◆1章-1◆はじめてのにんげん




次に気が付いた時には、ごろごろと音を立てて走る馬車のような物の中で、手足を縛られていた。





何が起きてるのか解らない。


声を出そうとしても猿轡をされていてうめき声しか出せない。





「う、うーっ!うぅー!!」





 どうやらあの後通りかかった人に縛られて運ばれているみたいだ。


どう考えても助けてくれたって感じじゃない。


わたあめは?わたあめはどこだ!?





「うーっ!わああえ!!」


 なんとか名前を呼ぼうとしてもわたあめという言葉が出せない。


それでも、僕から見えない場所から「きゅー!!きゅーっ!!」という声が聞こえてきた。


とりあえず無事らしい。





誰がなんのためにこんな事を…。


「**************?」


「********!」





 全然聞き取れない何語かわからない声が聞こえた。


二人居る。





男と女の声だ。


でも何を言っているかはさっぱり解らない。


二人は何かを口々に言い合っていたが、僕がうめき声を上げると何かを叫んで僕を蹴飛ばした。





どうやら僕が転がされている後ろに一人、それと、多分この馬車のような物を運転している人が一人。





わたあめの声は背後から聞こえるので僕の後ろにいる女の人の向こう側だろう。


荷台とかに乗せられているのかもしれない。





僕がこんな扱いを受けている以上わたあめも拘束されているのかもしれない。








そもそもどうして気付かなかったんだろう。


ここは僕のいた世界じゃない。


別の世界なんだから言葉が通じるはずがないのだ。





人を見つけても意思の疎通が出来ないんじゃ何も解決しない。





誤解されているならその誤解を解きたいが、言葉が通じないんじゃ相手が言っている事も解らないしこちらの言葉も伝わらない。





どうしようもない。


この後僕はどうなってしまうんだろう。


わたあめは、どうなってしまうのだろう。








結果は単純明快だった。





辿りついた場所は、距離からして多分僕らが必死に逃げていた山の麓にある山小屋。


それも、普通に道を通っていても目に付かないような、少しだけ森に入った中に作られたスペースだった。


そこには僕のように子供が何人か既にいて、とても汚いボロボロの服を着ていた。


足には枷が付いていて、今時笑ってしまうような鉄球が付いている。


まるで大昔の奴隷だ。





でも、この世界では普通の事なのかもしれない。


とても笑える状況じゃなかった。





そこはきっと悪い奴らのアジトみたいなもので、そこに僕は奴隷として捕まってしまったのだ。


言葉がわからないのでそれ以上の事は何も解らない。





その小屋で暮らしているのは男と女が一人ずつ。それとたまにもう一人男がやってくる事があるがその人が何をしに来ているのかまでは解らない。





僕以外には奴隷が三人居たが、みんな目が死んでいて、命令された事をただ淡々とこなすだけの機械みたいだった。


やらされている事と言えば身の回りの世話、炊事洗濯から家畜の世話全般、あとはすぐ近くにある洞窟へ行ってなにやらよく解らない光る石を掘り出してくる事。





その日の採掘量が少なければ殴られたり蹴られたりする。


短い鞭みたいな物で叩かれる事もある。


もちろん採掘だけじゃなくて、何か他の作業でミスがあれば同じようにやられる。


何もなくても奴らの機嫌が悪ければ同じようにやられる。








僕が言葉を理解できないと解ったとき、あの二人はとても面倒そうな顔をして、奴隷の中から一人僕に専属で付けた。


教育係という事だろう。





その人、女の子なのだが、名前はルーイと言うらしい。多分だけど。


その子が無表情にいろいろと教えてくれたおかげで一年もすると僕はなんとなくだけど言葉がわかるようになってきた。





わたあめはというと、あの二人(どうやら名前は男がデューク、女がペニーというらしい)が住んでいる山小屋の中に大きな檻があって、そこに閉じ込められている。





捕まった当初はてっきりわたあめを売りさばくつもりなのかとヒヤヒヤしたが、なぜかデュークとペニーはまるでペットでも飼うかのようにわたあめに食事を与え続けていた。





