第10話 分類考査2

分類考査2



「新入だ、面倒見てやれ」


分類考査の正担当が雑居房の中に向かって言った。


「よろしくお願いします」


僕はそう言って膝を付き、西2舎1階4房の住人に挨拶をした。


雑居房の中にいた人相の悪い連中が、無言で頷いた。


予めその部屋に居たのは3名。


今日から僕を入れて4名になる。


定員6名の雑居房。


4名で生活するなら十分な広さだ。


十数年前、刑務所が過密収容となり、定員6名の雑居房で8人が暮らした事もあったが、密閉された狭い空間に、一癖も二癖もあるむさ苦しい男がすし詰めに詰め込まれていれば…そこで起きるのは喧嘩だ。


取り分け入所間もない頃は「舐められてたまるものか」と意気込んでいるだけに、分類考査中に喧嘩で脱落するものも多かった。


しかし、オリンピック需要で仕事も豊富に有る為か、今は刑務所に入る大馬鹿者はそれ程多くない。


日本最大と謳われる府中刑務所でさえ、2500人の定員を大きく割り込み、1900人程度の受刑者が暮らしているだけだと言う。


一時は全国に80000人強と言われた受刑者も、最近では50000人程度が収容されているに過ぎない。


その数が多いか少ないかは個人の意見の分かれるところだろう。


超過密収容と言われた平成18年当時、新しい刑務所を建設し、更に全国の既存の刑務所には新たな舎房棟を乱立した。


その結果、今はどこの刑務所も閑散とし、広々とした部屋で受刑者たちはのんびりと暮らしている。


その当時増員した刑務官が暇を持て余し、受刑者の粗探しばかりしているのもまた現状だ。


それはさて置き、刑務所の雑居にはとかくお節介焼きが多い。


こちとら再犯刑務所に落ちて来ているのだから「言われなくても分かってるよ」と言うことを、まあ懇切丁寧に教えてくれる。


同じ刑務所の中だとしても、その部屋、その部屋にルールが有り、例えば掃除や食器洗いの順番や便所の使い方など、その部屋の住人全員で話し合いをし、決定する事が多い。


しかし、長居をしても2週間程度の分類考査では、一番古い者が勝手に部屋のルールを決めている事がほとんどだ。


「よろしくお願いします」と言う僕の挨拶に、その部屋の末席の男が直ぐに反応した。


ヘラヘラとした、見るからに「サンシタ」と言う言葉が似合う男だった。


「まだ作業時間ですから、後で部屋の人を紹介しますので、先ずは自分の荷物を片付けて下さい」


僕はその男に促され、ぐちゃぐちゃに詰め込まれた私物カバンの荷物を、指定された4番席の棚に整理しながら置くことにした。


棚と言っても40センチ程の小さな物で、本やちり紙、洗面用具を置いて仕舞えばいっぱいだ。


私物カバンの中に丸めて押し込まれたシャツやパンツをたたみ直し、再びカバンの中に詰めていると


「どっから来たの?」


と声が掛かった。


皆に背を向けて居た僕は誰に聞かれたのか分からず、振り向きざまに「静岡から5人で来ました」と皆に聞こえる声で答えた。


途端…。


「誰だ声出してるのは!」


と、助勤の若い担当から罵声を浴びた。


「すみません」


僕は定石通り、直ぐに頭を下げた。


「誰と話してた」


助勤の若い担当が食い下がる。


「自分です」


先程のヘラヘラとした男が名乗り出た。


「何を話してた」


「今日来た人に荷物の置き場所を教えてました」


「本当にそうか?」


助勤の担当は僕に聞いた。


僕は返答に困ったが、ヘラヘラ男がそう言った以上、話しを合わせるしか無い。


「すみません、要領が分からないもので…」


僕はそう言い、年若い担当に頭を下げた。


「お前ら、本当にそれで良いのか?」


しつこい野郎だ。


おそらく、ヘラヘラ男も同じ事を思っているのだろう。


「オヤジさん、何を話してたって聞かれたから、新入に物を教えてたって答えたのに、それで良いのかって言われても困りますよ」


場馴れした調子でヘラヘラ男が言った。


「よし分かった。お前ちょっと出て来い」


そう言って助勤の担当は部屋の鍵を開け、ヘラヘラ男を部屋の外に連れ出した。


途端…。


「新入に部屋の事を教えるのに、静岡も5人も関係ないんだよ!」


と言う怒声が廊下に響き渡った。


どうやら僕の声が、廊下を歩いていた助勤の若い担当に届いていたらしい。


直ぐに別の担当が来て舎房の鍵を開けた。


「4番席、お前も出て来い」


来た早々面倒な事になった…と思いながら、僕は荷解きの手を休め、担当の指示に従った。


作業中の不正公談は、特に厳しく処罰される事が多いからだ。


廊下に有る担当台の前に立たされ、僕はキヲツケの姿勢で分類考査の正担当と向かい合った。


「担当の前に来たらどうするんだよ」


僕を舎房に迎えに来た担当が言った。


「どうするんだ」と聞かれても、今日この刑務所に来たばかりで、何の作法も聞かされていない僕はどうしたら良いのかなんて分かるはずもない。


「すみません、どうしたら良いんでしょうか」


僕としてはそれが精一杯の返答だ。


「一礼して番号と名前を言うんだろうが!」


目を見開き、歯を剥き出しながら、若い担当が僕を睨みつけている。


拝命間も無いニキビ面の担当が、間も無く40に成ろうとする収容者に対する態度がこれだ。


『このガキが…』と腹の中で思っては居るが、ここで一言でも返してしまえば、懲罰房行きだ。


分類考査で懲罰を受けてしまえば、その先の刑務所暮らしは「不良受刑者」のレッテルを貼られ、チロリン村やモタ工場と呼ばれる、何のやる気も起こらないつまらない工場に送られてしまう。


