其の二

 あたいは暗い夜道を小走りに歩き続けた。

 途中、野良の吠える声が遠く聞こえてきたりして物騒だったけど、悠長にそんなこと気にしてる暇なんてありゃしなかった。だから咳き込んだ拍子に左の袖口を赤く染めていたことにも全然気づかないでいた。


「――せんせい!」


 そうして肩で息をしながら、丑か寅の刻限のころにやっとの思いで辿り着くと、診療所の明かりは薄っすら灯ってたから、あたいは迷うことなくがらりと障子を開けて、追っ掛けおみねさんよりも大きな声で呼ばわった。


「……」


 先生からの返事をほんの少しだけ待ってみたけれど、しんと静まり返った部屋の中には、あたいの声だけが虚しく落ちていく。

 あたいは様子を探るようにして、擦り切れ痛んぢまった草履を前へずり動かしながら、土間のとこまで足を運んでみた……けど、人の気配なんざこれっぽっちもしやしない。


「――おはす、このような刻限に如何した?」


「!?」


 ひょいと顔の向きを変えてみると、今あたいが入ってきたとこに先生の姿が閑かにあった。闇然としていたけど、先生のその両の眼は薄気味悪いほどに爛々と光ってるように見える。

 

「せんせい、聞きたいことがあってきたんだよ」


 言いながらひょいと先生の手元の方へ目を遣ると、右手にはかがりを持ち、左手には鞠か、それよりもちょっとだけ大きいぐらいの物を風呂敷包みにして携えていた。


「何かな?」


「おりくちゃんと、あたいにくれてた薬のことなんだけどさ……」


「ふむ。何か気になる点でもあるのか? それにしても、おりくのことは残念だった…………と、その話をする前に、包みの中の物の処理を済ませてしまわんといかんのでな。少し待っててくれんかの?」


 先生は、あたいの方へゆっくりと近づき、「すまんが、ちょっと持っていてくれ」と、そういって風呂敷包みをあたいの目の前にぐいと突き出す。

 あたいはその包みからする臭いに一歩あとずさったけど、先生がもう一度くいとこちらに押しやったので、しぶしぶ先生が握ってるその結び目の垂れ下がったとこを両手で掴んで受け取った。すると、ずしりとする重さが薄ら寒さと一緒に伝わってきた。


「せんせい、これ……」


「ん? 開けてみても構わんぞ」


 先生は水瓶から柄杓で水を掬い出しながら手を洗う。ちらと見てみると、先生の両の手には、何か赤黒い汚れが付いてるようだった。


「……」


 あたいは包みの方に目を戻す。そしてそれを仰ぎ見るようにしてみると、なんだろう、見ればその包みの下っ側には、べったりと染みるものがあった。

 その色は、紅樺色のような葡萄色のようだったけど、今ひとつはっきりとしない。如何せん、明かりは診察で使ってる奥の方にあったから、きっちりとどんな色なのかはまでは分からなかった。でも、なんだか持ってちゃいけないような物が中に収まってる……そんな気がした。


「せんせい、患者さん診てたのかい?」


「ああ。ちと苦労したわい」


「こんな時間に大変だったね……!? ゲホ、ゲホッ!」


 ――あたいは咳き込んぢまった拍子に、するっと風呂敷包みを下に落っことしちまった。


 ごと!っという鈍い音がして、拾い上げようと慌てて屈み込んでみると、結目がいとも容易くはらりと解けて、中の物が姿を現す。


 あたいは中のそれと、しっかりと目を合わせちまった……


 それは、残り少ない白髪を振り乱し、かっと見開いた目で何かを訴え掛けるようにして、口を大きくひん曲げた老いた男の生首だった。

 皺だらけの首の処には、ぎざぎざとした傷痕が無数にあって、切り千切られたのが一目瞭然だ。そして、そこからは肉の断片やら骨やらが露わになっていて、未だにじんわりと血が滲み出している。