自由は奪われているが、悪い扱いを受けてないならまだよかった。


友達になかなか会う事ができないのは悲しい。


だけど、数日に一回わたあめの世話係が僕にも回ってくる。





「わたあめ、なかなか会いにこれなくてごめんな」


「きゅー!あーがと!あーがと!」


 僕が食事を持っていくとわたあめは元気に檻の中をぴょんぴょん飛び跳ねる。


飛べるほど広くないのでわたあめにとっては窮屈だろう。





その様子を見ていた二人が僕に言った事があった。





「ほんとお前ら仲がいいんだな。俺達が何を言ってもその竜は反応しないが、お前の喋るよく解らない言葉には返事しやがる」


「そもそもアンタはどこ出身なのよ。全然聞いた事のない言葉だけど…まぁいいわ。やる事やってればそれでいいものね。さっさと餌やり済ませて鉱山いってきな」





 どういう訳かわたあめは僕が日本語で話しかけると返事をしてくれる。


それ以外の人が話しかけても完全に無視なんだそうだ。





日本語が親の喋る言葉として認識しているのかもしれない。





僕は名残惜しいが、檻越しにわたあめの頭を何度か撫でて小屋を後にする。





隣に立てられたボロボロの小さい小屋が僕らの住処だ。





「ルーイ。戻ったよ。鉱山に行こう」


「…割と、喋れるようになった」


「…そうだね。ルーイのおかげだよ」


「喋れないと不便。それだけ」


 そう言うとルーイは足の鉄球を転がしながら先に小屋を出て行く。





いつもぶっきらぼうで素っ気ないのが彼女の平常だった。


むしろ、他の二人に比べれば感情がある方である。





あとの二人はシンとニーヤ。両方とも僕と同じくらいの子供で、感情をどこかに置き忘れてきたみたいに死んだ目で動く機械。


そういう人種だった。





シンは上手くやっているのかそうでもなかったがニーヤは特に痣や怪我だらけで、ところどころ傷口が化膿してじゅくじゅくになっていた。





二人は何を聞いても答えてくれないし、何も聞いては来ない。


全てを諦めてここで奴隷として生きていくことを受け入れているみたいだった。





最低限の食事すら出ないこの場所で。





僕らは自分の食事を自分で山から調達しなければいけない。


足に鉄球をつけたまま。





鉄球自体は動けないほど重たいわけではないが、動物を追いかけて捕まえるほどの自由は無い。


だからいつも木の実を茹でてすり潰した物を丸めた団子みたいなのを食べている。


上手く罠に生き物がかかった時は誰の罠にかかったのか次第。


その罠を仕掛けた人だけが食べる。


自分の物は自分で調達。





それがここのルールだった。


助け合いの意識なんて欠片もない。





僕らが捕まっているこの周辺はデューク達が住む小屋、僕らの小屋、牛のように乳が出るゲバという動物がいる小屋の三つに分かれていて、森に入ると鉱山に行く道と山に入る道に別れるが、たとえどちらの方向に逃げようとしても途中でそれなりに高い壁が現れる。


よじ登れないほどではないのだろうが、足にこの鉄球が付いたままじゃ到底無理だろう。





だからみんなここから逃げようっていう考えは消えてしまったんだ。





「シンとニーヤは先に鉱山に行ってる。早く私達も行こう」


 ルーイが僕の少し先から声をかけてきた。





今日も一日、ひたすら岩を削る作業が始まる。





その作業は子供にはかなり厳しくて、一日続けると手の皮も向けるし足腰痛くてたまらない。


それを毎日毎日…あの二人に食事を出したり洗濯をしたりっていうのは当番制で回ってくるけど、それも鉱山で仕事をしてからやらなければならないので重労働だ。





ある日ニーヤが倒れた。





デュークは「どうしたもんかね?」と少し困った様子だったが、ペニーは「壊れたら代わり探してくればいいじゃん」と言って、結局放置された。





その後も休む事は許されず、仕事をいつも通りにこなし続け、ニーヤの身体はあちこちから酷い臭いを放つようになり、三ヶ月後にニーヤは動かなくなった。





 ニーヤが死んだと二人に報告しに行くと、「じゃあそのうちまた子供捕まえてくるから心配するな」だそうだ。





一人頭の作業が増える事を心配しているとでも思われたんだろうか?


