其の九

「お絹ちゃん……?」


 雀躍じゃくやくしながら見ていた宗太が、ぴくりとも動かなくなってしまったお絹に声をかける。


「死んじまったのかい?」


 その問いに、股の間のものが返事をするようにしてしきりと尾を動かす。


「……」


 宗太は、つんと、その肩口を押してみた――

 

 ばたん! 


 しなやかさの欠片もなく苦しみの果ての形相のまま、お絹は天井を仰ぎ見るようにして、いとも容易く倒れ込む。


「……つまんねえ」 


 宗太が何処かへと去って行ってしまった熱いものに寂しさを覚えながら、ぽつりと呟いた。


「しっかり後始末おやりよ。それから千両箱、きっちり取り戻してくるんだよ」


「へーい」


 座敷の凄惨さとは場違いなほどに軽い調子で言葉が交わされ、女が一つ欠伸をしながら伸びをする最中さなか、何処からともなく鞠を突く音が聞こえてきた――


「……?」


 それぞれが音色の出処を探っていると、青白い炎が激しく噴き出し、其処にいる者達を瞬く間に取り囲む。


「なんだい、こりゃ……」


 女は目元の涙を小袖で軽く拭い顔を隠し、眉間に皺を寄せて其れを凝視する。


「?」


 宗太が女越しに炎の向こう側、障子に映る童の影を見つけた。

 切り禿かぶろに見える頭の形からして、あれは恐らく童女であろう。

 その影が、毬を突きながら、唄いはじめた――


 ひとぉつ 掴んで 髑髏しゃれこうべ


  ふたぁつ 掴んで 懺悔の日


   みぃっつ 掴んで 魂さぁ――


「なんだ……?」


 童女の影がやや大きくなったかと思えば、炎の中から鞠を持った両の手が熱さをものともせずにこちら側へと現れて、次に足先、そして無垢な顔が姿をみせる。


「なんだい、こいつは!?」


 熱がるわけでもなく、着物に火が燃え移るわけでもない童女のその姿に、女が怯えというものを煎じて飲みこんだような様子で口にすると――、


「迎えにきたよ…」


 幼子は、其処にいる者らを見回し、透き通った声でひそやかにいう。


 直後――、


「ぐわぁぁっ!?」


「た、助け――っ!?」

 

 粗暴な男二人が突然苦しみもがき始めた。女と宗太が其れを振り返り見てみると、笠を被った浪人風情の男が片膝を突き、赤紫色に揺らめく刀のようなもので二人をいだあとだった。


 ばたん――、


   どすん――!


 男達は苦しみ抜いた末に息絶える。


「こりゃ……凄い!」


 新たな遊びが始まったと歓喜し、宗太がその目に狂気の灯火を再燃させる。


「やっちまいな、宗太!」


 然しもの女も、ことの異常さに緊張が走り上擦った声で指図した。

 

 が――「っ!?」


 ずん! と、腰の辺りに、なにやら冷たいとも熱いともつかないものが深くめり込んできた。


「およう、わたしと一緒に、逝っておくれ……」


 おようと呼ばれた女は、ぜんたい何が起こったのかを目顔を向けて確かめてみると、其処には髪は抜け落ちあばらは浮きで、浅い息を繰り返すにも係らず、の奥に宿した執着という名の灯火を激しく燃え盛らせている一人の男が、しがみつくようにして真後ろに立っていた。


「……あ、あんた」


 女は自身にめり込んでいるものが刃物であろうと見当をつけて、骨ばった男の手を片方の手で爪を立てるようにして握り込むと、痛みに顔を歪めながらも一息に其れを抜き取り、男の手から案の定の物を奪い取って、


