第20話 手紙

手紙



翠へ

手紙を出すのは暫くぶりだけど、変わりなく暮らしていますか?

健康ですか?体調を崩してなどいませんか?

翔太は元気にしてますか?

府中刑務所へ来てちゃんとした手紙を書くのは初めてですね。

移入通知を読んで激怒してたと吉川から聞かされました(笑)

俺もこれは無いんじゃ無いかな…と思ったんだけど、この刑務所の決まりで、府中刑務所に来ましたと言う以外の事は書いちゃダメなんだ。

ごめんね(謝)

俺は自動車整備工場に配役が決まりました。

新入で来て、分からない事ばかりで毎日怒られてばかりだけど、どうにか頑張ってやってます。

今は正月休みで、新しい部屋の仲間とテレビを観たり、お風呂に入ったり、何時もよりちょっとだけマシなご飯に喜んだりしています(笑)

部屋は俺を入れて四人です。

どうやらこの工場は職業訓練がメインの様で、三級整備士の訓練生が二人、小型建設機械の訓練生が一人、それに俺の四人です。

3月に国家試験を受けて整備士になる人たちで、既に資格を持っている俺は、当たり前のように計算問題や車の構造を熟知してると思われ、色々質問されるので困っています。

勉強なんて、試験が終わるとみんな忘れちゃうからね…。(笑)

そんな訳で、この手紙を出すのは休み明けになりますが、新しく来る年が翠と翔太にとって良い年になる様に祈っています。

兎に角、同じ東京の街に住んで居るのですから、一度面会に来て欲しいと思っています。

静岡ではあんな形で別れてしまったけど、翠の本心だとは思ってないし、俺たちの10年がこんな簡単に終わる訳が無いとも思っているので、もう一度面会をしてちゃんと話し合いたいと思います。

