◆生徒に怨まれる話

 昨日の事が嘘であればいいのにと思いながら目を覚まし、部屋の隅で丸くなっている悪魔を見ないふりして学校へ行く準備を整える。


 結局昨日は白雪もあまり寝ていないようだ。準備が終わるまでピクリともしなかった。(そもそも悪魔に睡眠が必要なのか?)それにしてもなぜ布団を用意してやったのに部屋の隅で体育座りしているのだろう。謎だ。


 あまり朝からカロリー消費をしたくないので起こさずにひっそりと部屋から出る。もちろん俺が居ないと何かと面倒をおこしそうなので「学校に行ってくる。部屋で静かにしていてくれ」と書置きを残しておいた。あとはおとなしく待っていてくれるのを祈るしかない。


 まだ静かなところをみると母さんは昨日の夜から帰ってきていないらしい。父さんについては滅多に家に帰ってこないから居なくてもおかしくはない。意外とブラックなところで働いているんじゃないかと不安になるが、本人は頑なに否定している。


 玄関から出て鍵をかけていると隣家の玄関からおはようと声がする。


「おはようハニー。昨日は一家団欒楽しめたか?」


「楽しかったは楽しかったんだけど久しぶりに会ったからずっと遺跡調査の話をしててさ、あまり寝れなかったんだよ。でも、これからはこれが普通になるんだよね。おとちゃんにはこの身を捧げる覚悟なんだよ」


 そんな覚悟はいらん。その代りあの悪魔をなんとかする方法を考えろ。…まぁ多少遊ばせてやってからでもいいんだが。





 ハニーと一緒にいつもの通学路を歩く。家からバス停までがだいたい歩いて五分、そこからバスで二十分程度で俺達が通う倶理夢学園に到着する。どちらかが体調不良で学校を休む、なんてことにならない限りはいつもハニーと一緒に登下校しているわけだが、意外とハニーは学校の男子からウケがいい。いや、好かれている。むしろ崇拝している輩までいるくらいだ。高校生とは思えないほどの小柄な体。あどけない顔立ち、そして誰にでも分け隔てなく接する明るさ。名前の不自由というハンデを持って生まれた身ながらその全てを外見と性格でカバーしているのだからたいしたものだ。


 そしてその人気者をハニーと呼びいつも行動を共にする俺は何かと敵が多い。こいつとは親友ではあるがそれ以上ではないのに困ったものである。


 バスに乗り込むだけで数人から悪意というか敵意のこもった視線を向けられるのは悲しいが、もう慣れてしまった。


 ハニーはそういう視線に気付くとその相手に微笑みかけて軽く手を振ってやるのだ。だいたいの場合はそれで解決する。相手もハニーに嫌われたくはないのだろう。その分俺が一人の時などは始末に負えない。お前はあの人のなんなんだなどと歌の歌詞みたいな事を言ってくる。友人だと言って信じてくれるなら話が早いのだが、概ね直接突っかかってくるような輩は人の話を聞かないし聞いたとて信じようとはしない。


 俺は特別喧嘩が強いわけではないし面倒ごとは御免なので根気よく説得し、それでもダメなら最終手段。相手の写メを撮って、こいつにボコられたってハニーに言うぞ?と脅せばみんな諦めて帰ってくれる。たまーに本当にボコられることもあるのだが、その場合翌日からそいつは学校に来なくなる。理由はあまり知りたくない。ハニーの危険な一面は見ないふりに限る。


 ハニーと他愛もない会話をしながら学校へ到着すると、教室の中がなにやら騒がしい。


 騒がしさの元凶は…ほぼ毎日同じである。


「はぁ?わたくしは庶民の癖にわたくしの机に汚い手で触れないで下さいと懇切丁寧にお願いしているだけですわ。貴方は庶民らしくわかりましたお嬢様と土下座すればよいのよ」


 …ただ単に自分の机に男子が手をついていたことが気に入らなくて文句を言っているだけだろう。いつものことである。


 文句を言っているのはこのクラスで、いや、この学校でも屈指の問題児と言っても過言ではない少女。なにせ理事長の娘だから、という理由だけでは納得できないほどのお嬢様気質というか貴族思考というか。とにかく面倒だから関わりあいたくない人種である。


 彼女の名前は御伽おとぎ・ファクシミリアン・有栖ありすという。最初の頃は皆影でファクシミリだとかファックスなどと呼んでいたのだが、彼女の奇行がエスカレートしていくにつれ段々とファックの呼び名がついた。勿論本人に言えるような度胸のあるものはこの学校にはいない。いや、ハニーなら気にせずに言ってしまうのかもしれないがあいにくとハニーは有栖にまったく興味がないのだ。


 俺の席は窓側の一番後ろの席。その前がハニーの席なのだが、勿論偶然でこんな配置にはならない。席替えの際俺が座っている席をくじで当てた男がハニーに献上したのだ。しかしハニーは隣か前の席も確保して来いとそいつをうまく利用して、現在に至るわけである。今回に始まった事ではなく、毎回だいたいこうなる。場所が違うことはあっても俺とハニーが近くの席にならなかった事はない。なんというか俺の幼馴染は末恐ろしい奴なのである。


 ただ、今回隣の席だけは確保できなかったため前の席になった。正確には確保できなかったのではなく確保しようとしなかった。なにせこの席を献上されてから決まった俺の隣の席には…


「庶民が。何をものほしそうな目で見ているのかしら?汚らわしいからやめてくださる?」


 …というわけである。こいつはちょっかいかけなければ授業中も休憩中も静かなのであえてこの席でいいとハニーにOKを出したのだが、少々判断を間違えたような気はしている。


「はいはーい野郎ども席につけー♪」


 物思いにふけっている間に担任の織姫先生がガラガラと乱暴にドアを開け放った。


 織姫咲耶おりひめさくや。このクラスの担任だ。身長は低く、ハニーより少し大きいくらいで癖のあるロングヘアー。丸い眼鏡をかけて白衣を羽織っている。幼い顔立ちに当初はファンも多かったのだが、とにかくガラが悪い。発言も行動も乱暴故に一人また一人とファンを卒業していった。今残っているファンといえば俺くらいのものである。


「野郎どもよろこべー。今日は美少女の転校生がいるぞー」


 …。歓喜に騒めく教室、それと反比例するかのように血の気が引いていく俺。


 いや、さすがにいくらなんでもそれはないだろう。ないはずだないと言ってくれ。


「転校生の星月白雪さんだ。入ってきていーぞ」


 悪夢だ。いったいどんな手を使ってここを調べた?そして入学手続きをしたんだ。


 いや、きっとあいつの力があればそんな事くらい簡単なのだろう。人の記憶操作やらいろいろとブラックな事をやりやがったに違いない。その際使った力分の代償はどうなってるのかあまり考えたくはない。


「初めまして。シラユキいいます。海外暮らし長かったので日本語あまり上手くアリマセン。今は親戚の乙姫君の家で暮らしてます。ヨロシク」


 おいおいおいおいおいおいおいおい。クラスの男子全員が俺を親の仇のような目で睨んでいるではありませんか。そういう適当な設定で人に迷惑をかけるのをやめて頂けませんか。俺は平和に暮らしたいんだよ。


「野郎ども、盛り上がるのはいいがいきなり転校生を囲んで質問攻めとか迷惑な事はやめろよ?そういう気の利かない男は一生独り身どころかいつまでもチェリーボーイで惨めな人生を送ることになるからな」


 転校生への絡みを抑制されさらに俺への敵意が激しくなったような気がするが知らんぷりするのが一番だろう。たのむからそっとしておいてくれ。


「でも乙姫君は童貞か聞いたら違う言ってマシタ」


「おやおや、もうそんな話をするほど乙姫と仲がいいのか。じゃあ席はとりあえず隣にしといてやったほうがいいな。おい乙姫、白雪の面倒を見てやれ」


 机に突っ伏して頭を抱える。この現実から逃避していたい。


「ちょっとまって下さいまし。この庶民の隣の席といえばここ、わたくしの席ですわよ?この席を彼女に譲れと言いますの?」


 この展開に待ったをかけたのはもちろんファック…もとい有栖だった。いいぞ、もっと言ってやれ!今はお前だけが希望だ!


「アー、でも私まだ何もワカラナイので乙姫君の隣にいたいデス」


 そう言いながら白雪はゆっくりと有栖の席に詰め寄る。


「ちょっと貴女、わたくしがいる限りこのクラスでそんな勝手は許しませんわぐおぉぉぉぉー!!!」


 ぐおぉぉ?


 白雪に対しヒートアップしていた有栖が突然腹部を抱えて崩れ落ちた。


「どうしたデス?具合悪いデスか?」


 白雪が心配そうな振りをして有栖の肩に触れる。


「ま、負けません、わたくしこんな腹痛如きに負けるような女でふぁぁぁぁぁ…」


「お、おい御伽、腹痛いならさっさとトイレ行ってこい。ここでもらされたらたまらんぞ」


「き、教師が生徒に向かってなんて事をお言いになるのですか!私はっ、ちっともっ、腹痛なっ…ど…」


 絶対白雪がなにかやりやがった。有栖のこんなみっともない姿は誰も見たことがなかったらしくクラス中顔が引きつっている。


 プライドの高い有栖の事だからきっとこれ以上ないほどの屈辱だろう。ましてやこのまま我慢して本当にここでぶちまけるような事があったら…こいつ死ぬんじゃないか?


