第3話 館の主は暗闇に潜む


「影住荘」は田舎の旧家によく見られるような、平屋の和風邸宅だった。


 山の斜面を切り崩して造成したと思われる広い敷地に、築五十年くらいはゆうに経ていそうな家屋が厳格な主のように建っていた。


「すごいね、これぞ古民家って感じ。このあたりの大地主か何かだったのかしら」


 円が屋敷の前に設けられた駐車スペースに車を停めて言った。


「私もよく知らないんです。……それとこの建物の裏手に洋風の小さな建物があって、そこにも行った覚えがあります」


「ふうん。そこはレストランじゃないんだ」


「はい。祖父が何かの研究をするために建てた別棟らしいです」


「研究?お祖父さんが?……面白そう、山奥に秘密の研究所だなんて」


 円は声を潜めて言うと「……ごめん。私のイメージ」と舌をぺろりと出してみせた。


「ううん、私のイメージもそうです。子供の頃、一度だけ父に連れられて足を踏み入れたんだけど、地下室だけどうしても入れてもらえなかったの。祖父は変わり者で、孫を可愛がるどころか人間そのものが苦手だったみたい」


「へえ。……じゃあレストランの経営には関係してないんだ。残念、お顔を拝見したかったなあ」


「レストランは父の姉……つまり叔母がやっていて、祖父は店に顔すら見せないそうです」


「じゃあ叔母さんって人は普通の人なんだ。良かった」


 私たちは他愛の無い会話を交わしながら、木の引き戸を開けた。仄暗い玄関に足を踏み入れると、古い建材に染みついた生活臭がふわんと漂った。


「ごめんくださーい」


 廊下に向かって声を張り上げると、やがてエプロン姿の若い男性が姿を現した。


「いらっしゃいませ。お二人様ですか」


 私たちが「そうです」と言うと、男性は「どうぞこちらへ」と目で廊下の奥を示した。


「それにしても、いまどきSNSにも引っかからないなんて本当に商売っ気がないのね」


 円が小声で漏らした感想に、私は思わず頷いていた。たしかにこんな山奥に知られざる店があるとなったら、物見高い外国人やらOLやらでたちまち大混雑になるに違いない。


「席は空いておりますので、こちらの広間をお使いください」


 誘われるまま鴨居をくぐると、そこは板張りの二十畳くらいはありそうな部屋だった。


「わあ、素敵。なんだか知り合いのお家に招待されたみたい」


 縁側に近い座卓を囲んで座ると、すぐ目の前に裏庭が見えた。ほどよく丹精された庭は野の花が咲き乱れ、心を和ませた。午後三時という半端な時間帯のせいか、私たちの他には地元の人らしい年配の客が二組ほどいるだけだった。


「あの、注文の前にお尋ねしたいことがあるんですが、いいですか?」


 オーダーを取りに来た男性に、私は切り出した。


「はい、何でしょう」


「実は私、ここの経営者の身内なんですが、叔母はいますか?」


 私がおずおずと打ち明けると男性は目を見開き、急に居住まいをただした。


「そうでしたか。もちろんいますよ。……少々、お待ちください」


 男性が姿を消すと、円が「ねえ、お願いしたら洋館の方にも入れるかしら」と囁いた。


「うーん、どうかしら。一応、叔母にも聞いてみるけど、祖父がしっかりしているうちは、そう簡単には行かないと思う」


「そっかあ。もしお会いできたら、美女の実験台はいかがですかって言おうと思ったのに」


 円の不穏な冗談に私が苦笑していると、男性が年配の女性を伴って戻ってきた。

 私の記憶より年を取ってはいるものの、叔母の琴美ことみに間違いなかった。


「あらまあ、陽向ちゃんじゃない。大きくなったわねえ」


 広間に叔母の快活な声が響き渡った。私は「お久しぶりです、叔母さん」と頭を下げた。


「陽向さんの里帰りに勝手について来てごめんなさい。友人の叢雲といいます」


 円が頭を下げると、琴美は「あらとんでもない。よくいらっしゃいました」と破顔した。


「……叔母さん、お爺ちゃんは?今でも「離れ」で暮らしているの?」


 私がそう訊ねたとたん、ふいに琴美の顔から拭われたように笑みが消え失せた。


「それがねえ……あなたが来るまでにやることがあるとか言って、ここ二日くらい「地下室」にこもったままなの。陽向ちゃん、ゆっくりしてからでいいんだけど、一度、顔を見せに行ってくれるかしら」


 叔母のどこか遠慮がちな頼みに私は「もちろん。そのために来たんです」と即答した。


「……よかった。じゃあまずはうちの看板メニューでしっかりと腹ごしらえして行ってね」


 叔母はメニューを差し出すと、山菜の天ぷらが豪快に盛られた蕎麦の写真を目で示した。


               〈第四話に続く〉

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