ふざけている。








それから二年が経った。





デューク達の言うようにあの後すぐに男の子がさらわれて来たが、一週間もしない間に自殺してしまった。


ゲバ小屋の中で、藁などを片付けたりするのに使う熊手みたいな形の道具に自分から倒れこんでいた。


首を貫通していて、あたりは血だらけになっていた。





僕は人の死体なんて初めて見たから気持ち悪くなって吐いて吐いて大変だった。





そんな死体と僕を見て、シンは相変わらず無言だったしルーイは冷めた目で「めんどくさ。死ぬなら人の迷惑にならないように死ねよ」と呟いただけだった。





その後線の細い女の子がやってきたが、その子はどうも身体がもともと弱かったらしく一年くらいしたら咳が止まらなくなって血を吐いて死んだ。





そこからはシンとルーイと僕だけで、補充はされずに日々の仕事を続けた。





僕が捕まってからもう五年ほど経っていた。





五年間も、こんな所で奴隷として毎日毎日石を掘ってゲバの世話して奴らの世話をし続ける毎日。





神経はどんどん磨り減っていく。


ルーイみたいに感情が冷めていくのも


シンみたいに感情が死ぬのも





なんだか解る気がした。











そんなある日、二人の小屋の前を通った時中から声が聞こえてきた。





たまに来るもう一人が来ているらしい。





「なかなか大きくならないなこいつは…」


「これでも最初よりは大きくなってるわよ。まだダメなの?」


「そろそろ買い取ってくれてもいいんじゃないか?」





話を聞く限り、たまに来る奴はわたあめを見に来ていたらしい。


それをあの二人が売りつけようとしているのだろうか?


小屋の窓の下にこっそり近づいて中の声に耳を澄ます。





「もしこいつが卵の状態だったら即三倍の値段で買ってやったんだけどな。生まれてもう刷り込みが過ぎちまってると他の人間には懐かないんだよ。そうなるとペットとしては価値がなくなる。もう少し大きくなるとこいつの内臓が高く売れるようになるからそれまで待ちな。勿論俺に売ってくれよ?あんたらが十年は遊んで暮らせる額で買ってやるから」


「マジかよ。旦那、嘘はなしだぜ?」


「期待してていいのよね?」


「勿論。むしろ俺だって他の奴に売られちゃ困るからよ。また様子見に来るからそれまでしっかり育ててくれよな」





 そう言うとその男は帰っていった。





…なるほど。


わたあめがあんな風に閉じ込められて育てられている理由が解った。





あとどれくらいの猶予があるんだろう?


それまでになんとかしなくちゃ。








シンに相談しても無駄だろう。


ルーイならもしかしたら協力してくれるかもしれない。


この五年の間に少しは仲良くなれたように思う。





わたあめを連れてここから逃げ出したいとルーイに相談してみたが、「逃げられるもんなら私だって逃げたい。でも無理。逃げられる計画がきちんと立てられたらその時に教えて。期待せずに待ってるわ」と、冷たく話を打ち切られてしまった。





