第15話 工場担当

工場担当




新入訓練工場が生活する雑居棟は、東1舎1階に有る。


府中刑務所の受刑者が生活する居住区は、処遇本部という処遇課(直接受刑者と、接する刑務官が所属する課)の職員が屯している建物を中心に、東と西に分かれている。


府中刑務所は五区制に分かれており、1区から3区迄が一般的な工場、例えば木工、金属、洋裁、紙折りなどで、4区が経理工場と言って洗濯や炊事、計算、内掃、営繕などがある。


5区は何らかの問題が有って工場に出役出来ない者が管理されてる区で、病舎、懲罰、問題児、オカマちゃんなどが5区扱いとなる。


新入訓練工場は、第3区27工場が正式名称だ。


毎週水曜日に20名ほどが27工場に新入として配役され、最初の1週間を前期生として、分類考査で習った行動訓練を更に厳しく教えられ、風呂の入り方、飯の食い方、手紙の出し方などを事細かに教えられる。


次の1週間で、刑務所を運営している各課の課長や課長代理から、有り難いとされる受刑者に取ってどうでも良い話しを聞かされる。


刑務所を運営する各課とは、処遇課、会計課、教育課、医務課、用度課などがある。


用度なんて言葉はあまり耳にする事もないが、生活全般の消耗品を扱う課で、食事や衣服なども用度課の係とされ、受刑者に取って唯一真剣に話しを聞いてみる気になる課と言っても良い。


その他にキリスト教や仏教の教誨師から、法話を頂戴し、屈辱的な新入訓練は2週間で終わるのだ。


気の抜けない一日目が終わり舎房に戻って来ると、早速前期生の後藤が話しかけて来た。


「今日は痺れたでしょ?」


屈託のない笑顔を坊主頭に浮かべ、気さくに話し掛けてくる。


悪い人では無さそうだ。


「痺れましたね…噂には聞いてましたけど、聞きしに勝る府中刑務所ってヤツですね」


刑務所のルールで相手の話し方に自分の話し方を合わせて良いと言うものが暗黙の中に有る。


丁寧な相手には丁寧に、雑な奴にはそれなりに、気さくな相手には気さくに話しても文句を言われる事はない。


「大丈夫ですよ。厳しいのは新訓しんくんに居る間だけで、一般工場に降りてしまえば他の刑務所と大差無いですから」


「後藤さんはここは…」


「3回目です」


「それじゃあ詳しいわけだ」


「まあ、恥ずかしながらってヤツですけど」


そう言って後藤は笑った。


「府中は仮釈が少ないって聞くんですけど、やっぱ本当なんですかね」


僕は一番の懸念事項を、この府中の大先輩に聞いてみた。


「失礼ですけど、五十嵐さん罪名は?」


「薬です」


「なら大丈夫ですよ。刑の一部執行猶予が出来てから、薬物関係の人はびっくりする程、沢山仮釈を貰って出て行きますから」


「本当ですか?確かに薬物の使用は依存症と言う病気が原因の犯罪だから、最近は判決も軽いって言いますよね」


事実、10年くらい前なら、一発使用で3年半なんてのもザラにいたのに、僕の様な犯罪の傾向が進んだ累犯者でも、2年2月で済んでいるのだ。


今回、僕には刑の一部執行猶予は付かなかったが、殆どの者が満期出所をすると言われた府中刑務所で、仮釈放が沢山貰えるならこんなに有り難い事はない。


刑務所の中はホラ吹きばかりだ。


自分の地位を高めようと、何でも知っている様な顔で、適当な話しをさも本当の様に話す。


しかし、第一印象のすこぶる良い後藤の話は、信じても良い様に思えた。


況してや、過去に2回もこの府中刑務所を経験しているのだ。


後藤の話しには信憑性が感じられた。


もう嫌だ、明日から工場なんて行きたくないと思っていたのに、大きな希望が目の前に広がった様な気がしていた。


「それにしても、一日に3人も吸い込みとは少しやり過ぎですよね」


今日の出来事を振り返り、僕は感じたままを後藤に告げた。


「まだ良い方ですよ。自分らの時は4人吸い込まれてますから。自分らの前の訓練生も言ってましたけど、訓練開始の初日には、何もなくても3、4人は吸い込む様にしてるらしいですよ」


