第4話再逮捕
再逮捕
完全否認に付き物なのは接見禁止だ。
「証拠隠滅の恐れあり」と言う理由で、外部との連絡を取らせないようにする為、面会や信書のやり取りを禁止する。
薬物に依って逮捕された者の常で、僕は取り調べ以外の時間をただひたすらに眠り続けていた。
外部との連絡が取れない以上、雄樹がどんな供述をしているのか、また取り調べを自分にとって有利に進めるにはどうしたら良いのかを、もっと考えなくてはいけないと言うのに、薬物の切れ目による睡魔に打ち勝つことができず、はじめの10日間を僕は眠って過ごした。
拘留延長のため検察庁に呼ばれた時、同行室で僕に話しかけて来た男がいる。
雄樹が留置されている静岡警察署から来た男だ。
「竹本雄樹さんの共犯の方ですよね?」
その男は何某と名乗ったが、その男も薬の切れ目なのか呂律が回っておらず、聞き取ることが出来なかった。
こちらから名前を呼び掛ける必要も無いので、敢えて聞き返すこともせず「そうですけど」と訝しげな目だけを、その男に向けた。
「竹本さんからの伝言なんですけど、先ずはヘマをして高速隊に捕まって済みませんと言うことでした」
「そうですか、それはわざわざ有難うございます」
僕はその男に対し態度を改め、丁寧に頭を下げた。
口裏合わせを防ぐために、共犯同士、同じ留置場に入ることが無いため、こうやって検察庁の同行室で伝言を受け取ることは少なくは無い。
「それから、最後まで否認で行くので、五十嵐さんにもそのつもりでお願いしますとの事でした」
どうやら雄樹も、僕と同じ考えでこの事件に向き合っているらしい。
「最悪、最後は自分一人で背負いますからとも言っていましたので、その旨お伝えします」
「有難うございます。こっちは大丈夫だから雄樹に頑張るように言ってください」
僕も雄樹への伝言を託した。
「必ず伝えます」
呂律の回らない男との会話はそこで終わった。
何故なら、同行室担当の警察官が僕たちがひそひそ話しをしていることに気が付き、二人を別々の部屋に振り分けてしまったからだ。
少し前の時代なら、同行室は賑やかな情報交換の場だったと言うのに、今は何処の検察庁も、いや、検察庁に限らず留置場さえも被疑者同士の会話を禁止しているところが多い。
しかし、僅か一言二言の会話でも、これからの警察との戦い方に十分すぎるヒントを貰うことが出来る。
この薬の切れ目で呂律の回らない男がもたらした情報は、僕のこの事件に対する方針を確定させた。
「逃げ切れる…」
検察庁からの帰り道、僕は確信めいた思いで沼津警察署の留置場に向かうバスに揺られていた。
「まぁこれはよ、雄樹が言ってるんだから気を悪くしないで欲しいんだけど、五十嵐なんてのは先輩風吹かしてるけど、あんなポン中となんかヤバくて一緒に悪い事なんか出来ないよ、なんて抜かしやがるんだよ。お前たち、こっちが思ってるほど仲良しじゃ無いのか?」
拘留延長が決まり、最初の取り調べで開口一番、柴田刑事がそう言い放った。
まったくコイツらにはアイデンティティと言うものが無いのだろうか…。
雄樹は間もなく拘留一杯、僕は残り10日となって担当刑事に焦りが出始めたのだろうが、仲間割れを誘って自供させようなんて、子供騙しにもなりはしない。
昨日、雄樹からの伝言を聞いているだけに、事件の取り調べさえもマニュアルでしか対処できない、サラリーマン刑事に、僕は哀れみすら感じるようになっていた。
「雄樹に伝えてくれよ。何を好き勝手な事を言っても良いけど、俺たちが友達だって事だけは忘れるなよって」
僕がそう言うと、柴田刑事は明らかな作り笑で僕を見つめ