「ぎゃーーーーっ!」


 あたいは目をひん剥いて腰を抜かして砕け落ちた。そこから手と足をばたばたとさせながら後ろへ後ろへと必死で擦り逃げようとしたけど、気が動転していてどうにも思うように動いてくれない。

 そしてそんな滑稽なことをやってる間も、あたいは合わさっちまった老人の死目から自分の忙しく揺らぐ目を逸らすことができなでいた。


「――うっ!?」


 勢い余った右手がつるりと滑ってしまって、大きく仰け反った恰好で上がり口の角のとこに思いっきり頭の後ろを強くぶつけて、あたいはそのまま気を失っちまった――


「……ぅ、ぅん」


「気が付いたか?」


「……?」


「覚えとらんのか?」


「……!?」


「せんせい。さっきのは、一体……」


 先生は薬研で何かをすり潰してた。あたいは横になってた体を起こして、先生と目の高さを合せるようにして話し掛ける。

 周りの様子からすると、先生がいつも患者を診るのに使ってる、家の一番奥っ側の場所に二人していた。

 

「うむ。あれは先ほど作ったばかりの作品ものじゃ。中々の出来栄えじゃったろう?」


 先生のその表情はいつもと違っていて、何処か、夢物語でも語っているみたいだった。あたいは先生のその様子にぶるるっと身を震わせて、不安が膨らんでく本題へと移る。


「せ、せんせい……おりくちゃんのことなんだけどさ……」


「うむ。実に残念じゃった。もう少し早ように着いておれば、おりくの最期を見届けられたものを……」


「せんせい、それって……」


「残念で仕方ない。おりくがどのような苦しみ方をしたのかが見れんかったのは」


「!?」


「まぁしかし、おりくのあの死に様は【あれ】とは違っておった。まず吐血する時点で違う。それに痣が出来たのも違う。それを踏まえて、先程お前さんが寝てる間に薬を変えて飲ませておいた。お前さんもどうやら、おりくと同じように血を吐いたようじゃし、それに痣もできとるからの」


「!?」


 あたいは冷然とそう言われて、胃の腑のもんが急に逆流してきて場所も弁えずにぴちゃりと畳に嘔吐した。けど出てきたもんは、水に少しばかり白く色をつけたようなもんだけだった。


「……ふむ。先程の作品ものを直ぐに材料にしてみたんだが、上手く取り込まれたようじゃの。どれを材料にしたか、分かるか?」


 そういって、先生はひく手を止めて右手を自分の後ろへと回す。そして何かを鷲掴みにすると、それをあたいの前にぼんと乱暴に置いた。


「ひっ!?」


 見たくもないのに目に飛び込んできたそれは、さっきの生首だった。それも左目がなくなっていて、そこだけが塗りつぶしたかのように黒くなってる。


「せんせいっ!?」


 あたいは考えたくないのに、この目ん玉を飲んだのかとまた吐き気がした……けど、今度は引き攣りむせ上がるような腑の感覚と、喉の焦げるような熱苦しさだけで何も出てこなかった。


「安心せい。今度は上手くいくはずじゃ」


「上手くってなんだい!? せんせいは、おりくちゃんを殺したんだね!?」


「殺すとは人聞きの悪い。作品として、立派な生を与えたではないか」


「作品!? あんた、人の命をなんだと思ってるんだい!」


「命とは、尊い塵芥よ」


「っ!?」


「それにおはす。以前、お主は儂に〈いつか恩返ししたい〉と、そう言っておったではないか」


「それとこれとは話が違うよっ!」


 この腐れ医者は、本当に達さんの言う通りに道を踏み外していたんだ。

 あたいとおりくちゃんがどんどん悪くなっていったのも、ぜんぶ此奴の所為だったんだ……


「この、人の皮を被った鬼!!」


 あたいは腸が煮えくり返る思いになりながら、体の内っ側が焼け焦げるような感覚に襲われていく。すると今度は呼吸が為難くなってきて、次には、体中に痛みが走りだす。


「薬が効いてきたか……ううむ、水泡が出はじめておるな。それに、肌の色も変色しだしておる」


 幻船は、あたいのことを見据えてぶつぶつと言葉を並べてる……けどあたいは今それどころじゃなくなって、業火の中に身を投じたような、昔きいたことのある、八大地獄ってやつのどっかで味わうような苦しみを感じてのたうちまわってた。