それをどうしたらいいかっていう相談だったのに。





結局抜け出す方法なんて何も浮かばないまま日々が過ぎていく。





そして、ある日奴らの小屋でボヤ騒ぎがあった。


そのままあいつらが死んでしまえばよかったのに火はすぐに消えたらしい。





その火の原因はなんだか解らないが、その日から急に僕が小屋の中に呼ばれてわたあめ専属の世話係になった。





「お前が一番懐かれてるんだからちゃんと面倒みろよな!」


「しっかりしなさいよね!」





 いつも機嫌がいいとは言えない二人だが、その時はいつも以上に機嫌が悪かった。





それからは自分の小屋と奴らの小屋を往復する毎日が始まる。





シンは相変わらず何も言わないが、ルーイは明らかに不満そうだった。





「なんであんただけ採掘作業しなくていいのよ。不公平だわ」





 その疑問はごもっともである。


僕だって二人には申し訳ないと思っているが、僕にも理由が解らないんだから仕方ない。





それをルーイに伝えると「あっそ」と言ってめんどくさそうに採掘へ向かうのだ。





僕は毎日わたあめと会えるようになって正直嬉しかった。


わたあめも僕と会えるのが嬉しいらしく、以前よりも言葉のコミュニケーションをとってくれるようになった。





だから、奴らが日本語を理解できないのを利用して僕は毎日毎日わたあめに日本語を教え続けた。





少しずつ


 簡単な単語から。





そしてそんな日々が一年くらいたっただろうか。


捕まってから計六年。





わたあめはカタコトではあるが僕と会話が出来るくらいになってきていた。


とは言ってもわたあめと脱出の相談をするわけにはいかない。


というかできない。





そこまで複雑な会話はまだ不可能だった。


せめてここに捕まった時からずっと教えていられたらそれも可能だったかもしれない。


だけど、この時間がいつまで続けられるのか解らない。





きっとそのうちあいつが来てわたあめの事を買っていくのだろう。





その時僕はどうしたらいい?