「逝くのは、あんた独りだよ!」


 と、目尻を吊り上げ怒りの炎をその目に映し出し、男の心の臓を目掛けて深々と刃を突き立て引き抜き蹴り飛ばした。

 すると突き飛ばされた男は「ぅ」っと小さく声を洩らし、宙にふわりと浮いたような格好になったあと、大した音も立てずに畳へと倒れ込む……と、


「奥の人は、だめ――」


 女の方、音もなく直後ろへ迫っていた浪人へ向けて、たしなめるようにして童女が声をかけた。


「……」


 浪人は、その声に間合いを測り直すことで応えて、足先を整え掲げていた諸手を袈裟掛けに振り下し女のことを切りつける――


「!? 何しやがんだい!」


 真冬の大川にでも飛び込んだような身の竦む痺れに驚き振り返ると同時に、女は相手の言い分を聞くことなく直ぐさま得体の知れない浪人へ向けて刃物を振り翳す――が、


「っ!? ……ぐっ!」


 体中を絡め取られ、搾り上げられるような苦しみが襲い掛かかり、手にしたものを落として、どうっと倒れ伏してしまった……と、其処へ――


「およう、一緒に……逝っておくれえ……」


 男は妄執とでもいうべき想いの強さで体の向きを変えて、女は自分の物だというようにして覆い被さり……こと切れる。


「ぐ、ぐるぢぃーーっ!」


 女は骸と化した男を払い除けようとするも力が入らず、下敷きとなったままに悶え苦しむ。


「たっ、たすけ……て――」


 全ての業を背負わされたかのような、そんな表情で女が童女の小さくつるりとした足に縋るような目を向けて、そして指先を伸ばしたままに、絶命した。


「……」 


 童女は、逝ってしまった女を其れが役目だとでもいうようにして、静かに見下ろす――


「凄い、凄いねえ! まだまだ愉しいことって、あるもんなんだねえ!」


 宗太が狂喜し、そびやかした肩を落としながら感嘆の吐息を漏らす。


「でもられちまったら、もう愉しいことも見納めになっちまいますからねえ」と、独りちるようにしていうと、俊敏な動きで女が落としてしまった刃物を拾い上げ、童女のことを後ろから素早く抱き抱えて、今にも折れてしまいそうな細い首筋へ刃をあてた。


「あんたの娘なんだろ? いいのかい、っちまっても?」


 ――浪人は黙したまま、正眼の構えを取った。


「へえ、興味ねえってことか」


 宗太は鼻先で笑うと、当てたものを強くした。


「?」


 違和感を覚えて、宗太がちらと童女の首筋に目を遣ると、出るはずのものが全く滲んできていないのが分かった……。

 それに、幼子のその体が、恐ろしく冷たいことにも気がつく。


『なんなんだ、この童女わっぱ……』

  

 興味をそそられ、童女の顔を見てみた……すると、


「――逝く時が、きたよ」


 童女は宗太の方へ、あどけない其の顔を向けて、狂喜の炎を一瞬にして凍らせてしまうほどに冷たいで呟いた。


「なっ!?」

 

 宗太が童女の瞳の中に、この世ならざる情景を見つけてしまう。其れは昏い闇の中、何処からともなく生えるようにしてある無数の手。


 混沌として蠢く手、手、手、手……


 それはまるで、宗太が来ることを今か今かと待ち侘びているようであった。


「ひっ!?」


 ――初めてのことだった。【恐れ】、というものを覚えたのは。


 其れまでは、そんなものとは無縁だった。

 自身が愉しいと、そう思えることに没頭する日々しかなかった。


〈お前は、憑りつかれている――〉


 そういわれて、家にいた頃は座敷牢に入れられていた。それでも捕まえた鼠や虫なんかで愉しみを手放すことはなかった。

 お頭達が押し入ってきた時だって、自分が殺されてしまう恐怖なんか微塵も感じずに死んでいく者達を見て興奮したものだ。


 その自分が、いま、恐怖というものを知り、慄いている。


 愉しむどころじゃあ、ない……。


『逃げなくては――』


 それだけが、頭の中を支配した。


 宗太は童女を放り投げて、逃げ場を探し求めた。

 けれど辺りは炎に包まれていて、逃げ場などあろうはずもない。

 だが逃げなければ、あの手どもに掴まってしまう……


 なんとかしなければ――


 そうして火の熱さなど、掴まってしまうことに比べたら大したことではないと、頭の中にある秤を動かして飛び込む事に決めた――


「……へ?」


 浪人の真横を駆け抜けて、軽々と飛び越え障子をぶち破り廊下に出た……つもりだった。けれど今、己の体は其の後ろ姿を目にしている。

 

『どうなってんだ?』


 訳の分からないこの状況が可笑しくて、つい頬を緩めて笑みを浮かべてしまっていると、ぼと……ぼたっと、自身の体から、何かがずるりと落ちていくのが判った。


「!?」


 見れば宗太の胸や腹、それに腿の肉なんかが豆腐に箸を入れた時のように、ぐにゃりと崩れ落ち骨が露わとなってしまっていた。


「すごいねえ……」


 そして、宗太は気づく。


『そうか。恐いってのも、案外愉しそうじゃないか。それに、あの情景が本当に恐ろしいかどうかなんてのも、わかりゃあしないじゃないか』と。


「お嬢ちゃん。ひとつ、よろしく頼むよ」


 ほとんどの肉が削げ落ち骨が露わとなってしまった宗太が、童女へ向けて微笑んむようにして骨をずらして顎を傾けた。


「…哀、わかったよ」


 宗太を支えていた全ての肉や腱が削げ落ち煙と共に消え去り、がしゃりと崩れ落ちた骨へ向けて、童女は言葉を落とした。


 そうして狂乱の宴の後にのこったものは、ただしんと静まり返った間だけだった――


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