其の七

 そして、宗太の云う【遊び】が始まる。


「さぁ、まずは目隠しだ」


「怖いことない?」


「あるわけないだろ? 活きの悪い、大きい魚を捌くだけだよ(

笑)」


「……」


「次は両手を縛るから、前に突き出してごらん」


「……」


「最後は綿を詰めるよ」


 がさごそという、耳の中の不快な音にお絹は首を竦める。


「よし。行こう!」


 耳元でしたその言葉にこくりと頷き、宗太にいざなわれ歩き出す――


 おそらく襖の向こう側へと通されたのであろう。敷居の凸凹に足の裏が触れてしまったのが伝わってきて、お絹は少し申し訳ない気持ちになったのだが、『見えないんだから』と心の中で自分を庇い立てる。

 

「……」

 

 そして、数歩の処をやおら歩を進めると、軽く肩を押さえつけられ座らされた。


「――?」


 お絹には、何か呻くような声が聞こえてたような気がしたのであったが、それも後ろから両の耳を(たぶん、女将であろう)きつく覆われてしまったが為に判らなくなってしまう。


「……」


 縛られた両の手に柄らしきものを挟み込むようにして持たされ、間違えようのない宗太の諸手が痛いぐらいに甲を包み込む。


 そして――


「!?」


 勢いよくずい! と、体を前に預けるようにして魚にめり込まされる。

 お絹の伸ばされたその手に鈍い感触が伝わってくるのと同時に、宗太が更に力を加えて押し込む。


「……」


 粘っこい、振動のようなものが刃から柄、そしてお絹の指先に伝わってきた。


『こんな魚って、いるのかしら?』


 大きな魚を捌いたことのないお絹は、今まで扱ったことのあるものを思い出してみたのであったが、同じ魚とはいえ、余りにも違うその感触に違和感を覚えた。なんというのだろうか、どちらかと言えば獣の類に近いと思うし、そもそも真っ直ぐに刃を突き立てることが不思議だった。

 そして寄る辺なくそんなことを考えていると、宗太が力任せに引っこ抜いた……瞬間、びくんと跳ねたようなものが伝わり、それと同時に宗太の肘の辺りが鎖骨を打った。


『……』

 

 お絹は得体の知れない不安に胸の中が激しく陰っていく。

 けれどもそんな心中を察することなどなく、宗太が横にずれろというようにして言葉の代わりに肩を押してきた。


「……」


 お絹は、されるがまま、正座のままに横へと二股ぶんずれる。そして柄の部分を持ち直させられると、今度は刃先が少し硬い何かに触れたようで、それが小刻みに震えている感触が、はっきりと伝わってきた。


「そ、宗太さん……」


 本当に魚なの? と言い終わる前に、真っ直ぐに伸ばされたその手を宗太が真横へと送り込んだ――


『これって……』


 それは以前、お絹が自身の指を誤って深々と切ってしまったものと同じだった……直後、生温かいものが顔や首元に掛かる――

 

「ようし。もういいよ」


 耳を押さえていた手が外れ、綿を取り出す音が耳の中でごそごそとうごめく。


「さて、お絹ちゃん。何を捌いたと思う?」


「魚……でしょ?」


 お絹は答えつつも、何かとんでもないことをしでかしてしまったのではないかという思いに、声が震え全身の毛穴がぎゅうと縮んでいくのがわかった。


「?」


 宗太に耳を傾ける中、途切れ途切れの苦しそうな声が聴こえてきた――


「宗太さん、声……」


「さ、よぉく見てごらん」


 宗太が目隠しを解く――


「え……?」


 そこから――――


「ぎゃーーっ……!?」


「お絹ちゃん、そんなに大きな声を出すもんじゃないよ(苦笑)」


 宗太が素早くお絹の口を塞いだ。


 お絹は目の前の光景に只々、恐れ戦く――


「ご、ご主人様……奥さ……ま――」


 見れば彦六と加代が口を湯手で塞がれ、手は後ろ手に正座した状態できっちりと縛りあげられていた。

 彦六は既にこと切れている為に力なく首を前へと垂らし、着物からは血がべっとりと染み出している。

 加代はというと口を鯉のように何度もぱくぱくとさせていて、その度にぱっくりと裂けている喉元から勢いよく血が吹き出し、今にも飛び出してしまいそうなまなこが、涙ながらに恨めしいとも憐みとも取れる目付きでお絹のことを見据えている。


「どうだい、お絹ちゃん。楽しいだろう?」


「そ……そんな……」


 宗太は狂喜に酔いしれている。

 今の宗太は、あのとき見た【夜叉】、それに違いなかった。


「宗太ったら、あんまり部屋よごす遊びばかり考えるんじゃないよ」


 女将は笑いながらたしなめ、手に掛かってしまった血を古紙で拭き取っている。


「ぁ……ぁ……」


 お絹は自分が仕出かしてしまったことに震えが止まらず、刃先を伝い、血が滴り落ちるその短刀を蒼い顔で放り投げて、加代の喉元から未だ流れ出る血を縛られたままのその手で必死に止めようとする。