 仕方がない。俺にも責任が無いわけじゃないからなぁ。


「咲耶ちゃん、こいつずっと朝から体調悪そうだったんだよ。熱とかあるかもだし保健室つれてっていい?」


「咲耶ちゃん言うな織姫センセだろこんにゃろ。…まぁそういう事なら早く連れてってやれ」


「ほれ、保健室いくぞ。手貸そうか?」


「しょしょしょ庶民の手なんか借りなくってもももぉぉ!おぉぉどうしてもって言うならぁぁぁ……あ、」


 ヤバい。


 慌てて有栖を抱えて教室を出る。俺のクラスは廊下の一番端で、トイレはその反対側だ。


「待ってろ、すぐに連れてってやるからもうちょい我慢しろ!!」


「しょ、庶民の癖にわたくしをこんな、や、やめてみんな見てる、ほかのクラスの人達がわたくしたちの事見てますの!」


 そりゃある意味有名人の有栖がお姫様だっこされて廊下を疾走していれば注目くらい浴びるだろう。俺だってこんな注目浴びたくないし絶対あとで面倒な事になるのはわかってるけど…


「教室でぶちまけるよりマシだろ!我慢しろ!」


「ぶ、ぶち?失礼な!わたくしがそんなはしたないここここおぉぉぉぉ…もう、ダメ…」


「着いたぞ!行ってこい!!」


「お、おんにきますぅぅぅぅ!!」


 女子トイレに有栖を放り込んで今きた廊下を振り返ると、以外にも教室の窓からこちらを見る顔はひとつもなかった。


 教師が野次馬を止めたのか…あるいは皆関わりたくなかったのか…。どちらだろう。


 じゃーじゃーとやたら水を流す音が聞こえてくる。


 …あ、そうか。聞かれたくない音っていうのもあるもんな。少し離れて待つか。


「ちょっと貴方、まだそこにいらっしゃるの?」


 離れるより先に中から声が聞こえてきた。どうやら俺に言っているらしい。


「あぁ、ごめん。なんなら先に教室に帰って…」


「ダメ!」


 …えっと?辱めを受けた屈辱をなんたらでひどい目にあわされるのではないだろうな。俺はむしろ恩人だぞ恩人。俺がいなかったらどうなっていた事か…いや、俺がいなきゃ白雪が来ないからこんなことにもならないか…うーん、責任の所在が難しいところである。


「聞いてますの?」


「あ、あぁごめん、どうすりゃいい?」


「今、ひとりにしないで下さいまし…お願いですから」


 消え入りそうな声を聞いて、なんというか有栖も人の子なんだなと思うとともに、変なやつ、危ないやつとしか思っていなかったことにちょっとだけ申し訳なさを感じた。


 五分ほどして有栖がトイレから出てくると、俺の顔を見るなり目に大粒の涙を浮かべた。


「な、泣くなって、クラスの奴らには具合悪くて保健室行ってたで済ませばいい事だし俺も他言はしねぇよ」


「…いますの」


「…え?」


「ちがいますの…実は、わたくし…その…」


 なんだ?むしろ危ないところを助けてくれてありがとうとかキャー大好き愛してるとかそういう流れになるのか?大歓迎ですけど?


「あの、じ、実は…ここまで来て隠しても意味がないので正直に言って協力を仰ぎたいのです」


「えっと…だからどうしたの?」


「急かさないで下さいまし!恥ずかしくて死にそうですわ…さ、先ほど…あの、少々、間に合わなくて…」


 雷に打たれた。


 なんだこの展開は。どうしたらいい、こんなとき、どんな顔したらいいかわからないの。笑うのだけはダメ絶対。


「お、おう、じゃあ…その、被害は?」


 有栖は俯きながら、「し、下着、が…」と呟いた。


 …どーすんだよこれ、白雪のやろうあとでお説教だぞ!


「わ、わかった。とりあえずその下着どうした?」


「まさかほしいんですの?このけだもの!」


「ちげーよ!俺を変態扱いすんな!今そのまま身に着けてるわけじゃないだろうな?」


「さ、流石に…わたくしも迷ったんですけれど…トイレに生理用品用のごみ箱があってビニール袋がついてましたので、その…」


「それに入れて持ってるって事だな?その下着が貴重なものじゃないならどっかに捨ててくるのが一番だけど昔の学校みたいに焼却炉なんかないからなぁ…誰にも見つからないところに隠すか、匂いとかが漏れないようにきちんと袋を縛ってしまっとくしか…」


「に、にににに匂い?失礼な!!…いえ、確かにそうなんですけれども…なんというかもう少し言い方というものが…辛いです。死んで下さいませ」


 急に死ねと言われましたよ。


「とにかく今のところはそれしかないだろ?そんな事よりも、下着を袋に入れて持ってるって事は…今もしかしてノーパ」


「うぐっ…けだもの…」


「ごめん泣くなって!そうじゃなくてだな、ノーパンのままスカートで過ごすわけにもいかないだろノーパンなのがバレたら大変だ、それどころか見られたらもったいない!」


「ノーパンノーパン連呼しないで下さいまし!それにもったいないってどういう意味ですの?」


「それは気にするな!とにかくノーパンのままじゃまずいだろ。体操着とか持ってきてるか?」


「教室に行けば体育用のショートパンツが…」


 短パンならスカートの中に着こんでも大丈夫だろう。あとはどうやってそれをもって来るかだな…。仕方ない。ハニーを召喚しよう。


「なぁ有栖、お前は嫌かもしれないが俺が信頼している人間にヘルプを頼もうと思う。許可してくれ」


「もう一人にこの惨状を知られるという事ですの?…でも、仕方…ありませんわね。どうせ舞華さんでしょう?構いませんわ。このままよりよっぽどマシですもの」


 そうと決まればハニーにメールだ。


 数分後、有栖のスポーツバッグを持ったハニーがやってきた。


「それにしてもさ、白雪さんが転校してきたとおもったら御伽さんが具合悪くなっておとちゃんがお姫様だっこして走っていくんだもんびっくりしたんだよ。ちょっと楽しかったけど」


「楽しいだなんて、酷いですわ…わたくしにとっては今日だけで一生分の恥をかいた気分ですのに…」


「ごめんね、でも御伽さんが困らないように言い訳してもってきたから安心して」


「…わたくしの為にすみません。助かりますわ」


「ううん、ボクは御伽さんにはなんの興味もなかったしおとちゃんの頼みだから気にしないでいいんんだよ。むしろこれは貸ができたなって思いのほか嬉しい展開なんだよ」


「お、乙姫さん、この方は本当に大丈夫なんですの?」


 …たぶん、ね。


「なんて冗談冗談♪実を言うとね、ボクおとちゃんに暴言を吐く人って認識だったから御伽さんの事嫌いだったんだけど結構印象変わったしもうそんなふうに思ってないから大丈夫なんだよ♪」


「お、乙姫さんやっぱりちょっとこの方怖いですの…」


 いつのまにか庶民から乙姫さんに昇格したらしい。できれば乙姫乙姫連呼しないでほしいのでもうワンランクアップしておとちゃんにでもなってくれればいいのだが。


「一応言われた通りバッグは持ってきたけど薬入ってるバッグってこれでいいのかな?」


「あ、あぁ助かるよ。保健室の薬じゃなくて自前の薬飲みたいって言うからさ」


「はい、じゃあ確かに渡したからね。とりあえずボクは教室に行ってるんだよ」


「あ、あの…助かりましたわ。本当に、感謝いたしますの」


「薬もってきたくらいでおおげさなんだよ。感謝してるなら今後ともおとちゃんとは仲良くしてね♪」


 そういうとハニーは今来た廊下を機嫌よさそうに歩き出すと、一度振り返りこんなことを言い残していった。。


「あ、そうだ。言い忘れたけど結局御伽さんの席は一つ隣にズレて、おとちゃんの隣は白雪さんになったからねー」


「し、仕方ありませんが了解ですわ」


「よかったのか?席譲りたくなかったんだろ?」


「…本当は嫌ですけれどこんな状態ですし大事の前の小事というやつですわ」


 まぁ今はそんな事考えてる余裕なんかないってことだろう。男がズボンでノーパンなのとはわけが違うからなぁ。


「ところで…乙姫さんあなたわたくしの状況を舞華さんに説明しなかったんですの?」


 嬉しいような少し怒っているような複雑な表情で有栖が呟く。


「そりゃ余計な事いう必要ないだろ?要はこのバッグがここまで無事に運び出せればよかったんだからさ」


「…何から何まで、本当にありがとう。わたくし本当になんとお礼を言っていいか…」


 いや、その感謝は少し心苦しい。ある意味俺のせいでもあるしなぁ。


 その後、一応まだ腹痛が完全に回復しているのかわからないので念のために有栖を保健室へと連れていき、今日のところは早退するように勧めた。


 先に俺が教室へ戻ると、相変わらずクラスの目は冷たい(一部は怒りに燃えて熱い)まま。しかし小一時間もする頃にはなんとか平穏を取り戻しつつあった。


「ところでなんでお前こんなところまでついて来たんだよ」


 休み時間に小声で白雪に問うと、「お主とあまり離れると都合が悪いと言わなかったか?それとももうそんな事も忘れてしまった可哀そうな頭なのかのう?」などとのたまう。


 ちなみにあの妙なキャラ設定は俺の部屋にあった漫画に影響されての事らしい。白雪にとっては授業も意外と楽しいらしく、どうやらこのまま転校生として学校に通い続けるつもりらしい。


 それと、どうやってここを調べたかは単純明快だった。ハニーに取り憑いていた時にそういえばこいつも一緒に学校に来ていたんだった。俺も見ていた筈なのにそんな事も気付かないとは情けない。


