第20話 去りし日々の匂い
「人造生命?そんな物、本当にあるの?」
若葉は私の話を聞き終えるなり目を見開き、信じられないというように声を上げた。
「信じられないのも無理ないわ。私だって少し前、あの獣を見るまで信じてなかったし」
「でも弦君も見てるし、確かにいることはいるのよね、あの怪物」
若葉に目線を向けられ、弦は神妙な表情で頷いた。
「でもそのうち一体は私の足元にいるのよ。……ごめんね、こんな話ばっかり聞かされたら頭がどうにかなっちゃうね」
私が詫びると若葉は「確かにそうだけど」と天井を見上げた。
「今の話、全部信じろって言われたら難しいけど、少なくとも自分がこの目で「見た」物だけは信じるわ」
若葉は私の目を正面から見据えると、きっぱりと言った。
「ありがとう。私がさっき「すぐには学校に戻れない」って言ったのも、あの連中が私を狙ってくるかもしれないからよ。今日だって若葉や聖月君にひどいストレスを感じさせたわけだし」
私が俯きながらそう漏らすと、若葉は「ううん」と頭を振った。
「それはいいの。気にしないで。それより陽向、どうやってあんな怪物と戦うつもり?」
「それなのよ。実のところ、今度やってきたら無事では済まないと思う」
私が言いながらふと暗い気持ちになりかけたその時、ふいに美術室のドアが開いて一人の人物が入ってきた。私たちの副担任で生活指導担当の教師、
「お前たち、もうすぐ五時になるぞ、そろそろ帰りなさい」
「あ、先生」
わたしが反射的に顔を上げると、鉄雄は目を丸くして「蔭山か?」と言った。
「随分久しぶりだな。お母さんは元気か?」
「ええ、まあ……今日はたまたま用事があって来たんです」
「先生、私が陽向を呼んだんです。会って絵を見せたいからって」
若葉が取りなすように言うと、鉄雄は「ふうん、そうなのか」と頷いた。
「先生……実は私たち、体育館で信じられないものを見たんです」
「体育館で?」
「二匹の怪物が現れて、火を吐いたり天井まで跳びあがって暴れまわったりしたんです」
「怪物だって?……おいおい、夢でも見たんじゃないのか」
鉄雄が眉を顰めると弦が「本当です。……信じられないのも当然ですけど」と言った。
「先生、体育館にまだ、怪物が戦った痕跡が残ってるんです。驚くかもしれませんが、断じて生徒がやったことじゃないです。それだけは覚えておいてください」
「ふうん……まあ、そんなに言うなら見てみるか。……とにかく今日は帰りなさい」
私たちは連れ立って一階に戻ると、連絡通路を体育館に向かって歩いていった。
防音扉の前で足を止め、おそるおそる取っ手に手をかけた、その時だった。
「あら、蔭山さんじゃない。……来られるようになったの?」
驚いて振り向いた私の目に飛び込んできたのは、白衣に身を包んだ若い女性だった。
「椿原先生……」
私たちの後ろに立ってこちらを見ていたのは、養護教諭の
「違うんです、先生。蔭山は、樹下に呼びだされて会いに来たんだそうです」
「あら、そうなの。……でも皆さんお揃いで体育館に何の御用?聖月君の演奏会?」
姫香が小首をかしげるのを見て、私たちは顔を見合わせた。
「ちょうどいいわ。椿原先生も見てください。「戦い」の痕を」
訝しげな目の姫香を尻目に、私は重い扉を思い切って開けた。内部の様子が露わになった瞬間、二人の教諭は「これは……」と言ったきり絶句した。
「生徒にこんなことができると思いますか?」
私たちの前に広がっていたのは、災害の後を思わせる痛々しい風景だった。
「なんだってこんなことになったんだ」
鉄雄が隅々まで視線を巡らせながら言った。壁や床のあちこちにへこみや黒ずみが出来、その近くには犬や猫ではあり得ないような巨大な爪痕が残されていたのだった。
「だから言ったでしょ。怪物同士が戦ったんだって」
若葉が口を尖らせて駄目を押した。私はさすがに「そのうちの一体は私の「影」の中に住んでいます」とは言えなかった。
「……まあ、よくはわからないが、悪戯じゃないことは確かなようだ。こうなると、私たちも色々と話し合わなければならないな。とにかく、蔭山たちはもう帰りなさい」
鉄雄が後ろ手でドアを閉めながら、そう釘を刺した。私たちはしぶしぶ頷くと、回れ右をしようとした。
「あ、ちょっと、蔭山さん」
ふいに名を呼ばれ、振り向くと姫香が笑みをたたえた目でこちらを見ていた。
「せっかく来てくれたんだし、近いうちに一度、相談室にいらっしゃいな。雑談でもいいからお話しましょう」
ふわりと柔らかな笑顔でそう促され、私はつい反射的に「はい」と頷き返していた。
「さあ、あとは先生たちに任せて、よい子の諸君は帰った帰った」
鉄雄に急き立てられ。私たちは互いに顔を見合わせた。
「私たちは私たちでまた、あらためて会いましょ」
若葉の言葉をきっかけに、私たちはその場を離れた。懐かしい校舎の匂いを嗅ぎながら、私はくすぐったいものを感じると同時に、どこかやるせない気持ちを持て余してもいた。
〈第二十一回に続く〉
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