其の六

「誰だい?」


 吉之助が百本杭に引っ掛かったまま童女と言葉を交わし終わって間もなくの頃、山楽は後ろに気配を感じて声だけを掛ける。

 山楽はいま、沼田への献上品(賄賂)を座の裏手にある自室としている部屋で確認しているところであった。


『もうちっと甘い汁を吸わせてもらわないと、割に合わないねぇ……』


 沼田との関係を構築できたお蔭で座の興行は滞りなく行うことが出来てはいるのだが、ここ最近、沼田のそれとない要求が座の懐具合を圧迫していることも事実で、あの強欲なツラを不本意にも思い出してしまい、心の中で唾を吐く。


「これ、返事をしないかい」


 これが片付いたらおゆきを呼んで、昼間の続きでも愉しもうかとそう考えていた山楽は、用向きも告げないで黙って気配だけを露わにしているその者に対して不快感を覚えながら振り返る。


「?」


 見れば障子の向こう側には、おゆきよりも更に幼い童女の影が、部屋の明かりで揺らめいていた。


「……誰だい?」


 山楽はその見覚えのない童女の影に興味を覚え立ち上がり、スッと障子に手を伸ばした。


 すると――


「おっちゃん、逝く時がきたよ……」


「!?」


 声がしたのが自身の真後ろだと直ぐに分かって、山楽が驚き振り返ってみると、足元には深淵に佇むような瞳の童女が真っ赤な鞠を抱えて自分のことを見上げていた。


「!?」


 山楽は思わず一歩後ずさったのだが、年端も行かぬその童女の瞳に、まるで修羅を映しかのような禍々しいものを見て、この世ならざるような婉美なものに激しく魅了され興奮を覚えてしまう。


「お、お嬢ちゃん。どこのだい? 何か欲しいものはあるかい? あるなら言ってごらん。私が何でも買い与えてあげよう。だから、その代わり……」


 山楽は、にこにこと、大黒様のような微笑みを浮かべながら童女に向かって屈み込む。見ればその口元からは、欲望の端切れのようにしてしだるものが表れている。


「あたいが欲しいもの……」


 童女は、化けの皮が剥がれていく大黒様に対して動じた様子もなく、短い言葉を紡ぐ。


「なんだい……?」


 山楽は童女の、そのほっそりとした足首に鼻の穴を大きく膨らませながら手を伸ばす……


「それは……」


「うん……」


「おっちゃんの、魂さ……」


「そうか、そうか……」


 全く頭に入ってこない童女の言葉にそれなりの相槌を打ちながら、生気の無い三途の川の畔を彷徨っているかのようなその足首に今まさに己の醜く太い指の先が触れようとした、その瞬間、あっと言う間に欲望を吹き飛ばす程のおどろおどろしいものを背中に感じて、山楽はバッ!と振り返る。


「誰だっ!?」


 見上げると、そこには、深編み笠を被った浪人風の男が佇んでいた。


「……」


 男は山楽を笠越しに認めると、無言のまま腰に提げている鞘からスルリと刀を抜く……だが、そこにある筈の刀身は無く、代わりに紅紫の炎が揺らめいていた。


「ひっ!?」


 山楽の眼前に見せつけるかのようにして、男は徐に人の構えを取る……


「なっ!? なんだい! や、やめておくれ!!」


 山楽はその妖刀に恐れ戦き額に脂汗を滴らせながら、どすんと薄畳に尻餅を付いて後ずさる……と、終演(焉)の如く後ろから童唄が聞こえてきた――


 ひとぉつ 掴んで 髑髏


  ふたぁつ 掴んで 懺悔の日


   みぃっつ 掴んで 魂さぁ


「!?」


 見れば先程の童女が鞠を突きながら童唄を口遊くちずさんでいる。


 その歌声は見事にその空間に響き渡り、山楽は『次の演目に立たせたい』と過る程であった……


「!? これは一体……どうなってるんだいっ!?」


 山楽はそこでようやく今いる己のその場所が先程まで居たはずの場所ではなくて、どこまでも続く真っ暗闇であり、周囲を青白い炎が取り囲んでいるということに気が付く。


「なんなんだい!? 私が一体、何かしたとでもいうのかいっ!?」


 山楽は童女と男を交互に睨みながら訴えかけた。


「業の行く末……」


 童女が無情にも、山楽の心にズシリと響く一言をポツリと口にする。


「なっ!?」


 刹那、山楽は今までのありとあらゆる行いが脳裏を駆け巡る。

 幼子という幼子に手を出し、抵抗できない純真無垢な子らを己の欲望のままに凌辱してきた日々。座の安泰の為ならば、相手を陥穽に陥れようが、時には殺しの依頼すらも厭わない日常……そんな大したことない、ほんの些細な出来事たちが一気に押し寄せてきた。


