第3話否認
否認
無味乾燥と言う言葉以外、何も思いつかないような取調室で僕は刑事と向かい合っていた。
「何故ここに呼ばれたのかは分かってるんだろ?」
ヤニ臭い息を吐きながら、ニヤケた顔の刑事が聞いた。
刑事特有の作り笑いに、僕はすぐさま嫌気がさしていた。
「逮捕事実は窃盗になってたけど、正直、何のことかは分からないよ」
僕には、初めから今回の事件を認めるつもりはない。
翠と翔太が僕の帰りを待っていてくれると言っているのだ。
僕に出来る事は、潔く刑に服すことではなく、一日でも短い判決を貰い、そして一日も早く翠と翔太の元に帰ること。
自分のやったことの責任も取れないのか、ズルイじゃないかと誰かに陰口を利かれようとも、逃げられる知識と機転があるなら、法律が定める通り、僕はあやしきものとなってこの事件から逃げ切るつもりでいた。
「まあ、たっぷり時間はあるんだ。ゆっくり聞くから宜しく頼むよ」
自信ありげな刑事の言葉。
ただし、向こうも落としのプロなら、こっちは逃げのプロ。
プロ同士どちらに転がるのか振ったサイコロの目を見るのも悪くはない。
警察と対峙する事に慣れてしまっている僕は、楽しい気分にさえなって来ていた。
「まずはションベンでも出してもらうか」
柴田と名乗った年輩の刑事が、取り調べの最初にカマシを入れてきた。
一度体に入れた薬物は、警察の薬物検査で反応が出なくなるまでに、最低でも10日は必要だ。
翠の部屋から帰った後、自分のアパートになど戻らず、何処かで薬を体から抜いて出頭すると言うのが当たり前のセオリーでもあったが、昨夜の翠との仲直りの儀式で気持ちが高揚していたのか、凡ミスのような形で僕は捕まってしまった。
刑事も捜査のプロだ。
僕の顔を見れば、薬物が体に入っていることくらいお見通しだろう。
況してや、僕の前科前歴がそれを裏付けている。
しかし、ここにきてしまった以上、ジタバタしたところで何も始まらない。
覚醒剤使用の陽性反応は確実に出るとして、それ以外の罪を上手にくぐり抜けるための駆け引きを、僕は始めなくてはいけなかった。
「ションベンなんて出さないよ」
「出さないって言ったってお前、出さなきゃ強制になるぞ」
「強制でも何でもすりゃあ良いじゃねえか」
「お前なぁ、ヤクザの兄ィだってチンポに管突っ込まれりゃ、恐れ入りましたって自分でションベン出すんだぞ。初めっからそんなに粋がっても仕方ないだろう。悪い事は言わないから、ションベンくらい自分で出したらどうだ?」
「柴田さん、悪いけど任意の取り調べには一切応じるつもりはないから、調べる必要があるなら、全て捜査令状を取って強制でやってくれないかな」
完全否認を宣言した僕を、柴田刑事は苦虫を噛み潰したような顔で睨みつけていた。
「まあお前がそう言うならそれで良い。後から自分で出しますと言っても遅いからな」
柴田刑事の捨て台詞に「望むところだ」と僕は肚の中で毒づいていた。
雄樹が捕まった事で捲れてしまった連続自動車盗難事件は、僕の予想どうり東京、神奈川、千葉、埼玉と雄樹を捕まえた高速隊が所属する静岡県警沼津警察が合同捜査本部を立ち上げていた。
全てがポータブルナビに地点登録されていた場所から波状した事は聞くまでもなかった。
数日前に僕が送り込んだ雄樹の私選弁護人から、事件についての重要な供述は、雄樹自身まだしてない事も僕は聞いて知っている。
それはそうだ、いくらポータブルナビから事件現場の住所が出てきたからと言って、地点登録をしたのが雄樹で有るとは限らない。
「このナビは、初めから車に付いていたものだ」と言ってしまえば、それを否定するだけの確たる証拠を警察は提示しなければ、裁判で有罪に持ち込む事はできない。
雄樹も警察に捕まるのは初めてではない。
そのくらいの駆け引きは心得ているようだ。
「何台車を盗んだ」
柴田刑事が、いきなり核心を突くことを聞いてきた。
僕には過去に自動車盗の前科が有る。
「今までにってこと?」
とぼけてみた。
「この半年にだよ。お前さんが刑務所から出て来て、今日までにって意味さ」
「あぁ、一台も盗んでないよ」
「五十嵐よ、ちょっとはこっちの顔も立ててくれよ。捜査本部を立ち上げて、一枚も調書を巻かなかったなんて事になったら立場がないんだよ」
今度は泣き落としか…。
刑事のやり方は全国共通だな、と思った。
「警察の面子を立てて、やってもいない事で懲役に行く馬鹿もいないだろ。ただでさえ誤認逮捕でションベン取られりゃ、嫌でも懲役に行かされるってのによ」
飽くまでも僕は否認の姿勢を崩さない。
「オッ、シャブの使用は認めるのか?」
「認めるも何も、チンポに管突っ込んで無理矢理ションベン取るんだろ?そんなもん自ずと答えが出るだろうよ」
僕の言葉を聞いて、柴田刑事は腕組みをしたまま考え込んでしまった。
そしてこう言った。
「お前変わってるな…何故痛い思いまでして任意提出を嫌がる。それはそれ、これはこれで良いんじゃないのか?」
シャブと窃盗は警察内部でも扱いが別の課に分かれている。
今は窃盗容疑で捕まっている関係上、盗犯係の柴田刑事と向かい合ってはいるが、僕の小便から覚醒剤の陽性反応が出れば、盗犯係の調べが終わった後、薬物対策課の別の刑事の調べを受けることになる。