「マジですか、それは幾ら何でも酷いですよね」


「まあ、何人かは懲罰に送っても、残りの大多数が素直に言う事を聞けばそれで良いとでもおもってるんじゃないですか」


何と言うやり方だ。


「でも、吸い込まれた方は堪ったものじゃないですよ」


僕は憤慨を声に乗せてそう言った。


「そりゃそうですよ。ここまで来るのだって赤落ちから3ヶ月掛かってるヤツも居る訳ですから、そいつらにしてみりゃ、全てが振り出しですからね」


今の刑務所は種別と類別に身分が分かれており、種別が3種から類別が5類から始まり、赤落ち、つまり刑の開始日に3種5類と言う身分になる。


その日から6ヶ月後、注意を受ける事なく、懲罰になどなる事がなければ、3種仮3類となり、種と類の数字が小さくなるほどに、受刑生活の自由度が増して来るのだ。


具体的に3種5類だと何がどうなるのか。


手紙の発信が月に4回と面会が月に2回許される。


何事も無く6ヶ月が過ぎると、面会の回数が3回に増え、手紙は月に5通まで発信する事ができる。


更に、月に一度、作業報奨金の中から僅かばかりのお菓子とジュース類を買い、作業時間中にテレビを観ながら喫食出来る。


その他に私物の座布団を使う事を許されたり、私物棚に写真立てを飾る事も出来る。


3種2類ともなれば、手紙の発信は月に7通、面会は週に1回、お菓子の購入は月に2回、更に一番値打ちがあるのが、ナイロンタオルとボディシャンプーが使える事だ。


週に2回の入浴、しかも15分と短時間で体の全てを洗い流し湯船に浸かるには、タオルに固形石鹸を擦りつける時間など、煩わしいだけだ。


種別が上がれば、面会に立ち会いが付かなかったり、刑務所によっては電話を掛ける事も許される。


1種1類なんて人には会った事もないが、鍵のない部屋で自由にチャンネルを変えられるテレビを見ることが出来、更にはC Dプレーヤーまで持つことが出来るらしい。


府中刑務所では施設の管理上、2種2類までとなっている様だが、その全てが担当から注意を受けた事がないと言う一事に掛かっている。


勿論、殆どの人の目標が仮釈放である事には変わりないが、受刑中に2種2類となる事も、また大きな目標でも有るのだ。


その掲げた目標を、心無い担当はその日の気分で台無しにする。


家で女房と喧嘩をした、二日酔いで頭が痛い、夜更かしをしすぎ寝不足でイライラする…。


そのイライラを職場に持ち込み、受刑者に八つ当たりされたのでは堪ったものではない。


赤落ちして初めの6ヵ月間だけは仮3類となる事が出来るが、その後の進類のチャンスは、4月と10月の年2回しか無い。


大多数の周りの受刑者が、月に一度菓子を食い、テレビを見ながら談笑しいて居るのを4類、或いは5類の受刑者は、屈辱を噛み締めながら指を咥えて見て居るしかないのだ。


受刑者に対する殺生与奪の権限を、刑務官は拝命間もないぺいぺいまで振り回すことが出来る。


また、若い刑務官ほど、その権限を振り回したがるから困ったものだ。


後藤と今日の担当のやり方が如何に非道なものかを話して居ると、その担当が配食用の廊下側の小窓から顔を出した。


「五十嵐、出て来い」


今の話しを聞かれていたのだろうか、後藤と顔を見合わせ、しまったという意顔で僕は担当の指示通り部屋の出入り口をくぐった。


「566番、五十嵐出ます」


「よし」


担当は一声許可を与え、続けて「左向け左、前へ進め」と号令を掛けた。


東1舎の出入り口に有る、配膳用の開けたスペースで僕は止まる様に指示された。


どんな叱責を受けるのかとドキドキして居ると


「久しぶりだな」


と破顔した新入訓練工場の正担当が言った。


言われた意味が分からず、僕がキョトンとした顔をしていると


「何だ、分からないのか」


と笑った顔をそのままに、担当が言った。


言われて担当の顔をまじまじと見ると、確かに見覚えのある顔だった。


「もしかして貝塚のオヤジですか?」


