第4話 懐かしき闇へ潜れ
「おいしかったあ!私、あんなに味の濃いかき揚げ食べたの初めて。なんていうか、自然の滋味が身体に染み込む感じよね」
私たちは従業員用の通用口から店の裏口へと通され、そこで叔母がやって来るのを待っていた。人気メニューに惜しみない賛辞を送る円を見ながら私はふと、祖父に呼ばれてここへ来たことを忘れ、単にグルメを楽しみに来た気分になっていた。
「お待たせ。さ、行きましょうか」
段ボールやビールケースが積まれた裏口からラフな出で立ちで現れた琴美は、私たちを見ると快活な口調で言った。
「相変わらず「離れ」に住んでるのはお爺ちゃんだけなの?」
私が尋ねると、琴美は「ええ、そうよ。さっき電話してみたらちょうど、休んでたところみたいで「こっちに来ても構わない」って。……ただ、地下室に入っていいのはやっぱり陽向ちゃんだけみたい」
そう言うと琴美は円の方を申し訳なさそうに見やった。
「そんな、私そこまで図々しくないです。……もしどこか待たせてもらえるお部屋があったら、そこで待ってます」
円の対応に琴美はほっとしたように眉を下げると「リビングならお爺ちゃんも文句は言わないと思うわ。ごめんなさいね、せっかく来ていただいたのに」と言った。
「陽向ちゃんは知ってると思うけど「離れ」はそこの私道をまっすぐ行ったらすぐよ」
琴美が指さした先に、緩いカーブを描いて下っている未舗装の細い一本道があった。
私道をぶらぶらと歩いてゆくとやがて、目の前に小ぶりの瀟洒な洋館が姿を現した。
「あれかしら」
円が足を止め、興味深げに目を凝らした。私は「うん。十年前と変わってない」と答えた。実際、切妻屋根の古風な建物は、記憶にある祖父の家と全く同じだった。
建物の前まで来ると私の既視感はいよいよ強烈になり、祖父のとっつきにくそうな顔までもがありありと蘇ってくる気がした。
「お爺ちゃん、たぶん出てこないから勝手に入っちゃいましょ」
琴美はそう言うと、古めかしい木製のドアに合い鍵を差し込んだ。錠が開くと、洋館の扉がそれらしい軋み音と共に動いた。
「さ、どうぞ遠慮しないで入って。床がきしむけど屋敷の主は地下だから少々、大きな音を立てても構わないわ」
琴美は父親の家を我が物顔で進んで行くと、私たちを奥のリビングへと招じ入れた。
「わあ、素敵」
「ふふ、珍しいでしょ、こんな狭くてかび臭い居間」
円が感嘆の声を上げると、琴美が謙遜とも自虐ともとれる言葉を口にした。
「こんなクラシックなリビング、映画でしか見たことないです。アンティークな家具があって、暖炉があって……」
絨毯やカーテンに生活の臭いが染みついた部屋は、先ほどの母屋とは違って嫌でも住人たちの「歴史」を感じさせた。
「それじゃ、私はお茶の支度をしてくるから、陽向ちゃんはお爺ちゃんに会う用意をして」
琴美はそう言うと、リビングから姿を消した。
「地下室って、どこから入るのかしら」
円の素朴な疑問を耳にした途端、記憶にある暗い階段の映像が蘇った。
「祖父の書斎からよ。ほかの人が出入りできないようにって部屋の床から直接、降りてゆけるようこしらえたの」
「へえ、じゃあ本当に秘密の地下室なんだ。会ってみたいな、陽向のお祖父さんに」
うっとりした表情の円を横目に地下室に思いを巡らせていると、琴美が紅茶のカップが乗ったトレイを手に姿を現した。
「叔母さん、それじゃ私、ちょっとお爺ちゃんに挨拶してくるわ。円さん、申し訳ないけど二、三十分、ここで時間を潰しててもらえるかしら」
「お安い御用よ。……ところで、この部屋って写真や動画を撮ったら怒られるのかな」
円がおそるおそる尋ねると、琴美はうーんと首をひねった。
「撮るのは構わないけど、ネットに上げるのはどうかしらね。……陽向ちゃん、ついでにそれも聞いてくるといいわ」
「わかりました。それじゃ、また後で」
私は二人にそう告げると、リビングを出た。祖父の書斎は建物の東角にあり、孫であってもおいそれとは出入りできない場所だった。
私は廊下の突き当りにある青い扉を深呼吸を一つした後、ノックした。
私は中から返事が返ってこないことを確かめると、そっと書斎のドアを開けた。
ドアの隙間から中を覗きこみ、目の前に出現した風景を見て私は思わずはっと息を呑んだ。床の一角が蓋となって持ちあがり、その場所が四角い穴になっていた。
――あれだ。地下室への「入り口」は。
私は足音を忍ばせて書斎に入ると、穴の前に立った。数メートル下の床に向かってコンクリートの階段が伸び、その先は真っ暗な空間に吸い込まれていた。
「……待ってるんだから、行くしかないわよね」
私は意を決すると、祖父の待つ地下室へと階段を降り始めた。
〈第五回に続く〉
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