱にさせた。
「ひどいわね。……一体何のためにこんなことをしたのかしら」
円が沈鬱な声で感想を漏らした。私は意を決すると、振り返って円の目を見た。
「円さん、叢雲さん、ここからは私一人で行ってもいいですか?祖父が私に当てて残した物が研究室にあるらしいんです」
私の発言が予想外だったのか、叢雲夫妻は戸惑った様子で互いに顔を見合わせた。
「……わかったわ。でも中で何かあったら、すぐ呼んでちょうだいね」
私は困惑顔の二人を後に、一人で屋敷の中へ踏みこんでいった。廊下の奥にある書斎のドアを開けると、あの日と同じように床の一部が崩落して地下の様子が見えていた。
私は床の一部が崩れてスロープ状になっている箇所を見つけると、手をつきながらゆっくりと降りていった。地下室の床に降り立ってみると、研究室もほぼ瓦礫と化しているのがわかった。私はテーブルの一部やコンクリート片が散乱する中を、奥の実験テーブルに向かって進んでいった。
「これかしら」
壊れた実験器具を掻き分けていると、ディスプレイのついた用途不明の装置が姿を現した。私は装置のスロットに挿しっ放しのカードがあることに気づくと、そっと抜き取った。
――なんだろう、これ。
私が試しにもう一度カードをスロットに挿し込むと、顔の高さについていたレンズが鈍く輝き、ディスプレイに文字が現れた。
――網膜の認証?私を認めたの?
私は画面上に現れた二つのフォルダが、本体とカードのデータを意味することに気づいた。カードについている赤いLEDがちかちかと点滅を始め、本体のデータを自動的にカードにコピーしていることがうかがえた。
やがてカードのLEDが消え、「本体データを破棄してシャットダウンします。デバイスを取り外してください」というメッセージが現れた。
――これが、お祖父さんが私に託したデータ?……じゃあ龍造先生はどこにいったの?
私がスロットからカードを抜きとった、その時だった。強烈な白い光が地下の空間を満たした。
「そのカードをこちらに渡してもらいましょうか、お嬢さん」
眩しさに目を細めながら声のした方を見たわたしは、全身に警報が鳴り響くのを感じた。
「あなたは……」
「十年ぶりかな?……いや、ここが破壊された時にも会っていたかもしれませんね」
声の主は、黒い服を着た男性だった。その声は十年前、私から「影」を奪った男性とよく似ている気がした。ただ一つ違っていたのは、目の前の男性はなぜか顔にすっぽりと金属製のマスクを被っており、表情という物を一切、読み取れないようにしている点だった。
「どうです、この照明は。気に入っていただけましたかな」
どうやら男性は私が来ることを予期し、あらかじめ照明を設置していたらしい。
「……これじゃ、影が作れないわ!」
わたしは男性の意図に気づくと、悲鳴を上げた。
「さあ、頼もしいお友達をお呼びになってはいかがです?ミス陽向」
「卑怯な手をつかうのね……」
私はバッテリーを手の中に握り締めると、右足を近くの瓦礫に突っ込んだ。
「何?」
「片方でもいいから、出てきてシャディ!」
私は瓦礫がこしらえた数十センチの暗闇に、バッテリーの光を向けた。次の瞬間、細く黒い帯が瓦礫の隙間から飛びだし、男性に向かって伸びた。
「……くそっ」
男性がひるんだ隙に、私は右足を瓦礫から抜いた。シャディはあっと言う間に黒いマントと化して男性を包みこみ、私はその傍らを全速力で駆け抜けた。
「こんな小細工で逃げ切れると思うな、お嬢さん」
私は一階に戻ると、シャディがついて来てくれることを祈りながら玄関を目指した。
廊下を走り抜け、ドアから飛びだすと、そこで私を待っていたのは驚くべき光景だった。
「山根さん……どうして?」
屋敷の前に立っていたのは、虚ろな目をした山根だった。山根の傍らには龍造と、叢雲夫妻が意識を失った状態で杭に縛りつけられていた。
「データをこちらに渡せ……断れば彼らは死ぬ」
「山根さん……「影使い」に操られているのね」
私は思わず歯噛みした。……こういう事態を予測しておくべきだったのだ。
「早く渡さないと、彼らが犠牲になる……ほら」
山根は感情のこもらない声で言うと、杭の周囲に積み上げられた枯草に火を放った。火は見る見るうちに燃え広がり、やがて三人の足元に迫った。
「やめて、やめてーっ」
咳き込み始めた三人を見て、私の喉から哀願の叫びが迸った。
「渡しますか、データを」
私が頷いてポケットに手をやった、その時だった。突然、山根の足元で何かが爆発した。ついで、杭の周囲で燃えさかっている炎が白い光に飲みこまれた。
「な……どうしたの?」
私が叫ぶと背後で突然、咆哮が聞こえた。振り返ると崩れかけた屋敷の上で獣が大きな口を開け、こちらを向いていた。
「……ジャッカル!」
私が叫ぶと獣はひらりと宙に舞い、私の近くに降り立った。
ジャッカルと私は、地面に伏している山根とぐったりしている三人の方に移動した。
「……あれっ、蔭山さん?……いったいどこです、ここは」
私が三人を杭から解き放っていると、我に帰ったらしい山根が頓狂な声を上げた。
「お祖父さんの「離れ」よ」
私が短く答えると、山根はきょとんとした顔で「えっ、本当ですか?」と言った。
「予想外の災難に見舞われたけど、用事は終わったわ。一刻も早く立ち去らなきゃ」
私が事態を飲みこめていない四人に言いきかせようとした、その時だった。
「もうお帰りですかな、お嬢さん」
不穏な口調に振り返った私は、「影使い」の傍らにいたある存在に思わず目を奪われた。
「こんなこと……あっていいの?」
仮面の人物の脇にいたのは、金色の体毛に包まれた「ジャッカル」と瓜二つの獣だった。
〈第三十三回に続く〉
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