「お前さん、中々寛大な心の持ち主だな」
と上辺だけのお世辞を言った。
確かに雄樹が運転して捕まったのは盗難車だ。
その車の中にはポータブルナビが有り、ナビの中には一度はそこに行った事を証拠付ける地点登録が履歴として残っていた。
その地点登録の殆どで車の盗難事件が起きている。
だからと言って、それが僕達が働いた窃盗の確たる証拠かと言えばそれもまた違う。
何故なら、ポータブルナビは簡単に取り外しが可能な機械で、事実、僕達は盗んだ車を次々とバイヤーのもとに運び、3日と同じ車に乗っている事は無い。
その度にポータブルナビは別の車に移され、事件の発生現場の防犯ビデオと照らし合わせても、はたして誰が車を盗み出した実行犯なのかを特定する事も出来ない。
更に、逮捕時、雄樹が乗っていた車以外の被害品は、既に外国人バイヤーの手に渡っており、何処からも一台も見つかっていなかった。
つまり、警察側が僕達を窃盗犯として、刑務所に叩き込む確たる証拠には不十分だと言う事だ。
程なくして、僕と雄樹は処分保留となり、自動車盗の件はお咎めなしとなった。
こうなると、身体の中から出て来た覚醒剤の陽性反応が恨めしい。
逮捕された二日後、強制採尿によって採取された僕の尿から、覚醒剤の反応が有った事は事前に柴田刑事から聞かされていた。
窃盗容疑については処分保留が決定したものの、同時に覚醒剤使用の再逮捕は間違いない。
こうなれば覚醒剤の使用も惚けてやろうと僕は思っていた。
薬物対策課の近藤刑事が、新たな担当となった。
「盗みの件は、上手い具合に逃げられて良かったじゃないか」
初対面の近藤刑事が笑いながら言った。
柴田刑事と、同じ顔の作り笑いだ。
「今更説明も必要ないとは思うんだけどよ、一応決まりだから言っとくよ。言いたくない事は言わなくていいからな」
「供述拒否権だろ」
したり顔で僕は答えた。
近藤刑事の言う通り、今更聞く必要もない。
刑事事件の取り調べは、自分が不利になる事や立場が悪くなると思う事に関し、自分の意に反して供述する必要がない。
「で、薬の方は素直に話してくれるのか?」
人間と言うのは実に浅はかで欲の強いもので、窃盗罪の方を逃げ切ってしまうと、何となく他の事も上手くいくのではないかと錯覚してしまう。
止せばいいのに、僕は覚醒剤の使用も否認を決め込む事にした。
「それがさ、自分で覚醒剤をやった記憶が無いんだよね」
「なに?じゃあ何でお前の体から覚醒剤の反応が出て来たんだ」
まあ、そう聞き返されるのは当然の事だろう。
「それがさ、逮捕される3日前に出会い系で知り合った女の子がいるんだけど、その子が車の助手席で覚醒剤をバカバカ炙ってたんだよ」
「その子が覚醒剤を炙ると、何でお前の体から覚醒剤の反応が出るんだよ」
「俺も何でかな…と不思議に思ってたんだけど、この20日間じっくり考えてやっと理由が分かったって言うかさ…」
「何だ、言ってみろ」
「いやね…タバコで言うなら、副流煙じゃ無いかと思うんだわ」
「イヤイヤ、幾ら何でも健二、そりゃ苦しいぞ。お前の前科前歴を見れば、その話しを信じろってのは無理だろう」
それもそのはず、僕は覚醒剤使用の事件だけでも3度刑務所に入れられた過去がある。
「近藤さん、前科で人を判断しちゃいけないよ。俺は前刑、刑務所から出て来たときに翠に誓ったんだよ。二度と覚醒剤はやらないって」
僕は最もらしい事を並べ立てる。
「そりゃそうだろうけどよ、その女と知り合ったのは逮捕の3日前なんだろ?そもそも何時間か一緒にいた女が車の助手席で覚醒剤を炙ってたからって、その副流煙で4日後にお前の体から覚醒剤の反応が出るか」