頼み込んで僕も連れて行ってもらうか…。





それは多分無理だ。


万が一にもその男の奴隷としてついて行くことが出来たとしても、わたあめは内臓を売りさばかれてしまう。





それは死ぬって事だ。





わたあめが死んだら意味がない。





だから早くどうにかしなければいけなかった。





隙をついて僕がデュークとペニーを殺す。


それしかないのかもしれない。





でも二人はいつも長い剣を携帯していて、きっと僕なんてすぐに切り殺されてしまうだろう。





二人を殺せばいいだけなら小屋に火をつけるっていう方法もあるが、完全に燃えて逃げられなくなるまで気付かれないなんて多分無理だ。


それにわたあめに何かあったら困る。





料理に使う包丁で、背後から一撃で殺さないといけない。


それに、一人ずつの時を狙わないと、もう一人に確実に殺される。





あの男に売られる前になんとかしなくちゃ。





けど、間に合わなかった。





デュークもペニーもいつも二人で行動しているし、一人になる時はトイレくらいだった。


そもそもあの二人は僕を、いや、わたあめを警戒しているみたいでいつもこちらを睨むように監視している。





包丁を取りにいく不自然さを回避できるのは料理担当になる時くらいだったが、僕がわたあめの専属になった時からそれもできなくなっている。





わたあめ専属というのは、よく解らないがひたすらわたあめの相手をして機嫌を取り続ける事が仕事であり、食事はシンとルーイが交代で小屋まで持ってくるのだ。





だからもし包丁を持ってきてもらうとしたらどちらかに手伝ってもらうしかないし、きっと二人はそんな事に力を貸してはくれない。





万が一手伝ってもらえたとして、その場で包丁をもらっても隠しておく場所がない。


すぐに見つかって自分がやられてしまうと思う。





打つ手がないままその日が来てしまった。








「ほうほう。これだけ育てば大丈夫だな。じゃあこいつはもらっていこう」


 あの男がやってきて、わたあめを見てそう言った。





僕は何も出来なかった。


泣いて頼み込んだが、デュークとペニーにぼこぼこに殴られ、蹴られた。


「こいつが売れたらもうお前に用はねーんだよ!」


「そうね。こんな小屋にいつまでもいる必要ないわね♪」





二人は見たことも無い額のお金の山に狂喜乱舞だった。





僕はこの世界の通過を見たのは初めてだったのでお金だという認識もできなかったが、それだけあれば十年は遊んで暮らせるくらいの額らしい。





結局僕は用無しとして小屋から追い出された。





きっとこれからあの男がわたあめを連れて行ってしまうのだろう。





「たすけて!きゅっ、たーけてー!」





 小屋の中からわたあめの叫び声が聞こえてくる。





ごめん。僕に出来る事なんて…もう。





しばらくすると、見たことの無い男達が五人ほど小屋の方へ向かっていく。





そして、その男達が裏口の方からわたあめが入った檻を担いで出てくる。





その後ろに、わたあめを買い付けたあの男。





僕はその男のところへよろよろと近付き、交渉をする事にした。





「待って下さい。そのわたあめ…竜の親は僕です」


 男は少しだけ眉間に皺を寄せて僕を見る。





「そうか、君が刷り込みされた親か…余計な事をしてくれたもんだよ」


「相談があります。こいつの内臓を売るくらいなら、僕がこいつと一緒にもっともっと稼ぎます!」


「どういう事だ?」


 わたあめは僕のいう事なら何でも聞いてくれるし、僕らだけの会話方法がある。


それなら見世物としてやっていけるし珍しいだろうからお金も取れる。売り捌くよりももっともっと稼いでみせる。





必死に、それを説明した。





「なるほど。確かに竜使いというのは珍しいし見せ方次第ではいい金儲けの手段になるだろうな。…でも、君のいう事をなんでも聞くというのは問題がある。いや、しかし…」





 男はそこまで言うと一度言葉を切って、少し考えてから続けた。





「…うむ。やっぱりダメだな。万が一この竜が成長して力をつけた時、君の命令で暴れられてはこちらの命に関わる。こちらとしては君を連れて行くこと自体リスクでしかない。わかるな?」





 そんな事はしない。僕はわたあめが生きていてくれさえすればそれでいいんだ。





でもそんな話をその男は信じてくれなかった。





「わかったらどけ!こいつはもう俺が買い取ったんだ!」





 縋りつく僕を男が振り払う。





「服が汚れるだろうが!奴隷風情が!」





 男が僕目掛けて蹴りを放つ。


見えていたのに、足枷が邪魔をして避けられなかった。


腹に思い切りくらってしまって思わず胃液を吐き出す。





去っていく男達を追いかけようと立ち上がるけど、とてもこんな足枷付きじゃ追いつけない。





「わたあめ…」





 わたあめも僕に向かってたすけてと叫び続けているが、その声もだんだん遠くなっていく。





ついに、わたあめを運ぶ男達が敷地内から出て行ってしまった。


あの男は鍵を持っていて自由に出入りできるという事だろう。





…僕はわたあめを守る事ができなかった。


きっとわたあめはこのままどこかへ連れていかれて身体を引き裂かれて内臓を引きずり出されて死んでしまう。





代わってやれるものなら代わってあげたい。





「…あの竜。連れていかれたのね」





蹲る僕にルーイが声をかけてきた。


今は放っておいてほしい。





いや、ルーイにも伝えておいた方がいい事もある。それくらいはちゃんと言った方がいいだろう。





「ルーイ。デューク達は沢山お金手に入れたからそのうちここから出て行くと思う…」





「…は?それどういう事?私達はどうなるの?」





 ルーイの疑問も解る。


選択肢としては二つ。


ここに放置されて取り残されるのか、解放されるのか…。





いや、もしかしたら第三の選択肢としてこのままあいつ等の行く先に連れて行かれて結局奴隷生活が続くなんて事になるかもしれない。


それを考えてなかった。





…まぁ僕にとってはもうどれになってもどうでもいい。





わたあめがいなくなってしまった今となっては何もする気が起きないし何も考えたくない。





「結局のところあんたもどうなるか知らないって事?だったらちゃんと決まってから言ってちょうだい」





 そう言ってルーイは自分の小屋へ歩き出した。





その時。





「うわ、なんだこいつ!」


「ぎゃぁぁぁあああ!!」





 わたあめを連れていった奴らが二人、こちらに向かって走ってきていた。





その騒ぎを聞いてルーイも足を止める。


「…まさか」





「ルーイ何か知ってるの?」


 ルーイは青い顔をして珍しく少し早口に答えてくれた。





「昨日私の仕掛けた罠に何かがかかった跡があったの。でも、その仕掛けごとめちゃくちゃに壊されてた。そんな事が出来るだけの大きさがある何かがこの近くにいるって事。もしそいつがきたなら私達みんな殺されるかもしれないデューク達はともかく、私達はこれじゃ…逃げられない」





 ルーイがこんなに喋るのも初めて聞いたけど、こんな恐怖に引きつるような顔を見るのも初めてだった。





「た、助けてくれ!化け物が!」


 逃げてきた男達が僕達をスルーして小屋の中のデュークとペニーに助けを求める。





「何?あんたらさっき帰ったんじゃ…ロクサスの旦那はどうしたのよ?」


「俺達二人以外殺された!!なんでもいいから助けてくれ!礼ならするから!!」





 どごぉっ!!