直ぐには来れないかも知れないけど、気持ちが落ち着いたら会いに来てください。

何時迄も待っています。



深刻な手紙より、少しおちゃらけてるくらいの方が良いと思った。


何事も無かった様に何時もの僕で居れば、翠だってあの日の言葉を取消しやすく成る筈だ。


僕と翠の絆は、こんな簡単に壊れてしまうものでは無いのだから。


「姐さんに手紙ですか」


小型建設機械科の訓練生、篠崎が話し掛けて来た。


この部屋の中では一番話しやすい男だった。


話しを聞くと僕より5歳ほど若い様だが、覚醒剤が止められず、3回目の懲役だと言う。


部屋の中は左右に振り分け、2名づつ布団を並べて寝ているが、僕の隣に篠崎が寝ている事で、自然と色んな話しをする様になった。


「やっと手紙が書ける様になったんで」


僕も気安く会話に応じる。


「面会に来てくれる様に書きましたか」


篠崎には静岡の一件を話してあったので、心配して聞いてくれたのだろう。


「あまり強くは言ってないけど、一応、来て欲しいと言うことだけは」


僕はそう言って篠崎に頷いて見せた。


篠崎はクシャクシャな笑顔を作り


「直ぐに会いに来てくれますよ」


と言った。


「二人で何ィ、ナイショの話ししとりますぅ?」


戯けた調子で話しに割り込んだのは、自動車整備科の訓練生の李だ。


在日韓国人で、大阪刑務所から職業訓練の為にこの府中刑務所に来ている。


実を言えば、僕はまだ30そこそこの李が苦手だった。


悪いやつでは無いのだが、関西人特有の騒がしさと、人を馬鹿にした様な物言いに、何時もカチンと来るのだ。


関東の人間が関西の刑務所が務めづらい様に、関東の刑務所もまた関西人を嫌う傾向にある。


「女に手紙を書いてたんですよ」


僕は見ればわかる様なありのままを口にした。


「そんなんまだ早過ぎますって、後5日も休みが続くんですから止めときなはれ」


手紙なんかいつ書いてもこっちの勝手では無いかと思うのだが、李は何でも人のやっていることに、横槍を入れたがる。


「思い付いた事を、忘れない内に書いとこうと思ってですね」


いちいち言い訳の必要も無いのだが、あまり素っ気ない態度を取ると、刑務所の中の雑居は直ぐに部屋の空気が淀んでしまう。


「そんなん止めときって、それより娑婆のオモロイ話し、聞かせてくださいよ」


李は連続引ったくり強盗を犯し10年の刑期で務めに来て居る。


既に7年が経過し、仮釈放を見込めば後2年も務めれば娑婆に帰れるとも意気込んでいた。


しかし、それも無事故で務めた場合の事…。


関東の刑務所で、ただでさえ大阪弁で話す奴は毛嫌いされると言うのに、李にはまるでその自覚がない。


23かそこらで刑務所に収監された李は、そこで年齢もストップして居るのか、馴れ馴れしさと騒がしさが際立って居た。


篠崎の様に「姐さんに手紙ですか、きっと面会に来てくれますよ」とクシャクシャの笑顔で、こちらの耳障りの良い事を言ってくれるなら、どんなに深い考え事の最中でもウエルカムなのだが、李の様に「そんなん止めとき」と来られてしまうと、無理に作った作り笑いさえ引きつってしまう。


「娑婆のオモロイ話し」と言われても、たった今まで翠の機嫌を損ねない様な言葉を探しながら手紙を書いてた身としては、急に言われて思い付く話も無い。


「面白いって言われてもね…」


部屋の中でどんな揉め事が起きたとしても、工場担当は基本、部屋の人間の入れ替えをしない。


「誰々と仲が悪くなったから部屋を変えてくれ」と訴えに行く奴も時々居るが、担当は全くと行って良いほど相手にはしてくれず「自分たちで解決しろ」の一点張りだ。


いよいよ関係がこじれた時には、弱い方が自ら反則を犯し、積み上げて来た仮釈放の可能性を棒に振って、懲罰となって工場から出て行くか、或いは当人同士喧嘩をしてやはり懲罰を受けるしか方法が無い。