常識的に考えれば、近藤刑事の言う事が最も一般的で正しいとも言える。
「それがさ、その子とは捕まる直前までずっと一緒に居たんだよ」
「車の中にか?」
「車の中に」
何か僕の話しがおかしいかな?と言う顔で僕は近藤刑事に向かって小首を傾げて見せた。
「んで、その子の素性と名前はよ」
「ああ、地方から旅行で遊びに来てたリカちゃんとか言う子だよ」
「リカちゃんだけかあ?」
「リカちゃんだけだよ」
「普通は連絡先とか聞くんじゃ無いのか」
「俺も翠にバレちゃマズイからさ、あんまり女の子の連絡先は聞かないんだよね」
いけしゃあしゃあとはまさにこの事かと自分でも思うのだから、近藤刑事の苛立ちは手に取るように分かっていた。
しかし、一通り話しを聞くのも刑事の仕事。
僕の法螺話に、近藤刑事は辛抱強く付き合うしかない。
「だけどな、お前くらい覚醒剤の好きな男が、隣で覚醒剤をやってる奴がいるのに我慢出来るのか?」
「だからぁ、翠と覚醒剤は絶対やらないって約束したんだよ」
そう言って僕は強気に出た。
「そもそも他の女と浮気してたんだろ?それは良いのか?」
やはり近藤刑事は正論を語る。
翠との約束を絶対に破らない。
だからこそ、僕は覚醒剤をやっていないと言う事を力説しているのに、例え口に出して約束はしていないとしても、男と女の間には浮気はしないと言う不文律があるはずだ。
肝心な事は脇に置いたまま、いくら無実を訴えたところで、僕の話しに信憑性があるはずも無い。
そんな事はとっくに分かっていても、一度始めた話しを引っ込める訳にもいかず、僕は思い付く限りの嘘を並べるしかなかった。
「ダメに決まってんじゃん。その上、覚醒剤までやってみなよ。二度と翠に会わせる顔が無くなるだろう。そんな勇気は俺には無いよ」
思い付きの辻褄合わせ。
深く掘り下げられればボロが出ない訳がない。
「あのな健二、老婆心ながら言わせて貰えばだぞ、せっかく3係(盗犯課)の方は証拠不十分で上手いこと逃げ切ったんだから、薬の件は認めた方が検事や裁判官にも印象が良いんじゃないか?どう言い訳したってお前ほどの前科が有れば、この件は起訴にはなるぞ」
まあ、それはそうだろう。
確かに罪名によって係の違う警察の場合、罪名が変わると担当刑事が変わる事が殆どだ。
しかし、検察庁の取り調べ検事が変わる事はあまり無い。
結果、最初の逮捕事実が処分保留になってるだけに、あまり適当な供述をしてしまうと、裁判の結審の際、長期の求刑を打たれる可能性も多い。
近藤刑事はそう成る事を心配して言ってくれている。
とは言え、被疑者から自供を取るための常套句ではあるが。
「そう言ってくれるのは有り難いけどさ、検事がどう言おうと、裁判の原則は争うべきは起訴事実のみだろ。その前に逮捕、拘留がどれだけあろうとも、前例に則って判決を下すのが裁判なんだから、一検事、一裁判官のご機嫌を取ってまで何とかしようなんて思わないよ」
「つまり言い逃れ出来ることは、とことん言い逃れするつもりだって事か?」
近藤刑事のボルテージが段々と上がってきたのがよく分かる。
「だったら、そのリカちゃんってのにも話が聞けるようにしろよ」
「俺の話を聞いてなかったのかよ。リカちゃんは3日間、俺の前で覚醒剤をやりっぱなしだったんだぞ。そこまで話したのに警察にリカちゃんの情報を与えるって事は、俺たちの言い方に置き換えればチンコロじゃないかよ。それは出来ない相談だよ」
「じゃあ、何処の出会い系で拾ったのかくらいは言えるだろ」
