第14話 進入訓練工場

新入訓練工場



「ほらぁ、さっさと並ばんかぁ!」


担当の地鳴りのする様な怒鳴り声の中、分類考査で凡そ2週間を過ごした新兵が、新入訓練工場へと配役となった。


初めてこの府中刑務所の新入訓練工場に足を踏み入れた僕たちは、何をどうしたら良いのかも分からず、担当の怒鳴り声を尻目に、ただオロオロするばかりだ。


「自分の荷物を前に置いて、2列横隊で整列しろ」


工場内は左右の島に分かれており、入って右側に40席の作業台、左には10席の作業台が整然と並んでいる。


工場内の作りを事細かに説明するには、沢山の字数と卓越された文章能力を必要とする為、簡単に説明させてもらうが、戦後日本高度成長期の職工さんのスナップがよくテレビに出るが、正にあんな感じだと思ってくれると説明が早い。


その中心に開かれたスペースが確保されて居り、白線が長く平行に引かれている。


どうやらその白線が整列するときの目安らしい。


「荷物は前、2列横隊。荷物は前、2列横隊!」


同じ事を担当が何度も連呼している。


それでも、人の話など全く聞いていない一杯いっぱいの奴も多く、言われた通りの事が出来ない年寄りが何時も槍玉に上がる。


「貴様、人の話を聞いてるのか、荷物は自分の身体の前に置くんだよ!」


無銭飲食か万引き位しか出来ないようなヨレヨレの爺様を、年若い連行の職員が怒鳴りつける。


爺様は「済みません」と一声鳴いて列の最後尾に着くが、その最後尾が前と後ろの数が合っていない。


「何やってるんだ貴様!2列横隊だよ、2列横隊。分からんのか、2列横隊!」


刑務官となって初めに与えられる仕事が、収容者の連行だ。


それだけに、連行の職員はニキビの跡も初々しい、クソ生意気な小僧が多い。


爺様は一杯いっぱいな所に持ってきて、年若い担当に怒鳴られる物だから、益々どうしたら良いのかが分からなくなり、あたふたとするばかりで全く要領を得ない。


「後ろを見てみろ!あなただけはみ出してるんだよ」


言うや否や、年若い担当が爺様の襟首を掴み、後ろの列に強引に移動させた。


爺様は爺様で、列に並んだ後、自分の居場所が分かった事にホッとしたのか、私物カバンを左手にぶら下げたままキヲツケをしている。


「荷物は自分の身体の前だ!」


追い討ちを掛ける様に、担当の怒声が飛んだ。


笑っちゃいけないと思ってはいるが、質の悪いコントを見ている様で、ついつい笑みが溢れてしまう。


「誰だ笑ってるのは、人の失敗が面白いか!」


新入訓練工場の副担当が怒鳴り声を上げた。


またこの下りか…とウンザリした気分になるが、高齢化の進んだ再犯刑務所では、毎日がこの繰り返しだ。


ならば…年齢別に工場を分け、動きの良い者とそうで無い者を細分化し、年寄りには少しばかりのお目溢しをしてやれば良いのに…と思うのだが、刑務所側は刑務所側で年寄りを優遇しよう、などと言う気は更々無いらしい。


