第9話 分類考査

分類考査



「これから君達を、この府中刑務所でどの様に扱って行くか、この分類考査に居る間で決めていきます。まあ、今日来た4名は手足も問題なく動く様だし、直ぐに新入訓練工場に配役となるはずなので、問題を起こす事なく、落ち着いた生活をする様に」


1名減ってしまった僕たち4名は、西2舎1階の共同室入口に有る担当台の前に横一列で整列し、分類考査の担当から訓示を貰った。


「では、これから君達が持って来た私物の検査をするので、各自自分の荷物を広げる様に」


僕は思わず「はあ?」と声が漏れそうな気分になった。


だってそうだろう、たった今やっとの事で押し込んできたパンパンの私物バックの中味を、再びここで広げ、更には検査まですると言う。


では数分前にやった事は何だったのだろう…。


何度同じ事を繰り返せば、この人達は納得をするのか。


「衛生夫!」


担当が大きな声で衛生夫を呼んだ。


衛生夫とは舎房棟の廊下を掃除したり、洗濯物を集めたり、食事を配って歩く雑役夫の事だ。


直ぐに帽子に赤線を巻いた衛生夫が飛んで来て、担当の前で一礼をする。


「1251番、斎藤来ました」


衛生夫が報告すると


「んっ」


と担当は頷き「これから私物の検査をするから、補助に着く様に」と指示を出した。


荷物の多い僕は後回しとなり、私物の少ない、検査の簡単な者から順番に確認をして行くことになった。


今回の私物検査は、規則上持ち込む事は出来るが、それが華美であるとか、奇抜であると言う理由で持ち込ませるかどうかを判断する検査らしい。


ここで殆どの者が引っ掛かるのがメガネだ。


刑務所に持って行ける唯一のファッション。


それがメガネだ。


それだけに、目も悪くないのに殆どの者がメガネを持参してくる。


僕は30代の中頃から既に老眼が始まり、更に乱視もある事で老眼鏡と遠近両用の、2種類のメガネを持って来ていた。


職員や衛生夫はさすがに手馴れたもので、目の前に重ねて広げた荷物を手早くバラバラにし、シャツやタオルの間にご禁制の物を忍び込ませていないかをチェックして行く。


横目でその様子を見ていると


「人のやっている事をいちいち見なくていい、黙って前だけ見てろ!」


と直ぐに担当から叱責が飛んだ。


僕はイタズラを見つかった子供の様に首をすくめ、言われた通り正面の壁の一点を見つめた。


「よし、私物をカバンにしまって、終わったらそこの1と番号の振ってある部屋に入って黙想していろ」


最初に私物検査が終わった者がそう言われているのが聞こえる。


刑務所はいつだって黙想だ。


4名の私物検査が終わるまで黙想をしてるとなれば、一番最初に私物検査が終わった者は、1時間は黙って目をつぶり続けなければいけない。


うっかりすれば眠ってしまったとしても不思議ではない。


直ぐに僕の順番が回って来た。


「先ずはメガネとメガネケースを出せ」


担当に言われ、僕はケースに入った老眼鏡と空のメガネケースを担当に手渡した。


「今掛けているのもだ」


「済みません、これを渡してしまったら細かい字が見えないんですけど」


年齢の割に僕は老眼がキツく、おそらくこの後記入するであろう親族登録書や親族外登録書の記入が困難になってしまう。


「字を書く時には刑務所の老眼鏡を貸してやるから心配するな」


「分かりました」と答え、今掛けている遠近両用のメガネをケースに入れ、担当に手渡した。


物腰の柔らかい担当に、少しだけほっと出来る気分だ。


まあ、府中刑務所にしたら…と言う言葉は続くが…。


老眼鏡はカルバン・クラインのロゴが横に入った黒縁のセルフレーム。


遠近両用の方は、ローデンストックの金縁のフルメタル。


値段で言えば、ローデンストックの方がはるかに高い。


しかし…担当はカルバン・クラインのメガネを取り出し


「これは中では使えないかもな」


と言った。


なんの変哲も無い黒縁のメガネ。