遠くで何かを叩くような音が響く。


その化け物がきっと周りを囲む壁を叩いて壊そうとしているのだ。





ペニーが先に、次にデュークが小屋から飛び出してくる。


「どうする?もう一稼ぎしちゃう?」


「そうだな。ロクサスの旦那までやられちまったなら…もしこれで竜を生きたまま取り戻せればまた稼げるぞ!」





 二人は意気揚々と剣を抜いて出入り口の門へ走って行った。





あの二人がどのくらい強いのかしらないが、時々二人で出かけては討伐の依頼をこなして賞金を稼いできていたようなのできっとかなり強いのだろう。





それなら放っておいても大丈夫だろうか。


少なくとも僕らが行ったところで邪魔になるだけだろうし先に殺されるだけだ。





むしろあの二人が勝ってきてくれないと僕らもここで終わりだ。





一番いいのはどさくさに紛れてわたあめが逃げていてくれる事。





檻に入れられていたから難しいかもしれないが上手い事檻が壊されて逃げてくれたら。








「…い。おい!聞いてんの!?」


 気が付けばルーイが僕に向かって呼びかけていた。





「なに?どうしたの?」





「…逃げた方がいいと思う」





 ルーイはそれだけ言うと足枷を引き摺って先に山の方へ向かった。





嫌な予感がして門の方を見ると、門の向こうから何か黒い球の様な物が門を飛び越えてこちら側に飛んできた。





この距離じゃそれがなんなのか解らない。





でも、次にペニーの断末魔が聞こえた。





最初のアレはきっとデュークの頭だ。


化け物に頭を吹き飛ばされたのかもしれない。





そして、僕はもう二度と聞きたく無い声を耳にする。





「うごぼげぁぁぁぁ!!」





 最悪だ。





山を降りてきたのか!?


あの声は間違いない。





同種なのか、あの時の奴なのかはわからないが、あの汚い雄たけびは間違いなく僕を追い回していたあいつと同じ声だ。





デュークもペニーも死んだ。


ロクサスとかいうらしいわたあめを買った奴も死んだ。


背後で、二人に助けを求めて逃げてきた男達が泣きながら山の方へ逃げていくのが聞こえる。





わたあめはどうなった…?


奴の力なら檻ごと潰されてしまうかもしれない。





それに、奴がここに入ってきたら僕は生きていられる自信がない。





…のだが、どうやらなかなかこちらに入っては来ない。


もしかしたら山に食料がなくて降りてきて、既に十分な食料を確保できたから帰っていった…とかだろうか?


でもなぜ奴は森側からじゃなくて平地側から現れたんだろう?





門はデューク達が開けてそのままになっている。


あそこまで行ければ逃げられるし、外のわたあめの状況も確認できるだろう。


その代わり、まだ奴があの辺に居たらまっさきに襲われてしまうだろう。





どうする?


