第7話 天敵は怪異を食らう


洋館のリビングに戻ると、不安げに暖炉の前で蹲っている円が目に飛び込んできた。


「よかった、無事だったんですね、円さん」


「うん、一応はね。でもいったい、何が起こったのかしら。ものすごい音がして建物全体が揺れた後、琴美さんが「大変、お店に戻らなきゃ」って言って出て行ったきりなの」


「私たちも行ってみましょう。この騒ぎの正体を見てみたいわ」


 私が強い口調で言うと円が一瞬、目を丸くした後で頷いた。


「――そうね。何だかわからないけど、のんびりしていていい状況じゃないみたいだし」


 私たちは館を飛びだすと、私道を母屋の方へ引き返し始めた。レストランの一部が見え始めた頃には興奮もいくらか収まり、私たちは歩調を緩めた。だが、そんな穏やかな空気は建物の全容が見えたとたん、一瞬で吹きとんだ。


「……見て、陽向ちゃん。なに、あれっ」


 円が指で示した方向に目をやった私は、異様な光景に目を瞠った。母屋の入り口に近い屋根の上に、体長が十メートルはあろうかという生物が乗っていたのだった。


「いったいなんなの……あれは」


 私の脳裏に祖父から聞いた言葉が蘇った。二体がここに来ている……では、あれは人造生命とやらの一つなのか?


 私が謎の生物の姿をよく見ようと前に進み出て目を凝らした、その時だった。屋根の上の怪物が、肉食獣に似た口を大きく開けて咆哮した。人とも獣ともつかない不気味な叫びに、私は首筋の毛が逆立つのを意識した。


「どうしよう……警察か自衛隊に連絡して、捕獲してもらわないと」


 円が背後で声を震わせた。私はなぜか「そんな物じゃだめだ」と胸のうちで確信していた。気づくと私は祖父から手渡されたライトを手にしていた。


「……陽向ちゃん、それ何?」


 円が震え声のまま、訊ねた。私はライトを足元に向けると、ためらうことなくスイッチを入れた。ライトから迸った一条の強い光が私の足元を照らし、そこから黒い影がまるで生き物のようにするすると伸び始めた。同時に、屋根の上の怪物が私の影を見てまるで威嚇するかのように吠えた。


「やっぱり。「これ」が怖いのね?……「いつわりの影」さん、あいつを追い払って!」


 私が叫ぶと「影」はものの数秒で母屋の土台にたどり着き、蛇のように壁を這い上り始めた。怪物は屋根の上から首を曲げて下を覗きこむと、まるで「天敵」を見つけたかのようにぐるぐると不穏に喉を鳴らした。


「陽向ちゃん……どうしてあんなところまで影が伸びてるの?何か変よ」


 立て続けに現れる異様な光景に、円はまともな思考力を失いかけているようだった。


「大丈夫、きっともうすぐ「けり」が付くはずよ……」


 私は気づくとそんな言葉を口にしていた。なぜそう言い切れるのか、自分でもよくわからなかった。やがて母屋の軒先にまで到達した「影」は、屋根の上に人の形となって伸び上がった。


「があああっ」


 本能的に襲いかかった怪物に対し、「影」は突然、人の形を崩しボールのように膨れ上がった。怪物の前脚から伸びた鋭い爪が「影」を襲い、逆に黒い塊の中に呑みこまれた。「影」はそのままゆるゆると形を変え、アメーバが食餌を包むように怪物の前脚を呑みこんだ。


「うそっ」


 背後で円の叫び声が聞こえた直後、私の「影」は十メートルの怪物をやすやすと身体に収めていた。「影」はそのままふわりと浮き上がると、私の足元から糸のような黒い筋を伸ばしたまま、高い空へと飛び去っていった。


「……どういうこと、これ。陽向ちゃん、何か知ってる?」


 円の見開かれた瞳が私の顔を覗きこみ、私は足元と円の白い顔とを交互に見やった。


「私にもわからないけど……答えはたぶん、この先にいる「もう一人の私」が知ってるわ」


 私は「いつわりの影」が消えていった山間の空を眺めながら、僅かな期待を込めて言った。


               〈第八話に続く〉

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