「えっ、なんでですか?」


と聞き返すのも、当たり前の様なデザインだ。


「メガネの横にメーカーのロゴが入っているのは華美な装飾と判断されて、使用出来ないことが多い。府中刑務所は華美な物、高価な物は使用出来ない決まりになっているんだ」


「高価と言うなら、もう一個のメガネの方が何倍も高いんですけど…」


「判断するのは俺では無い。一度処遇課に持って行って、使える様なら戻って来るから、指示に従う様に」


担当にそう言われて仕舞えば、答えは「はい」しか無い。


遠近両用と老眼鏡のどちらを取ると言うなら、刑務所の中では断然老眼鏡だ。


遠くを見る事は滅多に無いが、本を読む時間は幾らだってあるからだ。


それに…老眼鏡は翠が僕の誕生日にプレゼントしてくれた物。


近くに置いておきたかった。


下着やタオルなど、ここにある全ての物も翠が用意してくれた物に違いないが、メガネはこれらの品物とは違う。


2人でメガネ屋に出向き、あれやこれやと相談して決めた物。


それだけに思い入れがあり、使う度に翠を感じられもした。


取り上げられて捨てられる訳ではないとしても、手元に置いておけないのは些かショックでもある。


写真や本も一度検閲に回すと言う。


著しく猥褻な本、ヤクザの本など、入る本、入らない本も又有るのだ。


まったく、府中刑務所というのはどこまで煩いのだろうか。


まだ舎房にすら入っていないというのに、僕は既にげんなりとした気分にさせられていた。


府中刑務所、恐るべしだ。


私物検査が終わり、他の三名が黙想をして待機している、西2舎1階1房に入った。


畳12畳とさらに一畳分の板の間、その横に流し台、更にその横に担当が監視できる様に作られたガラス張りのトイレ。


刑務所の雑居房は、大体がこの作りだ。


その部屋に長テーブルが四つ置かれ、僕たち4名はそのテーブルに各自1名づつが座り、安座(アグラ)の姿勢で黙想をしていた。


直ぐに分類考査の担当が部屋に入って来て、これから府中刑務所で生活する為の説明を始めた。


「4名共再犯者という事で刑務所での暮らし方は慣れてるだろうから、特に難しい説明も無い。行動訓練については後日別の者がするので、取り敢えず今日は、やってはいけない事を言っておく。良いか!」


「はい」と答え、僕たちは居住まいを正した。


「この後、君たちを各舎房に振り分け、そこで生活してもらうわけだが、今日持って来た私物を誰かに分け与えたり、逆に誰かに貰ったりは絶対にするな。不正物品授受は厳しく取り締まるからな」


「はい」


「それから飯のやり取りも一切禁止だ。嫌いなものが出たからと言って、誰かに上げたり貰ったりもダメだ。食えない物が出た時は残飯に出す様に」


「はい」


「それから、これが一番大事な事だから良く聞く様に」


担当はそこで一呼吸起き、僕たち4名と一人ずつ目を合わせた。


「自分の個人情報を中の人間に漏らすな」


確かに…刑務所で暮らす者にとって、それが一番大事な事かも知れない。


自分の家や女の連絡先を教えたばかりに、先に出所した奴に、家も女も金さえも根こそぎ持っていかれたなんて話しも珍しくは無いからだ。


僕たち4名は「はい」と一際大きな声で返事をした。


「分かっているなら良い」


担当はそう言ってから、次の説明を始めた。


「では、今君たちのテーブルの上に裏返しに置かれている紙をひっくり返し、字が読める様にしろ」


言われた通り、テーブルの上には数枚のA4の紙が置いてあり、僕は素早くその紙を表に向けた。


僕が思った通り、そこに置いてあったのは「親族登録書」と「親族外登録書」それに「帰住地予定申告書」「身元引受人依頼書」だった。


「面会や外部通信の予定のある者は全て書き込むように。分かっているとは思うが、ヤクザやその周辺者は登録しても外部通信は出来ないからな。誤魔化して書いても後でわかる事だから、その時は虚偽申告になるから、よく考えて書くように」