 

「健気だねぇ」


 女将はその様子を目の端に収めながら、煙管キセルを取りに隣の間へと戻り話し出した―― 


「済まないねぇ、変なことに巻き込んぢまって。実はあたしの手下だった奴が下心だして、あがり持ってそのまんま行方を晦ましたんだよ。お蔭で千両箱が二つほど足りないってことに気が付いてさ。で、三月みつきほど前から宗太つかって探させてねえ。この子、外面いいから情報収集には打って付けなんだよ。それでやっとのことで見つけ出して、千両箱の在り処を聞きだしてみたら、あんたんとこの屋根裏にあるっていうだろう。早速とも思ったんだけど、さいきん少しばかり八丁堀が煩くってねぇ……」と、女将は其処で吸い口に妖艶な唇を預け、深く息を吸い込んだ後、ふぅと煙を吐き出す。


「けど渡りに船で、湯治に行くっていうじゃないか。だから宗太にあんたを連れ出させといて、その間に取り返そうと考えたんだけど、〈爺と婆、行ったっきり帰って来ないことにしたら話が早い〉って、宗太が言い出したもんでさぁ。あたしはあんたのことはどうすんだいって聞いたんだよ。そしたら〈自分と夫婦めおとってことで商い張らせておいて、垂らし込みに遣えばいい〉って、そういうだろう。じゃあってことで、あんたが大変なことに巻き込まれてるっていう話でもって、後追っ掛けさせたんだよ。そうしたらこの二人、息も絶え絶え素っ飛んで来てね……あんた、ずいぶんと大事にされてんだねぇ……で、その人のいい爺さん婆さんを今すっぱりとあんたがったってわけさ」と、事も無げに話す。そして、


ついでだから話してやると、ここの主人……ああ、あたしの亭主(苦笑)。あたしが仕切る賭場によく賽子さいころやりに来てたんだよ。それである時に神妙な面して言われたのさ。〈もう先が長くないと医者から言われてる。どうか一緒になって欲しい〉って。以前から惚の字なのは分かってたけど、まさかそう来るとは思わなかったよ(苦笑)。でも、形ばかり表稼業が欲しかったところだったからさ、長くないんならいいかと思って承知したんだけどね、まだ何とか持ち堪えて奥で横になってるよ……それにしても、なんだい世間の噂っていうのは。あたしがちまちま毒盛ってるって話じゃないか? まったく、とんでもない誤解だよ。そんなまどろっこしいこと、このあたしがする訳ないじゃないか」と、如何にも不本意だというようにして鼻先で嘆息する。


「……」


 お絹には、そういえばと思い出すものがあった。

 半年ほど前に、彦六や加代の勧めで田舎へ帰ったことがある。


「今どうしてるか、お父っつぁんとおっ母さんに元気な姿を見せておあげなさい」


 そう言われて――


 田舎のおとっ父ぁんやおっ母さんが然して心配しているとは思えなかったのだが、弟や妹達に会えるのが楽しみで、それで帰郷した。

 そして田舎から戻ってみると、「お絹ちゃん、大事なかったかい!?」と、常連二人が血相変えて尋ねてきたことがあったのだが、その時、加代が慌てて話しに割って入り、お絹を遠ざけ何やらこそこそと二人に言い含めるようにしていたのを思い出した。


『あたしがいなかった、あの時に……』


 そうすると片岡が見廻りだとして足繁く通っていることもあながち嘘とはいえないなと、風采の上がらない役人の顔が頭の中をぎり、そして心配をかけさせないように振る舞ってくれていた彦六と加代の優しさが改めて染み渡り、目の前の惨状が奈落の底へと叩き落とす。


 大切に、大切に思ってきた彦六と加代。


 それをこの手にかけてしまった――


「さぁ、これで晴れてあのお店は、お絹ちゃんの物だよ」


 宗太が晴れ晴れと、御触れのようにしていう。


「あたしは、お店が欲しかったわけじゃない!」


 お絹は上手く回らない口元を必死で動かし、精一杯に反論する。


「おや? お絹ちゃん。私と一緒になりたかったんじゃなかったのかい?」


「今の宗太さんと一緒になりたかったわけじゃない!」


「なんだい、それ(笑)。お絹ちゃん、私は言ったじゃないか〈町も人も、その情景が変わると別物になる。どれが本当かなんてありゃしないんだよ〉って」


「だからって!」


「ふぅん……それじゃ、仕方ぁないね」


 宗太は然もつまらなそうに、そして下らない物でも見るかのようにして冷ややかな視線をお絹に浴びせると、くるりと向きを変え、「女将さん、ちょっと遊んでいいですかい?」と口にする。


「お頭とお呼びよ」と、そういって、賊の頭であり女将である女は、口元を軽く持ち上げ窘めた――

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