第13話 分類調査

分類調査




刑務所の房内作業と言えば、紙製の手提げ袋の内職が定番だが、ここ分類考査で与えられた刑務作業は、金魚すくいなどで使用するビニール袋の作成だ。


小さなビニール袋の上1センチほどの所に6箇所の穴がパンチされており、その穴に細いビニール紐を通して行く。


100枚1束となったビニール袋の穴に、細いビニール紐を全て同じ長さになる様に通して行く。


紐の長さが不揃いだと、何度でもやり直しをさせられるから気を抜けない。


「いいか、使う人の気持ちを考えて作業をするんだ。不良品は絶対に出さないように」


担当からの檄が飛ぶ。


こんな物に不良品もクソも有るものかと思うのだが、刑務官曰く


「もし夜店でお前たちの子供や孫が、出来の悪いビニール袋に金魚を入れられて持たされたとしたら、お前たちは黙っていられるのか?そんな物を持たせたいと思うか?思わないよな。だからいい加減な仕事をしてたんじゃダメなんだ」


まあ、言わんとしている事も分からない訳ではない。


しかし、だからと言ってビニール袋100枚全部の紐の結び目まで寸分狂わず合わせる必要がどこに有るのだろう。


刑務作業は一般の会社と同じく、一日約8時間労働となっているが、分類考査に居る内は、行動訓練、入浴、分類調査などが有り、割と作業時間が短い。


それでも最低で5時間はこの金魚のビニール袋に向き合っていると言うのに、あまりのチェックの厳しさに、一日でたった100枚の束を作る事が出来ない。


100枚ひと組のこのビニール袋の値段が幾らするのかは知らないが、ビニールの原価と労働時間を考えれば、全ての刑務作業が赤字なのも頷けると言うものだ。


作業に集中していると廊下の窓から担当に呼ばれた。


「566番、五十嵐」


「はい」


僕はすぐに返事をし、担当が覗く廊下側の窓の前に移動し正座をした。


「566番、五十嵐来ました。」


「分類調査だ。机の上を片付けて出て来い」


「はい」


と返事をし、机の上を片付けている間に、担当が舎房の鍵を解錠しドアを開けてくれる。


廊下側の壁に備え付けられているサンダル立てから自分のサンダルを取り出し、廊下に出ようとすると


「黙って出て来るな、やり直し」


と担当にダメ出しを食らった。


舎房の出入りも、称呼番号を言わなければいけない事を僕は忘れていた。


「566番、出ます」


と普通の声で言って廊下に出ようとすると、またダメ出しだ。


「声が小さい。もっと大きな声で言え」


ただでさえ声の響き渡るコンクリート造りの廊下、そんな大きな声で言わなくても分かるだろうな…と思うのだが、刑務所では雑談以外の声は、常に張り上げるほど大きくなくてはいけないらしい。