結果、若者が年寄りを虐めてると言う構図ばかりが目に付き、我々受刑者の目から見て気分の悪い思いばかりが刷り込まれる。


二度と刑務所など来ない様に、敢えて気分の悪い思いをさせているんだと言う人も居るが、その昔旭川刑務所に務めた時、ある拝命間も無い若い担当が僕に言った事がある。


「毎朝、朝礼で懲役を虐める様に言われるんだけど、僕、そう言うの苦手で…」


旭川刑務所には3年ほど滞在したが、何時の間にかその刑務官は退職していた。


精神的に弱い者は、刑務官と言えどもそうやって消えて行く。


しかし、残った刑務官は上からの指示を忠実に守り、まるで楽しんで居るかの様に、懲役に虐めや嫌がらせを平然とするのだ。


人間としての扱いを受けない…その最たる場所が刑務所の新入訓練工場とも言える。


今日、分類考査から新入訓練工場に移動して来た20名が、どうにか横2列に並び次の指示を待つ構えになった。


「右へ倣えぇぇぇ!」


僕たちを連行して来た職員が、声高々に号令を掛けた。


その声に合わせ、僕たちは分類考査の行動訓練で習った通り、左手を腰に当て顔だけを右横へ向けた。


「右へ倣えだ!右へ倣えはどうするんだよ!右を見て、隣の人の肘から拳一個分隙間を開けるんだろうが!」


また叱られているのは先程の爺様だ。


こうなっては、もう徹底的に槍玉に挙げられる。


刑務所用語で言えば、担当からの「ひっつき」が始まるのは目に見えていた。


「しゅみましぇん」


歯が無いのか、息の抜けた声で爺様が謝った。


皆がその声を聞いて笑った。


「貴様、真面目にやる気が無いのか!」


担当が更なる怒声を放つ。


「しゅみましぇん、しゃんとやりましゅ」


誰が見たって爺様は必死にやっていると言うのに、こう言う場面では刑務官様は自分が馬鹿にされてると感じるらしい。


「貴様、人を馬鹿にしてるのかぁ!もう良い、貴様はそこに立ってろ!」


そう言って爺様を引っ張り出し、出入口近くのドアの前に立たせた。


「他の者は右へ倣えだ」


言われた通り、残りの19名は右へ倣えをした。


「直れ」の号令でキヲツケの姿勢に戻る。


「右から番号」


「1.2.3...4.5..6」


「何だその番号は、流れる様に番号を言うんだ!やり直し、番号もとい番号!」


再び初めから番号を唱える。


「1.2.3.4......18.19」


僕たちが番号を唱え終わると「ヨシ!」と確認の言葉を発し、連行の職員は新入訓練工場の正担当に向かって敬礼をした。


正担当が連行の職員に敬礼を返す。


「報告します!連行人員20名、1名列外、整列人員19名、異常ありません!」


連行の職員が声を張り上げて正担当に報告し、再び敬礼をした。


「20名!」


正担当が数を復唱し敬礼を返した。


何が異常ありませんだ、異常が有るから1名列外に居るんじゃ無いか…と僕は思うのだが、それはただの屁理屈なのだろうか…。


この物語で何度も繰り返す場面があるかも知れないが、刑務官の挨拶は何時だって「異常なし」だ。


刑務所の存在そのものが、そもそも異常だって言うのに、まったく刑務官と言うのはノーテンキな職業だとつくづく思う。


さて、列外にはじかれた爺様以外の19名は、事前に決められたこの工場での作業台に着く様に指示された。


「今から各自の役席えきせきを言い渡す。名前を呼ばれた者は大きな声で返事をし、衛生夫の居る所まで行進で歩いて行く様に」


また行進だよ…と思った。


狭い工場の中、通路をわざわざ行進する意味は何なのだろう…。


「566番、五十嵐」


運悪く最初に呼ばれたのはこの僕だ。


こんな時は必ずと言って良いほど見せしめにされる。


「五十嵐さん、こちらです」


衛生夫が担当台から中央廊下に向かって3列目の一番後ろで手を挙げている。


賺さず、担当の「イッチ、ニイ」と言う声が上がった。


歩き始めに戸惑い2、3歩ほど手足がバラバラになった。


「ダメだぁ、戻れ!一歩目から行進するんだ!やり直せ!」


新入訓練工場の正担当が、大音響で僕にダメ出しをした。


いち早く元の場所に戻ろうと小走りになる僕に


「戻る時も行進するんだよ!」


と、またしても大音響のダメ出し。


這々の体で元のスタート地点に戻り「前に進め」の号令で再び行進を始めた。


指定された自分の役席に向かうには、右へ右へと2回角を曲がらなくてはいけない。


一つ目の角を曲がると


「馬鹿者!角は直角に曲がるんだ!やり直せ!」


またもや大音響のダメ出しだ。


皆が整列して僕を注視している中、まるで晒し者の様に何度もやり直しを食らった。


新規で入って来た有象無象を従わせる為、刑務官特有のパフォーマンスがこれだ。


普通なら「やってらんねぇんだ、この野郎!」と、とっくに居直る所だが、ここを超えて行かなくては今より楽な暮らしは手に入らない。


新入訓練を終了し、各工場に配役さえされてしまえば、テレビを観ることも、手紙を書く事も、好きな本を買う事だって出来る。


どんな屈辱を味わおうとも、新入訓練工場で担当に居直り、調査になるほどバカらしい事はないのだ。


担当も、この人間は何処まで耐えられるのかを見極めるために、わざと煽って居直らせようとする。


新入訓練工場とは、これから始まる受刑生活に必要な知識を与える為の訓練工場では無く、サーカスの猛獣が人間に従う様に、懲役を虐めて虐めて虐め抜いて、刑務官には従った方が良いと言う事を、徹底的に教え込む場所でも有るのだ。


