第10話 誇り高き獣を癒せ


 やがて私の目は一つの大きな影と、その傍らにぽつんと立つ小さな影を捉えた。


「やっぱり、さっきの怪物だわ。……でも様子が変だわ」


 私は立ち止まると、怪物の様子を遠巻きにうかがった。良く見ると怪物は何かに自由を奪われてもがいているようだった。

 私は目を凝らし、思わず声を上げそうになった。怪物の身体に何か黒いものが巻きつき、それが自由を奪っているのだった。


 黒いものは一見すると蛇のようにも見えたが、注意して見ていると蛇のようなものは怪物がもがくたびに枝分かれし、新たに頭部が生まれているのだった。

 私は怪物と蛇の死闘から目が離せなくなっていた。どちらも私が知っているこの世の生きものではないように思えた。


 一方、怪物から少し離れた場所に立っている小さな影は、人間のようだった。しかも良く見るとその顔にはなんとなく見覚えがあった。私は記憶を弄り、やがてあることに気づき全身の毛が逆立つような戦慄を覚えた。


 ――あれは「影買い」だ!


 人物は服装こそ白衣だったが、その顔は十年前に私から「影」を奪っていった人物の物に間違いなかった。十年分の時が一気に巻き戻され、私はその場に凍り付いた。


 ――白衣を着ているという事は、あいつがお爺ちゃんに化けていた「人造生命」なのか。


 私は徐々に冷静さを取り戻し、怪物と「影買い」に神経を集中させた。怪物を戒めている黒い物体はよく見ると先端の一つが怪物の身体から地面を這って「影買い」の方へと伸び、立っているその足元と繋がっていた。私はようやく「黒い蛇」の正体に思い当たった。


 ――あれは「人工の影」だ。お爺ちゃんが私に託したものと同じ……でもなぜ?


 両者の様子を眺めているうち、私はどうやら「影買い」が「人工の影」を使って怪物を虐めているらしいことに気づいた。すると、両者は猛獣と猛獣使いのような物なのだろうか。もがく怪物を見ているうちに、ふいに私の胸の奥に憤りに似た感情が芽生え始めた。


 ――いくら凶暴な怪物でも、一方的過ぎるわ。


 私が自分の立場を忘れ、奇妙な感情を抱いたその時だった。突然、背後でめきめきという不穏な音が聞こえ始めた。思わず振り返ったわたしの目に映ったのは、なんとも奇妙な光景だった。数本の細い樹木が黒い物体に巻き付かれ、次々と引き倒されているのだった。


さらに黒い物体は地上で一本に束ねられ、こともあろうに私の足元へと続いていた。


 ――「人工の影」だ。……一体何をする気?


 やがて、枝分かれした物体の一つが長く伸び、かま首をもたげたかと思うと「ぎいっ」と泣き声を発した。それは知っているどの生き物の声でもない、思わず耳を塞ぎたくなるような忌まわしい声だった。


「……ぎいっ」


「人工の影」が再び鳴くと、怪物たちの動きが一斉に止まった。おそらく樹木の倒れる音と、不気味な鳴き声に不吉な物の接近を予感したのに違いない。


「……なんだ、そこにいるのは誰だっ」


「影買い」が叫ぶと、怪物を戒めていた「黒い蛇」が身体から離れ、するすると「影買い」の足元に吸い込まれた。


「……ちっ、今日の「お仕置き」はこのくらいにしていてやろう。今度はしっかり任務を果たすのだな、ナンバー99!」


「影買い」は怪物に向けて意味不明の言葉を放つと、くるりと背を向けて駆け出した。「影買い」の姿が見えなくなると、怪物はすべての力を使い果たしたかのようにその場に崩れるように倒れこみ、動かなくなった。


 私はしばし遠巻きに怪物の様子をうかがっていた。怪物はよく見ると実に奇妙な姿をしていた。顔は鼻先がつき出ていて、その両脇に狼のような黄色い目がついていた。頭部から尻尾の先まで立派なたてがみが生えていて、緊張が解けたのか産毛のように風にそよいでいた。


 上半身は霊長類のように胸の筋肉が盛り上がり、長い爪の生えた手さえなければ人間と見紛うほどだった。それに対して下半身は獣そのもので、両脚から背中にかけて虎を思わせる模様がはっきりと見えた。


 怪物の疲れ切って上下する山のような肩を見ているうちに、私はなぜか助けてあげたいような不思議な感覚になり、気づくと怪物の傍らへと小走りに移動を始めていた。


「うわあー」


 怪物は近くで見ると、小さな家ほどの大きさがあった。よほど疲労しているのか、怪物は私が近くまで寄っても微動だにしなかった。私は相手が動かないのをいいことに、身体の周りをぐるりと一周した。そして、身体のあちこちに擦り傷のような赤い筋があるのを見て取った。


「どうしよう……ここじゃ手当もできないわ」


 私がそう呟くと、突然、足元から「人工の影」がひゅっと矢印のように伸び、地面の上を蛇のようにうねりながらどこかに伸び始めた。


「どこに行くの?……ねえ」


 私は自分の影に向かって問いかけた。まったく、我が影ながら愛想がない事この上ない。どうすることもできず、その場にたたずんでいると、やがて腕のような突起を生やした影が、ビールケースを持つような仕草で何かを抱えて戻ってきた。


「……ちょっと、何それ。いったいどこから持ってきたの?」


 私は影が地面に置いた物品を見て、思わず声を上げた。影がどこからか運んできたのは水の入ったポリタンクと大量のタオル、それに施設で使うような大ぶりの救急箱だった。


              〈第十回に続く〉

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