「それはそうと今日はほんの少しじゃがなかなかいいご馳走を頂いたぞ。その調子でどんどん頼む」


 一瞬なんのことかと思ったが有栖との一件で俺が体験した感情の浮き沈みというかドキドキと罪悪感などがこいつのエネルギーとして献上されていたらしい。昨日のHD復活分くらいにはなっているといいのだが。


「しかし学校というものは授業は楽しいがクラスメイトとやらが煩わしいのう。結局あの織姫という教師が教室から出ていくなり取り囲まれてしまって本当に面倒だったのじゃ。わらわに対する興味を一人一人削ぐのもなかなか疲れたわ」


 クラス全員になにかしらの精神汚染を…やっぱりこいつは悪魔である。そのうち俺にも何かやってくるんじゃないかと心配でしょうがない。


「しかしあの小娘はなかなかいじり甲斐のあるやつじゃな。今後が楽しみじゃ」


 有栖もこんな悪魔に目をつけられてしまっては今後の人生大変なものになるだろう。むろん俺ほどではないが。





「ねぇおとちゃん、白雪さん。今後の食事の確保についてなんだけど、何かプランとかあるのかな?」


 放課後になり人もまばらになった教室で、ハニーが心配そうに聞いてくる。


「あまり食料の供給が滞ったりしたらおとちゃんの精気が吸われちゃうんだよね?何か適度な悪事を働かないといけないんでしょ?」


 そうなのだ。のんびりしてると命が危ないし慌てて無茶なことをやって警察沙汰にでもなろうものなら俺の人生が終わる。笑って済まされる程度のうまい具合な悪事を働かなくてはいけない…実に難題である。


「その点については安心するがよい。まずは手ごろなのを考えておる」


 自信満々に胸を張る悪魔の笑顔がとても奇麗に感じてしまいそれも相まってとても嫌な予感がした。





「これから皆はぶかつどーとやらなのじゃろう?さぁ、女子運動部の部室へれっつごーじゃ♪」


 嫌な予感はすぐさま的中する事になった。





 騒がしい校庭にはいくつもの部活が練習を行っている。部室棟は教室などがある 本棟から渡り廊下で繋がっているのだが、校庭から丸見えなので人の視線がこちらに向いてない時を見計らって一気に渡らなければならない。できる限り俺が部室棟へ行ったという痕跡を残したくないのだ。


 もとより帰宅部の俺はこの渡り廊下に居るだけで不審者となってしまうだろう。


 もちろん現在校庭に居るのは俺の学年だけではないわけで、俺の事を知らない人間もいるだろう。でもだいたいどの部活にも見知った顔はいるのだ。


 こういう時に限ってハニーは家族と買い物に出かけるとかで先に帰ってしまった。ハニーと一緒なら万が一の時になにかと言い訳がきくのだが…白雪はほかの日に決行日を移すつもりは全くないらしいのでやむを得ず俺が単独で挑むことになった。


 当の白雪はといえば、透明状態で俺の頭上から高見の見物モードに入っていて、俺の様子を見ながらひたすらニヤニヤしている。


 おお神よ、もし本当に貴方が存在するというのであればこの悪魔に天罰を与えたまえ。


「ほれさっさと行くのじゃ。日が暮れてしまうぞ?」


 まだ部活動は始まったばかりだが、もたもたしていると部室に着替えを取りに来る生徒なども現れるかもしれない。確かにやるならすぐが一番安全だ。


「それで、俺は部室に行って何をしてくればいい?」


「うーんそうじゃのう。じゃあとりあえず女子の服でもかっぱらってきてもらおうかの」


「服を盗まれた子はどうやって帰るんだよ!」


 体操服のままバスや電車に乗ったりするのは恥ずかしいだろう。それに制服盗むなんて事になったら取られた方は大変だぞ。そこまで安いもんでもすぐに代わりを用意できる物でもない。


「馬鹿じゃのう。運動部の部室じゃぞ?汗まみれになった服だけじゃなくその中までしっかり着替えていく娘もおるじゃろう。ならば用意がある筈じゃ。それを探し当てればいいんんじゃよ」


「俺に下着泥棒になれって言うのか!」


 白雪は一瞬俺を蔑むような眼で見た後、くっくっくと笑いながら「その通りじゃ」と呟いた。


 俺に拒否権は無いらしい。とにかく、やるとしたらすぐに見つけてすぐに出てくるしかない。下着まで着替えるとなると女子だけの部活に限られる。この学校で女子だけの運動部があるのは…女子バレー部と、女子バスケ部、ソフトボール部、それと…確実に下着を脱ぐであろう部活、水泳部。水泳部は男女混合だが、女子専用の更衣室があるので数に入れてもいいだろう。


 …どれだ、どれにする。俺が一番安全にこの最悪なミッションを完遂することができるのはどの部活だ?


 しばらく考えたのち、水泳部は候補から外す事にした。水泳部の更衣室に行くには渡り廊下を渡って部室棟を抜け、体育館の脇を通り校庭を回り込む形でプール隣まで行かなければならないからだ。いくらなんでも遠すぎるし誰かの目につくだろう。そうなればバレー部かバスケ部、ソフトボール部の中で選ばなければいけない。


 …そうか。陸上部だ。陸上部なら今校庭で各種競技の練習を行っている。その先の体育館からやってくる生徒を気にせずに済むし女子更衣室も完備だ。記憶が正しければ部活棟の一階にあったはず。生還率が一番高い。よし決めた。


 その時、校庭の一番奥で練習をしていた野球部で怪我人が出たらしく校庭がざわつき、皆が野球部の方へ意識を向けた。俺はその瞬間を逃さずに全速力で渡り廊下を走り抜け、部室棟の扉を開け放つ。


「よし、誰も居ない!」


 まずは第一段階クリアだ。ここで人に遭遇するようじゃ何もできずに退散するしかない。その方がむしろ俺の人生の為にはなったのかもしれないが対価という借金を払うためにはやむを得ないのだ許してくれ罪なき女子よ!


 誰も来ないことを確認し、陸上部の部室を目指す。男子更衣室と女子更衣室、ドアにでかでかと張り紙がしてあったので間違いはない。女子更衣室のドアを少しだけ開けて中の様子をうかがおうとすると、鍵がかかっている。これではミッションどころではない。


「まぁこのくらいはサービスじゃの♪」


 白雪がニヤニヤしながらそういうとがちゃりと鍵の開く音がした。


 考えている場合ではないので静かに扉を開ける。中には誰も居ないようだったので急いで中に滑り込み一番近くにあったロッカーを開けると、そこには倶理夢高校のマーメイドと名高い人魚泡海ひとな あみ先輩の名札がついたスポーツバッグが置いてあり、そのうえには制服が吊るしてあった。


 陸上部で何故マーメイドなのかといえば、単純な話で水泳部と掛け持ちをしているのである。水泳の方は偶に顔を出す程度らしいが彼女が参加する際は男の人垣が出来るほどギャラリーが集まるらしい。個人的には学校指定のスクール水着属性は無いので見に行ったことはないし、長い黒髪を水泳キャップに格納してしまうのは勿体無いなと常々思っている。とにかく学校のアイドルというやつだ。


 マジか…いきなりとんでもない物を引き当ててしまった。こんなことをしているのがバレたら全男子生徒を敵に回すことになる。どうする?ほかのにするか?いや、どっちみちバレた時点で人生は終わりだ。なら大物を狙うのも仕方ないというか、うん、これでいいよね!


 開き直ってスポーツバッグを開ける。俺の心臓はすでに破裂しそうだった。許されざる事をしている罪悪感、背徳感、そして、少々の知的好奇心が俺を突き動かしている。


 …が、しかしそのバッグの中には特にこれといって着替えの類は入っていなかった。


「おやおや残念じゃのう、ほれさっさと次にいかんか」


 言われるがままに隣のロッカーへと手を伸ばすが、そこもたいして中身は変わらなかった。やはりそこまで着替えるような女子はそうそういないのだろうか。


 片側のロッカーを端まで開けたところで、それなりに時間が経過している事に気づく。まずい、そろそろ人が来てしまうかもしれない。次を最後にしよう。それで何もなかったらさすがに今日のところは諦めてもらうしかない。


 一番奥の、反対側を最後の一つと決めてロッカーを開ける。他のロッカーと同じように制服がハンガーにかけて吊るしてあり、下にスポーツバッグが置いてある。開け放つとハンカチや少々の雑貨に紛れて小さな袋を見つけた。軽い。これは当たりかもしれないぞ。


「あ、あ、あああ貴方、何して…」


 その瞬間、俺の思考回路は凍り付き心臓は破裂した。誰かが部室に帰ってきてしまったのだ。


 こんな事ならもっと早くに退散すべきだった。あと一つなんて思わず逃げていればこんな事には…


「あ、貴方…そ、その手に持っているのは…わ、わたくしの…」


 …わたくし?


 最悪に嫌な予感が俺を現実へと回帰させた。ゆっくり振り向くと、そこには早退していると思い込んでいた有栖が。…という事は。この、袋は。


「あ、有栖、違うんだ!これには事情が…というか早退したんじゃなかったのか!?」


「あのあと保健室でずっと休んでいたのですけれど調子が良くなってきたので部活くらいは出て帰ろうと…でも、その…下着を履いてないものでいろいろ気になってしまってやっぱり早上がりをさせてもらう事に…ってそうじゃありませんわ!いいいいったい、貴方はわたくしの、その、アレな下着をどうするおつもりですの!?」


 やっぱりアレか!


