第29話 愛の形をした悪夢


「お母さん……お祖父ちゃんのお見舞いにきたの?」


「ええ。ずっと来ないってわけにはいかないでしょ」


 母は私が言外に滲ませた「まさか」というニュアンスを感じとったらしく、微妙な笑顔で言った。


「陽向はもう、会ってきたの?」


「うん。……反応はなかったけど、健康そうだった」


「そうなの。……あ、陽向。もし急ぎじゃなかったらここで二十分くらい、待っててくれる?一緒にそこの食堂で何か食べましょ」


 私は予想外の申し出に面食らいながら、頷いていた。


「わかった。じゃあ食堂で待ってるね」


 母と別れた私は、食堂へと足を向けた。人気のない奥のテーブルでお茶を飲みながら待っていると、母が水の乗ったトレイを手に姿を現した。


「あなたも大変ね。なんだか忙しそうだけど、学校の方は行かなくていいの?」


 私は「そろそろ行ってみようと思ってる」と短く返した。取って付けたような関心の持ち方がいかにも母らしい、と思った。


「昔ね、まだお父さんと別れる前だけど」


 何の前置きもなく切りだされた話題に、私は一瞬「えっ」と思った。


「私、お父さんに言ったことがあるの。「どうして陽向を研究に巻きこむの」って」


 私は鼓動が早まるのを意識した。母は何を言い出そうとしているのだろう。


「そしたらお父さん、こう言ったの。「あの子は特殊な身体の持ち主なんだ。光が当たると無意識に時空連続体を作りだしてしまう能力を持っている。あの子が「影」だと思っているものは本当の「影」ではない。私があの子から「影」をうばってしまったのだ」ってね」


「いったいどういうこと?」


「私にもわからないわ。ただ、一つ言えることは、あなたが七歳の時、何かがあって、その時からお父さんは前にもましてあなたを「研究」するようになったってこと」


 私は頭がくらくらするのを覚えつつ、同時に奇妙な違和感も感じていた。


 ――母は、こんなに理路整然と話をする人だったろうか?


 そう思った時だった。うっかり指先がコップに触れ、倒れたコップから水がこぼれた。


「あっ、ごめんなさい」


私はテーブルのヘリからしたたり落ちた水を拭こうと、テーブルの下を覗きこんだ。


「あ……」


 母の足元にうっすらできた「影」が、滴り落ちた水しぶきから「逃げる」のが見えた。


「お母さん、影が……」


 そう言って顔を上げた次の瞬間、私は足首に冷たい何かが巻き付くのを感じた。

 反射的に下を覗きこむと、母の足元から床を伝って伸びた黒い帯が、私の足に巻き付いているのが見えた。


「あ、あ……」


 黒い物体は私の身体をあっと言う間に包みこみ、しまったと思った瞬間、私の意識も真っ暗な闇に閉ざされていた。


                 ※


 目を開けると、コンクリートの地平と風にそよぐシーツの裾が見えた。


 ――ここは、どこ?


 私が顔を上げようとした瞬間、鋭く光る刃先が目の前につきつけられた。


「立ちなさい」


 そう言って微笑んだのは、母の顔をした別の何者か――「影使い」だった。


「お母さんにずっと化けていたのね。卑怯だわ」


 私は立ち上がりながら悪態をついた。どうやら私がいる場所は、病院の屋上らしかった。


「その通りよ、お嬢さん。お母さんからコピーした記憶が役に立ったみたいね」


「影使い」は母の顔でせせら笑った。私は迂闊さに歯噛みしながらも、これで最初から母を疑うようなら私は人でなしだとも思った。


「私をどうする気?」


「そうね。とりあえず「ナンバー99」を呼びだしてちょうだい。話はそれからよ」


「嫌だといったら?」


「死んでもらうわ。死んだ身体からでも「影」は引き出せるのよ。ご存じなかった?」


 私は母の顔を睨みつけながら「バッテリー」を取りだした。足元に向け、指でスイッチを探り当てると、私は唾を飲みこんだ。


「さあ、助けを請いなさい」


 私は目を閉じ、息を深く吸った。果たしてこんな死に方を父は、祖父は何と思うだろう。


「シャディ……私を助けに……」


 私はリングを回すと、バッテリーのスイッチを入れた。


「……こなくていいっ」


「なにっ?」


 私はバッテリーを勢いよく持ち上げた。レーザービームにした光が「影使い」の目を捉え、首につきつけられた刃先がぶれた。


「今よっ、シャディ。助けに来てっ」


 私は光を切り替えると、自分の足元に当てた。次の瞬間、黒い帯が現れ、「影使い」に向かって伸びた。私がだらりと下がった「影使い」の手を思い切り蹴り上げると、ナイフが屋上の床に音を立てて落ちた。


「姑息な真似をっ」


「影使い」が手足にシャディを巻きつけたまま、呻いた。私は「パラソッド」を取り出すと、「影使い」の足元に向けた。


「今まで私は人造生命も「人間」だと思っていた。……でも、これほど容易く人の心をもてあそぶあなたは、やっぱり人間じゃない。私の手でこの世界から消してあげるわ!」


 私がそう叫んだ瞬間、「影使い」の足元から先端が鉾のように鋭く尖った「影」が伸び、私に襲いかかった。


「来ないでっ」


 私が「パラソッド」のスイッチを入れると、強烈な光線が「影」に向けて放たれた。


「……えっ?」


 これで終わったと思った次の瞬間、「影」の先が二股に分かれ、私の背後へと回りこんだ。


「しまったっ」


 気が付くと私は黒い帯に背後から手足を拘束されていた。


「ははは、愚か者め。油断するからこういう事になるのだ」


 シャディが一瞬、力を緩めた隙に「影使い」は床に落ちているナイフを拾いあげ、私に向かって躍りかかってきた。私は目を閉じ、ナイフが身体を貫くのを覚悟した。


「……ぎゃああっ」


 すぐ近くで悲鳴が迸り、私は目を開けた。顔の前で「影使い」が動きを止め、もがいているのが見えた。「影使い」の背後には巨大な獣が組みついており、大きく開けた口と牙が「影使い」の首筋を捕えていた。


「……があっ」


 私を捕えていた「影」がするすると「影使い」の元に戻り、ジャッカルの喉が私の行動を促すように鳴った。私はパラソッドを「影使い」の足元に向けると、スイッチを入れた。


「ああああっ」


 シャワーのように広がった光が「影」を切り刻み、やがてばらばらの細切れとなった「影」が、水滴のようにコンクリートの上に散らばった。私がロッドの先をパーツと化した「影」に向けると、黒い水滴はあっと言う間にパラソッドの中に吸いこまれていった。


「やめろ……」


 母の姿をした「影使い」は掠れた呻き声を上げると、手に持ったナイフでいきなり自分の胸を刺した。


「……何をする気?」


 私が駆け寄ろうとした瞬間、母の姿はまるで紙吹雪のようにちぎれ、風に攫われていった。


「……お母さん」


 本物の母ではないにもかかわらず、わたしはなぜか取り返しのつかないことをしてしまったような思いに駆られた。


「……自分を責める必要はない、陽向。我々の戦いには常にこうした思いがつきまとうのだ」


 ジャッカルは唸りの混じった声で言うと、大きく膨らんだシャディの中へと消えていった。


 ――私はもう、この町を離れた方がいい。これ以上ここにいると、きっと私は壊れてしまう。


 私はバッテリーをポケットにしまうと、強くなり始めた風の中を引き返し始めた。


              〈第三十回に続く〉

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