「言えないね」
僕はぶっきら棒に答えた。
早くこの会話を切り上げて、調書でも巻いてくれないかと思ってた。
全てが思いつきで話している方にしたら、同じ事を二回聞かれても、前になんと答えたからをうっかり忘れてしまう事もあるからだ。
「じゃあ最後に一つだけ教えてくれよ。それだけ教えてくれたら、お前の好きなように調書を書いてやるからよ」
近藤刑事は、そう言って満面の作り笑いを浮かべた。
危険だと思った…。
しかし、この駆け引きで答えは「うん」しかない。
「良いよ。なんでも聞いてよ」
思っている事とは違う答え。
「リカちゃんと3日間どこに行ってたんだよ」
『そりゃ、当然聞かれるわな…』と思いながら、頭の中はフル回転でストーリーを組み立てる。
前日、翠と横浜へドライブに行った。
横浜方面のNシステムに、僕の車が通過した記録が残っている。
言わない方が賢明だ。
「リカちゃんの車で栃木県の方に行ってたんだよね」
「ほう、そうか。それだとな、ちょっと説明のつかない所が出てくるんだよ」
なんの説明だよと思った。
この取り調べ室に入ってから、前日までの居場所について語ったのは初めてだと言うのに、何処でヘマをしたのだろうか。
「なんか説明したっけ?」
僕はいかにも間抜けな口調だ。
「いや、お前さんからは何も説明は受けてないんだけどな、お前さん捕まる前日、首都高速横羽線の川崎パーキングエリアでタバコを買っただろ。KENTとマルボロのメンソール」
ドキッとした。
確かに翠と横浜へ向かう途中、川崎パーキングエリアの自動販売機で、自分のKENTと翠のマルボロのメンソールを買っている。
しかし、何故それを警察が知っているのだろう。
「川崎でタバコを買った記憶はないな…だって栃木に居たんだから」
惚けてみることにした。
「いや、買ったんだよ」
断固とした近藤刑事の宣言。
「画像かなにかでも残ってるの」
僕の口調は既に弱気だ。
「画像はまだ確認してない。まあ、これから探してみるけどな」
じゃあ、一体どういうことだろう…。
「参考までにだけど、なんでそんな事を言い出したのかな」
近藤刑事の顔がニヤケ顔に変わる。
「教えてやろうか」
「頼みますよ」
哀願…?
「お前のタスポに記録が残ってるからだよ。日付、時間、銘柄、まあそんな所かな」
『マジかよ』と思った。
携帯電話の履歴が警察の捜査に使われる事は知っていたけど、まさかタバコの購入履歴までが警察の手の内にあるとは…しかも、銘柄や購入した場所や時間まで…。
これではつい先ほどまで付いていた嘘が、根底から覆されてしまう。
「さて、もう一度初めから話しを聞こうか」
得意顔の近藤刑事に、何故か面白くないと言う気持ちさえ起き上がらなかった。
「供述拒否権を使っちゃおうかなぁ…」
くだけた調子で言ってみた。
「それはないよ五十嵐の兄ィ、中々の話し上手なんだから、もう少し奥の深い話しをしようじゃないか。その代わりと言っちゃなんだが、お前さんが偽造免許で契約した携帯のことまでは訴追しないからよ」
まったくどこまで調べているのか…この上、携帯のことまで調べられたら…。
有印公文書偽造、同行使及び詐欺となれば10年以下の懲役刑、況してや詐欺罪は2係(知能犯)の扱いで、再び再逮捕の可能性も大きい。
どう安く見積もったとしても、覚醒剤の使用を認めた方が良いに決まっている。
「じゃあ調書でも巻いてみるか」
近藤刑事がニヤリと笑った。
僕は敗北感で一杯になった。
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