「なんでこんな物持ち歩いたまま部活なんて出ようとしたんだ!」


「わたくしが責められているんですの!?あなた自分が今何してるかわかってらっしゃるの!?」


「本当に事情があるんだ!むしろ見つかったのがお前でよかった。これの事は黙っててやるから見逃してくれ!」


 我ながら最低である。しかし俺はなんとしても生きて帰らなければいけないのだ。


「脅迫するんですの!?事情がっていったいどんな事情があったらわたくしの、その…アレな下着を…やっぱりけだものですわ…」


 有栖が大粒の涙をぼろぼろと床に落とす。やめてくれ一日に二度も同じ女子を泣かすなんて俺の人生にあってはならんのだ。


「わかった、あとで全部説明するから!」


「…本当に、それなりの事情があるのでしょうね?わたくしが納得できる理由じゃなかった場合は…わかってますわね?」


 …悪魔に命じられてやりましたなんてこの場で言っても信じてもらえるわけがない。とにかく今はこの場をやり過ごすことに全神経を集中させるんだ。


「あっれー?有栖ちゃん?ほかに誰かいるのー?」


 廊下の外から声がする。他の部員だろうか?どちらにせよ俺の人生はここで王手をかけられてしまった。有栖に見逃してもらっても外には逃げられない。こうなったらまた借金を増やすしか…





「あれ?誰も居ないじゃん。どしたの?」


「あら、申し訳ありませんわ。少々急用で家に電話をかけてましたの。声が少し大きかったかしら?」


「あ、そーなんだ?それならいいんだけどたまに男子が覗こうとしてきたりするし昔は盗難事件とかもあったみたいだから有栖ちゃんも気をつけなきゃダメだよ?」


「はい。ありがとうございますわ先輩。でも、そんな外道な輩が現れたらわたくしただでは済ましませんので大丈夫ですわ」


「そ、そーなんだ?といっても女の子だからね、男なんてみんなけだものだから気を付けるに越したことはないよ」


「この子この前彼氏だと思ってた相手に彼女面するなってフラれちゃって男性不信なのよ」


「そうなんですの?やっぱり男なんてそんな生き物なんですわね」





 …借金を増やしてなんとかしようと思った矢先、有栖が自分のロッカーに俺を押し込んだ。


 声を聴く限り現在二人の女子が更衣室で着替えをしているのだろう。有栖がうまくごまかしてくれたようだが会話内容がそこはかとなく怖い。そして人魚先輩じゃない事に感謝と少々のがっかり感。


 ガチャ。


 身を潜めていると突然ロッカーを開けられて悲鳴をあげそうになった。


 有栖は口元に指を当て「静かにしてくださいまし」と呟きさっと制服を取り出しまたロッカーを閉じた。


 依然として外では他愛もない会話が続いているようだが、ふと


「ほうほう、乙姫よ、今外はちょうどいい具合じゃぞ。ロッカーの隙間から外を見てみよ」


 ロッカーの内部に白雪が頭を突っ込んできたのでまた悲鳴をあげそうになった。…が、ちょうどいいとはどういう事だろう。ロッカーには細い横筋状の穴が三本ほど開いている。換気用なのだろうか。とにかくそこから外を覗いてみると、有栖が体操服の上を脱ぎ、ブラウスを羽織ろうとしているところだった。


「こっ…これは…」


「な?ちょうどいいじゃろ?」


「た、確かに…ってこら、俺を覗き魔にしやがったな!?」


「もともと下着泥棒が覗き魔になったところで大して変わるまいよ」


 ぐぬぬぬぬ…まぁそれはそれとして見えてしまっているものは仕方ない。仕方ないのだ。


 ガチャ。


「うわぁっ」


 また急にロッカーが開けられ、俺はとうとう悲鳴をあげてしまった。慌てて口を塞ぐが、目の前には着替え終わった有栖が哀れむような目で俺を見ていた。


「…はぁ。もう二人とも帰りましたわ。さっさとここから出て下さいます?校門のところで待っていて下さいませ。しっかりと、話は聞かせてもらいますわよ」


「は、はい…」


 ドアの外を有栖に確認してもらって安全を確認すると、俺は一目散に逃げ出した。


「もうなんていうか穴があったら入りたい。」


 人目を避けながら慌てて教室まで逃げ帰り、荷物を持って校門へ行くと、そこには既に有栖が仁王立ちで待ち構えていた。


「遅いですわ。…私の事を無視して逃げ帰ってしまったのではないかと思ってしまいましたわよ」


 本当ならこのまま逃げ帰りたかったのだが残念な事に学校を出るという事はこの校門を通らなければならないという事だ。思いのほか有栖が早かったので逃げるタイミングを失った。


「わたくし、用事があると言って迎えの車はあと三時間は来ませんの。それまではみっちりと事情を説明してもらいますからね」


 最低でも三時間は拘束される事が確定しているらしい。


「でもさすがにこんなところで立ち話ってわけにもいかないだろ?このあたり喫茶店とかもあまりないし…今日のところは帰ったほうが…」


「構いません。ここで話しづらいというのであれば庶、乙姫さんの家でも結構ですわ」


 今絶対庶民って言いそうになっただろ。でもわざわざ言い直すあたりやはり一庶民からは抜け出せているようだ。


 って、今なんて言った?


「おいおい、さすがに家に来るなんて冗談だろ?」


「わたくしが冗談をいう類の人間に見えるのかしら?もしそう見えているのでしたら一度眼球を取り出してクレンザーで磨いてきなさいな」


 …変わったのは呼び方だけのようだ。





「なぁ、ほんとに家に来るのか?」


 バスに乗り込み、「バスとはこういう風になっていたのですわね」だとか「乙姫さん乙姫さん、このボタンは何ですの?押してもいいのかしら?」などと騒ぎながら我が家への道を進む。


「しかしあのボタンはああやって使うものでしたのね。私が押そうとした時子供が先に押してしまったのでやられたと思いましたがうかつに押さずに正解だったようで…ってちょっと聞いてますの?」


「いや、有栖ってほんとにお嬢様なんだなと」


「当り前ですわ。御伽家といえば由緒正しい…ってなんで笑ってますの?」


「なんというか有栖って面白い奴だったんだな。ただの変な奴かと思ってたけど…」


 今日一日で有栖に対する印象はかなり変わった。ただ奇行を繰り返す変人だと思っていたのだがきっとこいつと世間の常識にズレがあるだけなのだろう。


「馬鹿にしてるんですの…?」


「違う違う。クラスメイトがもっと有栖の事理解してやれればみんな仲良くなれそうなのになって思っただけだよ」


「ばっ、馬鹿おっしゃい。わたくしはわたくしの思うままに生きていくだけですわ。無理にそれを理解してもらおうなんて思いません。解る人に解ってもらえればそれでいいんですの。現に部活動ではそれなりにうまく先輩方と付き合ってますわよ」


 そういえば確かに更衣室に入ってきた二人とは普通に会話をしていたような気がする。接する面が運動のみならそれなりにやっていけるという事か。


「ところで、これが乙姫さんの家ですの?思っていたよりは普通の家ですわね。もっとボロ小屋のようなものだと思っていたのですが」


 ボロ小屋って…まぁ確かにうちは周りの民家から比べて少々ではあるが大き目かもしれない。


 まだ母親は留守にしたままのようなので鍵を開けて部屋へと通す。一応お客様なので台所からグラスに入れたお茶を持ってきて出してやった。


「あら気が利きますわね…これが乙姫さんのお部屋…わたくし男性の部屋になど生まれて初めて入りましたわ。もっと耐え難い臭いに苛まれるかと思っていたので拍子抜けですわ」


