第11話 獣よ、瞳を閉じよ


「私が「手当て」なんて呟いたから、用意したってわけ?随分と気が利くのね」


 私は影の持ってきた道具一式と怪物を交互に見遣ると、鼻からすっと息を吸った。


「……仕方ないわ。無駄かもしれないど、やってみる」


 私はまずポリタンクの水でタオルを濡らすと、怪物にそろそろと近づいた。怪我のところまでたどり着くには、身体をよじ登らねばならない。はたして手当てが済むまでおとなしくしていてくれるだろうか?


 私は怪物の後方に立つと、地面の上でだらりと伸びている後ろ脚にそっと足をかけた。


「お願い、じっとしてて。痛くしないから」


 私が口の中で祈りながら怪物の大腿部をぎゅっと踏むと、脚の下で筋肉が盛り上がる気配があった。


「きゃっ」


 もぞもぞと動く足場に私がバランスを崩すと、突然、「ぐおっ」という声がして怪物の身体が持ちあがった。私は反射的に手を伸ばすと、起き上がろうとする怪物にしがみついた。


「……何者だ」


 遥か前方で、唸りを含んだ声で何者かが言葉を発した。怪物が人間の言葉を喋ったのだ。


「嘘っ、あなた人と話せるの?」


 私は怪物の足にしがみつきながら顔も見えないまま、思わず話しかけていた。


「……誰だ、私に話しかけてきたのは。いったい、どこにいる?」


 声には知性らしきものがあり、私は怪物がただの獣ではないことを直感した。


「ここよ、あなたの後ろ脚!踏みつぶさないで、小さいんだから」


 私はあらん限りの声で前方にある怪物の「耳」に呼びかけた。


「後ろだと……?」


 私の言葉が通じたのか次の瞬間、凄まじい遠心力で体が振り回され、気が付くと私は怪物の正面にいた。顔を上げるとお腹の毛が見え、その上に胸と顔があった。つまり怪物は私を潰さぬよう、気をつけながら胡坐をかいたのだ。


「……何者だ」


 再び怪物が言った。その恐ろしい声とは裏腹に、私は怪物に対しどこか気高さのような物を感じていた。


「蔭山陽向。あなたにおしおきをしていた男に、影を盗まれた人間よ」


「影を盗まれた……ではお前が「標的01」か」


「標的01?」


「そうだ。標的02はお前の父、03がお前の祖父だ」


「……じゃあ、私は父みたいに殺されるってこと?」


 私は石を飲みこんだような気分で問いかけた。やはりこの生き物は「敵」だったのだ。


「そうだ。……だが今の私には無理だ。ペナルティとして戦闘能力を封じられているのだ」


「どういうことかよくわかんないけど、今は殺さないってことね。……わかったわ。じゃあしばらくの間、おとなしくしていて。傷の手当てをするから」


「手当てだと?何をする気だ」


「大したことはできないわ。この大きさだもの。せいぜい傷を拭いて、薬を塗ったタオルを当てるくらいね。でも何もしないよりはましでしょ」


「私が何だかわかっているのか。お前を殺すためにやってきた者だぞ」


 怪物は声に唸りを含ませると、威嚇するように言った。


「でも今は怪我人よ。私はさっきのおじさんと違っていじめたりしないわ。後のことはともかく、手当ての間はおとなしくしてて」


 私が思わず強い口調で言うと、驚いたことに怪物はおとなしくなった。私は怪物の脚から飛び降りると、再び濡らしたタオルを手に怪物の身体によじ登った。


 傷の痕をそっと拭くと、怪物は「ぐおっ」と小さな呻き声を漏らした。意外と敏感なんだな、と私は妙に楽しくなり、怪物の身体をアスレチックのように飛び回りながら傷を拭いて回った。


「……ところであなた、名前は何て言うの?名無しじゃお話しできないわ」


 私は薬を塗ったタオルをナイロンの紐にくくりつけながら訊いた。


「私の名か。私はナンバー99だ。コードネームは「ジャッカル」」


「ジャッカルか。意味は分かんないけど、かっこいい名前ね。気に入ったわ」


「かっこいいだと?私は人類を絶滅させるために作られた生命兵器だぞ。お前たちを滅ぼす呪われた生き物だ」


「兵器かもしれないけど、話もできるし、痛がりもする。私たちと同じだわ」


 私が紐を体に巻きつけながら言うと、ジャッカルは不思議そうに鼻を鳴らした。


「我々は九十九の部分からなる群体で、一体となった時、現在の人類は滅亡する」


「ふうん、怖いのね。……でもどうして人類を滅亡させるの?」


「この星の生態系を守るためだ。人類の開発衝動は修正不可能な段階に到達している。技術の早さにバランス感覚が追いついていないのだ」


「……難しいことはわからないけど、怪我の療養中にふさわしい話題じゃない事は確かね」


「私を助けたら、人類を滅ぼそうとするかも知れないのだぞ?お前は人類を裏切る気か?」


「目の前で死にそうになってる生き物を見捨てておけないでしょ。そんな非人情なことをする人類なら、滅ぼされても仕方ないわ」


「理解できぬ。何という愚かな生き物だ……」


 ジャッカルが困惑したような声を上げているうちに、怪我の手合てはおおむね終了した。


「……これでよし、と。さ、次は頭の上に乗るけど、いい?」


「頭だと?何のためにだ」


「綺麗なたてがみがばらばらで、せっかくのハンサムが台無しよ。ブラシでとかしたげる」


「…………」


 私が四苦八苦してたてがみをいている間、ジャッカルは目を閉じてじっとしていた。本当にこの生き物が、私を殺しに来るのだろうか。私はたてがみを整えると地上に降り、ブラシをぽんと手で叩いた。


「これでよし。ご気分はいかが?ジャッカル」


「……悪くない。手当てに関しては一応、礼を言わせてもらう」


 思いのほか紳士的なジャッカルの態度に、私は少しだけくすぐったい気分になった。


「……私そろそろ帰らなきゃ。知り合いを待たせたきりなの。またね、ジャッカル」


 私が背を向けようとすると、ジャッカルが「待て」と低い声で呼び止めた。


「私が言うのもおかしいが、身の周りに気をつけろ、陽向。私を含む人造生命が常にお前を狙っている。簡単に死んではいけない」


「……うふふ、ありがとう。それ以上忠告すると、職場放棄になっちゃうわよ。じゃあね」


 私が振り向いて微笑むと、それまで地面に胡坐をかいていたジャッカルが驚くほど機敏な動作で立ちあがり、高い位置から私を見た。


「私に殺されるな。いいな」


 ジャッカルはひときわ凄みをきかせた声で言うと、大きな身体をしならせて駆け出した。


 私は一瞬で消え去った獣の残像を瞼に焼き付けると、円の待つ車の方へと引き返した。


              〈第十二回に続く〉

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