そんな工場に送られてしまえば、2年の刑期を無事故で勤めあげられる筈がない。


僕には仮釈を貰って、一日も早く翠と翔太の元に帰ると言う、半ば義務の様に感じている目標が有る。


こんな所で躓いてる訳には行かないのだ。


「すみませんでした」


僕は不承不承、謝る事を選んだ。


「だから余計な話なんかしてないって言ってるじゃないですか」


少し離れた廊下の先で、ヘラヘラ男が別の担当にまだ抗弁をしている様だ。


「お前はどうなんだ。認めるのか」


僕と向かい合っている正担当が聞いた。


「認めるも何も、まだ何も聞かれてません」


僕がそう答えると、正担当は笑って頷いた。


「刑務所では職員の言うことが全てだ。肩肘張った所で何も良いことなんかない。あれがカッコいいと思ってる奴らに巻き込まれない様に気を付けろ」


正担当はそう言ってヘラヘラ男の居る方に顎をシャクって見せた。


「分かりました。すみませんでした。」


僕はもう一度頭を下げた。


「来た早々で悪いけど、部屋を代わって貰うぞ」


「あっ、自分なら迷惑掛けましたって、ちゃんと頭を下げるから大丈夫ですよ」


「馬鹿者、なに余計な気を回してんだ。あいつは調査に決まってんだろ。無駄な争いを回避するのも担当の仕事なんだよ。ここは府中刑務所なんだからな、どんなことで因縁を吹っかけられるか分からないんだから、お前も自分で充分注意して生活する様に」


ニコリともせず正担当は言ったが、温かみのある話の分かりそうな人に思えた。


僕はそのまま西2舎4房には戻らず、向かい合わせにある南向きの部屋、21房に移された。


せっかく整えた棚の荷物は、再びぐちゃぐちゃなひとかたまりとなって部屋の中に投げ込まれた。


4房同様21房もまた、僕を含めて4名となった。


「よろしくお願いします」と膝をついて挨拶をし、舎房に入ったのは先程と同じだったが、作業終了の号令が掛かるまで、誰一人僕に話しかける者は居なかった。




作業終了後、閉房点検…つまり、今日はもう舎房の鍵は開けませんよ…と言う点検があり、その後直ぐに夕食となった。


府中刑務所は外国人の収容施設でも有るため、火、木、土、日の週4回の夕食がパン食だ。


通常の日本人がメインに収容されている刑務所では、月に6回しかパンを食べられないため、府中刑務所は食事の面でだけは人気が高い。


臭い麦飯では無い…それだけでパンを食べられる事は娑婆の食事を思い出させてくれる。


更に、パンには付き物のジャムや汁粉の様な甘い物も出るため、甘い物に飢えている収容者は幸せな気分になれるのだ。


閉房点検後は就寝時間の9時までは雑談は自由に出来る。


「来た早々大変でしたね」


この部屋で一番古株の一番席の男が話しかけて来た。


「調査になった人に悪いなって思ってるんですよ」


僕は素直な気持ちを言った。


「気にする事ないですよ。あの野郎名古屋から来たんですけど、シャブで何億も稼いだとか、地元では俺の事を知らない奴は居ないとか大ボラこきやがって、みんなからも嫌われてたんですよ」


たった今、一番席の男が言った様に、一目でそれが嘘で有ると分かるヘラヘラ男の風体を思い出し、思わず口に入れたスープを吹き出しそうになった。


「それから、あの若い助勤の担当も気を付けた方が良いですよ。デビルイヤーってあだ名で、何人もあいつのせいで吸い込まれてますから」


吸い込むと言うのは、調査となり懲罰房へ連れて行かれる事だ。


「分かりました、気を付ける様にします」


僕はそう言って食事を続けた。


「食事の後に皆さんを紹介しますから」


そう言ったのは3番席の男だ。


「ありがとうございます。よろしくお願いします」


と僕は丁寧に頭を下げた。


2番席の男は黙々と箸を動かしているだけで、僕たちの会話にはまるで興味がない様だ。


横目で覗き込めば、一重瞼の冷たい顔がそこにある。


そっと覗き込んだつもりが目が合ってしまった。


一重瞼の冷たい瞳がニコリと笑った。


どうやら悪い奴では無さそうだ。


「そいつ中国人なんですよ。言葉は通じないけど漢字で筆談すれば何とかなりますから」


3番席の男が言った。


なるほど、見ると名札の台紙がオレンジ色で、外国人である事が分かる。


流石に府中刑務所、色んな奴が居るもんだな…と押送初日は翠の事をグチグチと考え込む間も無く、慌ただしい中で過ぎて行った。

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