 こいつは俺を何だと思っていやがったんだ。


 有栖は一通り部屋の中をきょろきょろと見回すと、座布団を持ち上げ二三回叩いてホコリを落とすような仕草をしたあと、そこへ腰を下ろした。


「…ところで、確か白雪さん、でしたわね。あの方と同居してらっしゃるとか。先に帰ってほかの部屋にでもいらっしゃるのかしら?」


 …当の白雪は未だに頭上にぷかぷか状態なわけだが…どこから説明するべきか。


「おい有栖、ちょっとこれから俺が独り言を言うから気が狂ったとか思わずにちょっと待っていてくれるか?」


「えっと…独り言?なんですの?別に待つくらい待ちますが…」


「わかった。おい白雪、何をどこまで話していい?」


「ん…?何をどこまでとはどういう意味じゃ?話すためにここへ呼んだのであろう?」


「いや、そうだけどさ、お前の事とか簡単にほかの人に話して平気な訳?」


 白雪は、んー?と少し悩んだ後「いんじゃね?」と投げやりな返事をした。今日の騒ぎで俺から発せられたエネルギーをたらふく食べる事が出来たらしく、少々おねむのようだ。


「確かに独り言を言うとは言ってらっしゃいましたけれど…いったい誰と話してらっしゃるの?白雪さんとなのですか?」


「ん、あぁ。本人からお許しが出たから全部話すけど、実は俺今悪魔に取り憑かれてるんだよ」


「…はぁ」


 やめろ、その痛い子を見るような眼で俺を見るな。


「本当なんだ。一から説明するとだな、そもそもハニーのやつが…」





「…なるほど、それで止む無くいう事を聞かされていて、今日は女子更衣室に下着を盗みに行ったと。馬鹿なんじゃありませんの?それを信じろと…?」


「ですよね…信じられませんよね…」


 わかってた事だがどう考えても理解不能な話だろう。俺も実際有栖の立場だったらこんな反応になるに違いない。


「話が進まないからそろそろ出てきてくれよ白雪」


「ほいほい、めんどくさいのう。お主の話は要領を得なくて理解しにくいのじゃ。いつ呼ばれるのかと待ちくたびれたぞ。肝心な時にもたつく男は嫌われるんじゃぞ?」


 うっせー。


「え?ちょ、白雪さん?今どこから…」


 突然実体化した白雪が俺の背後に現れ困惑する有栖。


「白雪さんはマジシャンか何かですの?」


「…ほれ、伝わっとらんじゃないか。さっき乙姫が説明した通りわらわは悪魔じゃ」


 とたんに眉をひそめて無言になる有栖。


「なんじゃ?信じられんのか?お主の言葉を借りれば解る人間にだけ解ればいいんんじゃから信じなくてもわらわは何も困らんがの」


「あの、乙姫さん。この方…こんな喋りだったかしら?」


 有栖はどちらかといえば白雪の話す言葉使いの方が気になったらしい。


「こいつクラスではキャラ作ってたんだよ。普段はこんな喋り」


「キャラ?よくわかりませんが…とにかく白雪さん、貴女が悪魔だという証拠はありますの?」


「なんじゃこの時代の人間は…証拠証拠証拠証拠…昔は消えたり出たりするだけで皆恐れおののいたというのに…」


「なんでもいいですわ。悪魔だというのであれば手品の類ではないと思える何かを見せて下されば…」


「ほい」


 有栖の発言を打ち切って白雪がやる気のない声とともに腕を振る。


 「な、なんですの…こ…これ…は…」


 有栖が困惑するのも無理はないだろう。なにせ有栖の体が今現在進行形でムキムキのマッチョに変化していく。


「ちょ、やめて下さいまし!こんな筋骨隆々になってしまったら私は明日からどうやって生きていけば…」


 体だけではなく途中から声まで野太く…これはマッチョになったのではない。マッチョマンになってしまった。膨れ上がる筋肉に耐えきれなくなり服が弾け飛ぶ。本来ならお色気シーンなのだろうが今目の前にいるのはムキムキのお兄さんだ。俺の心は妙に冷ややかだった。


「きゃぁぁぁぁ!なんて事するんですの、わたくし今下はいて、嫌ぁぁぁぁぁ!」


 何かがボロンと見えた気がしたが見ないふりをした。有栖にあんなものはついていない。そう、ついていないのだ。だからアレは幻。もしついていたのならばこれは有栖ではなくただのマッチョマンだ。


 野太い声で悲鳴をあげつつ自分の体を抱え込むようにうずくまる有栖、もといマッチョメン。


「わかった、わかりましたわ!白雪さん、わたくしが悪かったですわ!早くもとに戻して下さいまし!」


「ほい」


 ポンっと小気味よい音がしてマッチョメンが白煙に包まれる。そこから出てきたのはまさに俺へのご褒美であった。


「よかった、元にもどれましたわ…って服!服は!?乙姫さんこっち見ないで下さいまし!見ないでってば!もう嫌ぁぁぁ!」


「わらわの事悪魔と信じるかえ?」


「信じます信じます信じますから早く何とかして下さいまし!」








「ひっく、えぐ…あうぅ…わ、わたくし、乙姫さんの事一生許しませんわ…」


 なんで俺なんだよ。


 仕方ないので俺の借金を増やして白雪に服も復元してもらった。今日はいろんな意味でなんて日であろう。一生忘れません。


「見ないでって言いましたのに…」


「あ、それはほんとすいません俺が悪かったです。しかし年頃の男性の前でクラスメイトが急に裸体になったら見るなというほうが無理な注文なのもわかってほしい」


「けっけだもの…」


「声に出てた!?」


 しかしながら目の前の見える物を見るというのは不可抗力でありどうにも抗えない事象なのである。どうがご理解頂きたい。


「やっぱりわたくしの事をそういう眼で舐め回すように見ていたのですわね…」


「そういえば更衣室でロッカーの隙間から着替えを見たあと穴に入れたいとかなんとか言っておったのう」


「おいちょっとお前は黙れこれ以上ややこしくするな!!」


「穴…入れたい…?どういう意味ですの?」


 どうもこうもない、俺が言ったのは穴があったら入りたい、であり穴に入れたいではない。誤解を招く言い方をするなこの痴女!


「…って、貴方まさかあの状況でロッカーの隙間からわたくしの着替え覗いていましたの…?」


 あー、それは、なんというかあれです。見える物を見てしまうのは不可抗力であり…


「と、とにかくだな、これで俺が嘘ついてないのがわかっただろ?」


 有栖は消え入りそうな声で「不本意ながら…」と呟く。


「本当にこの世に悪魔なんてものが存在するなんて未だに信じられませんけど…」


 有栖がそこまで言ったところで白雪が右手をかざす。


「待って下さいまし!もうあんな体になるのは嫌ですわ!…もう信じましたから許して下さいまし…。でも本当に悪魔に取り憑かれたのなら今後もあんな事を繰り返していく事になりますの?いつか捕まりましてよ」


 わかってる。その時は最悪また借金が増えるだけなのだがそうそう負債を増やすわけにはいかない。ほどほどにうまく悪事を働かなくては…。


「この男が心配なら小娘、お前も手伝ったらいいじゃろう?なによりわらわはその方が面白いからのう」


 悪い笑みを浮かべながら言う白雪に、何故か無言の有栖。


「…それについては少し考えさせてもらいますわ。乙姫さんには…その、一応恩もありますので」


 まじか。協力者が増えるのは非常に心強い。…あの腹痛が白雪の仕業なのは黙っておこう。


 その時、ぷるるると有栖の携帯電話が鳴った。デフォルトの着信音のままにしているあたり有栖らしいといえばらしい気がする。


「あ、もうこんな時間…ちょっと電話に出ますわね。…もしもし?はい。今少々訳ありで学校にはいませんの。…ええ、クラスメイトの男性の家ですわ。えっ、違います!そんなんじゃありませんわ!勘違いしないで下さいまし」


 しばらくして会話が終わると、「すぐに迎えが来るそうですわ」などと言うが、ここの住所などを一言も言っていなかったように思うのだが大丈夫なのだろうか。その疑問を有栖に伝えると「わたくしの携帯のGPSで場所はすぐにわかるはずなので問題ありません」だそうだ。便利な世の中になったものである。


「それにしても…殿方の家に上がり込むというのは、その…世間的にはお付き合いしているという事になるんですの…?」


「何を言い出すんだこの子は」


「馬鹿にしてますの?」


 いけない、また口に出ていた…。


「うーん、まぁ普通に考えたら男の家に女子一人で来てたら周りからはそう見られるかもしれないな。でも今回は白雪もいるんだしそう説明すれば問題ないだろ」


「そう、ですわね。気が動転してしまってそれを伝え忘れましたわ…。まだ白雪さんがクラスメイトという実感もなかったもので」


 そりゃ悪魔だし有栖はすぐに教室から退散してしまったからなぁ。


 十分ほどすると家の外に車が停まる音がしたので見送りに出る。


 玄関のドアを開けると、家の目の前には高級そうな黒塗りの外車と、運転席から降りこちらにお辞儀をした状態の老紳士がいた。


「爺、わざわざお迎えありがとうございますわ」


 有栖が感謝を述べると老紳士は顔を上げながら「とんでも御座いません。お嬢様が男性の家にいらっしゃるとの事でもう少し時間を遅らせるくらいの配慮をすべきだったかと後悔しております」と微笑んだ。


「もう、そういうのでは無いと言ったでしょう?」


「本当に、何事もありませんでしたかな?」


 含みを持たせたように老紳士が問うと、有栖は部屋での一件を思い出したのか一瞬言葉に詰まる。


「ほ、本当の本当に何も、何も有りませんでしたわよ!」


「そうで御座いますか。…これはいい知らせを頂ける日も近そうですな」


 有栖の態度から何かを勘違いした老紳士は俺に一度お辞儀をして「今後ともお嬢様を宜しくお願いします。何分色恋沙汰とは縁の遠い方でして」とにこやかに言う。


「有栖の言うようにほんとに何も無いですから、心配するような事も、期待するような事も」


 慌てて否定するが、多分あまり信じていない。きっとこの老紳士は有栖の事を孫か何かのようにでも感じているのだろう。それが他人ながらすぐに解るほど好意がにじみ出ている。


多野中たのなか!いい加減に帰りますわよ」


「はいお嬢様。それでは星月様、とても素敵なお嬢様ですから本当に何事も無かったのだとしても、是非ご検討下さいませ。それでは」


 この老紳士は多野中というらしい。物腰は柔らかいが俺はなんだか見合いを勧めてくるおばちゃんみたいだなと思った。





 有栖を乗せた車が遠ざかると、「いつの間に家に遊びに来るほどの関係になったの?」と背後からハニーの声がした。隣家なのだから玄関先での声が聞こえるのは当然である。が、やましいことがあるわけでもないのになんだか気まずい。


「まぁボクも御伽さんにおとちゃんと仲良くしてねとは言ったけど…ちょっとびっくりしたよ。もしかしておとちゃんってああいう子が好みなのかな?」


 俺が気まずくなる必要なんてどこにも無かったかのようにニヤニヤと笑い、俺のわき腹の辺りをつついてくる。可愛いやつめ。


「まさか、俺の好みはいつだってマイハニーと咲耶ちゃんだけだ」


「…もしかしてろりこ」


「ちがうからね!ハニーも咲耶ちゃんも小さいけど断じてロリコンじゃないからね!!」


 それだけは否定しておかなければいけない。そもそも咲耶ちゃんと初めて会った時には俺の方が断然小さかった。


「俺は頼りになる人が好きなんだよ」


「じゃあおとちゃんはボクの事大好きなんだね♪」


「はいはい」


 そんなやり取りをしてお互い自宅へ帰る。


 部屋にもどると白雪は「おそいのじゃー」と文句を言いながらもこちらを見ようともせずただ転がってだらしなくポテチをつまみながら漫画を読んでいた。


 こうしているとただのズボラ女である。人間味が感じられる事で油断してしまうが俺はこいつの言うとおりに指令をこなさないと精気を食われて死んでしまうのだ。気を引き締めないと。