「……だが! そのぶんは還してきただろうっ!?」


「身を持って還す時……」


「ひーーーーっ!」


 童女の瞳の中に、これから辿る末路が映し出される。


「た、助けておくれよーーっ!」


 山楽は童女の足首へ縋りつくのであったが、童女はそんな山楽を徒見下ろし、事の顛末をその瞳に収めようとするだけであった。

 そして深編み笠の男は山楽との距離を音もなく詰めていき、その背に向かって迷うことなく刀身とする炎で勢いよく袈裟懸けに斬り付ける。

 その瞬間、炎が無数の歪んだ人の顔を形作り、まるで山楽の魂を喰らいつくそうとしているかのようだった。


「!? だ……だすげ、で……」


 山楽は苦しみもがきながらも、掴んだその手を決して離そうとはせずに、絶命のその刹那、『舐めまわしたい……』と、そう欲望に囚われたまま息絶える。


 チリリリン――


 鈴の音が響き渡り、先ほどまでの闇がパッと消え去り、部屋へと姿を戻す。


「……お前ぇさん達、何者なにもんだい?」


 ガラリと開け放たれた障子の向こう側、まるで生者と死者を別けるように邂逅がなされた。


「……」


 チリリリン――


 片岡の腰の物の栗形のところに付けられた鳴るはずのない鈴が、警鐘のようにして鳴り響いている。

 この鈴は、先日、奔納和尚との例によっての死闘の最中、「この世為らざる者って、本当にいるのかい?」と、罰当たりなことを聞いた時に和尚から譲り渡された物だった。

「このご時世に、そんな阿呆みたいなことを公に務める者が言い出すのか」と、和尚は豪快に笑い飛ばしたのだが、「物の怪という言葉がある以上、何もないとは言い切れんじゃろ。ましてや何もないなら寺も坊主も要らん筈」と、そういってスッと渡された。

「これは……?」

「無鳴というてな。中の玉が入っておらんのじゃ……しかし、伝え聞くところによれば、物の怪が近くにおる場合、その音が鳴り響くと云われておる。まぁ、気休め程度に持っておけ――」


 そうして片岡が座に足を踏み入れた途端、チリン――と鈴が鳴り、その音は奥へと歩を進ませる毎に大きくなっていき、そして、この部屋へと辿り着いた。


「……」


 片岡がその障子の向こう側の徒ならぬ気配にゾクリとするものを背中に感じながらも障子に手を掛けて、ゴクリと生唾を飲み込んだあと、それをゆっくりと横へ動かしてみると、深編み笠を被った男と、例の殺しと同じ死に様で転がっている山楽海喜と思しき男に、瞬き一つしない童女がそこに凛として在った。


「……」


 片岡は、ことばを掛けつつ、その異様な光景に右足をひとつ引いて腰の物に直ぐに手をかけた……

 

 すると深編み笠の男もこちらへと向き直り、水の構えを作る――


「!?」


 片岡がその男の刀身を視野に入れると、それは刃ではなく炎だった。


『まともにやり合えるのか……?』


 片岡は、まだ互いに一太刀も浴びせていない状況にも係わらず、瞬時に圧倒的な分の悪さを感じ取る。


 力量とかではない……そもそも太刀が届く相手なのか、と……


 すると、


「行こう……おとっつぁん」


 童女が男の背に声を掛けた。


「――!?」


 男はその声に答えるかのようにして、僅かに剣先を動かすと、少しずつ後ろへと下がり始める……そして童女と男が後退して行くその先は、壁によって当然に行き止まりなのであったが、その壁が仄暗い闇を作り出し、二人はその壁の中へと溶け込むようにして身を預け消えて行った……


「っ!?」


 二人の姿がその中へと完全に消え去ると、壁は何事もなかったかのようにして土色へと戻っていく。


「旦那!」


 聞き込みを終えた孫八が、片岡が抜刀していることに驚き慌てて駆け寄ってきた。


「!?……同じ手口ですね」


 片岡は緊張の糸が解れ、汗腺がぶわっと開き、どうっとあぶら汗が噴き出す。


「大丈夫ですかい?」


「ああ……」


「一体、何があったんですかい?」


「孫八……俺ぁ、大変な山に関わっちまったみてぇだ……」


「……旦那のこたぁ、あっしが命に代えてもお守りしやす」


「頼んだぜ(苦笑)」


「へい」


『それにしても、あのわっぱ、どっかで……』


 孫八の詰まるような声を横合いに受けながら、片岡は記憶を手繰り寄せるのであったが、今ひとつピンとくるものがない。


『何はともあれ、これで下手人が分かったって考えてもよさそうだ……』


 片岡は鞘に納めた愛刀を見ながら、次に遭った時にはどうしたものかとそちらにも考えを巡らせ始めていた――


 そうしてその少しあと、北を目指していた襟裳と神流は、橋を二つ渡った先の田んぼの真ん中で散々に鴉に啄ばまれた翌朝、当初、襟裳と神流だと判別できないような悍ましい表情と姿で発見されることとなった。

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