「思い出したか」


そう言って貝塚のオヤジが右手を差し出した。


貝塚のオヤジは、僕が初めて行った釧路少年刑務所の夜勤担当だったオヤジだ。


今から20年程前、刑務官と受刑者の距離はもっと身近なものだった。


釧路少年刑務所では、年に一回工場対抗ソフトボール大会が有り、その大会の優勝工場と刑務官選抜が本気の試合をしたものだ。


僕の居た印刷工場は常勝工場で、3年間連続で職員とのエキシビジョンマッチを戦った。


貝塚のオヤジは拝命間もない新米刑務官だったが、学生時代は野球部だったとかで、オヤジチームの4番を打っていた。


その試合のピッチャーは僕だった。


その縁で、釧路刑務所在官中は、貝塚のオヤジとは特に仲良くして貰っていた。


「やっと思い出したか。まあ無理もないな。俺もお前の名前を見た時にはもしかしたらと思ったけど、久し振りにお前の顔を見たら別人かと思ったからな」


工場で見せる厳しい顔をは違い、心から再会を楽しんで居る様だ。


例え再会した場所が刑務所だとしても。


「こっちに転勤になったんですか?」


転勤で県をまたぐ事の無い地方公務員の警察官と違い、刑務官は国家公務員だけに日本全国どこにでも転勤する可能性が有る。


「まあ、色々と事情が有ってな」


その事情が何で有るのかは分からないが、最近では若い刑務官でも転勤を願い出れば、希望通りの場所に移る事が出来るようになったと聞いた事が有る。


「何回目だ」


「4回目です」


「バカ野郎、入りっ放しじゃねぇか」


「済みません」


「まあ良い、来たからには真面目に努めるんだぞ」


心の籠った言葉だった。


「2年2月だったな」


「はい」


「どんな仕事をしたいんだ」


貝塚のオヤジは何処の工場に行きたいのかを聞いて居る。


「自動車整備の仕事が有るって聞いたんですけど」


「確かに有るが、あそこは職業訓練生か、整備の資格がないと中々行けないぞ」


「3級なら持ってます」


「おっ、何処で取った」


貝塚のオヤジの問いかけに一瞬答えを躊躇したが、素直に答える事にした。


「神戸刑務所です」


貝塚のオヤジは呆れた顔をして「まったく良いのか悪いのか」


と言ってまた笑った。


「良し、行けるかどうかは分からないけど、推薦だけはしてやる」


「本当ですか」


「ああ本当だ」


思わぬ所で幸運が転がり込んだ気分だった。


「ありがとうございます」


僕は貝塚のオヤジに深々と頭を下げた。


「五十嵐、この事は二人だけの話しだぞ。間違っても俺と知り合いだなんて人に言うな。刑務所には魔物が住むという意が、この府中刑務所には魔物しか住んで居ないからな。何処で足を引っ張られるか分からんからよくよく気を付けるんだぞ」


貝塚のオヤジが僕に念を押した。


「分かりました、心に留めておきます」


僕がそう言うと、貝塚のオヤジは「うん」と一度頷いて、1通の手紙を差し出した。


「手紙が来ているから、部屋に帰ったら差出人の事で色々聞かれていたとでも言って置け」


もしや翠からの手紙が来たのかと思い、動悸が早くなった。


貝塚のオヤジから手紙を受け取り、逸る思いで差出人を確認した。


手紙は、親友の吉川和也からだった。


親族外申告書の許可がまだ出て居ないというのに、どうやら来信を受け取る事は出来るらしい。


「工場では厳しく指導するからな」


と貝塚のオヤジは言った。


「分かってます」


と僕は答えた。


「良し、舎房に戻るぞ」


貝塚のオヤジの打ち切りの言葉に僕はキヲツケの姿勢を取り、号令の掛かるのを待った。


「ところで五十嵐よ、お前随分ハゲたな」


と気の抜ける事を言った。


「オヤジそれを言っちゃ折角の再会が台無しですよ」


昔の気安さで僕も答えた。





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