だからこそ柴田刑事は、小便を出すだけ出してしまえば、後は別の刑事にバトンを渡すのだから、何もシャブのことで盗犯課に虚勢を張る必要は無いだろうと言っているのだ。
しかし、一つでも任意に協力してしまえば、「アレに協力したんだから、コッチにも頼むよ」と必ず何かの協力を求めてくる。
毎日同じ事を言われ続けると、一々断るのも面倒臭くなって、遂には「分かりました」と自分の墓穴を掘る結果にもなり兼ねない。
ならば、初めっから「それが俺のポリシーだから」と刑事たちに思わせておけば、先に向こうが諦めてくれる。
確かに検事や裁判官に印象は悪いかもしれないが、その先に処分保留や無罪が待っている可能性があるなら、勝負に出て悪い事は何も無い。
「警察の捜査に、自分の意思では一切協力しない。それが俺のポリシーなんだよ」
半笑いで僕が言うと
「お前さん、なんか余裕あるな」
と柴田刑事も笑い返した。
「お前さん、車を盗むのが随分上手らしいじゃないか」
柴田刑事の一言で、既に僕の前科が綺麗に調べ尽くされている事がよく分かった。
「平成11年車までならね」
「何だ、随分マニアックな話しに成るんだな」
柴田刑事が僕の話しに興味を示した。
「イモビライザーが入ってからは、もう俺の出番はないよ」
イモビライザーとは車の盗難防止装置の一つで、鍵に特別なチップが埋め込めてあり、車の車体側に有る暗証番号と、鍵の中に有るチップの暗証番号が一致しないとエンジンが掛からない仕組みになってる。
多くの場合、インジェクションと呼ばれる装置に電気が行かなくなり、エンジンのシリンダーにガソリンが送れなくなるのだ。
その装置が、平成11年頃からほとんどの高級車に標準装備される様に成って居た。
「いやいや、お前くらいの車の知識が有ればどうにでもなるだろう。例えばイモビカッターとかよ」
さすがに警察の捜査力は侮れない。
僕が車の構造に精通して居る事は調べが付いて居るらしい。
「まあ、、昔の車なら1分も有ればエンジンをかける事なんか訳ないけど、さすがの俺もコンピューターには勝てないよ」
そんな事は無い。
柴田刑事の質問をはぐらかしはしたが、「イモビカッター」は僕自身、既に持って居た。
イモビカッターとは、オンボードダイアグノーシス(OBD2)と言うパソコンで言うインターフェースの様な物が車の社内に有り、そこにイモビカッターと呼ばれる装置を差し込むと、イモビライザーをショートカットして直接エンジンをかけることが出来る物だ。
一般に出回る事は無いが、裏の世界では簡単に手に入れることが出来る。
最近の車はほとんどがインテリジェントキーに成って居る為、キーシリンダーを壊してエンジンをかける必要もなく、むしろイモビライザーが有れば、昔より簡単でしかも綺麗に車を盗むことが出来る。
柴田刑事は、僕がその事を知らない訳が無いと言っているのだ。
「そうかな、お前らが車の中で話して居る内容を聞いていると、その辺の整備士より余程車に詳しいじゃないか」
柴田刑事が手持ちのカードをジワリジワリと切って来る。
「車の中の会話って?」
僕はそのカードをのんべんくらりと躱す。
「惚けるなよ、ドライブレコーダーにお前たちの話しが残ってんだよ」
警察に弱い人間なら、そこで「the end」とばかりに自供を始めるのかも知れないが、こちとら百戦錬磨の懲役太郎。
それこそ策士策に溺れるってヤツだ。
「俺と雄樹が車の中で話した内容って事かい」
「そう言ってんだろ」
「何で雄樹と俺の会話って分かるんだよ」
「雄樹が五十嵐さんと呼び掛けてるし、今話して居るその声と同じ声が返事をして居るよ」
「俺と同じ声?似てるってだけなら証拠にはならないじゃないか?そもそもその声の主が俺だって事を雄樹は言ってるのか?」
雄樹が事件の事も、共犯の事もまだ何も話して居ない事を僕は弁護士から聞いて知って居る。
それだけに、柴田刑事から受ける取り調べにも強気に出ることが出来るのだ。
先に捕まった共犯者に、高い金を払って弁護士を付ける事は、何も共犯者に対するお情けだけではない。
自分の身を守る為でも有るのだ。
「あの車からお前のDNAも出てるんだぞ。どう説明してもお前以外の五十嵐さんは考えられないだろう」
柴田刑事の態度も憮然としたものに変わって来ている。
「そういうのを状況証拠って居言うんじゃないのかい」
窃盗事件の場合、状況証拠だけでは起訴に持っていくのは中々難しいのは決まりきった事。
「雄樹と車の中で車の構造に関して何か話したと言う記憶は、俺には無いんだよね」
白を切るならとことんだ。
柴田刑事は茹で上げたような赤い顔をし
「だったら声紋鑑定で白黒はっきりしようじゃないか」
と大声で怒鳴った。
『それがあんた等の切り札かい』と思うと、余りに滑稽で笑いたい気持ちにさえなって来た。
「だからぁ、任意の捜査には協力しないって」
僕は横を向いて鼻で笑った。
もし最後までこの事件を逃げ切ることが出来たなら、この態度も後の笑い種ともなろうが、まかり間違って起訴にでもなったなら、最悪の結果になる事は確定だな……と僕は内心ドキドキとしていた。
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