其の五

「――でね、その間は、あたし一人でやることになったんだ」


 今宵は密やかな川の流れが、二人の会話に花を添えている。

 彦六も動けるようになり、明後日には湯治に出立すると話していた。


「じゃあ、暫く二人とも帰ってこないのかい?」


「ええ。だけど大変だったら戻って来るまで閉めていても構わないって、そう仰って下さってるから、だいぶ安心」


「それじゃあ、私の食べるものがなってしまう」


「宗太さんのぶんは、ちゃあんと用意しておくから大丈夫(笑)」


「助かるよ(笑)」


『――いづれ、お店を任されるかもしれない』


 そのことを宗太にも早く伝えたかったのではあるが、宗太がそれをどう受け留めてくれるのか、それが不安で言えずにいた。それに、まずは一日でも早く立派にお店を切り盛りできるようにならなければと、それが先というふうにも思っていた。


『だから、一生懸命がんばらなくっちゃ』


 そしてそこに、宗太が居てくれたら――


「頑張らなくっちゃ!」


 心の声を表へと出して、お絹は自身に対する期待と不安から、普段よりも多く語り、宗太へ寄り添う――


 そうして二人それぞれが、帰るべき場所へと足を運んだころ……


「――か、勘弁してくだせぇ!」


 品というものの欠片も無い男達に取り囲まれる中、似たような風情の一人の男が額を目一杯に畳へ擦り付け、しきりに詫びを入れている。体中の出血や痣などの所為で、ぼろ雑巾のようになっており、数本の歯がその辺に転がっている。


「……勘弁してもらえると思ってんのかい? 」


 そんな中、一人の女が色艶の中に修羅場を潜り抜けてきた声音を効かせて、その男へ腰を折り曲げ語り掛けた。


「な、なんでもします! どうか、どうか命だけは!」


 顔を持ち上げ必死で女に命乞いをするものの、男の腫れ上がった瞼から蛇行して流れる涙が最期を認めている。


「落とし前つけるのが筋ってもんだろ? お前、何年この稼業やってきたんだい」


「ぅ、ううっ……」


 男のすすり泣く声を一蹴して女は立ち上がり、くるりとめまかしい腰つきをみせて取り囲む男達へ向け顎先で合図を送った。

 すると男達は直ぐに頭をひとつ下げて、這いつくばるその憐れな男を仰向けにひっくり返し、一人が馬乗りになり、そして他の者達が両手両足をきつく押さえつけ身動きできなくなるようにしていく。


「たすけ――!?」


 そしてそこから口と鼻に、濡らした布をぐいと覆い被せた。


「ん、んんっ!――」


 男は生きることへの執着を露わにして、懸命に体を動かし悶えてみせる。


地獄あっちで達者に暮らしな」


 女は一つ、欠伸をしながら伸びをする。


 そして男がそれに答えることはなく、じっと静かに横たわるまで、然程時間はかからなかった――。


「女将さん。あれ、どうするんですかい?」


 今しがた障子を開けてその様子を鴨居に手をやり見ていた若い男が、温もりある死体を楽しそうに目に映して尋ねる。


「いやだよ、今はかしらとお呼びよ」


 女は鼻先でひとつ笑ったあと、若い男をたしなめた。


「私に、良い考えがありますよ」


 若い男は己の考えに、表情を歪めた。


「あんたは、本当にやんちゃだねぇ……」


 その様子を見た女は、鼻先で愉しそうにして笑う。


「だって、楽しい方がいいじゃないですか」


「まぁね」


 そしてその異様な情景を上弦の月が薄っすら赤みを帯びながら、江戸の町に報せる――


「じゃあ、行って来るよ」


「後の事は、お願いね」


「はい、いってらっしゃいませ!」


 ――日の出前、旅支度を整えた彦六と加代を寂しい気持ちを追いやりながらお絹は見送り、そのあと直ぐに店を開ける準備に取り掛かる。


 すると、


『あれ?……あの子』


 彦六と加代が菅笠すげがさを被り直しながら最初に曲がった角の所に、先日見かけた童女が鞠を突いて遊んでいた。


「……」


 お絹は気になり、声をかけてみようと近づく――


「ちょいとごめんよ!」


「わ!?」


 後ろから威勢よく飛脚が脇を通り過ぎ、危うくぶつかりそうになってしまったお絹が、しかめっ面して「もう!」と、その後ろ姿に釘を刺す。


 そうして胸元に手を当て人心地ついてみると、


「あれ? ……いない」


 きょろきょろと辺りを見回してみたのだが、童女の姿は、もう何処にもなかった。

 お絹は狐につままれたような心持になったが、ぱんぱんと自分の頬を叩いて喝を入れ、「しっかりしなくちゃ!」と、背筋をしゃんと伸ばし、お店へと戻って行った――。




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