第24話 ママ、アイムヒア
「終わったよ、陽向君。見てごらん。これが君の「影」の元になるエッセンスだ」
龍造に促され、覗きこんだのはフラスコのような球状のガラス容器だった。
中には黒いどろりとした物質が溜まっており、私はこれが「影」だと説明されてもピンと来なかった。
「君が持ち帰った「パーツ」を吸い出し、特殊な装置で植え付けられた「意識」と本来の「影」の成分とを分離したものがこれだ。このままではまだ不安定な「物質」と「波」との中間の存在でしかないが、すべての「パーツ」が揃えば本来の「影」に戻せるはずだ」
龍造の説明は難しく私にはちんぷんかんぷんだったが、どちらにせよ残りの九十何個かを集めないことには「影」にはならないようだ。
「さて、今日は君にこれをあげよう。「ムーングラス」だ。これをつけて足元を見れば、その人物の「影」が「天然」か「人工」か見分けられるはずだ。ただし、長く着用していると激しい疲労感に教われることがあるから、かけっぱなしには注意が必要だ」
龍造がそう言って取りだしたのは、赤いフレームの女性用メガネだった。
「ありがとうございます、博士」
私は眼鏡を手に取ると、装着した。度は入っていないらしく、見え方に変化はなかった。
「ところで、十九男先生の容態は相変わらずかな」
「はい。まだ意識は戻っていません」
私が現状を伝えると龍造は「そうか」と目を伏せた。
「一人で戦うのは心細いだろう。いくら「武器」があるとはいえ」
「正直、辛いです。でもシャディとジャッカルが一緒に戦ってくれるので心強いです」
私は自分の足元に目をやった。どちらも敵の攻撃から、身を挺して私を助けてくれた。それだけでも信用するに値する存在だ。
「そうか……人造生命でも、お前さんを命がけで守ってくれることには変わりないからな」
「私もそう思います。本物の「影」が戻るまでは不完全な物同士、力を合わせていきます」
私は心のどこかに少しだけ寂しさを覚えつつ、自分自身に言い聞かせるように言った。
※
「あら陽向、帰ってたの?」
冷凍パスタをレンジから出した私にそう声をかけたのは、仕事帰りの母だった。
「うん。知り合いの先生に会ってたんだけど、もう用事はすんだから」
「そう、あなたも忙しいのね。私もそうなのよ、参っちゃう」
母はひとしきりぼやくと、ソファーに倒れこんだ。私は内心「それだけ?」と思った。
――いつになったら学校に行くの、とか、そういうことには関心がないの?
私は母の疲れた横顔にちらと目を遣ると、自分の部屋に移動した。
父と母は、私は七歳の時に別居を始めた。詳しいいきさつは知らないが、ちょうど私が「影」を失くした直後くらいからだと思う。
母が「一緒に暮らしたい」と電話してきたのは、父の死の一月後のことだった。私は少し意外に思いつつ、すぐに承諾した。なにしろ高校生だ。親がいるに越したことはない。
だが、実の親との十年ぶりの生活は、なぜか私の心に小さなわだかまりを産むようになっていた。私は昔からは母の気持ちという物がよくわからず、母と暮らすようになってからも、その微妙な距離感は縮まらないままだったからだ。
離婚の際も色々と事情があったに違いないが、それはどうでもよかった。とにかくこの十年というもの、私は母の暮らしにあまり関心を持たない日々を送っていたのだった。
――お母さんはどうしてまた一緒に暮らそうと言ってきたのだろう。義務?寂しさ?
同じ家にいながら私の心にあるのは、母はどんな気持ちなのだろうという謎だけだった。
※
――陽向、聞こえるか、私だ。
――お祖父ちゃん。
――どうやら「敵」と一戦交えたようだな。辛い思いをさせてすまない。お前の「影」はお前を守れるほど賢くなったようだな。
――シャディには感謝してるわ。……お祖父ちゃん、どこにいるの?どうやって私に話しかけてるの?
――それは私にもうまく説明できんのだ……陽向、「敵」はお前を研究してくるだろう。容易には勝てぬだろうが、気弱になってはいけない。自分を信じ、「味方」を信じるのだ。
――うん、わかった。何とか頑張ってみる。
――お前には奪われたものを取り戻す権利がある。諦めるな、陽向。
祖父の声がふっと消え、私はまどろみから現実に引き戻された。ベッドの上で顔を曲げ、室内の様子を見るとラジオのチューナーが点灯してスピーカーからノイズが漏れ出ていた。
――どんな不思議な方法でも構わない。私の身を案じてくれる誰かがいるだけでいい。
私はラジオの電源を切ると、せめて「影」ができる時間まで体を休めよう、そう思った。
〈第二十五回に続く〉
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