「おー、銀行強盗か、それもおもしろそうじゃのう」


 漫画のワンシーンでそんな叫びをあげる白雪に、夜通し銀行強盗の不毛さを訴える事になった。


 だめだこいつはやくなんとかしないと。








 翌朝。咲耶ちゃんを眺めながらの癒しホームルーム中に予想外の出来事がおきてしまう。


「星月乙姫さんはこのクラスですか?」


 ガラガラと教室のドアが開かれ、俺を名指ししてきたのは、我が校のマーメイドだった。


「おい人魚。今なんの時間かわかってっか?織姫せんせーのありがたーいホームルーム中なんだが。むしろなんでこんな時間にうろついてやがる」


「織姫先生、申し訳有りません。とても…とても大事な用があってまいりました。星月さんをお借りします」


「まーべつにいっかー」という咲耶ちゃんの前を通り過ぎ、俺の机の前までやってくる。


 クラスの男女ともに、憧れの存在が突然教室に現れたことに驚きながらも色めきたっている。


「泡海先輩?この庶、乙姫さんに何か御用ですの?」


 有栖が先輩に問いかけるが、未だに俺の事を庶民と言いそうになるのかこの子は…。


 しかし今の俺はそれどころではない。隣で白雪がクスクス言いながら満足げな顔をしている。今お前に栄養なんぞやりたくない。先輩が俺になんの用か。そんな心当たりなどひとつしかない。何故だ?何をしくじった?


「あら御伽さんもこのクラスだったのね。ごめんなさいね騒がせてしまって。でもすぐにでも星月さんとお話したいことがあるの。とても、大事な話なのよ」


 クラス中がざわつく。やめろ、お前らが心配しているような内容ではない。それどころか死刑宣告に近い。これ以上負債を増やしていたら本当に死んでしまう。


 その時、顔面蒼白の俺に救世主現る。


「人魚先輩、だったよね。おとちゃん困ってるよ?それに今授業…中じゃないけどホームルーム中だしもう授業始まるし」


 そうだマイハニーもっと言ってやれ!


「……。」


 人魚先輩は無表情だったが、その瞳には何故か動揺の色が見えた。


「人魚先輩?聞いてる?」


「………………。」


 先輩は我が救世主マイハニーをじっと見つめたまま口を半開きにして固まっていたが、ようやく震える声で「お、おお、御伽さん、この方はいったい」と口を開く。


「この方って…舞華さんの事ですの?乙姫さんのお友達ですわ」


 有栖にハニーが我が盟友である事を告げると、「そ、そう。そうなのね」と呟き、大きく一度深呼吸をする。少し落ち着いたのか無表情にもどった。いったい何が彼女を慌てさせたというのだろう。そちらの件については見当がつかない。


「舞華さん、とおっしゃるのね。なにも彼に害をなそうというわけではないの。今すぐにでも確認したい事があって、星月さんをお借りしたいのだけれどダメかしら…?」


「それ大事な話なの?」


「ええ、とても…。ここで話すのは星月さんにも迷惑がかかってしまう事だし出来ればお願いしたいのだけれど…」


 ハニーは少し考えてから、「って言ってるけどおとちゃんはどうなの?行って来る?」と俺に委ねてきた。


 そこは全否定で追い返してほしかったのだがここで俺がゴネて全てを暴露されると負債の量が増大するだけだろう。おとなしくついていくしかない。


 そうして俺は沢山の憎悪を込めた瞳と、一人の心配そうな瞳、一人の面白がる瞳、一人の不思議そうな瞳、そして教壇からのどうでもよさそうな瞳に送られて教室を後にした。





 しばらく無言で歩く人魚先輩の後をついていくと、どうやら屋上へ向かっているのだろう事が分かった。一年の教室からなので何度も階段を上っていかなければならない。その度に目の前を登る先輩のスカートがひらひらと揺れて眼のやり場に困った。まぁ見えているわけでもないのだがチラリズムというものがあってだな…


「貴方…一体どういうつもりなの?」


 急に先輩が振り返ってそんな事を言うのでしどろもどろになってしまう。


「す、すいません!何も見てません!!」


「…それが答えかしら?まあいいわ、屋上へ出たらもっと詳しく問い詰めてあげる」


 それだけ言うとまた階段を上り始めた。やっぱり…アレの事がバレているのだろう。しかしいつどこに痕跡を残した?指紋を採取したわけでもないだろう。誰かに目撃された…?いや、それなら既に大騒ぎになっていてもおかしくない。


 あれこれ考えているうちに屋上へ続く扉まで来てしまった。


 先輩は俺を先に促し、自らも屋上へ出る。


 がちゃりと妙な音がした。


「知ってる?ここの扉の鍵は内側外側どちらからもこの鍵で施錠する事ができるのよ」


 先輩は親指と人差し指で鍵をつまみゆらゆらと何度か揺らしたあと、あろうことか胸元にしまった。


 いったいどこに収納されているんですかと聞きたい気持ちを全力で抑える。


「い、いや…屋上に来るの自体初めてなもんでして…」


 要するに逃げ場はないぞ、と言うことだろう。こんな事なら白雪にもついてきてもらうべきだったか…と思うも、あの状況でついてきてもらうのは不自然すぎたので仕方ないと諦める。


「貴方…私の大事な物を盗んだわね?一体どれだけの物か解って盗んだの?」


 追求の声はどんどんきつく、冷たくなっていく。…が、はて。


「ぬ、盗むとは一体なんの事でしょうか…?」


 身に覚えがないぞ。


「あ、貴女の…心、です?」


「そう、私の心よ」


 …、苦し紛れの冗談のつもりで使い古されたネタを口走ったのだが予想外の返事が返ってきてしまった。ますます解らない…。昨日のアレの事じゃないのだろうか。


「私に隠しきれると思っているの?昨日の放課後、部活中に私のロッカーを漁ったわね」


 やっぱりそれですかー。ですよね…。


「な、何てこと言うんですか。何か証拠でもあって言ってるんですか?」


 我ながら苦しい言い逃れである。が、証拠が無いのであればもしかしたら万に一つでも穏便にこの状況を打破できる可能性があるかもしれないではないか。


「証拠、証拠ね。勿論あるに決まってるわよ。私あの更衣室に極小の監視カメラつけてるの。家に帰って確認するのが日課なのだけれどさすがに驚いたわ」


 ちょっと待て、突っ込みどころが多すぎる。なんで先輩が女子更衣室にカメラなんか仕込んでるんだ。


「ただの変質者ならば吊るし上げればいいだけの事だったのだけれどアレを盗んで行くなんて…貴方一体何者なの?なんの目的でアレを盗んでいったのか説明して頂戴」


 だから何それ!!


「た、確かに俺は訳あって昨日女子更衣室に行きました。それは認めます…でも何も盗んでなんかいません。監視カメラがあったなら解るでしょう?盗んだのは俺以外の奴ですよ」


「勿論その可能性も考えて何度も確認したけれどあの日私のロッカーを漁ったのは貴方だけよ。私の心を、心血注いできたアレを、盗むなんてどういうつもり?返答次第ではただではすまさないわ」


 心そのものではなく、それほどまでに大事にしている何か、という事だろうか。どちらにせよ盗んではいない。俺が盗みそうになったのは有栖のアレなアレだけだ。それも未遂である。


 そういえばアレちゃんと始末したのかな…なんて考えていると更なる追求が始まった。


「正直に答えなさい。あのカードを盗んだのは貴方よね?貴方しかいないわ。だから答えを聞くまでもない。今すぐ返しなさい」


「カードって…秘密のデータでも入ったSDカードとかですか?そんな物を持ってるなんてもしかして人魚先輩ってどこかのスパイとかエージェントとかですか?知りませんよ。ほんとに俺じゃない」


 人魚先輩は今までの怒りの表情からフッと感情をなくしたような顔になり、「最ッ悪」と呟く。


「私の秘密を知ったんじゃないかと危惧していたけどまさかそっちの方とは思わなかったわ。でもこれではっきりしたわね。もうカードを盗んだかどうかは別問題。私の正体が知れた以上貴方を生かしておくわけにはいかなくなったわ」


 すちゃりと、どこからか小さな銃を取り出す。


「玩具なんて思わないでね。実弾は装填済み。ほんの数発しか撃てないのが難点だけれど貴方を始末する事くらいは容易いわ」


 あっれ、あっれー!?なんかおかしな事になったぞ。


「え、マジで先輩どっかのエージェントなんすか?冗談きついですよ!」


「今更とぼけても無駄。どこの手のものなの?洗いざらい喋るのならば楽に死なせてあげるわ」


 何も知らないし殺すの大前提で話すのやめてくれませんかマジで。


「ちょ、ちょっと待って下さいって!俺ほんとに関係ないんです。秘密の入ったカードなんてよくあるスパイものとか、そういうのであるじゃないですか!だから冗談のつもりで…!」


「…万が一にもそれが本当だとして、今事実を知られてしまった以上結局始末するしかないのよ」


 その理屈はおかしい!!


