第16話吉川和也からの手紙
吉川和也からの手紙
「大丈夫でしたか」
舎房に戻った途端、後藤が興味津々と言った顔で聞いてきた。
「はい、手紙が届いてたんですけど、差出人の関係とか色々聞かれちゃって」
貝塚のオヤジにアドバイスを貰った通り、僕は後藤にも本当の事は言わなかった。
「あいつ、府中でも有名なオヤジで赤鬼って言うんですよ」
聞いた事が有った。
「府中の赤鬼って、貝塚のオヤジの事なんですか?」
僕はあまりの驚きに、つい担当の名前を言ってしまった。
「知ってるんですか?」
後藤が意外そうな声を出した。
「いや、他の刑務所でも有名だったんで」
僕は適当に誤魔化した。
「全国区ですからね」
後藤は僕の返事に納得した様にそう言った。
それにしても、あれ程優しくて、懲役とも仲良くやっていた貝塚のオヤジが「府中の赤鬼」と呼ばれるまで、一体何が有ったのだろう。
転勤の理由を「色々有ってな…」と言う一言で終わらせていたが、それと何か関係あるのだろうか。
「府中の赤鬼」と言えば全国に聞こえた名前…懲役虐めで有名なオヤジだ。
その赤鬼と、貝塚のオヤジが同一人物だとは、僕にはどうしても思えなかった。
性格の良いオヤジがやがて捻くれ、最悪の担当になるのも総て態度の悪い懲役が悪いとはよく言うが、20年前、釧路少年刑務所であれだけ好かれていた担当が「何故?」と言う思いばかりが頭を掠めていた。
それにしても、後藤との会話は生きた情報が聞ける事で、ゆっくり話しを続けていたいのだが、僕は吉川和也からの手紙が気になって仕方ない。
「ちょっと、先に手紙を読んでしまいますね」
僕は一言断ってから、後藤との会話を切り上げた。
「あっ、これは気が効かないで申し訳ありませんでした。どうぞゆっくり読んでください」
後藤もそう言って、僕が戻って来るまで読んでいた「所内生活のしおり」を再び読み始めた。
果たして、吉川からの便りに翠の近況は記されているのだろうか…。
パソコンが得意な吉川らしく、B5のコピー用紙にプリンターで印刷された手紙は読みやすい。
印刷した手紙など相手に気持ちが伝わらず、手紙は直筆で書くものと言う人もいるが、受け取る方にしてみれば、あまりにも達筆過ぎて難解な手紙を貰うくらいなら、こうやってワードで打ち込んできてくれた方がどれだけ有り難い事か…。
前略健二へ
元気にやってるんだろうから、いちいちお元気ですか?なんて挨拶は要らないよなw
翠さんから電話を貰って「健ちゃんが静岡刑務所から居なくなった」 なんて、相変わらず翠さんの話しは前置きが無いから、俺はてっきり逃走でも図ったのかと心配したよw
なんでも、健二が翠さんに頼んであった本とか記念切手とかが送り返されて来たとかで、静岡刑務所に連絡したら、もう居ませんと言う返事だったらしいよ。
どこに行ったか教えて下さいと言ったら、それは教えられないので、本人から連絡が来るまで待ってる様にって言われたらしくて、どうして刑務官はあんなに高飛車に物を言うんだろうって怒ってたよ。
健二の事だから、仮釈放の沢山貰える北海道辺りでも希望して、そっちに送られたんじゃないか、なんて翠さんと話してたんだ。
そこに健二から「府中刑務所に移送に成りました」ってだけのぶっきら棒な手紙が届いたから、翠さん、また何時もの調子で怒っちゃって、俺にまでぎゃあぎゃあ言うから「俺は関係ないですよね?」って…。
まあ、そんなこんなで健二が府中に降りたって事が分かったから、そんな事が有ったって事だけ一応報告しておくよ。
本と切手は府中に送り直すって言ってたから、その内に届くと思う。
まあ、楽しみに待ってるんだな。
時々手紙を書くけど、娑婆の人は手紙を書くなんて事に慣れてないから、その辺の事は充分理解して、翠さんにもあんまりわがまま言わない方が良いぞ。
では今日のところはこの辺で。
和也
嬉しい便りだった。
そうか…翠はもう二度と面会に来ないと言いながら、頼んでいた本や切手なんかをちゃんと送ってくれてたんだ。
それにしても、翠もこう言うシチュエーションは初めての事ではないのだから、静岡刑務所から送った物が返って来れば何処かに移送に成ったのも分かりそうな物なのに、本当にあいつは自分の興味のある事しか覚える気が無いのだから…そう思うと自然と笑みが零れた。
それと…あの移入通知だ。
翠の性格から言って、こうなる事は分かり切った事でも有った。
いや、そう思うのは翠だけでは無いはずだろう。
人の気持ちを考えろ、自分が自分がと、自分の事ばかりを口にするなと常々言っている刑務所側が、何故あんな人の気持ちも考えない、ぶっきら棒な手紙を書かせるのだろう。
翠の事だから、あの手紙を見た瞬間、目を三角にして怒り狂っているのが手に取るように分かる。
吉川も災難だったな…と思うと、また笑えてくるのだった。
「良い手紙ですか?」
後藤が突然話しかけて来た。
僕があまりにもニヤケているので、後藤なりに気を使って話しかけて来れたのだろう。
「まあ…そうですね」
確かに後藤が言う通り、今の僕には最高の手紙だった。
「アンネ(姐さん)からですか」
後藤が重ねて聞いてくるが、煩いと思うより今は誰かに僕の話を聞いてもらいたかった。