「566番、出ます!」


と僕は腹の底から大きな声で言った。


賺さず担当の「よしっ」と言う声が帰って来た。


サンダルを履いて廊下の中央に出ると


「左向けぇひだり」


と号令が掛かる。


言われたとおりに決められた所作で左を向くと、今度は「前へ進め」の号令が掛かった。


廊下の中央に白線が引かれて居り、僕は言われた通り白線の上を歩き始めた。


「馬鹿者、行進で歩くんだよ」と直ぐさま、また担当の怒号が飛ぶ。


行動訓練で習った容量を思い出し、足は太腿が地面と水平になるまで上にあげ、手は前後に60度振って歩く。


僕の歩く速度に合わせ、担当が「イチ、ニイ、イチ、ニイ」と歩調を取っている。


刑務所の中を集団で歩くならまだしも、一人で歩いているのに何故行進をしなければいけないのか全く理由が分からない。


舎房棟とは別に有る直ぐ近くの建物に行くだけだと言うのに、既にこれだけの面倒な思いをするのだ。


これから始まる府中刑務所での受刑生活を思うと、こんなに厳しい所で身が持つのだろうかと不安な気持ちが湧いて来た。


西2舎の出入り口斜め右側に庁舎が有り、その2階に分類課の調べ室は有った。


ここにも面会所や入退所する時の私物検査室同様、びっくり箱が有り、僕は自分の順番が来るまで、そこで待つ様に指示された。


随分と長く待たされた。


四方を木の板で囲まれた、薄暗く狭苦しい空間で戦う相手は眠気だ。


夜は9時就寝、朝は6時40分起床。


寝る時間だけはたっぷりあるはずの刑務所も、実は余り良く眠れる場所ではない。


娑婆の事、受刑生活の事、対人関係、出てからの事などを考えていると、時間はあっという間に過ぎてしまう。


そこに持って来て赤の他人と生活を共にする雑居房、鼾をかく奴なんかが居ると、もう眠れるものではない。


一昔前なら鼾をかく者ばかりを集めた鼾房と言う部屋が有り、鼾をかかない者と部屋割りを区別していたが、今はどういう理由か、鼾房はあまり見られなくなった。


ならば鼾をかく奴よりも早く寝てしまえば、どうにか眠りに入る事も出来るのではないかと努めてみるが、鼾をかく奴に限って寝るのも早いと来てるから困ったものだ。


薄暗いびっくり箱の中、況してや職員の居る建物の中は、受刑者の居る居住区とは違い暖房が効いて居るため、気を抜けば直ぐに眠気が襲って来る。


うつらうつらとしていると、いきなりびっくり箱の扉が開いた。


「なんだ、あなた寝てるのか。ぶったるんでんじゃねぇぞキサマ!」


途端に担当の怒号だ。


「済みません、昨日あまり寝てないもんで」


止せば良いのに、つい言い訳が出る。


「あなたの言い訳なんか聞いてないんだよ」


「はい、済みませんでした」


僕は狭いびっくり箱の中で立ち上がり、分類課の担当に頭を下げた。


それにしても、何をやっても担当の怒号が飛んでくる。


数えてみた事はないが、毎日毎日、一日に何回「済みません」と言う言葉を僕は言うのだろうか」


確かに犯罪を犯し、社会的制裁として刑務所に入れられては居るが、受刑者を虫けらの様に扱う刑務官に、事あるごとに「済みません」と頭を下げなければいけない程、いったい僕はどんな悪い事をしたと言うのだろう。


そして、刑務官は一体どうしてあんなに偉そうに振る舞うのだろう。


例えば僕たちが何か一言でも言葉を返せば「人に迷惑を掛けておいて、なんだその態度は」と必ず返される。


嫌々イヤイヤ、あなた達には別段これと言った迷惑は掛けてないでしょ?と僕は肚の中で毒付く。


「刑務所に入って来るってだけで、俺たちがお前らの面倒を見なきゃいけないんだ、それだけでこっちは迷惑を被ってるんだ」


とある刑務官に言われた事が有る。


「だったら刑務官なんか辞めちまえよ」


と僕は思う。


だってそうだろう、受刑者がいなければ刑務官と言う職業だって必要無いのだ。


刑務官とは受刑者の面倒を見て、初めて毎月の給料が貰えるわけで、ほとんどタダに近い金額で官舎に住まい、このご時世に肩叩きでリストラされるでも無く、終身雇用を約束され、退官する時には二千万円以上の退職金まで貰えるのだ。


その刑務官が、受刑者の存在を迷惑だと言うなら、それは法務省に対して申し訳の立たない位の職務怠慢では無いだろうか。


更に、受刑者側から担当を呼ぶ時の呼称は、大概が「オヤジさん」だ。


「親」と言う字が「木」の上に「立」って「見」ると書くことに由来するが、一段高い担当台と言う木箱の上から受刑者を見張っている事から「オヤジ」と呼ばれる様になった様だ。


しかし、担当同士が呼び合う時は「先生」が末尾に着く。


「先生?」とまたまた僕は思う。


何かを教えて貰う訳で無し、ほとんどの担当が僕より先に生まれた訳でもないのに、何か特別な資格を有してる訳でもないただの公務員が、先生、先生などと呼び合ってるら何か勘違いした物の考え方に成るのではないかと僕は常々思っている一人だ。


それでも、刑務所に来たからには、担当には従わなければまともな生活など手に入らない。


受刑者となったその日から、日々プライドを削り落としながら、時をやり過ごすしか術は無いのだ。


「刑務所だって娑婆と同じだ。待機中だとしても今は作業時間内だ。仕事中に居眠りしてる奴がどこに居る。常識で考えろ」


びっくり箱の扉を開けた分類課の担当が僕に向かって言った。


ならば言わせて貰うが「刑務所の中が娑婆と同じ常識で動いているなら、この日本には、古来から伝わる年功序列と言う美しい伝統も有るでは無いか」と肚の中では思うが、絶対に口に出せる物では無い。


明らかに自分より年下と分かる糞生意気なこの刑務官に「済みませんでした」もう一度深々と頭を下げ、奥歯を力強く噛み締めた。


「分類調べだ、出て来い」


散々人をおもちゃの様にいたぶった後、漸くこの刑務官は本文を僕に伝えた。


「調べ室」と書かれた扉を開けると、そこはブラインドを垂らした陽当たりの良い小さな部屋だった。


警察の取調室と大差ない作りでは有るが、殆どの警察署の取調室は陽の当たらない薄暗い隅っこに有るのに対し、府中刑務所の調べ室は良く陽の当たる警察署よりも一回り大きなゆったりとした小部屋だった。


