第25話 しのびよる影たち


「久しぶりね、蔭山さん。来てくれてうれしいわ」


 半年ぶりの学生相談室で姫香と向き合うと、私は自分の時間が一気に巻き戻されるのを感じた。あらゆる物から逃げ出したかった、あの頃の小さな自分に。


「なんだか少し、感じが変わったみたいね。たくましくなったように見えるわ」


「そうでしょうか……確かに色々と覚悟を決めなきゃいけないことはありましたけど」


「そうなの。……私にも少し、その辺のことを話してくれたら嬉しいんだけど」


「それは……」


 私が口ごもった時、ふいにポケットの携帯が鳴った。


「もしもし、蔭山か?僕だ、聖月だ。今、大丈夫かい?」


「ええ、学校に来てるの。……それで、何?」


「実は若葉と一緒に明星記念講堂に来てるんだけど、若葉が急にいなくなったんだ」


「えっ、どういう事?」


「わからない。僕が講堂でギターの練習をしてて、若葉が近くでスケッチをしてたんだ。それが、何も言わずにふらっと出ていったんで追っていったら、時計塔の入り口が閉まるのが見えて……なぜ急に、立ち入り禁止の場所なんかに入ったんだろう」


「追いかけてみた?」


「中から鍵がかけられてるんだ。もし学校にいるなら、誰かに応援を頼んでもらえないだろうか」


「わかったわ。すぐ行くから待ってて」


 私は通話を終えると、姫香に会話の内容を伝えた。姫香は厳しい表情で「私も行くわ。お話の続きは、またにしましょう」というと、椅子を立って身支度を始めた。


 いったい、若葉に何が起きたのだろう。私の脳裏に、体育館での出来事が蘇った。


 ――「影使い」たちの仕業じゃなければいいのだけれど。


 私と姫香は校舎を出ると、同じ敷地内にある、明星記念講堂の建物を目指した。


 校庭をつっきった奥にある講堂の建物は、一部が塔のように付き出ていて時計の文字盤がついているため通称「時計塔」とも呼ばれていた。内部は立ち入り禁止で、メンテナンスの時にだけ作業員が入ることになっていた。


 ――あんな場所に、なぜ?


 私の中で疑問が頂点に達した、その時だった。講堂の入り口から一人の少年が姿を現した。聖月弦だった。


「聖月君!若葉は?」


 私が尋ねると、弦は黙って首を振った。私はやや遅れて講堂に到着した姫香に事情を説明した。すると「私、時計塔の合鍵を持ってきたの。行ってみるからここで待ってて」という答えが返ってきた。


「先生、僕も行きます!」


 姫香が講堂の玄関に向けて駆け出すと、弦がそう叫んで後を追った。


 ――どうしよう、足手まといでも二人の後を追うべきだろうか。


 私が躊躇しつつ塔の方を見た。その時だった。塔の真ん中あたりの窓に、若葉と思しき人影がちらと一瞬、覗いた気がした。


 まさか、と思った瞬間、私は両足首を何かに捕まれ、後ろざまに引き倒されていた。


「……なっ、何?」


 背中の痛みに耐えながら首をねじ曲げて背後を見ると、黒い帯のような物が私の脚から地面を伝って物品倉庫の方に伸びていた。私は咄嗟にポケットからバッテリーを出すと、出力をレーザーに変えてスイッチを入れた。


「お願い、うまく当たって!」


 私はやみくもにバッテリーを振り回した。やがてレーザービームが倉庫の壁を掠め、黒い帯が断ち切られた。私は跳ね起きると、バッテリーの光を変えて自分の足元に向けた。


「シャディ、来て!」


 次の瞬間、私の足元から「影」が立ちあがり、逃げようとする黒い帯を両手で掴んだ。


 シャディが黒い帯を手前に引くと、倉庫の陰からふらつくように人影が姿を現した。


「荒草先生!」


 虚ろな表情でこちらに歩いてきたのは、荒草鉄男だった。黒い帯は鉄雄の足元に繋がっており、鉄雄がふらつくと、帯はちぎれるように鉄雄の足元から離れた。


「先生!」


 鉄雄がその場に倒れこむのと同時に、黒い帯はシャディの手を振りほどいて逃げ始めた。


 私が鉄雄に駆け寄り、声をかけている間に黒い帯は蛇のように身体をくねらせながら、近くの茂みへと姿を消した。


「蔭山……何かが……黒いタ―ルのような生き物が、俺に貼りついてここへ連れてきた」


 鉄雄はそう言うとがくりと項垂れ、意識を失った。私は鉄雄を倉庫の陰に引きずると、時計塔の方を見た。あそこで何かが起きているとしたら、行かないわけにはいかない。


 ――シャディ、行きましょう。若葉を助けなきゃ。


 私は鉄雄の傍らから離れると、バッテリーを手にシャディと講堂に向かって駆け出した。


              〈第二十六回に続く〉


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