誰だって刑務所なんか早く出たい。


だからこそ、刑務所の雑居に住まう者は、何時だって作り笑いを顔に貼り付けて居なければいけないのだ。


「五十嵐はん何時もシャブやって、何して遊んでますの?」


「まあ、大体自分の場合は女に走っちゃうんですけど」


「ほら見ぃ、有るやないですか、シャブ食ってエゲツないオメコ決めとんのとちゃいますの」


身を乗り出して話しを聞きたがる李に、つい乗せられた様に僕も話しを始めるしかなかった。


「今も女に手紙を書いてたんですけどね、18歳の女の子と良い仲になっちゃって、その件で女が怒って面会に来なくなったんですよ」


言わなくても良い話も、娯楽の少ない刑務所の中、聞き上手な奴に全て引き出されてしまう。


「そらあきまへんわ、五十嵐はんの女や無くても怒りますって」


『女ぁ…?』


まあ、僕自身現役のヤクザでは無いのだから、翠のことを何も「姐さん」と呼ばれなくとも、他人から「女」と呼ばれる事には多少の抵抗を感じる。


それでも、悪気で言ってる訳でも無し、口の利き方くらいの事で細かい事を言い合ってたのでは、雑居の暮らしは成り立たない。


「確かに李さんの言う通りなんですけどね」


僕は一歩下がって、この部屋では先輩の李の顔を立てた。


「その18歳の女の子と、どないして知り合うんですか」


貴子との出会い…。


7年も刑務所に入りっぱなしの李に、話した所で理解出来るのかどうか。


「裏サイトってのが有るんですよ」


「何です、その裏サイトってのは」


「インターネットのヤバイサイトだよ」


横から口を挟んだのは、李と布団を並べて居る松岡だ。


昔、大阪の組織に短い期間在籍したことが有るらしく、李とは特に仲良くしてるらしい。


男三人居れば派閥の喩えでは無いが、たった四人しか居ないこの部屋にも、既に派閥が出来ていた。


「その裏サイトで、どないして女見つけるねん」


「書き込みが有るんだよ」


松岡が得意げに話す。


「何や、今な五十嵐はんに聞いてるんやないか、何で自分が話すねん」


「お前が裏サイトって何だって聞くから、教えてやってんだろ」


「そんなん五十嵐はんに聞いてんのやから、横から口挟んだら五十嵐はんが気ぃ悪くしはるやないか」


いやいや、そんな事に気を使うなら、もっと違う所に気を使ってくれよ…と思うのだが、僕は苦笑いを浮かべただけで、二人の会話には口を出さなかった。


「なあ」と李に同意を求められたが、僕としては李と松岡が二人の世界に入ってくれた方が有難い。


「松岡さんもよく知ってる様なんで…」


と、やんわり話しの矛先を松岡に向けてみた。


「自分は五十嵐はんと話がしたいんですわ」


そう言われて仕舞えば、話しを続けるしかない。


「自分みたいなので良ければ、幾らでも話はしますけど」


相変わらずの作り笑いで僕は答えた。


「ほんで、その裏サイトの18歳とは、どないなオメコしたんですか」


まあ何と言う直接的な聞き方だろうか。


僕は貴子とサイトの書き込みで出会った事や、その後ホテルで丸2日寝る暇もなくセックスをした事を掻い摘んで話して聞かせた。


「そら堪りませんわ、五十嵐はんもなかなかの変態ですやん」


部屋の皆んなが、身を乗り出して僕の話しを聞いている。


李以外は皆覚醒剤事犯で刑務所に来ている為、僕の話には興味深々だ。


「何処の女の子なんですか」


松岡が細かい話を聞きたがる。


「千葉の四街道の娘さんなんですよ」


「自分、地元が四街道なんですよ」


口を挟んだのは篠崎だ。


「なんや、ほなシノさんと五十嵐はんと穴兄弟ちゃいますの?」


李が掻き回す。


「女の子の名前、聞いてもいいですか」


松岡が聞いた。


「貴子って女の子なんですけど」


「シノさん知ってる?」


「自分も四街道のポン中の女の子、皆んな知ってる訳ではないので」


松岡の問い掛けに篠崎が答えた。


「ほんまは知ってるんちゃいますの、五十嵐はんに気ぃ使ってるんちゃいますぅ」


「イヤ、本当に知らないですね。どんな感じの子ですか」


篠崎もこの手の話しは嫌いじゃないようだ。


「モデル体型と言うか…背が高くて髪が長くて、まあベッピンさんでは有りますね」


「ほんまですか?そないな旨い話、よう信じられんわ」


人に話しをさせて置いて、信じられないは無いだろう…と、また李の物の言い方が気になった。


僕は苦笑いで受け流す。


「五十嵐はん、自分の女ともシャブ食って変態オメコやりまんのか」


「なにを?」と思わず口に出そうな事を、李は平然と聞いてくる。


「お前、何失礼な事聞いてんだよ」


僕の代わりに李を諌めたのは松岡だ。


「何が失礼やねん、五十嵐はんがシャブ食ったらオメコばかりしてる言わはるから、自分の女とも変態オメコやるんかって聞いただけやないか。何が悪いねん」


李が心外なと言う口振りで言葉を返す。


「お前だって自分の女の事、あれこれ聞かれたらイヤだろ」


「何が嫌なこと有るねん。自分の女なんか事件の共犯やで。そんでな、先に娑婆に出よったら他に男捕まえて、子ぉまで産みよったんやで。懲役に来る言うんはそう言うことやないかい」


李の言わんとしてる事はよく分かる。


間違った事は一つも言ってないし、関西ならこんな会話も普通なのかも知れない。


しかし、ここは関東の刑務所でそこに住まう多くの関東人は、人のプライベートにズケズケと入り込んで来る奴を、あまり快く思わない。


「それはお前の家庭の問題で、五十嵐さんの姐さんもお前の所と一緒にするのは失礼だって言ってんだよ」


僕の代わりに言ってくれたのは、またしても松岡だ。


「まあ、遊び女の事なら面白おかしく聞けますけど、姐さんとの話しは生々しくて自分も聞きたいとは思いませんね」


篠崎が口を添えた。


「なんやねん皆んなして。もうええわ、五十嵐はんの変態オメコの話し聞いてたらムズムズしてきたさかい、便所言ってチンチンシバイてきますわ。松ちゃんエロ本貸してぇな」


何一つ悪びれる様子もなく、李は松岡から借りたエロ本を抱え、狭苦しい便所の中へと消えて行った。


他人の本を借りて読むことも、3回見つかれば懲罰の対象となるのに、李はそんな事もまったく気にした様子が無い。


「悪気は無いんですよ。許してやってください」


松岡が僕に向かって頭を下げた。


「これくらいは全然大丈夫ですよ。松岡さんが頭を下げる事は有りませんよ」


そう、これくらいは軽く受け流せるようでなくては、仮釈放を貰うことなんか絶対に出来ない。


一日も早く、僕は僕の大切な人の為にこの場所を出て行かなくてはいけないのだ。




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