「そ、それに今俺を殺したらどう考えても犯人は俺を連れ出した先輩って事になりますよ!証人はクラスのみんな全員です!だから早まった真似はっ!」


「……それもそうね。私ならいくらでも誤魔化せる自信があるけれどそれであれこれ詮索されるのも面白くないわ。いいでしょう。今は殺さないであげる。その代わり、私のカードをすぐに返しなさい」


「それも本当に知らないんですってば」


「もう殺してやろうかしら」


 その後必死に先輩を説得するが返せ、殺すの二言しか言わなくなってしまった。


「あ、あの…だったら俺がそのカード探し手伝いますよ。だから殺さないでくれませんか」


 生き延びるにはそれしかない。無いものは出せないのである。ならなんとかそれを見つけ出して許してもらうしかないのだ。


「まだシラを切るの?もし本当に貴方が盗んだのではないのなら…それはありえないのだけれど、どちらにせよ早くしたほうがいいわ。ここで殺さなくても他の機会であれば完全に証拠を隠滅した状態で殺す事ができるのだから」


 こえぇぇぇぇぇ!!先輩のダークサイドなんて知りたくなかった!!俺には本当に心当たりがないが、解決策はある。白雪に先輩をどうにかしてもらう方法と、カードのありかを教えてもらう方法だ。一番自然で俺の濡れ衣を晴らすためにはカードの場所を突き止めて先輩と一緒に回収しにいく。それで真犯人がわかれば俺は晴れて無罪放免、それが一番負債を少なく穏便に解決する策だと、俺は確信した。





 …のだが。それは間違いだった。





「おい白雪、いったい何を見てるんだ?」


 一時的に人魚先輩から解放され、俺はあの後放課後になるまでクラスメイトからの悪意に満ちた眼差しを耐え続ける事になった。


 何人かから、何をしていたのかと問い詰められたが断固黙秘で通した。ハニーからもそれとなく聞かれたのだがこればっかりはハニーに相談するわけにもいかないのでいつか話すからと納得してもらい、放課後になると同時に白雪を連れて急いで帰宅した。


 一応白雪には帰りながら事情を軽く説明済みだ。いざ帰宅しこれから対策を練るところだったのだが、俺がトイレに行って部屋にもどるまでの間になにやら白雪がパソコンを操作している。


 こいつは俺のHDを壊した前科があるからあまり精密機器には触ってほしくないのだが、そのモニターに写っていた物に俺は目を奪われる。


「…これ、は…なんという…」


 そこに映し出されていたのは、学内のあらゆる女子生徒達だった。遠めに撮っている写真から、何気ない風景の動画、そして着替え盗撮まで。健全な男子垂涎の品である。


「これはすごいのう。女子生徒のデータベース付きじゃぞ。身長体重3サイズに趣味、好きな食べ物…?なんとまぁこれだけのデータを人の身で集めるとは感服物じゃな」


 そんな事を言いながら画像や動画を次々に開いていく白雪。なんとその中には修学旅行先であろう旅館内でのガールズトークや温泉に入る際の更衣室、浴場内の動画もあるようだった。


 俺はその素晴らしい画像や動画を見る事よりも、これを何のために収集したのか、そして誰の物なのかを考える事に夢中だった。


 これだけの大量の盗撮物となると集めた人間はどう考えてもヤバイ奴だ。変態としか思えない。そして、おそらくそのヤバイ奴というのは人魚先輩なのであろう。


 正直秘密組織のエージェントとかそういうのよりやばい秘密を知ってしまった。そりゃ先輩も必死に取り返そうとするだろう。


「どうしたのじゃ?童貞には刺激が強すぎたかのう?」


 いや、それはおいおい拝見させて頂くとしてだな、そんな事よりも、「なぜこれがここにある?」当たり前のように白雪が見ているのは何故だ。犯人はお前か!?


「なぜって…このなんちゃらカードとやらはそこに落ちとったんじゃ。最初はお主の集めたエロ画像か何かかと思ったのじゃが…さすがにここまでとなると狂気の沙汰じゃ。お主にここまでの度胸はあるまいよ」


 軽く馬鹿にされてるのはおいといてだな、そんな事よりもこの部屋にあったって事か?誰がどうやって…俺の部屋に運び込んだんだ。俺を陥れようとしてる何者かが…


「あー。お主は気付かんかったかもしれんがこれはお主が自分でこの部屋に運び込んだものじゃ。その制服の袖に忍ばせてな」


「なっ…」


 慌てて自分の袖を確認する。制服の袖の部分には折り返しがあるのだが、昨日人魚先輩のバッグを漁った時に折り返しの部分にカードが入り込んでそれを知らずに俺が持ち帰ってしまった…という事だろうか。


「把握したかの?」


 白雪は振り返ってこちらをチラリと見ると、意地が悪そうにニヤリと笑った。


「お、お前…知ってたのか?」


「勘違いじゃ。お主が昨日服を脱いだ時に袖から何か落ちたのは気付いたんじゃがそれがなんなのかわらわには解らんかったし興味もなかったから放っておいたんじゃがさっきの話を聞いてもしかしたら、と思ってのう。確認してみたのじゃ」


 後半から白雪の言葉は俺の耳に入ってこなかった。俺はこのカードのありかを見つけて疑いを晴らす筈だった。犯人を見つけて誤解を解く筈だった。その作戦両方が一気に崩れ去ってしまったのだ。





 ぴんぽーん


 その時、来客を知らせるチャイムがなった。こんなときに一体誰だ。…といってもうちに来る来客など隣人くらいしかいない。


 事情を説明してハニーに助けを求めるか?しかし人に話していい内容とダメな内容があるだろう。そもそもこのカード自体ブラックな代物だ。相談するにせよ内容をどこまで話すか、そしてハニーがそれで納得するかどうかも問題だ。


 ぴんぽーん


 再度チャイムがなる。どうする?このまま今回は居留守を使うという手もある。相談するにせよデリケートな問題すぎて俺の中で整理がついていない。だが早く解決策を考えないと人魚先輩が俺を追い詰めに来る。


「何をそんなに悩んでいるの?」


「人魚先輩がこんなにヤバイ奴だったなんて知らなかったから困ってるんだよ。早くこいつの言い訳考えないと俺がころされ…」


 …ん?


 今の声は誰だ。


「人をヤバイ奴呼ばわりとは貴方死にたいの?」


 振り返る事を脳が拒否している。保険の為と白雪に助けを求める準備を…


 しかし、すでに白雪の姿はそこに無かった。いち早く気配を察して他の部屋に逃げたのだ。


「…貴方、その画面に映っている物、見てしまったのね。釈明があるなら聞いてあげてもいいわ」


 間違いない。今一番聞きたくない声が背後からしている。


「あの…鍵がかかっていたと思うのですが…」


「一般家庭についてるドアの鍵なんて私には十秒もいらないわ」


 ゆっくりと振り返ると、ピッキング技能を自慢するように大きな胸を張ってドヤ顔をキメていた。


「先輩、一応我が名誉の為に言っておきたいんですがこれはその、不可抗力というか、事故というか」


「ふぅん、それで?遺言はそれだけでいいの?」


 眼が据わってしまった先輩はそれだけ言うとゆっくり俺に銃口を向ける。


 なんとか解ってもらおうと事情を説明するが、「それで袖に入ってしまったからといって今何故そのデータを見ているの?」と更に表情を険しくするだけだった。


「そもそもSDカードを持ち出した事が本当に偶然だったのならば貴方は何をしに更衣室に侵入してロッカーを漁っていたの?それこそ本当に変態行為だけが目的だったとでも?」


「あれが変態行為だと言うなら先輩のコレはなんなんですか!!少ししか眼を通してませんが変態行為そのものじゃないですか!」


「なんですって?私の崇高なるコレクションを変態行為なんて下卑た言葉で汚さないで頂戴。それはいわば芸術よ。女子高生、それは乙女の最も輝く時間。勿論小学生や中学生も素晴らしいわ。でも私には女子高生が一番輝いて見えるの。そこに女子高生がいるのならば全てを見たい、全てを知りたい。全てを愛でたい。そう思うのが普通でしょ!?そうよね?」


「普通じゃねーよ!!」


 思ったとおり、いやそれ以上のヤバイ奴だった。同意を求められても泣きそうな声しか出せない。


「私はね、この世の全ての女子高生を愛しているの。いえ、この世の女子、全てを愛していると言っても過言ではないわ。その中でも美少女は国の宝なのよ!?宝は宝としての扱いをしなければいけないしその為にも詳しい情報が必要なの、私が、私達が美少女を守っているのよ!!だからこその日本美少女連合、そしてその総会長である私がいるのよ!!」


「なにそのヤバそうな連合!」


 そこまで一気にまくし立てると少々酸欠になったのか膝に両手をついてはぁはぁと肩で息をする。


 倶理夢高校のマーメイド、人魚先輩の裏の顔は秘密組織のエージェント。もう一つの裏の顔がその日本美少女連合とやらの総会長という事らしい。


「勘違いしないで頂戴。日本美少女連合は人畜無害な集団よ。私を頂点として会員は国内に二百人ほどいるけれど活動内容はただ遠くから見守る事のみに限定していて少女達に害をなす事は有り得ない。むしろ害をなそうとする連中を捕まえたり、何かが起こる前に未然に防ぐ事が目的よ」


「その総会長が率先して規律破ってるじゃねーか!!」


 つい思ったままの言葉を吐き出してしまう。


「うるさい!!だからこそ貴方を始末しなければ…私は、総会長として…いや、そうよ。私は少女達を守るために監視しているに過ぎないの」


「コレクションだとか芸術だとか言ってたじゃないか!!」


「うう…私は……あ。貴方のペースに乗せられて大局を見失うところだったわ。どちらにせよ貴方を消せば秘密を知る物は誰もいなくなる。それで全て万事解決よ」


 追い詰められて開き直りやがった!!


