第5話 待ち受けし者の肖像


 降り始めてほどなく、私のつま先は固い地下室の床面を探りあてた。

 近くに照明のスイッチがあるはずだ。私は闇に目を凝らすと、すぐ近くの柱と思しき物体に手を伸ばした。


 表面を弄り、スイッチを探すと間もなくプラスチックの箱が指先に触れた。突起を動かすと「パチン」という小気味よい響きと共に地下室の全容が露わになった。


 六畳間ほどに広さの空間に人気はなく、私は思わず「いない」と呟いていた。

 室内にはスチ―ルキャビネットやパソコンの乗った机など、事務的なものはそろっていたが研究に使う道具らしき物は見当たらなかった。


 私は部屋を横切ると、奥にある扉の前に立った。扉には「関係者以外立ち入り禁止」と記されていた。私は深呼吸をすると、おもむろにドアをノックした。


「誰だね」


 扉の向こうから、くぐもった男性の声が聞こえた。


「陽向です、お爺ちゃん」


 私は向こう側にいるのが祖父の十九男とくおだと信じ、思い切って名乗った。


「……おお、陽向か。久しぶりだな。入れ。鍵はかかっとらん」


 やや間があって、扉の向こうから声が返ってきた。私は十年ぶりの再会にいくばくかの緊張を覚えつつ、ドアを押し開けた。


「……寒っ」


 中の様子が見えると同時に乾いた冷気が吹きつけ、私は思わず身体を震わせた。

 奥の部屋は調度品が一切無く、モニターのついた巨大な冷凍庫らしき物体があるだけだった。


「お、お爺ちゃん、この部屋は……?」


 私は部屋の奥でこちらに背を向けて立っている人物に、声をかけた。


「ここがわたしの研究室だよ、陽向」


 振り向いた顔を見た瞬間、私は懐かしさと同時に若干の違和感を覚えた。

 広い額と鋭い眼光は記憶にある祖父そのものだったが、かつて感じた人を寄せ付けない空気がなかったのだ。


「今日は、十年ぶりに私を呼んだ訳を聞きに来たの。教えてくれる?お爺ちゃん」


 私が性急に問いかけると、祖父と思しき男性は私に歩み寄り「いいだろう」と言った。


「……だがその前に、向こうの部屋に戻ろう。こっちの部屋は寒くていけない」


 そう言うと祖父は私をうながし、手前の部屋へと戻った。私は祖父が椅子に腰を落ち着けるのを待って再び「どうして急に私に来い、なんて手紙を寄越したの?」と尋ねた。


「ふむ、それを順序だてて説明すると長くなる。……時に陽向、お父さんの形見は身に着けているかね?」


「形見……?」


「石だよ。濃い橙色をした、丸い物を半分に割った形の石だ」


 私ははっとした。たしかに父が亡くなる直前、「自分にもしものことがあった時はお前にこの石を託す。いずれお前に協力者が現れた時、必ずこの石が助けてくれるはずだ」と告げられたのだ。以来、私は父から譲り受けた石を常にこっそりポーチに忍ばせていた。


「あります……それを見るために呼んだの?」


「そうとも言える。……持っていたら見せてくれ」


 私がためらいつつ、ポーチに手を伸ばした、その時だった。突然、地下室全体が地震と見紛うような強烈な力で揺さぶられた。


「うわっ」


 祖父は身体のバランスを崩しつつ机にしがみつき、私はよろけた勢いで近くのスチールキャビネットに背中を打った。

 不穏な揺れが続く中、祖父は厳しい表情でパソコンを操作してし始めた。やがて、ディスプレに見入っていた祖父の目が驚きに大きく見開かれた。


「馬鹿な……もう奴が来たのか。早すぎる」


 祖父は意味不明の言葉を口にすると、ふらつきながら机の前を離れた。


「陽向。私はちょっと外の様子を見てくる。しばらくここから動くんじゃないぞ」


「外でいったい、何があったの?」


 私の問いに祖父は答えず、階段の方へと向かった。見かけによらぬ俊敏な動きで階段を駆けあがる祖父を見送った後、私は揺れが続く地下室に呆然と立ち尽くした。


 ――どうしよう。叔母さんと円さんは無事だろうか。ここにいろと言われたけど……


 わたしが部屋を出ようか逡巡しているとふいに傍らのキャビネットが音を立て、不意を衝かれた私は思わず後ずさった。

 距離を置いて注視しているとキャビネットの音はさらに大きくなり、はっきり誰かが内側から叩いている音だと認識できた。


「……誰か中にいるの?」


 私が問うと、またどんどんと音がした。私は意味もなくあたりを見回し、ふとキャビネットの近くにある物が落ちていることに気づいた。それは、金属の輪で数本の鍵を束ねた鍵束だった。


「もしかして、これで開けてくれって言うの?」


 私は鍵束を拾いあげると、端の方からキャビネットの鍵穴に差し込んでいった。

 やがて三本目の鍵がカチリと音を立てて回り、引き戸を叩く音が止んだ。


 私は後ずさり、固唾を呑んで事の成り行きを見守った。数秒後、そろそろと開けられた引き戸から現れた人物を見て、私は思わず声を上げていた。それは先ほどここから出ていったはずの祖父だった。


 しかも先ほどの「祖父」が九十九パーセントほど記憶と一致していたのに対し、こちらの「祖父」は私の記憶と百パーセント、完全に一致していたのだった。


             〈第六回に続く〉

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