第8話 影は生贄を求める


 私と円が母屋に戻ると既に客の姿はなく、床に散らばった物品を琴美と数名の従業員が片付けているところだった。


「よかった、無事で。……叔母さん、お爺ちゃんはまだ離れに?」


 私が性急に問いかけると、琴美は眉を曇らせて「たぶん」と言った。


「……ごめん、円さん。私、お爺ちゃんの無事を確かめてくるから、少しの間、ここで待っていてくれない?


「わかった、待ってる。……気をつけてね」


 円が頷くのを確かめると、私は母屋を飛びだして離れへと続く私道を駆けた。

 自分でも驚くほどの早さで館にたどり着いた私は、開け放たれた扉から中に飛び込むと一心不乱に書斎を目指した。書斎のドアを開け、中を覗きこんだ私はしかし、それ以上足を進めることができなくなっていた。


「これは一体……?」


 書斎に足を踏みいれてすぐの場所で、私は呆然と立ち尽くした。地下室への穴が、その周囲の床ごと崩落して大きな陥没になっていたのだ。


「……お爺ちゃんっ」


 私はとりあえず足をかけられそうな瓦礫を探りあて、そろそろと陥没の中へと入っていった。瓦礫は地下の空間を半分以上も埋め、私はその隙間を潜るようにして奥へと進んでいった。やがて私の耳は暗い空間の奥から聞こえる、人の呻き声らしきものを捉えた。


「お爺ちゃん、そこにいるの?」


 私が声をかけると、また呻き声らしきものが上がった。間違いない、この奥だ。

 私は視界を遮っている瓦礫を手で押し上げると、闇に向かって目を凝らした。すると少し先にちぎれたケーブルと共に倒れている冷凍庫と、その下でもがいている祖父の姿とが見えた。


「お爺ちゃん、大丈夫?」


 私は瓦礫の隙間から身体を入れると、突っ伏している祖父に手を伸ばした。


「……陽向か。良く来てくれたな。人造生命はどうなった?」


「影が……私の影がどこかに連れていったわ。それより救急車を呼ばないと」


「ああ、すまん。しかしこの状態で助かるかな。……陽向、先ほどお前に与えた「いつわりの影」と同じものがこの世に九十九存在する。それを集めるのだ。そうすれば十年前に奪われた「本物の」影を取り戻すことができる……ううっ」


「お爺ちゃん、あまり喋っちゃだめよ」


 私の脳裏にふと、祖父から送られてきたという手紙の文面が蘇った。「いつわりの影が九十九集まれば、真の影となる」という謎の言葉の意味は、これだったのだ。


「いいか陽向、良く聞いておけ。これからお前は一人で多くの困難と向き合う事になる。だから、知識と行動力を持った「理解者」を探して助力を求めるのだ。……わしの胸ポケットに、ある程度信用のおける人物を書きとめた手帳がある。それを持ってゆくがいい」


「駄目よ、それよりお爺ちゃんが元気になって助けて」


「そうできればよいが……、ううっ」


「しっかりしてお爺ちゃん、今、救急車を呼ぶわ」


 私が必死で祖父に呼びかけた、その時だった。頭上から「誰かいますか―っ」という男性の声が投げかけられた。


「います!ここに瓦礫の下敷きになってる人がいます!」


 私はやみくもに絶叫した。数分後、瓦礫を押しのける音がして「いたぞ」という声が聞こえた。振り向くと、僅かな隙間からこちらを覗きこんでいる救急隊員の姿が見えた。


「お爺ちゃん、助けが来たよ!……お爺ちゃん?」


 私はひときわ大きな声で祖父に呼びかけた。……が、意識を失ったのか返事はなく、私は救急隊員が来るまで「お願い、目を覚まして」と泣きじゃくりながら呼びかけ続けた。


              〈第九回に続く〉

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