 再びこちらに銃口を向け、今度はためらう事なく引き金を引いた。


 響く銃声、硝煙の匂い。世界がスローモーションになる。まるで銃弾が止まっているかのように見える。


 これが走馬灯という奴だろうか。人は死を覚悟すると銃弾すら目視できるようになるのだろうか。


「何!?どういうこと!?」


 どうやらそうではなかったらしい。銃弾は本当に宙に止まっていた。俺と人魚先輩のちょうど中間あたりで完全に静止している。


「まったく、わが宿主を殺害しようとするとはなんとも肝が据わり、そして愚かな人間よな」


 今までどこに潜んでいたのか、白雪が俺の目の前にふわりと現れる。


「い、今どこから!?いったい何者…いいえ、それはどうでもいい。この状況を見られた以上貴女にも死んでもらうわっ!!」


 人魚先輩は懐に手を入れると、今まで使っていた手のひらサイズの銃ではなく、もっと大きなハンドガンを取り出し乱射してきた。


 けたたましい銃声と、「死ねシネシネシね死ねシネ…何で死なないのよーっ!!」という先輩の声が響き渡った。


 銃弾は全て白雪の眼前で停止しており、ふん、と詰まらなそうに腕を振ると銃弾がボトボト床に落ちる。


「ば、ばけ…もの…」


 人魚先輩はもはやその場にへたり込み泣き叫んでいる。なんだか、こう…強気な女の人の泣き顔ってぐっと来るものがあるなぁなんて思っていると、考えを見透かしたかのように白雪がこちらを白い眼で見ていた。


「お主は…ある意味大物よな」


 それは過大評価というものである。


「この女との会話の中でお主の心は大分揺さぶられていたようじゃが…その分のエネルギーは残念ながらこれで帳消しじゃな。なかなか美味じゃったぞ」


 せっかく蓄えた分が無くなったのは残念だがこればかりは白雪に感謝せねばなるまい。なにせ死んでしまっては願いを叶えるも糞もないのだから。


「ひ、あ、貴女…確か転校してきた…」


 さすが人魚先輩少女の情報はお早いですね。


「この白雪は俺に取り憑いてる悪魔なんです。だから俺を殺そうとしても無駄なの解って下さい。…なので、冷静に話し合い出来ませんか…?」


 この話し合いで丸く収まってくれるのならば俺は負債を増やさず今得た分の消費だけで済む。寿命が縮む思いをしたがなんとかうまく解決できそうだ。


 最初から人魚先輩の記憶操作でもしてた方が楽だったのかもしれないがその場合は負債だけが残るので、多少なりともこのまま穏便に済ませたほうがプラスになる。…はず。





 泣きながらバタバタと手足を振り回す人魚先輩を二人係で押さえつけてなんとか落ち着かせるまでに三十分ほど要した。


「…と、言うことなんです。こちらの状況解ってもらえました?それが昨日更衣室に忍び込んだ理由で、カードの事はほんとに偶然だったんです」


「…ひっく、えぐ…わかった…。もう、それはいいから…おうちかえらせて…」


 もはや別人のようにしおらしくなってしまった先輩はしきりに「おうちかえる…」と呟き続けた。


 今日は彼女にとっていろいろな事が起きすぎて頭もパンクしてしまったのだろう。勿論それは俺も同じなのだが…。意外と普段きっちりしている人ほどメンタルは脆い物なのかもしれない。


 仕方ないのできちんとした話し合いは後日時間を作って行うことにした。


 未だに泣きべそをかいている先輩をなだめながら家の外に出る。


「おうち、おうちかえるの…」


「はいはい先輩、おうち帰りましょうね」


「うん…かえる」


 なんだか…こう、背徳感が湧き上がってくる。


「…だいじょぶ。ちゃんと、帰れるから…」


 なにやら大丈夫には見えなかったがタクシーに押し込んでしまえば大丈夫だろう。こんな事になる気がして先ほど部屋でタクシーを呼んでおいた。


 ほどなくして到着したタクシーに先輩を乗せ、「きちんと行き先を言うんですよ」というと、「おうちまで…」とか言い出すので先輩の懐から無理やり生徒手帳を引きずり出し運転手に行き先を伝えた。





 …ふう。これでなんとかなるだろう。先輩の事だからタクシー代が払えないと言うこともないだろうが取り合えず運転手に二千円ほど渡したので懐が少々寂しくなってしまった。


 家の向かいにある自販機で缶コーヒーを買い、一気に飲み干す。普段飲まないブラックにした事で少しだけ気持ちが落ち着いたような気がする。が、苦い。


「いつのまに、そんなに仲良くなったのかな…?しかも先輩泣いてたよね?おとちゃんいったい何したの…?」


 なんかこの展開デジャブるんですが…。


「いろいろあったんだよ…いろいろ、な…」


「ふぅん。まぁ別にいいけど…ただ銃声みたいなのしてたから心配して様子みてたんだよね。何をこそこそやってるのかは知らないけどあまり危ないことしないでよ?」


 今はこの優しい言葉が本当に身に沁みる。持つべきものは心の友だなぁ。





 翌朝、ハニーと二人で学校へ向かう。白雪はまだ寝ているので放置してきた。後から行くとか寝ぼけて言ってたので大丈夫だろう。もう少しで校門というところで校門前に立っている人魚先輩が眼に入った。


「おはよう。昨日は…迷惑をかけてしまったわね」


 先輩はすっかり自分を取り戻したようだった。が、少しだけ様子がおかしい。ちらちらとハニーの方を見てはそわそわしている。


「あの、昨日おとちゃんの家に来てた事については詮索しないけど、おとちゃんに危害加えるような事があったら許さないからね」


 キッと険しい顔でハニーが先輩を睨む。


「…はぁッ、は、はい。勿論です。危害だなんてそんな…天地神明に誓ってそのような事は無いと約束します」


 なんだか体をくねらせながらやけに丁寧に答える。ちょっと先輩の様子がおかしいな。


「ほんとに?それならいいけど…おとちゃん、何かされたらすぐに言うんだよ?…じゃあボク日直だから先に行くね。朝のうちに先生の所に来るように言われてるんだ」


 そう言って小走りに校舎へ入っていくハニーを人魚先輩は潤んだ眼で見送ってから「話があります」と言った。





 校門前で話しているのは少々目立つので(ただでさえ先輩は目立つのだ)場所を校舎裏に移動する。


「昨日の事、いろいろ考えたのだけれど…私の秘密その一については詮索しない事、秘密その二については他言しない事と黙認する事。その代わりに私は貴方の行動に眼を瞑る…それでいいかしら」


 それは…願ってもない結果である。お互い不干渉という事ならそれが一番お互いの為になるはずで…


「そして、もう一つ提案があるのだけれど」


「え、お互いこれで手打ちで終了じゃないんですか?」


「私には日本美少女連合総会長としての責務があるのよ」


 そっち絡みのやつか…面倒な話じゃないといいんだけど。


「勿論、断るようなら貴方が更衣室に侵入して私を含め女子の荷物を漁っていた事実を公表します」


 有無を言わさず言うことを聞かせるつもりじゃないか。


「どうしてこちらが秘密の暴露っていう行動にでないと思うんですか?立場は対等の筈です」


 しかし、先輩はふっと笑うと、「笑わせないで」と切り捨てる。


「私と貴方が対等な筈ないでしょう?最悪お互いが秘密を暴露しあったとして、この学校の生徒は、教師達はいったいどちらの言い分を信じると思う?百パーセント私は言いくるめる自信がある。貴方が変質者で、最悪の場合あのデータも貴方が抑えられない性欲の捌け口として収集した物だと皆に信用させる自信がある」


 この女とんでもねぇな。…しかし、実際どうだろう。言うとおりの状況になったと過程して考える。俺の言うことを信じてくれそうなのは…ハニーと咲耶ちゃんと…有栖もなんとか…でもそれくらいだろう。むしろ他の連中は俺が盗撮画像やらなにやらで先輩を脅していたとかそんな風に認識するだろう。


「…とりあえず内容を聞かせて下さい。それから考えます」


「考えたところで貴方はYESと言うしかないのは解っているでしょう?とにかく、こちらの提案は…」


 そこで先輩は一瞬止まり、なんと言おうか少し悩んだ後「そうね、舞華さんと…その、お近づきになる手伝いをしてほしいの」と言った。


 ……は?ハニーと??


「どういう事ですか?ハニーと?」


「そう、そうよ。私はね、この学校の全女子生徒は網羅しているし徹底的に調べてあるの。転校生の白雪さんは…悪魔だっていうし対象外だとしても、舞華さんの事はこちらに情報が何もないわ。いったいどういう事…?リスト洩らしは無いと思うのだけれど…とにかく、あんなに可愛らしい人を私が見逃していたなんて…」


 あぁ…うん、なるほどね。そうなるか…まぁしょうがない。それくらいなら許容範囲だ。


「そういう事なら大丈夫ですよ。後で三人で一緒にどこか行きますか?いきなり二人とかじゃハニーの方が警戒すると思いますし。どうです?」


 とたんに先輩は見た事がないほど明るい笑顔で「ほんとに!?ほんとにいいの!?」と大喜びした。よっぽどハニーの外見がドストライクなのだろう。


「あの可愛らしい外見から放たれる殺気の篭った視線と言葉…あぁ、たまらないの…」


 …あれ、ちょっと判断を誤ったかもしれない。ハニーに対する好意のベクトルが何か違う気が…まぁ、いいか。すまんハニー、これも俺に悪魔を押し付けた業として背負ってくれ。


「あ、そうそうもう一つ」


 ん?まだ何かあるのだろうか。


 しかし、先輩がさらっとついでのように放った言葉こそが俺を崖っぷちへと追い詰める事になるのであった。





「貴方、私と付き合いなさい」





 かくして、俺は学校で一番の嫌われ者に昇格してしまったのであった。

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