そこが「調べ室」と「取調室」との違いなのかもしれない。


事務机を挟んで奥側に有るパイプ椅子に座って居ると、直ぐに40代中頃のふっくらとした女の人が入って来た。


手に持っている大量の書類は、恐らく僕の身分帳だろう。


「身分帳」とは、今まで僕がどんな犯罪で捕まったのか、どこの刑務所に行き、どんな反則を犯し、何度懲罰を受けたか、受刑態度はどうだったか、満期で出たのか、或いは仮釈放を貰ったのか、全ての事が書き込まれている、刑務所側の閻魔帳だ。


久し振りに見る異性に意味も無く緊張してしまったが、刑務官の官服を着て居ないと言うだけで威圧感を感じる事も無く、ホッとして居る自分も居た。


よく見ると顔立ちも優しそうな顔をしている。


「色々と聞きたい事が有るの、正直に聞かせてくれる?」


取調官は先ず初めにそう言った。


「はい」


何でも聞いて下さいとでも続けたかったが、私服は来てるとは言えこの人だって刑務官なのだ。


「余計な事は言わなくていい」と言われるのが落ちかも知れない。


何を聞かれるのかは分からないが、聞かれた事だけに返事をしよう。


「じゃあ聞きたいんだけど、貴方は同性愛者ですか?」


調べ官の最初の質問に、僕は思わず椅子から転げ落ちそうになった。


今迄、何度か刑務所に入ったが、同性愛者かどうかを確認されたのは初めての事だった。


「いえ、自分は内妻も居ますから、女以外を性の対象に考えた事は有りません」


調べ官は小さく頷き、質問を続けた。


「その内妻の事なんだけど、前刑も同じ人が内妻よね?」


「はい、そうです」


「前回、刑務所から出てその人の所に帰ったんでしょ」


「はい」


「またその人とやり直すの?」


「自分はその心算です」


「向こうは?」


「静岡刑務所の移送待ちの時に喧嘩しちゃって」


「そうね、もう終わりだからって言われたんでしょ?面会記録にそう書いて有るわ」


成る程…確かに面会の時に記録係の担当が付いて居る以上、それを隠して内妻登録をする事は出来ない。


「何時もそんな事ばかり言うんですよ。前刑も面会に来るたびにそんな事言ってましたから」


「そうなの、でも前回その彼女の所へ帰って、また半年足らずで事件を起こしたんでしょ?彼女に貴方を管理する能力が無いんじゃないのかな?それとも彼女も覚醒剤をやったりするの?」


優しい顔をしているのに、随分嫌な聞き方をする人だと思った。


僕の事は何を言われても良いが、翠の事を悪く言われるのは幾ら調べ官と言えども、気分の良い物では無い。


優しげな顔をした女性だから油断していたが、彼女も又刑務官の一人なのだろうか。


「済みません、こんな事を言うのは良くないかも知れませんが、翠はとてもしっかりした人で僕も尊敬しているし、薬だけは絶対してはいけないと毎日の様に言って来る人です。それに間違っても覚醒剤を自分でやる様な人では有りません。誤解をされるだけでも僕はあまりいい気持には成りません」


出来るだけ反抗的には聞こえない様に気を付けて言った。


「そう、わたしの効き方が悪かったのなら謝るわ」


調べ官はそう言って僕に笑い掛けた。


初めの印象通り、やはり優しい人なのかも知れない。


この人なら、翠を内妻に許可してくれるかも知れないと思った。


「翠さんって韓国籍なのね」


「国籍は何か問題に成りますか?」


質問を質問で返す。


刑務官に対して絶対にやってはいけない事だ。


思わず口に出た事を僕は後悔した。


しかし


「いいえ、確認しただけよ。韓国名はなんて言うか知ってる?」


「朴翠です」


日本名は佐野を名乗ってはいるが、翠は在日韓国人だ。


前夫が日本人だった事で翔太は日本国籍を持って居るが、翠は頑なに帰化しようとしない。


見ていると韓国人としてもプライドも高い様だ。


だとしても、日本で生まれ日本で育った翠と、生活習慣の事で違和感を感じた事は一度も無かった。


「本当は一年以上の同居が必用なんだけど、翠さんの場合は前回の刑務所の時も面会に来てくれてるし、良いわ許可してあげる。分類考査に居る間は手紙が出せないけど、2週間くらいで新入工場に行くから、面会に来てもいいと手紙を出して上げなさい。翠さんの子供の翔太君も、お母さんと一緒に来るなら面会出来る様にして上げる。その代わり、くれぐれも真面目に努めるのよ。面会禁止にするのなんか簡単なんだから」


最後に言った事は脅しだろうが、やはり人間は第一印象が大事だと改めて思った。


この人は優しい人だ。


その後、僕の生い立ちや社会でどんな仕事をしていたのか、この中でどんな仕事をしたいのかをたっぷりと時間をかけて聞かれたが、翠と面会できると聞かされた嬉しさで、何を聞かれ、何を答えたのかも覚えて居なかった。

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