何度もやり直しをさせられ、やっとの思いで役席に着いた。


その間、正担当は「イッチ、ニイ、イッチ、ニイ」の掛け声を、僕が役席に着くまで声を張り上げて続け、更には19名全員の行進の際も、一人で歩調をとりつづけた。


そのエネルギーは、例え敵だとしても称賛に値すると思える部分でも有った。


散々僕がこき下ろされてるのを見ていた他の者達は、充分に要領を得たのか、僕ほどにひっつかれる事もなく、其々が自分の役席に着いた。


工場の中が40席と10席に分かれているのは、同じ部屋だった中国人の黄さんだけが10席の方に座らされたのを見ると、どうやら日本人と外国人を分けている様だ。


「良いか、ここでお前たちが自分の考えで出来る事は何もない。言われた事だけをやり、言われた事だけを考えるんだ。分かったか」


担当に変わり、僕たち新入生にクンロクを垂れているのはこの工場の副担当だ。


どうやらこの工場は、正担当と副担当の二人で回しているらしい。


「まず最初に言って置くが、この工場では脇見、無断離席、不正公談は厳しく取り締まるのでそのつもりで居ろ。作業時間中は手元以外は見る必要もない。座り仕事だから背筋を伸ばしたい時もあるだろう。その時も手元から目を離すな。今何時かな、時計を見る、これも脇見だ。担当が自分の役席に近付いて来る、何の用事だろう、担当と目が合う、これも脇見だ。用事が有れば担当の方から声を掛ける。それまでは手元から目を離すな。良いか!」


「はい!」


毎週毎週、分類考査から送られて来る新入生に説明し慣れているのか、流れる様な速さで副担当は説明を続けた。


「オイ、お前いまどこ見た」


副担当に指を指され詰問されたのは、役席の中ほどに座った40代くらいの男だ。


「済みません、作業台の上に名札が有ったのでそこを見ました」


その男は有りの儘を説明した。


「それも脇見だ。俺が話して居る時には俺の方だけを見ろ。分かったか」


「はい、分かりました」


「分かったら担当台の横に立ってろ」


そこに居る訓練生全員が「えっ?」となる。


当然だ、注意を受け、素直に謝っている者に罰を与えようというのだ。


担当台の横に立たされると言う事はそう言う事なのだ。


「聞こえないのか?担当台の横に立って居ろと言ってるんだ」


今迄とは一転して怒気を含んだ物言いで、副担はその男にもう一度担当台の横に立つように促した。


その男も面白くなかったのだろう。


立ち上がって歩き出すその仕草に、少しだけ肩が入った。


途端…。


「貴様、不貞腐れてるか!」


副担当の怒声が響いた。


またパフォーマンスが始まったのだ。


些細な事に因縁を付け、相手が不貞腐れるのを楽しんで居る様にしか見えない。


「何も不貞腐れてなんかいないじゃないですか」


止せばいいのに、その男は口答えをしてしまった。


もうここからは型に嵌った刑務官劇場が始まる。


「何だと、チンピラみたいに肩くれて歩きやがって、そんな行進を誰が教えたんだ」


「肩なんてくれてませんよ」


「くれてるからくれてるって言ってるんだ」


もうその男も限界だったのだろう。


「担当さんよ、そう言うのを因縁って言うんだよ」


そう言って副担当の方へ一歩歩みを進めた瞬間、副担当がくるりと背中を向け、背中に隠れていた赤いボタンを押した。


非常ボタンだった。


工場の中にベルが音は鳴る事は無いが、担当の休憩所では今頃騒ぎを知らせる非常ベルが鳴り響いているのだろう。


行きつく暇もなく、大勢の刑務官が新入訓練工場に雪崩れ込んで来た。


「全員黙想!下を向いて目を瞑れぇ!黙想だ、目を瞑れ!」


雪崩れ込んで来た刑務官の誰かが叫んだ。


「貴様、目を瞑れと言ってるのが分からないのか!」


誰かがとばっちりを受けたようだ。


「目なんか開けてません」


「何を、こいつも連れて行け!」


容赦ない声だけが聞こえて来る。


巻き添えだけは食うものかと、僕は固く目を閉じ、言われた通りに黙って下を向いて居た。

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