刑務所慣れしている後藤は、その辺のかけ引きを心得ているのだろう。
「いや、親友の吉川ってヤツなんですけど、移送待ちの時に女房と喧嘩したんですけど、やっぱ自分の事心配してるみたいで、自分の友達の所に連絡が来たみたいなんですよ」
吉川の手紙に「心配」の文字は一言も無かったが、自分勝手に解釈すれば、翠は僕が何処に送られたのか心配だったからこそ、吉川に電話を入れたのだろう。
「姐さんは何処に住んでるんですか」
「葛飾の四ツ木って言う街なんですけど」
「ああ、高速のインターの有る」
どうやら後藤は東京の街に詳しいらしい。
「そうです、その四ツ木です。後藤さんも東京なんですか」
別に興味があって聞いている訳ではないが、この会話をまだ終わらせたくない僕は、話しの接ぎ穂としてどうでも良い事を聞いてみた。
「いえ、自分は神奈川なんですけど、東北道や常磐道に乗る時、必ず四ツ木の出口を通過するもんですから」
成る程、神奈川から湾岸を使って東北道や常磐道に乗ろうと思えば、必ず四ツ木の前を通過する。
「姐さんに移入の通知は出したんですか」
よくぞ聞いて来れたと、僕は嬉しく成り後藤の事が益々話しやすい男に思えるのだった。
「それがですよ」
僕は一歩膝を出し、後藤に詰り寄った。
「自分宛に静岡刑務所に送った本や切手が返送されて来たもんで、ウチのが何処に言ったのか静岡に電話したらしいですよ」
「静岡は、府中だって事教えたんですか」
「いや、けんもほろろだったみたいで」
「まあ、そうでしょうね」
後藤はしたり顔で頷いている。
警察の留置場から拘置所、拘置所から刑務所、何処をどう移動しても役所側は絶対に移動場所を教えないからだ。
「そうなんですよ。そこに持ってきて、自分からの府中に来ましたってだけの手紙が来たもんだから、ウチのが怒ってしまって、関係のない自分の友達に文句言ったみたいで」
僕は可笑しくて仕方ないと言った口ぶりで言った。
「本当にあの移送通知は良くないですよね。貰った相手の気持ちも考えて欲しいものですよ。こっちは残り少ない親族との絆と言うのを大事にしているのですから」
後藤の言う事は尤もだった。
皆、刑務所に来るたびに親族に見放され、受刑期間に誰からも手紙も面会も無いなんてのが当たり前なのだ。
相手に気分の悪い思いをさせるぐらいなら、普通の手紙を出せるまで発信を我慢しようと言うのが殆どだった。
「四ツ木からなら、面会も近くていいですね」
後藤は本当に嬉しい事を言ってくれる。
「まあ、そうなんですけど……」
「どうしたんです?」
歯切れの悪い僕の台詞に、後藤が聞き返した。
しかし、後藤が聞き返してくれることを計算して僕も暗い返事をしているのだ。
「実は、移送待ちで静岡に居る時に喧嘩してしまって」
「喧嘩の理由を聞いても良いですか」
後藤が一歩踏み込んだ質問をしてくる。
「それが女の問題で……」
「それはいけませんね。女の問題が出て来ると、待ってる女は必ずと言って良い程、不安が先に来るみたいですからね」
後藤の言う事は尤もだ。
長い年月、一人で歯を食いしばって男の帰りを待って居たとしても、帰って来ていきなり女を作って他に行ってしまわないとは限らない。
女の問題を抱えている受刑者は、必ずと言って良い程、女とはパンクして居る。
「ただ、パクられるん前に、お互いで話し合って一度は解決はしてるんですよ」
今日初めて会ったばかりの後藤に、僕はわざわざ話さなくて良い事を朗々と語っていた。
「どういう風に」
「二度とその女とは連絡を取らないって」
「その約束は守ってるんですか」
「勿論守ってますよ」
「なら、大丈夫ですよ。四ツ木からだって車で40分位でしょ?静岡の時は高速代も掛かるし、時間だってちょっとそこまでの距離では無いですからね。運よく府中に送られて来たんですから、直ぐに面会に来ますよ」
後藤との会話の中で、一番聞きたかった答えを、僕はどうにか導き出す事が出来た。
「やっぱそう思いますか」
「思いますとも」
なんの根拠も無いと言いうのに、分類考査で錦山と話した時と同様、後藤の言った一言に、ひどく安心して居る自分が居た。
次の日、朝一番で貝塚のオヤジに担当台へ呼ばれた。
府中刑務所に移入した時、翠から誕生日のプレゼントに貰った老眼鏡を取り上げられて居たが、結局華美な装飾がしてあるという理由で、使用不許可が決定したらしい。
特別購入で所内でも購入することが出来るらしいが、僕は翠に購入を依頼してみる事を選んだ。
特別発信願を申し出、翠に+2.5の老眼鏡を送ってくれる様にお願いする事にした。
老眼鏡が無ければ、本を読む事も手紙を書く事も困難なのを知って居る翠は、文句も言わず直ぐにJINSのメガネを送ってくれた。
やはり僕は見捨てられたわけでは無さそうだ。
そう思うと、楽しい事なんか何もないこの府中刑務所での受刑生活も、一つも苦しい事など無いかのように思えた。
それにしても、頼んだものはこうやって直ぐに送ってくれるのに、手紙や面会などは来る様子が無い。
嫌いじゃ無いけど顔も見たくない。
男と女にはそう言う時期が、往々にして有る物だ。
僕は勝手にそう思い込んでいた。
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