ルーイ達が逃げたように山へ向かうか、出口に向かうか…。





結局森へ逃げたとしてもあいつが追って来たらこの出口まで逃げてこなきゃいけない。


そうじゃないとこの囲われた中であいつと鬼ごっこしなきゃいけないし、足枷がある時点で逃げ切れるわけがない。





だったら、一か八か出口から逃げるしかない。





足枷の鉄球を引き摺ると動きにくいので、身をかがめて鉄球を抱えたまま身を低くして出口へと向かう。





やっぱりあの時こちらに飛んできたのはデュークの頭だった。





気持ち悪い。


デュークはこの世の物とは思えないような表情をしていた。


目は大きく開かれ口は苦悶の表情で歯を食いしばっている。





胃液の逆流を必死に堪える。


大丈夫。死体を見るのは初めてじゃないだろう。





門の近くまで来て気付く。





…まだ居る。





門の向こうから微かにぼりぼりという音が聞こえてきた。





ゆっくり、音を立てないようにして門の影から向こう側を覗いていると…。





ロクサスが乗ってきた大きな馬車のようなものが、ボロボロになって転がっていた。


その向こうに、





奴が。





間違いない。あの時のあいつだ。





平地側から来たって事は、もしかしたら川を伝って下流に下ってきたのかもしれない。





…いや、待てよ…。





確かルーイが行ってた。


罠にかかった跡があったって。





それは、昨日の時点でこの壁の中にあいつが来ていた事を意味する。





と言う事は森の中にあいつが入るときに開けた穴があるのかもしれない。





ルーイがそれを見つけて逃げてくれてるといいんだけど。





僕もそっちに逃げた方がよかったかもしれない。





…でもわたあめを助けられるかもしれないのに確認もせずに逃げるなんてできない。





多分流れはこうだ、山から下りてきたあいつが壁にぶちあたってどこかに穴を開けるか、なんらかの方法で壁の内側に侵入する。


その後しばらく徘徊して、ルーイの罠にかかる。ルーイの罠は結構エグいから無傷というわけには行かないだろう。


それで手傷を負ったあいつは一度壁の外に出て、壁の周りを伝うように平地、出入り口の方まで回ってきた。


多分そういう事だろう。








とにかくここまで来てしまった以上もう森側に逃げようとしても遅い。


それよりこっちで出来る事をしないと。





もう一度ゆっくり、門の影から覗く。


すると、あいつがペニーの足をボリボリ骨ごと口に放り込むところだった。





…っ。我慢しろ、我慢…。





なんとか喉まであがってきた胃液を胃袋に押し戻す。


涙目になりながらあたりを見回すと、壊れた荷車に檻が見えた。





わたあめは見えない。





この角度からじゃわたあめが逃げたのか檻の中で倒れているのか、それとももうやられてしまったのか…それすら解らない。





わたあめが騒いでいない時点でもしかしたらもう食べられてしまったのかもしれない。





考えたくは無いが、その可能性はある。





その時、あいつがこちらに振り向いた。





まずい!





この距離で見つかったら完全に終わりだ。





僕は壁の内側に張り付き、息を殺した。


このままあいつがこちらに気付く事なくどこかへ行ってくれればそれが一番いい。





のだが、ずるずると奴の移動する音が聞こえたかと思うと、次の瞬間





どごがっ!!





物凄い音が響いて僕は潰された。





何が起きたか全く解らない。


突然目の前が真っ暗になる。





そしてずるずるという音が僕のすぐ近くを通り、そのまま敷地内へと入って行った。





僕は今どうなっているんだ。


頭を打ったらしく、意識が朦朧とする。





少しそのままの体制でいると、だんだんと頭もクリアになり状況が飲み込めてきた。





壁に張り付いて息を殺していた時、あいつが僕の背後の壁をぶちこわしたようだ。





普通に出入り口があるのになんで壁を壊すんだよあの馬鹿野郎…。





僕の頭上のあたりの壁を破壊したので、僕の上に壁の瓦礫が降ってきて潰された。





ただ、運がいい事に、無事だった壁の下の方と、落ちてきた瓦礫との隙間にはさまれて、最初に頭を打った以外に致命傷になるような傷はなさそうだ。





瓦礫の隙間から奴の姿を見つける。


奴は小屋に向かっているようだ。


入り口を破壊して中を覗き込み、誰もいないのを確認すると、どうやら小屋から伸びる足跡に気付いたらしい。





僕の足跡に気付かれたらここにいるのがバレるかとヒヤヒヤしたが、ルーイの鉄球を引き摺った跡や男二人が逃げていった足跡など、森に続く痕跡が多かったせいかあいつは森の方向へ向かっていった。