担当がクンロクを入れた。


それ程遠くない昔、刑務所は監獄法という明治時代から受け継いだ法律で雁字搦めにされており、6親等以内の親族でなければ、面会どころか手紙を出す事も許されなかった。


しかし、今は法律も変わり、反社会団体の人間でない限り、手紙を書く事は自由に出来るようになった。


法律的には親族外の面会も許されている筈なのだが、友人知人との面会は余程の理由が無い限り、させてくれない刑務所がほとんどだ。


理由は「手が回らない」という事らしい。


自分たちが楽をするためなら、法律も曲げるのが刑務所のお偉いさんだ。


最近ではプリペイドカードを購入し、電話を掛けられる刑務所も増えて来ている。


それはさて置き、親族や親族外に登録する名前だ。


僕には内縁の妻として翠を登録する以外、思い浮かぶ親族も居ない。


その内縁の妻も審査があり、刑務所がこの人は内縁の妻に相応しいと決定しなければ、親族登録書に載せる事は出来ない。


翠の子供の翔太は、例え翠が内妻として許可になったとしても親族として登録する事は出来ない。


内妻は親族だが、その連れ子は籍が入ってないのだから、家族では無いと言う考え方の様だ。


つまり、この府中刑務所に居る限り、翔太とは面会もできないという事だ。


僕は翠とだけでも、面会の出来る可能性に賭けてみることにした。


前刑も翠を内妻に登録し、許可されていたものの、内妻は一年以上同居していたと言う事実が必要だ。


今回僕が刑務所を出て娑婆にいたのは僅かに6ヶ月。


一年以上一緒に暮らしていないじゃ無いかと言われて仕舞えば、それは確かなことだけに反論する事が出来ない。


それでも、僕は翠を内妻として親族登録書にたった一人だけ名前を載せることにした。


親族外登録書には、友人の吉川和也と昔から世話になっている車の修理工場社長の大沢敏夫を載せた。


大沢社長には事前に身元引受人もお願いしてあった。


身元引受人だけは親族外でも面会が出来る。


二人とも翠の事もよく知っているだけに、この二人を登録しておけば、翠の近況も知る事ができるだろうと、僕は思っていた。


「書きながらでいいから聞くように」


担当はそう言って僕たちの注意を引いた。


「今書いている親族、親族外の登録書は審査の後に許可になるかどうか決まる。当然許可のない者と外部連絡はさせない。つまり、この分類考査に居る間は手紙を出す事が出来ないと言う事だ。しかし、移入通知を親族に一通だけ出す事が出来る。出したい者は居るか?」


担当の問い掛けに、僕は迷わず手を挙げた。


4名の内、手を挙げたのは僕だけだった。


再犯として刑務所なんて所に出入りばかりしていれば、手紙を出す親族など居なくなるのが普通だ。


「他は居ないんだな」


担当が重ねて聞いた。


誰も返事をしなかった。


「分かった。566番、お前だけちゃんと聞くように」


「はい」


「移入通知に書いていいのは、府中刑務所に移入しましたと言うことだけだ。元気ですかとか、時候の挨拶や、面会に来て下さいなどの余計な事は一切書く事は出来ない。それでも良いか?」


「はい」と返事をしたものの、受け取る側の気持ちとしては、喧嘩別れになった相手から、何の挨拶文もなしにただ府中刑務所に移入に成りましたと言うだけの手紙を受け取って、気を悪くしないものだろうか…。


それでも、翠が住む同じ東京に来た事を、一刻も早く僕は翠に知らせたかった。

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