「……ぁ、あんた。こんなことして、只で済むと思ってんのかい!?」


 あたいは苦しみの中から懸命に声を絞り出した。この鬼畜にちょっとでもあたいやおりくちゃんの恨みを思い知らせたくて。

 けど、幻船はその表情を固めるようにして、あたいをきょとんとした面で見たあと、


「それはどういう意味かな? 儂は牢屋医師だぞ? その儂が検死すれば、全ての殺しは病死や自殺ということで片が付く。またこの作品なども裏山へ持って行けば直ぐに獣らの餌となって土に還る。するとどうか、この儂を裁く者は、この世に誰一人としておらんではないか!」と、鬼畜はそういって、さも可笑しそうに腹を抱えて笑い出した。


「――くっ!……このっ……」


 あたいは、もう、ちょっとも体を起こすことができなくなっちまっていた。

 毒があたいの体を派手に蝕んでやがる……


『ああ、悔しい! こんな奴に殺されるなんて!!』


 あたいは必死で幻船に手を伸ばして、その甲に黒ずんでく爪を引っ立てて、ぎぎぎっと掻いてやった。


「ふ~む、今回も違ったのぉ。まぁ努力のし甲斐があってよいということにするかの」


 幻船は、あたいのその様子に何か云ってるようだったけど、あたいには、もうなんにも聞こえちゃいない。

 目の前が、どんどん真っ暗になってく。

 目ん玉が、萎れてく。

 胸も動いてくれないから、もう、息もできやしない。


『……あぁ、死ぬんだ』


 あたいは、はっきりと自分の最期を自覚した。

 なんにも良いことなんてなかったあたいの人生。

 生きてく為に夜鷹にまで身を堕とした、あたい。


『――もういいや』


 体を売ることになんの抵抗もなくなっちまって、その日その日をただ繰り返してた、ある日、ふっと死んじまおうって思って、大川に身を投げようとした。

 そしたら横合いからあたいに飛び掛かるようにして抱き止めてくれたのが、おりくちゃんだった。

 そん時のおりくちゃんは、泣きながらあたいにこう言ったんだ。

「最後の一呼吸まで、無駄にしないで生きようよ」って。

 はっきり言って、未だにその意味はあたいにはよくわかんない(笑)。

 こんなことなら、ちゃんと聞いときゃよかったよ(苦笑)。

 けど、おりくちゃんの表情、抱き締めてくれたか細い腕と体の温もりが、あたいに生きる勇気と力を与えてくれたんだ。


『――おりくちゃん、待っててくれてるかな』


 もうぴくりとも動くことが出来ずに、あたいが口元を僅かに緩めてそんなことを考えてたら、ふっと目の前に浮かぶようにして、見たこともない童女が大事そうに紅い鞠を抱えて顕れた。


『……鞠突き、好きなのかい?』


 無表情のその童女は、こくりと頷く。


『あたいも好きだったなぁ……』


 どうやらあたいは今、仰向けになってるようだ。

 その童女は真っ暗闇の中、不自然に浮いてるようだったけど、今のあたいにゃ全く気にならないことだった。


「恨み、晴らしてやろか?」


『……』


 その童女が童唄を口遊むようにいったその言葉に、あたいは自分がなんで今こうなっちまったのかを思い出す。そして、この童女なら、あの外道に仕置きができるということがなんでか解んなかったけど直ぐに判った。


『……お願いするよ』


「哀、わかったよ……」


 その童女は闇の中へ還って行くように、あたいの前からすっと消えてく。

 そして、あたいもその場所から溶けるようにして逝く。

 そうして現世うつしよに残った体は、白目を剥き、口からは血と涎を垂らして、変色しきったどす黒さと粘つくような浮腫を遺して、息を小さく小さく最期に吐き出した――




 







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