姿が見えなくなったところで、瓦礫から身体を引きずり出そうとしたのだが、そこで奇跡が起きた。





砕けて頭上から落下してきた瓦礫が鉄球を繋ぐ鎖部分に当たってちぎれていた。





足枷自体は付いたままだが鉄球さえなくなれば何も付いてないのと同じだ。





僕は久しぶりに自分の体重だけを支えて歩く。





引き摺る物がないというのは逆にバランスを取りづらく感じた。





六年くらいこんな物を引き摺って生活してたんだから当然だろう。





よたよたと荷車に近付くと、近くにゲバに似ているがもう少し細くて筋肉質の動物が横たわって冷たくなっていた。





あいつの口に合わなかったのだろうか。一口齧ってやめた跡がある。





馬とかロバとかそういう感じの動物だろう。口から涎を垂れ流して長い舌がべろんと伸びていた。





なんだかデュークのちぎれた頭を見るよりもショックだった。


どうやら僕は心底人間よりも動物の方が好きらしい。





…そんな事よりわたあめだ。


壊れた荷車の後部、荷台の部分に檻がある。


その中を覗くと、





居た!!





…でも様子がおかしい。なんだかぐったりして動かない。





心臓の鼓動が早くなる。





まさか…死…





「…きゅ…」





 生きてる。声がした!今声が!





「わたあめ!僕だ!大丈夫か!?起きてくれよ!!」





 わたあめは僕の声に反応して「きゅっ?」と首を持ち上げ頭を何度か振った。


ぴょこんと立ち上がるわたあめを見て涙が出そうになる。





きっとあいつに襲われて気絶していたんだ。


むしろそれで騒がなかったから気付かれなかったのかもしれない。





「きゅーい!あーがと!まってた!」


「遅くなってごめんな。今助けるから」





檻を見ると、少しゆがんでいて隙間が出来ていたのでそこからわたあめを出す事ができないか試してみたのだが、わたあめが思ったよりも大きくなっていて隙間を通る事は難しそうだった。





なんとかして檻を開ける事が出来れば…。





無理に引っ張ってわたあめが挟まってしまったら困るので諦めて、もう少しよく観察して見る事にした。





すると、檻の鍵の部分が歪んでいるのに気付く。





これならもしかしたら壊せるかもしれない。


無理矢理引っ張ったり蹴りを入れてみたりしたが、僕の力じゃどうにもできない。


何か硬い物をぶつけるとかしないとダメだ。





そこで思いつく。


アレならちょうどいいんじゃないか?





その辺に転がっている瓦礫とかでもよかったのかもしれないが、鍵の部分にぶつけた時に砕けてわたあめに破片が飛んだら危ないので、自分が六年間共にしたアレに最後は、一度くらい活躍してもらう事にした。





瓦礫の中から鉄球を拾ってくると高く振り上げる。





「わたあめ、少し下がってて」


 わたあめが檻の隅っこに移動したのを見届けてから、思い切り鍵の部分に鉄球を、半ば投げつけるように振り下ろした。





がっしゃぁぁぁん





そんな音を立てて勢い良く鍵が吹き飛ぶ。


中に居たわたあめが目を丸くして衝撃にびっくりしていたが、鍵が開いた事に気付くと自分から扉を押し開けて脱出した。





「待たせてごめんな。久しぶり」


「きゅーい♪ひさーぶり!あーがと!」





 可愛いやつめ。


僕は久しぶりのわたあめを思い切り抱きしめた。





六年前に抱きかかえた時よりも断然鱗が硬くなっているし、身体も二倍以上大きくなっている。


以前と同じように飛びついてくるもんだからその重さに少しよろけて転びそうになってしまった。


「ごめーん」


 しゅん、とうなだれるわたあめの頭を撫でて、もう大丈夫だよ。と言うとわたあめはバタバタ羽ばたいて久しぶりに宙に浮いた。


体重のせいか、または久しぶりだったからか少し飛びづらそうだったが、すぐに慣れたように僕の周りをくるくる飛び回った。





「どーする?どーする?」





 このあとどこへ逃げるかっていう事だろうか?僕が少し黙って考えていると、わたあめは想像もしていなかった事を言い出した。





「どーする?るーいたすける?」





 …なんだって?





「るーい、ごはんくれるときやさしい。すき」





 …ルーイの奴、僕にはあんなにそっけなかったくせにわたあめには優しくしてくれていたのか…。





「わたあめは助けたいの?」


「たすけるしたい」





 そっか。





 じゃあ答えは一つだ。



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